「この歳で自己新なんてカッコいいでしょう?」 (還暦)
自己新といっても、61.2kmが最長走・歩距離ということで、たいし
て自慢にもなりません。若い頃、頑張らなかったお陰で今になっても
自己新がつくれるのです。
今から15年、いやもっと昔だったかも知れませんが、ランナーズ誌
主催の10時間・5時間走大会が多摩川サイクリングコースの5km
折り返しコースで開催されたことがありました。その時の5時間走で
47kmくらい走ったことがあって、これが私の最長距離になってい
ました。
そういえば、その時は妻と娘が応援に来ていて、娘が食べていたアイ
スクリームを取り上げて食べながら走ったことを思い出しました。旧き
好き日の思い出です。
それ以来フルマラソン以上の距離を走ったこともなく、フルマラソンで
さえ途中歩くこともしばしばですし、記録はじりじりと悪くなってきてい
るので、箱根60kmランは、楽しみと不安の混じった挑戦でした。
奇跡がおこれば歩かずに完走出来るとしても、とにかく、40kmまで
を5時間くらいで走り、残り20kmを3時間かけて歩き、走りゴールす
る計画でした。
朝4時半に起きて、マラソンの朝の定食「お餅」を食べて、5時に家を
出ました。横浜駅に7時前に着いて集合場所に行くと、すでに数人が
来ていて、宇都宮さんは自宅から走ってきたとランパンとTシャツ姿
でした。遅刻したひとがいたりして7時半にスタートしました。
縄田さんのサポートカーが先頭を、中村さんがしんがりをサポートし
てくれることになりディパックも預けてしまいました。この時、財布には
硬貨と万札しかなく、硬貨だけを持って走り出したのですが、途中の
コンビニで使い過ぎたもので、最後のコンビニではスポドリ分のお金し
か残っていなくて飢え死にしそうになりました。
横浜から湘南に向かって走るのは始めてですし、土地勘もないので、
ひとりにされないようにすることが最重要課題でした。最初の1時間は、
ゆっくりペースだったので遅れ気味ながらもついていけました。藤沢
のJRの陸橋から半分雪を被った富士山が見事に見え、25km地点
からの湘南海岸のサイクリングロードを、その富士山を目指して走ると
いう豪華なランになりました。
途中、湘南100kmの選手とすれ違ったのですが、この地点ですで
に60km前後は走っているわけで、すなわち、私たちのゴールまでの
距離を走っているはずなのに、その元気な走りと私のゴールでの姿
を重ね合わせる事は出来ませんでした。
湘南海岸には、サーファーがうじゃうじゃと海のなかにいるし、サイク
リングロードはジョガー、MTB、散歩の人たちなどがたくさんいて、
退屈はしません。サーファーをやっている息子がいないかなと思った
りしながら走っていたのですが、このあたりから、みんなに離されてし
まいひとり旅になってしまいました。
ひとり旅になると早速、どこで海岸通りから134号にあがるのか心配
になり、その後も、2,3ヶ所でうろうろしてしまいました。ずーっと後の
事でしたが、箱根湯本の直前の箱根新道と1号が分かれるところで
道の左側を走っていた私は、そのまま横道を下の方に降りて行き、
ひとひとりしか通れない長い吊り橋を渡って、こりゃ道を間違ったと
尋ねると、やはり、戻りなさいということになりました。そして、1号に
戻ると歩いている丸山さんに遭遇して、それからゴールのかっぱ天
国まで仲良く歩いて行きました。しかし、これも、ずうーっと後の話
で、ここに至るまでの苦労話があるのです。
30km地点か、もうすこし先だったか、前をとぼとぼ歩いている人が
いました。それが、鈴木さんでした。寝ていたわけではありません。
こんなに早くから潰れてしまったのは、練習のやり過ぎか病気あがり
のせいなのでしょう。これで、私の後ろには3人いることになりました。
私とは格段の実力差がある鈴木さんを抜いたのですから、うれしく
てたまりませんでした。(単純!)
次のエイドは、二宮のセブンイレブンと言われたので、それだけを
楽しみに走っていたのですが、二宮に町に入ってすぐの店にも、
その先の店にも誰も見あたりません。そのうちに、国府津駅も通り
過ぎてしまいました。お腹がすいたぁー。やっぱり、どこかの店にい
たのを見落としたのではないかと思い、もしそうなら、追いついて来る
だろうと後ろを振り返ったのでした。しかし、これは私の思い上がり
でした。
たまらず、コンビニに入りおにぎりを探したのですが売り切れであり
ません。ショックでした。仕方なくパンと水を買って歩きながら食べ
始めました。
そろそろ走り続けることが難しくなり始めました。中村さんが逆走し
てきてくれて水を貰いながら聞くと、本吉さんたちは10分くらい前
に行ったとのことでした。ゴールまであと、7,8kmだと言われまし
た。
しかし、もう駄目です。歩きと走りを繰り返しになってしましました。
小田原あたりでは、まだ、走っているほうが長かったのですが、だん
だん歩く方が長くなるのでした。
箱根の山に入るとゆるいながらも登りになり、ますます走り続ける
ことが大変になってきました。堀さんの言葉「疲れや痛みと同化」
しようとしました。2,30kmの練習中は、うまく同化出来たのです
が、もう無理です。
丸山さんと会い、一緒に歩き始めてすぐに湯本に着きました。かっぱ
天国への急な坂と階段を太ももを手で押しながら登ってゆくと、中村
さんがいつものにこにこ顔で迎えてくれました。ゴール!
歩きもはいって60km走ったことも自己新なのですが、それ以上
に50kmを歩かないで走ったことが、本当の自己新でした。
バンザーイ!