下北大奮闘後の佐渡国際トライアスロン (PowerBar)

1998年7月26日(日) 天候 くもり時々霧雨。
下北国際トライアスロン大会開催の7日前から、宮古島敗北の教訓(大会直前までアホみたいに追い込み、練習を続けること。)を生かし、完全に調整にまわし、ほぼスイムのみの練習に徹し大会に挑みました。(しかし、行きの羽田空港で中村さんからは、この方法で失敗したレースの話を聞かされ、少々不安を覚える。)
結果は、二重丸。
総合順位は28位(470名中)で、バイク順位は何と24位と、自分でも驚くようなデキでした。(やはり調整が大事ですよね!中村さん!)
しかし、バイクよりランのほうが調子よかったのにもかかわらず、ラン順位は40位と意外に意外。東北はランのレベルが高いですね。
前回の宮古島後の私(完走記)で大見得を切った私にとって、このレースは正念場。自分なりのレースができ、本当によかったと胸をなで下ろしました。
そして、今年の締めくくり。佐渡国際トライアスロンの始まり始まり!!!!!
1998年9月05日(土) 天候 快晴。
佐渡国際トライアスロン大会開催の約3週間前。3−2と先行して迎えた最終回1アウト満塁。テレビ朝日の草野球チームで、セカンドを守る私はホームゲッツーを狙うため、前進守備をしておりました。バッターは4番で左打者。カウント1−3で迎えた第5球目。強烈な打球が1・2塁間に飛んできました。一瞬、野球部時代の昔の姿に戻っていた私は、思わずダイビングキャッチを試みます。が……落下した瞬間、鈍い音が胸の奥で響きました。
結果、肋骨2本にひびが入る。(そして逆転負け。)
医者の決断は、「我慢できれば練習してもいいよ。」 ということは、とても我慢する事ができないってこと?何らかの刺激を与えると、(たとえば、咳をするとか、くしゃみをするとかです。)強烈に痛みが走ります。しかし、そんなことにはめげません。コルセットの上にガムテープをぐるぐる巻きにして、バイク・ランのトレーニングを恐々ですが続けます。(さすがにスイムはできませんでしたが。)
さて、大会当日。胸のけがもかえって十分休養のできたと開き直り、レースに挑みます。
スイムは60:00を切る事を目指していたのですが、結果、56分台と大満足!!!やはりスイムが苦手で、プールでは1.500mを30分切れない私にとって、スイムトレーニングにバタ足を500m入れたのが正解だったと、自分なりに思っております。スイムの苦手な方、ぜひバタ足に取り組んでください。(極端に言うとスイムの苦手な人は、一日で泳ぐ距離の3分の2はバタ足でも大袈裟ではないそうですよ。)
そして、お待たせいたしました。お得意のバイクパートです。
なぜ、バイクが得意になったかというと、何度も言う通り、週2回受けているスポーツジムでのエクササイズ『スピニング』のおかげです。
今回もそれを証明するように、な・な・なんとバイク順位は塚越さん、数本さんを上回ったのです。これでみなさん、『スピニング』の効果を少しはわかってくれたでしょう。
タイムは2時間57分の後半で、順位は26位。ここまでは絶好調。バイク終了後は多分70位台まで上がったと思います。
さぁーこれからが本番。下北での快走の再現と思いきや…………宮古島での再現になってしまいました。
バイクで10km地点から最後まで、塚越さんと抜きつ抜かれつしていた代償に、筋肉がボロボロになっていたようです。
結果ランパートは、最初のうち徒歩も入ってしまい、1時間55分台と低迷。
総合順位は116位、タイムはやっとこさ6時間を切るという、自分が目指した結果と比べ、少々さびしいものとなってしまいました。
しかし、今回は収穫がありました。
@ スイムで思いがけない結果が残せたこと。
A バイクでは後先考えず、行けるところまで行き、最後までがんばれた。そして、塚越さんのお尻を撫ぜられたこと。(結果つぶれたけどこれは今後の課題として取っておく。)
B 一緒に住んでいる杉浦さんの完走。(しかし、大会出場のため佐渡にきたのに、旅行と間違えていたようだった。)
以上、今年の締めくくりの佐渡(多分)が終わり、来年度に向け、早々と発進していきたいと思います。まずは、宮古島を目指して……!!!