2014−4−20 2014 全日本トライアスロン宮古島大会 完走記 サブロー


私がトライアスロンを始めたのは2000年の修善寺のセントラルカップからで、相模原の日米親善、ニッサンカップ、波崎、佐渡B、に出て2013年ようやくケアンズでロングを完走した。その間、ぜひとも宮古に出たいと思っていて、2007年?一度応募したが落選した。今年はケアンズの実績を作り、バセドー病治癒で体調がよくなり完走できそうと判断した。しかし普通の応募では落選の可能性が高く、65歳の縛りがあって永久に出られないかもしれないと思ったが、幸い今回からチャリティー枠ができ応募した。応募は8人とのこと、一般との差額17万円は安くとはいえないが、それなりの価値あるお金の使い方だと思う。



4月20日がレースだが、飛行機の都合で17日に宮古に着いた。18日はバイク試走、ウエットでの泳ぎをためして過ごす。夕方ウエルカムパーティがあり少し食べ過ぎた。大勢のせいか池永さんらには会えず。君が代を歌ったオペラ歌手中丸三千繪さんと少し話す。いかにも整った顔立ちの彼女が歌ったらほとんどの男がくらくらすることは確かだろう。宮古島が気に入って別荘?に住んでいるそうで宮古島大使もしているとのこと。19日は砂山ビーチ往復、10kmほど軽く走った。午後バイクを預けそこでようやく池永、松永さんに会う。夕食は彼らと軽めにとりビールは一杯で止めた。



当日の朝、天気は晴れ、微風と絶好のコンディショイン。やはり私は晴れ男と自画自賛。忘れ物がないかと不安になるが幸い大丈夫のようだ。日の出の直後、安倍安恵さんのピストルでスタートしたが、彼女は見えなかった。バトルを避け中ぐらいの位置で泳ぎ始める。水温はすこし冷たいかといったところで最適の水温だろう。大きくゆっくり50m60秒の目標タイムで泳ぐ。200mくらい進んだところで全体に右方向に泳ぐせいか誘導員が懸命に左にと叫ぶ。それに押されて団体が押し寄せてきてひどいバトル状態になってしまう。懸命に左によけてなんとか集団から離脱した。それからは左右、前にもけっこう人が見えたのでマイペースで泳ぐ。中には平泳ぎや、下がった足で懸命にキックする人がいて迷惑。もっと後ろからスタートしろと言いたくなる。600mで右に曲がるはずだがほとんど混雑していない。不思議なのは太陽が右に見えるはずなのに何時になっても左に見えることだ。方向音痴になったのか、私の脳がおかしくなったのか、でも皆と同じに泳いでいるのであるから大丈夫と思うしかない。距離表示があるはずだがなかなか読めない。苦しくないからペースはゆっくりであろうが焦る必要はない。2450mの表示が見えそこからはキックを入れた。余裕で岸にあがったが、1時間4分の表示、やはり1時は切れなかった。1時間4分57秒。首にはったテープはいつの間にかはがれていたがワセリンの効果かかすり傷は全くない。



バイクスタート。スイムは無理をしなかったので全く息は切れない。私のレベルはおそらく一番混んでいる、後で調べたら1分に50人くらいがスタートしている、のでどうしても集団になってしまう。露骨にドラフティングはしないが3m間隔くらいで皆が走る。後ろから車が!マーシャルかと思ってあわてて離れたが報道の車だった。オートバイのマーシャルは時々いて、一人がつかまっていた。かなり露骨にくっついていたのだろう。ドラフティングとまではいわないが集団の中に残ろうと少し無理して後を追う。平均35kmくらいのスピードであろう。25kmで強風で有名な?池間大橋を渡るが今日はさほどではない。ここは追い抜き禁止のため集団となり、先行する大集団ともすれ違った。橋からの海の色は青く綺麗、でもその直前、転んでヘルメットがとれたまま動かない人を見た。転倒者は100km付近でもう一人いた。池間島の中は思ったより長かったが橋を再び渡って本島の東側を走る。ここは南に向って走るので基本は向かい風、このあたりで少し疲労感が出て、上り坂もあるのでペースはダウンした。比嘉ロードパークの坂は応援団もいて最後だけはダンシングで快調に上る。ダンシングはスピニングで練習したので自信はある。若干ペースは落ちたが順調に進む。東平安名崎の往復、そのあとの上り下りを過ぎ、来間大橋の行きでは女性、ジャージにyoukoのプリントがあった、の後についてしまったのでお礼をいった。東急リゾートの近くを通り二週目に入る。追い風のはずだがペースは上がらない。前半のオーバーペースが効いてきたようだ。一度走った道を池間大橋に向かう。100kmから150km過ぎまでの向かい風の中何十人に抜かれただろう。こんなところで抜く人はよほどスイムが遅いか、それとも私がかなり遅くなっているのか、おそらく後者であろう。上り坂で速度が落ちるとむっとした暑さに気付く。補給は水分が中心でバナナを何本か食べた。二回走りながら排尿した。初めてきちんと出せた。パンクなどトラブルなし。ゴールに向かって右折、後5キロほど、相変わらず抜かれる。体育館が見えたが右に大きく回って坂を上りゴールとなる。6時間17分29秒。トランジション二回を含むので実質6時間弱、なんとか時速25キロはクリアできた。



上下とも着替えた。シャツはバイクもランも還暦祝いで家族からもらった赤のウエアにした。五本指ソックス、帽子もかぶる。足の痛みや痙攣の徴候はなく走れそう。測ってみるとキロ7分半前後。5キロまでは完走できるか不安だったが、この調子ならなんとかなりそうと感じる。少なくとも20kmはこのペースで行けそうで、呼吸心拍には全く問題ない。市街を抜けると単調な道が続く。最高気温は27度だったが日差しが強くそれ以上に感じる。18キロで急な下りがあり対向の速いはずのほとんどのランナーが歩いている。わずかな木陰を求めて歩道を走るが日陰は十分の一くらいだ。折り返しはなかなか着かない。暑いせいか尿は少なめ、20kmではじめてもよおす。二台のトイレがあったが一台は女性専用で男の方からは腹圧をかける大声が聞こえてきた。やむなく草むらで用をたす。補給はやはり水分が主で、他にはバナナ、パン、チョコ、塩、レモンなどを取った。絶えることのないエードには感謝するしかない。20kmすぎてもペースはほとんど落ちない。こうなったら絶対に歩かないことにした。気晴らしを兼ね数人の人と話をする。スカートのウエアが印象的な女性もいたが声をかけそびれ、残念ながら全員男だった。先ほどの急な登りも走った。バイクで抜かれたリベンジをするかのようで気分はいい。ただ、30歳位のいかにも鍛えている体型のランナーが半分歩いているのに20kmから40kmキロまでほぼ同じペースで、最後に抜かれたのには腹が立った。38kmくらいから暗くなり始める。平良の市街地を抜け競技場までの2kmの上りは少しきつく8分以上かかったが、競技場では一人抜き前後とも間隔があるように調整して完走のテープを切った。笑ったつもりだったが写真を見たらひどい表情だった。ランは5時間22分26秒、予想以上の走りができた。バイクで237人に抜かれ、ランで210人抜いた計算になる。12時間44分21秒。942位、年代別64人中37位。私としては十分満足できる記録である。



こうして念願の宮古を完走できた。申し込んだ時点ではギリギリの時間かもしれないと思ったがランが順調で45分の余裕があった。バセドーが治って今までの筋肉より明らかに性能がアップしたと感じる。呼吸が苦しいことはほとんどなかったので筋肉を増やせばもう少しは記録更新ができそうな気がする。とにかく無事完走できたことが何よりである。

帰りのバスに向かうとちょうど制限時間で入り口のゲートが閉められていた。13時間30分にゲートをくぐればゴールできるようで、同タイムの人が18人いた。直前でしれられた人もいるようで私もその可能性はあったわけだ。

その夜はなぜか一時間おきくらいに起きた。翌日足の痛みはなく疲れもほとんど感じなかった。午前中バイクを取りにいきドイツ村近くの温泉に入った。午後の打ち上げパーティーに出て一連の行事は終わった。


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