2014-6-8 歩けなかった完走記-ケアンズ2014 かんれき

 レースの前々日にインタビューを受けて写真を20~30枚撮影されたものの中の一枚です。
地元紙の「ケアンズポスト」に記事とともに掲載されました。

 遠くを見つめながら思っていたことは「このレースを完走できなかったらアイアンマンなどのロング(3.8-180-42.2)からは
引退しよう」でした。思い切り悪く但し書きとして「これまでの一年よりこれからの一年の練習が質量ともに高くこなせれば復活する」を
付け加えました。



 レース前日にスイムコースで試泳しました。この写真の右から左方向に強風が吹いています。

もちろん、波は高く、風に逆らって泳ぐと、全くと言ってもいいほど前に進みません。風で潮の流れが作られるようです。
試泳したみんなが暗澹たる気持ちになったはずです。





 前日の夜は20時過ぎにはベッドに入りました。泊まっているのはコンドミニアムです。男3人。
目が覚めたら0時半、次が2時過ぎ、3時少し前には起きだしました。雨が降っています。

朝食のもちはフライパンにアルミホイルをひいて焼きました。スペシャルとして預けるためにアルファ米の赤飯と五目寿司のおにぎりも作りました。

 5時過ぎにはシャトルバスで街から25km離れたスイム会場に着いていました。
バイクセッティング、トイレ2回など。浜辺に着くと昨日よりは波が低くなっていましたが「泳ぎたくない」海でした。試泳で海に入って瞬間は暖かく感じるのですが泳いでいると寒くなります。

 7時55分スタート。波の壁の真ん中に飛び込むようにして浜辺の波をやり過ごせばうねりの中です。まばらにしか置いていないブイを頼りに泳ぐ方向を決めるのですが、偶然のようにしてうねりの上にいなければブイは見えません。まわりの選手たちの動向にも注意しています。平泳ぎで前方確認している選手がいれば、その選手と並行して泳いだりもします。誰もがブイに向かって一直線に泳いでいると思っていますが右往左往しているはずです。2周回目になると、ようやく落ち着いて泳げるようになりましたが、3.8kmは長いのです。


 バイクスタート。
雨が降っていることと、このコースは路面が粗れている部分が長いのでタイヤの空気圧は低くしました。寒くてウインドブレーカーを着ています。DHポジションでほとんどを走れてしまうゆるやかなアップダウンとフラットが続くコースです。 70kmの折り返しポートダグラスに着いた頃から足がなくなってきました。DHポジションで長い距離を走る練習をしていません。スイムを上がった時ですでに最後尾のほうだったのですが、バイクでも抜かれていよいよビリ同然になってきたようで、ひとりぼっちで走っていることが多くなりました。
 最後の20~30kmくらいは向かい風が強くなってきました。ほんとうにつらい区間でした。オーストラリア人かな私の2倍くらいの腰回りの太さのおばさんとおじさんに抜かれました。体重があるほうが向かい風は有利だと言われていますが本当かもしれません。18時頃にバイクゴールをしたのですが、着替えにテントに入ると5、6人の選手がいてほっとしました。18時15分までにランに出ないと失格です。


 着替えの時間がもったいないのでバイクパンツのまま、シューズだけを取り換えて走りだしました。3周回のコースです。1周回目歩きませんでした。しかし、照明で地面に写る自分の影を見ると腰が曲がっています。
気づくと腰を伸ばすようにしてはいたのですが、すぐに曲がってしまいます。それに加えて普段から左肩が落ちているのですが、大きく下がっています。

0時55分までにゴールしないと完走になりません。逆算すると、キロ9分くらいで走ってエイドなどでの時間を加えるとこのペースが完走するための最低条件になりました。歩くと失格になることに気づきました。

ここから地獄が始まりました。大命題は走り続けること。どんなに遅いスピードでも。チームメイトから「がんばって」と言われ、応援の人たちからは「ウエルダン」と褒められながら、歩くと同然ののスピードで前に進んでいます。歩いている選手がうらやましかった。私の場合は歩くと完走できないのです。私に抜かれた歩いている選手たちは時間内にはゴールできなかったはずです。

 3周回目に入るとコース上に残っている選手の数は極端に少なくなりました。まわりに選手も応援の人たちがいないと「歩くな」「がんばれ」と大声で自分を叱咤激励しました。周りから見れば、腰をくの字に曲げた白髪のじいさんが大声をあげている姿は鬼気迫るものがあったかもしれません。

ここで歩くことは、私の25年間のトライアスロン人生を否定することになるとまで思ったのです


 残すところ数百メートルになると応援の人たちの「まだ間に合う」とポテンシャルがあがってきています。歩いている日本人選手を抜いたので、昨年のこの大会でのスピーチで「来年はブービーになる」と宣言したとおりになったのかと思いながら花道に向かいました。時計をちらっと見ると数分残っているので、両側の応援のひととハイタッチをしてのゴールでした。涙を流す予定でしたが、ゴールした興奮でそんなことは忘れていました。
ゴール直後です。
 

 16時間51分51秒。年代別3位でした。

とりあえず、私のトライアスロン人生の首はつながりました。これからどうするかは飲みながらゆっくり考えることにします。

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