徳之島トライアスロン完走記 (エーちゃん)

 5月1日から徳之島に向けての準備体制に入った。練習目標として徳之島の距離の
10倍(スイム20kmバイク900kmラン210km)を立てた。その頃の私の
状態はスイムはほとんどやっておらずバイクも外で乗った距離は合計して140km
にも達していない状態でした。立てた練習目標は自分としてはちょっと達成は無理か
もしれないと思い、妥協できない状況を作るために鉄人通信に目標を公開した。
 5月の練習はゴールデンウィークが時間的に取れる時のはずだが、身体ができてお
らず、量はこなせない。一度だけロングライドに参加し、みんなとの差を自覚した。
ただ、この時の仲間達との会話が私のやる気を起こさせた。(これがありがたかった)
 その後、練習を消化し、予定よりも早く5月いっぱいで練習目標を達成した。6月
に入り、調整期間として、一週間前に10kmのマラソンに出場し、仕上がり具合の
確認と、最後の強い刺激入れとした。
 この時は38分14秒だったので4月29日の時は41分9秒だったから調子は上
向いていることは確認できた。
 残念だったことはオーシャンスイムが出来なかったことだ。そのつけがスイムの時
に出ることになる。
 6月13日
 朝5時前に目覚ましが鳴った。準備を前日にしておいたので、朝は出発するだけだ
。寝ている子どもたちにキスをして5時半前に家を出た。駅までは2.5kmぐらい
ある。しかし、バスはまだ走っていない。タクシーを拾うつもりで大通りに出たが、
一向に来ないので駅まであるいた。事前にオーシャンスイムをやるつもりだったので
ウエットなどは送らなかったから荷物が重い。しかし、最後のトレーニングだと思い
ながら駅に向かった。
 鶴見から横浜に出てYCATで羽田に向かった。8時前の鹿児島行に乗りあっとい
う間に鹿児島空港へ到着。しかし、激しい雨が降っていた。そのため徳之島行の出発
が怪しい。なんとか、雨が弱まった瞬間を見計らって出発。これで一安心だ。徳之島
に近づくと雲が切れ始め、徳之島空港に降り立った時は日差しが強くとても暑かった
。風は強いが天気がいいというのは気持ちも高ぶる。
 私が予約した宿はサンセットリゾートでスタート地点にもっとも近い宿泊地だ。み
っちゃんからカラオケ部屋のことは聞いていたが私が泊まったのは焼き肉部屋だ。2
0畳ぐらいのところに4人で泊まった。たこ部屋といわれていたわりには待遇がいい
。建物もカラオケ部屋と一緒だが未だ新しくとてもきれいだ。結果として14日から
16日までどしゃ降りになったのでコテージに泊まった人たちのバイクはびしょ濡れ
になったが、焼き肉部屋の前には大きなフロアーがあり、そこに保管できるし、整備
もできた。何よりだったのは、ダンボールでバイクを送った者にとってダンボールが
濡れることは最悪だ(私は下北の時に経験した)。それも完璧に防ぐことが出来た。
そういう意味では事前のイメージが最悪だったので、私にとっては上出来だった。特
にスタートの最終チェックは7時35分だから、いざとなれば7時過ぎまで寝ていて
もレースには間に合う。他の宿ではできないことだろう(そんな選手はいないと思う
が・・)。でもカラオケ部屋のVIPルームの人はやっぱりかわいそうだった。畳で
もない部屋に布団を敷いて、16人ぐらいで寝ていた。ここだけには入りたくないと
思った。
 話を戻そう。空港から送迎バスで受付のB&G海洋センターに向かった。受付をし
たあとバイクを受け取り、サンセットリゾートの車に積んで宿に向かった。宿に着い
たら早速バイクを組み立て、知り合った仲間と軽くバイクに乗った。本当はスイムを
やりたかったのだが干潮で泳ぐことが出来なかったのだ(このつけもスイムででてし
まう)。
 カーボパーティーは金曜日に行われていたので、宿のバイキングで食事をした。サ
ンセットリゾートには招待選手が泊まっている。田村、宮塚、藤原などがいた。しか
し、これらの招待選手は遅れて食事場所に来たため食べるところがなくなり、空いて
いる焼き肉部屋で食べることになった。夜、家に電話を入れ、賢太郎・夢果から「ぱ
ぱ、がんばって」と精神的エネルギーを貯えた。結局、やることが何も無いので、1
0時前には早々寝てしまった。(しかし、夜中に2度ばかり起きた。それは焼き肉の
テーブルに膝をぶつけたからだ。痛かった。いてーっと叫んだので周りの人も起きて
しまったようだ。お騒がせしてごめんなさい。)
 6月14日レース当日 くもりのち雨
 5時から朝食なので4時45分に起き、顔を洗って食事場所にむかった。今度は招
待選手も早く来ていて食べていた。城本選手は食パンを2枚ほど食べていた。藤原選
手は納豆をはじめとしてかなりの量を食べていた。味噌汁も2杯飲んでいた。城本選
手に納豆は止めたほうがいいといわれていた。これが藤原選手にはケチのつきはじめ
だったかもしれない。私はいつものように納豆を含めて食べた。まだ、スタートまで
3時間近くある。十分に消化できる。部屋に戻り、一服した後、バイクを転がしてス
イム会場の受付にいった。バイクをセットし、受付で高校生ぐらいの女の子に「16
3」とナンバーを書いてもらった。また部屋に戻って一服。これがサンセットリゾー
トのいいところだ。
7時を過ぎたので、新調したウエットをもって部屋を出た。バイクトランジットでウ
エットを着た。フルウエットははじめてだ。アートスポーツで受け取った時に1回試
着したが、それ以後は着る機会を失っていた。新しいウエットは良く伸びる。多少ね
じれていても気にならない(これがいけなかった)。ランのトランジット袋を預ける
のに手間取ったが、スタート地点に移動。すぐに入水して泳いだ。この時点ではなん
ともなかった。
 8時。ついにスタート。私は真ん中よりすこし沖よりからスタートした。バトルは
たいしたこと無かったのだが、波が凄く、どうしても岸に流されてしまう。だから常
に斜めに泳いでいくことになってしまった。そして最悪だったのがウエットが脱げて
きてしまったのだ。首のマジックテープが外れチャックが開いてしまったのだ。一気
に水が入り込み、パニックになってしまった。このまま泳ぐか脱いでしまうか、それ
とも着直すか、いずれにしても波が凄いので立ち泳ぎもままならず、どんどん岸に流
されていった。結果としてチャックをなんとか締め直しマジックテープを止め直すこ
とが出来た。しかし、またチャックが下がるのはいやなのでチャックに付いているひ
もを左肩に巻き付けて再度泳ぎ始めた。左腕は回しにくいが、なんとかその後はウエ
ットは脱げずに泳ぎきることができた。
 岸にあがってウエットを上半身脱いで時計を見ると46分をまわっていた。目標は
40分だったのでちょっとショック。勝負ごとに「たら」「れば」はないが、もう少
し波が無ければ、目標をクリアできたのではないかと思う。
 あとで聞いた話では、波が凄く、スタート30分前まで実行委員会が開かれスイム
をどうするか検討されていた。結局、リタイヤやタイムオーバー者にもバイク・ラン
を行わせることで合意し、事前放送された。私が参加したレースでこんなことははじ
めての措置だった。結局、スイムは46’03”の139位となった。
 バイクをスタートさせたが、風は依然と強い。島を周回するから前後左右と風の吹
く位置は刻々と変わっていく。とくに横風はきつかった。今回、徳之島対策としてバ
イクではジップをやめてヘリウムを新調した。それでも横風にはかなり振られた。し
かし、上りは自分で言うのもなんだが、凄く早かった。上りにかかるとゴボウ抜きだ
った。さすがパナソニックのチタンバイクとマヴィックのヘリウムと私の体は軽い。
残念なのは下りだ。上りで抜いても下りで追いつかれる。下りはエアロホイールがい
い。また、徳之島向けにギアを14−25にしたので追い風の下りではフロント52
リア14では120回転しても足が余ってしまい、リア12か11が欲しかった。
 レース展開としては、1周目は押さえ気味にいってコースを覚え、2周目にペース
アップした。そのため2周目からは下りでもそれほど抜かれなくなった。しかし、こ
こでもトラブル発生。ハートレートモニター(時計のほう)の電池が無くなり、タイ
ムと心拍数を表示しなくなってしまったのだ。ここからは自分の感覚を大切にして走
った。いつもハートレートモニターをつけて走っていたので不安だったが、かなりペ
ースを体が覚えていた。上限を160拍としていたので1周目はそれを超えると自粛
したが、それがなくなったので2周目がペースアップしたのかもしれない。
 補給にはカーボショッツと乾燥梅干しを用意した。ボトルは1本にし、少しでも軽
くする事を考えた。ボトルの中身はヴァーム。徳之島ではボトルではなく紙コップで
給水される。昨年出た珠洲もそうでその時もボトル一つでエイドごとに紙コップで給
水した。タイムはロスするが冷たいものを飲めるので気分的にも楽だった。今回は塚
越さんの宮古島完走記を参考に一定時間ごとにカーボショッツを飲んだ。これは凄く
良かったと思う。
 いずれにしても予定よりかなり時間が経過しているはずだ。スイムをあがった時点
で46分、バイク終了時点でメーターを見るとちょうど3時間だった。つまり、トラ
ンジットタイムを抜いて3時間46分を要している事になる。目標の5時間30分ま
でにはランを1時間40分を切らねばならなかった。
 ラントランジットでは重りと化したハートレートモニターを外し、残ったカーボシ
ョッツをもってスタートした。結果から言えばランスタート時点では3:52’08
”通過順位は120位であった。19人抜いた計算になる。バイクラップは3:06
’05”129位だった。
 ランは中村さんからキロ五分でいくのは難しいといわれていたので、ハートレート
モニターも無いので自重気味にいった。5キロを過ぎて雨が降り出した。しかし、子
どもたちの応援はやまない。手を差し出して選手達がタッチしていくのを待っている
。私は、息子の賢太郎のことを思い出し、手を出した子どもにはすべてタッチして応
えた。そうする事で、なんか、気持ちが高まってくるというか、タッチするたびにパ
ワーをもらっているような感覚だった。10キロ過ぎに高橋希代子選手を抜いた。足
を引き摺っている。故障が治らないらしい。高橋選手を抜く前に沿道から103位と
の声がかかった。押さえ気味に走っても抜いていけるので、10キロ過ぎから少しず
つプッシュした。一人抜くたびに順位をチェックし、それを励みにした。アップダウ
ンが多いので足の筋肉はパンパンになってきたが呼吸は雨のため、楽だ。今までハー
フ以上の大会ではエイドで止まってものを食べていたが、今回はほとんどスピードを
落とさずにコップやすいかをゲットして進んでいった。途中、かなり入り組んだ細い
道のところでは、先が見通せないため、前の選手が見えなくなり、ミスコースを心配
したが、所々にスポンジやコップが落ちていたので、ミスコースしていないと思いな
おして進み、前が開けると前を行く選手が見えたので更にペースをあげた。残り3キ
ロの表示を過ぎ、だんだんゴールが近づいてくる。この時は時計が無いのでどのくら
いのタイムかはさっぱり分からなかったが、かなり抜いていけるのでそんなに悪いペ
ースではないと思った。そして後1キロ。ゴールの競技場がみえる。そこではじめて
振り返った。後ろにひとり快調に迫ってくる人がいる。タイミング的にゴールが一緒
になってしまいそうだ。下手するとゴール写真を撮ってもらえないかもしれない。ち
ょっとあせりながら競技場へ入った。そこでラストスパート。これでなんとか逃げ切
れるだろうと思った。ラストの直線に入り、ゴールに設置されている時計が視界に入
った。5時間33分台を示している。サングラスと帽子を取り、両手を挙げてゴール
に飛び込んだ。
 タイムは5時間34分2秒(89位)。目標の5時間30分は切る事が出来なかっ
たが、ランパートを1:41’54”(60位)で走りきった事は、満足している。
5時間33分台の表示を見た時はびっくりした。スイム・バイクは予定より遅かった
から、中目標の5時間40分も危ないと思っていたからだ。前半は天候に翻弄された
が、ランでは恵みの雨だった。
 ゴール後、すいかやメロンや鶏汁などいろいろ食べた。しかし、急に脱力し、疲れ
がどっと出た感じだ。緊張が解けたからだろう。そしてゴールした瞬間は、腹筋がと
ても痛かった。ランは身体の筋肉を総動員した感じだった。
 雨が、強くなってきたのでトランジットエリアに移動し、バイクを受け取って宿に
戻った。宿までの距離は約5キロだが雨の中ゆっくりバイクを漕いだ。完走の喜びに
浸りながら・・・。
 その夜は、パーティーが開かれた。はじめのパーティーは参加できなかったので、
実はここではじめて寿町長の実物を見た。町長も今回は苦戦したらしい。徳之島大会
はこの表彰パーティーで結果が配られ、それをもらった時点で再度宿に戻った。
 6月15日(月)雨
 今日の朝食は7時から。私は朝食重視派で、必ず摂っている。しかし、この時は胃
に疲れが出たらしくかなり気持ち悪い。だから、納豆は止めにして、食パンを2枚食
べた。しかし、身体がだるい。コーヒーを2杯飲んでもしゃきっとしない。どうせ外
はどしゃ降りなので、バイクを梱包して発送手続きを済ませたら、また、寝てしまっ
た。お昼になって回復してきたので、みんなで焼き肉を食べた。これはうまかった。
その後も、ビールをだらだら飲んで、だらだらねっ転がっていた。
 その夜は同室になった仲間で、トライアスロン談義に花が咲いた。2時過ぎまで飲
みながら話した。
 6月16日(火)雨
 今日も雨だ。でも、今日は帰る日なので、雨の中、泳いだ。雨が降っているけど風
はほとんど無いのでとても泳ぎやすい。
 昼はまた、みんなで焼き肉。雨だから観光できない。3時過ぎの飛行機の予定だっ
たが、雨のため飛び立たない。一時はもう一泊かと思ったが、1時間半の後れで飛び
立つ事が出来た。
 鹿児島からの飛行機はほぼ予定通り。羽田に着いたら賢太郎たちが迎えに来てくれ
ていた。予定外だったのでとても嬉しかった。
 今回の大会は、初めて一人で行った大会となった。今までは鉄人の仲間や家族がい
たが、また、楽しさがあった。それは、新たなトライアスロンの仲間が出来た事であ
る。当初は独りで行く事になり、心細かったが、それは自分の中に誰かに頼る甘えが
あったからだろう。トライアスロンは人の力を借りずに自分の力だけで完走するスポ
ーツだ。競技の時だけでなく、日頃から自分の力で何事も行えるようにしておくこと
は大切だと思う。ここに、精神力の差がでるのだろう。昔、あるスピードスケートの
選手が、それまでマネージャーをつけて世界で戦ったが精神力の差を痛感したため、
遠征の際にすべて手続きを自分でやるようにして、一人で世界を回り、精神力も鍛え
たという話を聞いた事がある。大切な事だ。
 結果には、満足している。5月からの練習期間の割には、よくやれたと思う。また
、自分自身もその期間は、家族にもかなり迷惑をかけたし、自分を制限した。しばら
くはゆっくりして、休養につとめようと思う。そして、子どもたちと過ごす時間を増
やしたいと思う。
 最後に、こんなとこで書くのは恥ずかしいが、私がトレーニングする時間や遠征す
る時間を作ってくれた潤子に感謝したい。彼女が子どもの面倒をみてくれなければ、
私はトライアスロンが出来ないのだ。本当にありがとう。