「佐渡が終わった。これからどうしよう。」 (還暦)
佐渡が終わると、私の一年が終わります。昨年は、「佐渡が終わって
日も暮れて」と書きました。完走できずにゴールから2.5KM手前の
エイドでぼう然としていました。今年は、「佐渡が終わった。これからど
うしよう。」と考えています。
佐渡の目標は、正直な気持ちとしては「鉄人ビリになりたくないなあ」
というものでした。もちろん、目標タイムを設定して、それをクリヤする
ことが公式的な目的でした。鉄人ブービーが密かな目標でした。一番
の恐怖はランで杉浦さんに抜かれることでした。
最近の話題の主、鈴木さんは、うさぎとかめの話そのままを実演した
ようです。誤算だったのは、現代には余計な心配をする医者がいたこ
とでした。
そうです。実力がビリであっても、ビリになるとは限りません。
しかし、ビリにもならず、目標タイムをクリアしてみれば、対馬さんとか
瀬川さんが、7時間を切ったと喜んでいる姿を見ると口惜しいばかりで
す。
それにつけても、対馬さんはうそつきだ。目標を7時間40分とかなん
とか言いながら、7時間を切るのはずるい。そりゃあ私だって目標より
2,30分は早かったけれど、対馬さんは4,50分も早かった。
そうかと思えば、上小牧先生は、ゴールしたところで私を誉めて(?)
くれました。「ランの折り返しの後、関谷さんと意外に早くすれ違った
ので、自分が調子悪いのかとみんなが思ったんですよ。」
しかし、ランスタート後ほんの少しの距離で、げっ、塚越さんが帰って
くるし、すぐ数本さん、しばらくして色白になって元気のない滝川さん、
それからは大分離れてですがつぎからつぎへと鉄人の面々とすれ違
いました。私の直前のJR佐藤さんでも何kmも離れていたので、追い
つく可能性はありませんでした。それより気になっていたのは、広田
さん、杉浦さんに追いつかれることでしたが、とても追いつけるような
ところにいなかったので、一安心、大安心。
「お父さん、頑張れ。」と応援されるのが好きです。ゴール間近になって
佐和田の街を顔をゆがめて走っていると、「お父さん、頑張れ。」と言わ
れ、不意に涙ぐんでしまいました。なぜかは分かりません。
平井さんのカナダアイアンマン完走記を読んだのですが、ゴールした
時に、涙は出なかったと書いてありました。しかし、読んでいるひとの涙
を誘ったと思います。
私の初ロングの完走記を探したのですが、古いFDDがうまく動かず見
ることが出来ませんでした。確か、涙は出なかったはずです。昨年、最
後のエイドでタイムアウトを宣言された時も涙は出ませんでした。一緒
にいたおばさんは泣いていたのですが。
最近見た涙と言えば、道子さんがママパスタの初トライアスロンゴール
の時のものです。
杉浦さんが、ゴールの時涙を流したかは知りません。ゴールしてから
かずきちゃんに電話している姿を見ました。「お母さんは、頑張って完
走したのよ。」と一生懸命話していたのですが、その気持ちは娘さんに
通じなかったようです。「一番でなければ駄目。」と言われたとのことで
す。
涙が出るようなことをやっている私たちトライアスリートは幸せです。
今年の佐渡は、世界選手権ということで、世界のトップクラスの選手が
混じって、見せ物のようなレースをやらされていました。プロ、もしくは
プロ同然の選手だから仕方ないのかも知れません。観客にとって面白
いことは事実です。しかし、選手には佐渡の景色のなかで走って貰いた
かったと思います。選手権のコースは、街の中を何周もするコースで
佐渡でやっても、どこの小さな町でやっても同じだったのです。
開会式では、30数カ国の選手の入場があり、各国の旗が並び華やか
でした。和太鼓の集団が見せた太鼓の技、絣の着物を着た女がひらり
ひらりと跳ぶように踊っていた姿が忘れられません。
忘れられないと言えば、塚越さんお気に入りの年々きれいになってき
ている旅館の若奥さんの姿です。
この頃の鉄人メイルを見ていると、この不況の世の中でそんなに残業
するなんて、どうなっているのかと言いたくらいです。
佐渡の広田さんは、睡眠の合間にレースに出場していた言えるくらい、
旅館でいつ見ても寝ていました。山口さんのカナダのランタイムが話題
になったのですが、これも仕事に追われた結果だろうというのが結論で
した。
そうなんです。佐渡が終われば来年の佐渡を目指して計画をつくります。
このためには、仕事のことも家庭のことも考え直さなければなりません。
目的は、追いつき追い越せです。いままでは、初心者と練習不足の若
者には負けないことを目標にし、アキシデントに見舞われた選手を追い
越していただけですが、これからは違います。みなさん、私に抜かれな
いようにしてください。
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