2015-4-19 |
IM台湾 2015完走記
−−アイアンマンでありつづけること− |
Mr.ビーン |
■ハワイへの花道、だったはず?の台湾へ
レガシーでハワイへ行くためには12レースの他に同じ年のアイアンマンにもエントリーしておく必要がある。
「エントリーフィーを払うだけでいいはず」と言っていたのはカンレキ氏。ケンズの誰かからの情報らしい。
しかし自分的にはやはりエントリーしたからには完走しなければならない。
「それじゃエントリーして、出場もするんですね」と、カンレキ氏。去年の10月頃のやり取りだった。
1月の日産スタジアムでヤッソの後、着替えてロビーに行くとすでに皆が待っていた。トラバッグを抱えて出てきた自分の恰好を見て、
カンレキ氏:「相変らず、だらしねーな」
ビーン:「だから、一緒に(ハワイへ)行きましょうよ。僕一人じゃ駄目だと思うでしょ?」
カンレキ氏:「うん、思う」
カンレキ氏も、ハワイに行くなら今年のケアンズしかない、と思っていたはずだ。
3月の半ばにカンレキ氏は急逝。
そして4月になって、結局、ハワイにも振られてしまったのだが、10月のコナを前提にしていた時点で今年エントリーできるアイアンマンはこれしかなかった。
4月12日の台湾である。
しかし4月のレースというのはいかにも早い。ロングでは97、99年に出た宮古島以来である。1月から少しずつ練習し始めたが2月、3月と、量的には大したことは出来なくて、すぐに4月になってしまった。
それでもここ1年以上悩まされてきた脚の痛みはだいぶ軽減して、少し走れるようになったのが救いではある。
■遠征の作法、まずはビールの買出しから
4月10日、10:30成田からバニラエアで高雄へ4時間のフライト。高雄からはツアーのバスで約2時間。墾丁(ケンティン)着は17:30、選手登録に何とか間に合った。
そのままウエルカムパーティ、そのあとグッドウィルのN嬢に案内されてホテルへ移動。今回のホテルはメイン会場のハワードホテルから750m離れた墾丁の街中にある、リーリーガーデンホテルという。
ちなみにタクシーに「リーリー」と言っても分からない。「哲園會館」である。ツインの部屋に大きなベッドが二つ。窓の風景(何も見えない)以外は申し分ない。
あとはバスタブがないことぐらいだが、自分はいつもシャワーだからこれも問題ない。
まずは荷物を広げ、バイクを組み立て、ひとまず今日はこれで終わり。表へ出てみると通りは人でいっぱい。ほとんどが大陸からの観光客であるらしい。
道の半分は人で埋め尽くされている。車はセンターライン寄りを人をかき分けつつ走る。オートバイは人の間を縫うように走る。
昼間は店のなかったところにも屋台が出現、イカの揚げたのやら、やたらに臭い臭豆腐など正体不明の食い物の店や、射的、スマートボールなどの店がびっしりと並んでいる。
ホテルの隣にはファミマ、50m位のところにセブンがあり、ビールの買い出しにも便利である。
台湾ビールが42ドル(500ml、168円)くらい。
■締めるところは締める、しっかりとね
4月11日、朝食のあとバイク試走。
5キロほど北の「南湾」のT2まで行ってみる。ここは70.3のときのスタート・ゴールだったところ。
帰る途中でいきなりリヤタイヤがエア抜け。
振動でバルブのエキステンダーが緩んでいる。
前後ともに新品のコルサを付けたのだが、締め方が甘かったらしい。ホテルに戻って前後ともぎっちりと締め直す。
10:30、ハワードホテルからバイクコースの下見バスが出る。コースの一部しか見ることはできないのだが、それでも見て良かった。
特に前半の90キロは予想したよりハードなコースだ。
午後、エキスポでジェルなどを買っていたら雨が降り出した。濡れながら墾丁へもどり、街の食堂で遅い昼食。辛そうなのは避け、牛肉と野菜の鉄板焼きみたいなのを食べる。
ふたたびメイン会場へ行きバイクのチェックイン。雨は小降りになっている。トラバッグはすべてレース当日の朝に預託する。
4時半からは選手説明会である。ウイットの司会で説明会が進行。今日の水温が23度とのことでウエット着用はOK。他のアイアンマンと特に違いはないが、
スイムはローリングスタートというらしく、ウエーブスタートのようにグループ分けでスタートするのではなく、何秒かおきに一定間隔でスタートするらしい。
それからコースの説明。ウイットはバイク後半の周回数を2.5回と説明していたが、これは3.5回の間違いである。勘違いした人はいないと思うが。
ホテルへ戻ると、土曜の夜とあって昨夜より人出が多い。どこの店も満員。観光客が入らない店を選んで入る。なんとビールを置いてない。しかたなく焼きそばと厚揚げ風の小皿を注文。これで100ドル、400円である。
ホテルに戻ってトランジッションバッグの支度をする。22時就寝。
■ベタ凪のスイム、出だしはまずまず?
3:00、起床。ホテル支給のサンドイッチと野菜ジュース。ツアー提供の五目御飯その他で朝食。トラバッグの中身を最終確認、ウエットスーツと空気ポンプを抱えてホテルを出る。
昨夜は雨も降らなかったらしく、バイクも濡れていない。エアを入れ、水、補給食をセットする。トイレに並び用を済ませてウエットを着る。道路を渡ってスイムスタートの「小湾」に移動、すでにスタート15分くらい前である。急いでウオームアップし、スタートエリアの後方に並ぶ。
5:55、プロがスタート。
6:00、エイジグループがスタート。スタートのゲートが5列ほどあり、各列にスターターが付いていて5秒間隔くらいで一人ずつスタートさせる。
後ろの方に並んでいると結構時間がかかりそうなので、途中から少し前方に移動。自分のスタートは6:10くらいか。
スイムのコースは左回り2周回である。右のほうに小さい山になった岬(青蛙石という)があり、この岬を過ぎたあたりで最初のターン、さらに岸に平行に左の岬まで、ここでターンしてスイムゴールへと向かう、ほぼ正三角形のコースである。
バトルはないが、昨年のケアンズ以来のウエットが身体になじまず、苦しい呼吸をだましつつ泳ぐ。
最初の200mほどでなんとかペースが落ち着いた。右オープンではあるが、岬を見ながら泳いでいくので、コースのブレは少ない。1周回め、44分。
まあ上出来でしょう。
いつも左目から浸水するゴーグルを付け直して2周目へ。スイムコースの小湾は左右を岬で囲まれているので風も波も全くない。
水もきれいで、イカの子供かなにかかブルーに光る無数の粒々が見える。一度だけ平泳ぎの奴に胸を蹴飛ばされたほかはトラブルもなくスイム終了。
SWIM 1:30:51
■延々と山道が続くバイクコース前半
浜辺から道路をくぐるトンネルの中にシャワーが設置されている。ここから階段を上ってT1へ。
名前を呼ばれて振り返るとOSJのタッキー氏である。今回は12人で来ているとのことであった。
バイクジャージを着てトランジッションから道路へ、左折してコースは南へ向かう。しまった、グローブを忘れた。
南へ5、6キロ行くと上り坂にかかる。ここから台湾最南端のガランビ(難しくて書けない)まで坂を上り、岬の先端からコースは北上する。
ここからは台湾の東側になり、右側に太平洋を見ながら走る。長い上りがあり、下りがある。このあたりは風も強いので下り坂も要注意である。
毎度の失敗に懲りて、今回はポラールをきちんと起動している。しかし距離がなかなか進まない。
周囲の選手はほぼ固定して、上り坂で追い越して下り坂で抜かれるというパターン。
昔は下り坂でも平気で飛ばせたような気がするのだが、歳をとって少しは知恵が付いたのか、恐怖感が先にたって、ブレーキを握りしめながら下る。どうも下りは昔の重いバイクのほうが安心なような気がする。
大会の一週間前くらいから天気予報をチェックしていたのだが、12日はずっと雨マークがついていた。
昨日はしばらく雨が降っていたのだが、今日は降る気配もない。台湾では去年の夏以来、水不足が続いて、台北などの都市部では給水制限が行われているとのことだった。
だから、雨が降っても大したことはない、とガイドの林さんは言っていた。テレビでも緊急事態みたいな広報CMがしょっちゅう流れていた。
しかしこのバイクコースで雨でも降った日には、ちょっと危険だろうと思う。下りの高速コーナーは随所にあるし、交通規制も完全に行われているわけではない。
■バイクではとにかく食べる、気持ち悪くなるくらい
気温は多分26〜27度くらい、ときどき陽射しもさしているがバイクで走っている限り暑さは感じない。
しかし頭からは汗がひっきりなしに流れ、どうもこれは脱水には気を付けなければいけないなと思う。いつもベントーバコに入れてある梅チューブを下り坂のギャップで落としてしまったので、若干不安である。
今回用意してあるのはジェルだけ。とにかくバイクの間は補給を続けなければと、ジェルを飲み、エイドではバナナとシリアルのバーをとる。
幾つかのアップダウンを経て、50キロ地点あたりから山道にかかる。6〜7キロ続く長い上りで標高差は300mくらい。道路わきには水平、垂直の構造物がほとんどない山道なので、斜度は分かりにくいが5〜6%くらいの上りが延々と続く。
ピークを超えてしばらく山道が続き、70キロを過ぎたあたりから山道を西へ下り、恒春(ヘンチュン)へ向かっていく。87キロで細い道へ右折するとスペシャルのエイドがある。
バイクコースはここから国道を渡って後半の周回コースに入る。1周は22.5キロ。ここを3周半である。70.3のバイクコースはほぼこの周回コースだったらしい。
最初に短い上り坂があり、ここだけ応援が盛んである。その先に周回チェックのテントがあって、ここは4回通過する。あとはアップダウンもさほどなく、走りやすいコースである。
この周回コースの近辺は所々に民家もあり、応援してくれる人々もいる。バイクゴールへの分岐点には、「1〜3回目は右折」、「4回目は直進」の表示がある。バイクコース全般でコースを間違えることはまずない。
周回を終えてT2へ向かう道路の最後の2キロほどの部分がランコースと重なっている。車線を規制してランコースにしているため、1車線しかない車道は渋滞している。
この渋滞とランコースの間に並んでいるコーンを縫って走らなければならない。国道のT字路を右折して、ようやくT2へ。バイクフィニッシュは3時ちょっと前。
BIKE 7:11:46
■こういうのを、ツブレたというのでしょうか
T2はスタート地点(T1)の北、5キロほどの南湾という公園のような場所にあり、フィニッシュもここである。
なぜこんなコースレイアウトなのかというと、この間に墾丁の街があって、日が暮れると夜市が始まって走れるような状態ではないからなのだ。
ランコースは7キロを3往復する。着替えてテントを出ると、結構足がスムーズに動く。と、思ったのは50メートルばかりの間。そのあとすぐに分かった、どうやらこれは辛いランになりそうだ。
ランの往路はほぼ上り、復路はほぼ下りである。標高差は50mほどだが、2〜3%くらいの坂がえんえんと続き、結構足にくる、いやなコースである。
歩道と車道の1車線を規制して全区間が往復のコース。最初の1キロ、ゆるい坂を登って左折、さらに2キロ、延々と坂を上ってまた左折、この3キロまででほぼ50m上り、あとは折り返しまで約4キロゆるいアップダウンが続く。
地図で見ると海沿いのようにも思えるのだが、南湾の街を抜ければ、あとは畑と林ばかりの田舎道が続く、距離感もなく単調なコースである。
7キロで最初の折り返し、ここまで55分くらいかかっている。ほとんどキロ7分半ほどのペースで、しかもエイドのたびに立ち止まって休んでいる。
しばらく走ればランモードになるかと思ったのだが、走りは少しも楽にならず、このペースがやっと。これはもうバイクでつぶれてしまったということなのだろう。
これ以上ペースダウンすれば6時間かかってしまうだろう。もっともほとんど歩いているのと変わりないようなペースではあるが、歩くのとゆっくりでも走るのとでは自分としてはまったく違うのだ。
苦しい往路を折り返す。復路は全体から見れば下りなのだが、期待したほど楽ではない。最初からラップタイムをとる余裕もなく、ただ走っているだけ。距離表示は1キロごとにあるのだが、もうタイムを気にする余裕すらない。
1周回を終えて、もうほとんどゴール目前で折り返し、ここでゴム輪をもらい、あと2周回。
ランのスタートは3時頃だから、もう5時であろう。この7キロ3周回というのは大会運営上は一番簡単でいいのだろうが、走るほうはつらい。
■数出ればいいってものでは…
ラップタイムを気にする余裕もなく、次のエイドまでどのくらいだろう、折り返しまであと何キロだろう、そればかり考えている。
エイドではまず頭に水をかけ、水、ドリンク、ジェルをとる。何より自分への言い訳なしに休めるのがうれしいのである。
バイクでも後半は無理をしてジェルを流し込んでいたのだが、もうほとんど気持ち悪くて何も食べたくない。大会のエイドは4個所、それにクラブチームの私設エイドが1個所ある。この私設エイドは大会のエイド並みに立派で、スープ春雨のようなものまである。あまりうまくはないが、これが何とか喉を通る。
2回目の7キロ折り返し、これでようやく半分。再びゆるいアップダウン、そしてけっして楽ではない下り坂を延々と下って、ゴール手前の折り返し、2本目のゴム輪をもらい、最後の周回に入る。市街地を外れるともう真っ暗だ。
ゆるいカーブを描いて続くコースのずっと先まで、選手たちが腕につけた発光リストバンドの光が点々と連なって見える。
3度めの折り返し。あと7キロ、もうタイムをどうしようなどと考えることもできず、これでゴールできるんだという思いだけ。ゆるいアップダウンと決して楽ではない下り坂を下って南湾の街へ。
右に曲がって本当に長い最後の1キロ。原発の前を通り過ぎ、ようやく公園に入ってフィニッシュゲートへ。
通路にかさ上げされて作られたフィニッシュへの通路をボコボコと走ってゴール。13回目のアイアンマンが終った。ロングでは通算26レース。
■アイアンマン、続ける理由
「それで、次はどの大会に出るの?」
以前、あるクラブ員からの大会完走の報告メールに、カンレキ氏が送った返信にそうあった。
レースは終わった途端にそれは過去のものになる。トライアスリートであり続けることは大変なのだ。
ハワイの出場権のために、完走さえすればと出た大会であったが、終わってみればとうてい納得できる結果ではなかった。
これから一年、終わった人で過ごすのか。同じことは、初めての宮古島を完走した時にツカちゃんからも言われた。
それで、今年はもう終わっちゃったんですか、と。
どうもレガシーを意識し始めたころからアイアンマンに参加する動機が不純になってしまったのかもしれない。
何のためにアイアンマンに出るの?
ハワイって、コナって何?
スロットでクオリファイをとるなんて、はなから無理なことは分かっているのにね。
ハワイが手の届かない夢であったころには、完走だけが目標であっても、それでも文句なくアイアンマンは楽しかったはずなのだ。
フィニッシュ会場の喧騒にも何やら心は浮き立たず、早々とタクシーに乗り込んで会場をあとにする。
■台湾の犬はとにかくよく寝るんです
13日、月曜日の朝、バイクを取りにハワードホテルへ。本当はT2までシャトルバスでとりにいくのだが、オプションでバイクピックアップサービスを予約しておいたのだ。
スロットの発表もロールダウンも見る気にならず、ホテルへ帰ってバイクを片付ける。
再びハワードホテルに戻ると、ツアーデスクのMさんたちの話題はシニアアスリートのTさんのことである。どうやら記録がとれていなくて、ハワイのスロットがとれるかどうかということらしい。
どうも記録がとれていない選手が何人もいるらしいのだ。ロールダウンの会場に行ってみると、どこかのスロットが他の年代に移動されたということを言っている。
これはTさんはダメだったんだな。(ホームページのリザルトではタイムが出ていて1位になっているから、きっとハワイはとれたのだろう)
アワード会場で食事だけ済ませて、またホテルへ。今日の午後だけがフリータイムだ。ホテル前のバス停から恒春行きのバスに乗る。
恒春は古い街で古城がある。城といっても街を囲む城壁があるだけ。あとは台湾でヒットした「海角七号」という映画の舞台となった街として有名であるらしい。
商店街を歩き、城門を見物する。路上にはいたる所に犬が寝そべっている。台湾ではつながれている犬などはいない。決まりのポーズでもあるのか皆、足を投げ出して右下で寝ている。
それから出火という観光地?へ。ここは地下から天然ガスが漏れていて、それが自然発火している。公園のようになっていて観光客もちらほら。ちょっと見、たき火か何かのようで、まあそんなに面白いというものではない。
ふたたび恒春の街に戻り、この日何本目かのビールを飲みながらバスを待つ。
台湾では昼日中からビールを飲んでいる奴はいない。もっとも、ビンロウを噛んだ唾をあたり構わず吐き散らしている人はいる。道路は真っ赤な唾のあとだらけだ。
■眼差しはすでに来年のコナへ(なんて…)
14日の朝、ホテル前の路上で、一つ上のエイジ1位のTさん(前出のTさんとは別)と話しながらツアーのバスを待っていた。
Tさんは65歳?それでフィニッシュタイムは11時間台、今回で8回目のハワイだという。
2005年にジャパンでカンレキ氏がハワイをとったのもやはり65歳のときで、そのときは自分と同じようなタイムで文句なしのエイジ1位だったのだ。
しかし今ではTさんみたいな人が同年代におおぜいいる、自分の実力でハワイなんてとても無理だ。やっぱりレガシーしかないんだろう。
帰りのバスで、ビールを飲みながら景色を眺める。台湾の道路は一般国道も高速道路並みに片道3車線もある。
窓の外は田園風景が続き、ウナギの養殖場があり、アヒルの養殖場がある。
もし今年ハワイに行けていたら…? それで終わっちゃったのかもしれないな。トライアスリートになることはそう難しいことじゃない。
でもトライアスリートであり続けることは大変なんだ。
いつも再びハワイのスタートに立つことを夢見ていたカンレキ氏。
生涯トライアスリートであり続けたカンレキ氏みたいには到底なれそうにないけれど、これでまたもう一年、続ける理由ができたということなんだろう。
さて、まるまる残ってしまったシーズンをどうしようかと、まだ考えは決まっていません。とりあえず、練習を始めなければ…。
Swim 01:30:51
Bike 07:11:46
Run 05:39:07
Overall 14:42:34
T1: Swim-to-bike 00:11:21
T2: Bike-to-run 00:09:29