2014-4-21 2014 BOSTON MARATHON
~We all run boston ~
ジョイナー


昨年のボストンマラソン爆破事件から1年が経ちました。
私は自己記録を更新し帰国、約1ヶ月後に右膝を骨折し2度の手術とリハビリの日々を
過ごして、2014年4月21日~118th BOSTON MARATHONに向かいました。
今年は昨年の事件のために最後まで走れなかった方を優先し、さらにエントリーも受け付けたため約3万人以上ものランナーです。


2月と3月にフルマラソンに参加、2月に自己記録の約50分オーバー、3月に約30分オーバーで完走した後、体重は3k、体脂肪が5%にまで落ち体調不良が続きましたが、それでもボストンマラソンを心待ちにしていました。

今まではクオリファイでエントリーして走りましたが、これからはクオリファイとは無縁になると思い最後のボストンマラソンだろうという寂しさは
ありました。

が、心のどこかにもしかしたら?という気持ちは消えていなかったのが正直な自分かも・・。

一昨年は30℃超えの暑さ、昨年は真冬並みの寒さ、今年はマラソン日和と言ってよい程のお天気で、気力も元気も増しました!



が、ナンバーピックアップを終えゴールを確認しに行き、お花やランニングシューズが祀られている慰霊の祭壇に手を合わせ複雑な気持ちで
ホテルに帰り、レースの準備も終えた後、色々なことが頭を駆け巡りました。



無念だったランナーの方や遺族、知人の方のお気持ち、今も心に傷をかかえている方がいらっしゃる中で開催される大会、
私ごときにクオリファイがどれだけ大切かなど、なんて小さな事を考えていたのだろう・・と。



毎回、レース前日の夕食とレース当日朝食のテイクアウトをお願いしている日本食レストラン「UMAI」の板前さんからは
「結果は気にしないで!走りたい気持ち、それだけでOKだよ」


と励まされ受け取ってきた夕食、二人前はある巨大な牛丼を


食べながら考える・・・・・さあ、どうしよう?

膝が痛い為におかしな歩き方で出来た魚の目は走るとかなり痛い、もちろんいつも通り膝が常に痛いのも確かな事実、リハビリの先生に
気力はあっても体調は確実に悪いから無理は禁物と言われた、もしかしたら?なんて都合のよいことを考えていたけれど、
最後のボストンマラソンになったらなった時に考えればよい事、そしてそれはとってもちっぽけな事でしかない・・・・・。

決まり!今の私の気持ちと身体に無理のない精一杯で走ろう、そして、今回のボストンマラソンを記録に残そう!私の記憶の中にだけではなく、
家族にも友人にもボストンマラソンを知って、見て、感じてもらえるように!それほど素晴らしいマラソン大会だもの。そう気持ちを決めると、
違ったワクワク気分、元気が湧いてきました。

私はウエストポーチにカメラを入れました。カメラを持って走るのは初めての経験です。ボランティアや応援の方等、景色、ボストンマラソンの全てを
カメラに収めながら感謝の気持ちで思いっきり楽しもう、あとは、私事ですが昨年HEART BREAK HILLで娘の合格祈願をしたお礼参りをしようと
決めました。







予定通りに起床し準備、写真を撮りながら走ること以外、何の変わりもありませんから
ジンクスのお赤飯も食べ、お握りも作りました。準備段階から写真撮影するのが違うだけ。


6時20分に集合場所のボストンコモンに行こうとホテルを出たら風も強く、寒かったのですが、でも、きっと暑いくらいに晴れるような
とても綺麗な空でした。

今年は昨年の事件のため、所持品のチェックがとても厳重でしたが、そうこうしているうちにスタート地点のHOPKINTONへ行くバスに乗る順番が
きて7時頃出発しました。


ゴール地点はすぐそこ、ワンウエイですからここまで走って帰って来るということです。
バスは色々な国籍の方で一杯、当たり前ですがバスでの撮影はしませんでした。




バスの中は食事をする人、お喋りする人、メールをする人と様々です。
私はカメラの使い方の最終確認をしていました。
バスはドーナツ、スポーツドリンク、ジェル、コーヒー、バナナなどが並ぶ巨大なテントとトイレがある選手村に8時半頃到着し選手は
スタートを待ちました。






いよいよ本格的に撮影開始です!
青空にはヘリコプターや気球が、周囲は、まだ肌寒い空気の中で日向を探す選手、アップしたりテーピングしたりする選手、
どの大会でも目立つのはやはりトイレの長蛇の列ですね。


ただ、数が半端じゃないから待ち時間は短く、スタートまで2時間以上の待ち時間がありましたがトイレ待ちを心配することはありませんでした。
私は写真を撮りながら、バナナ、お握り、べスパ、ジェル、寒かったのでコーヒーを飲みながら時間を過ごしました。

スタートは4ウエーブに分けられ、これはとても厳密で、決められたウエーブより早いウエーブでスタートすると失格になります。
私は第3ウエーブ、11:00スタートでした。

10時30分のスタート地点への整列時間が来て、人、人、人を掻き分け自分のウエーブの場所までようやく辿りつき、
これまたジンクスで人という文字を手のひらに書いて3回飲み込みました。

大勢の選手の声などで、はっきりとしたスタートの合図に気付かないままゾロゾロとスタートしましたが、首からカメラをぶら下げて
ウキウキのスタートでした。

最初はかなりの下り基調で私の膝はすぐに悲鳴をあげ、スタート直後のASHLANDでは写真を撮る余裕がなく残念なことをしました。

HOPKINTON~ASHLAND~FRAMINGHAM~NATIC~(HALF地点あり)~WELESLEY~
NEWTON~(HEART BREAK HILLあり )~BROOKLINE~BOSTONの7つの州を駆け抜けるワンウエイコースです。
コースの至る所に「BOSTON STRONG!!」と掲げられていました。



エイドはほぼ左右両方に、私設エイドも沢山あり、また個人的にもオレンジ、バナナ、飴、チョコ、アイス、氷、グミ、飲み物、ジェル、ワセリン等、
覚えきれない程の嬉しいプレゼントの嵐、その上、音楽、生演奏、ダンス、パフォーマンスなど絶えることがありません。

  

 

 

ブルースが流れたと思うと州が変わるとロックやハワイアンに変わり、バンドの演奏、弦楽器や太鼓のような楽器の生演奏や
子供達がトランポリンで飛び跳ねての応援を見せてくれました。

 

トイレの設置も多く並んでいる姿はほとんど見かけませんでした。
私はかなりの物を食べ、水分も摂りましたがトイレには一度も行きませんでした。
ランナーの方の中には、ウサギや蟹、スーパーマンの姿の方など様々いましたがスーパーマンが人気でした。

 

FRAMINGHAMではすごい数の国旗を振っての応援。
NATICKでは素晴らしく美しい湖があり、その風景を撮っていたら丁度ヘリコプターが来てシャッターチャンス!

   


あとで家族に、ここまですることなかったのに?と笑われましたが・・私は大満足でした!
WELLESLEYでは「Kiss me!!」と書いたポスターを持ち「Kiss me!!」と叫んでいる女子大生?が約1kほども並んでいて本当にKissしていたりで目が点に!
  



私は今回、写真を撮るためからも全てのプレゼントを頂こうと思いました。(ワセリンはカメラ操作上、失礼してしまいましたが・・・)


オレンジは好みもあって、多分20切れ以上頂いたと思います。

タイムだけを考えていたらあり得ないことです。
アイスキャンデーはとても美味しく、2本目を探したほどでした(笑)

 

いよいよNEWTON、私事のお礼参りです、下りはとても辛いのですが上りはそれほど辛くなく、HEART BREAK HILLを目指して、
こんな膝でも何人も抜いて走りました。

ただ、昨年よりかなり遅い到着だったので、地面にチョークで画かれたハートの絵が消えかかり通り過ぎてしまい、
アッと気付き戻って写真を撮る始末。



走って来る方には迷惑だったかも、すみませんでした。

「有難うございました!」と過ぎ去りながら言葉にしました。


お礼参りも終わり、コースの約2/3が終わりいよいよ終盤です。
暑さも膝の痛みも増してきたので頭から何度も水を浴びながら走りました。
最後の最後まで応援が絶えず、沢山の元気を頂きました。
もう街中のBROOKLINE、見覚えのあるゴール付近の景色です。  

 
桜並木が満開、素晴らしい景色と大勢の人、人、人 でまたシャッターチャンス!

 
最後の角を曲がり、ゴールが見えました!!



長い直線、昨年、爆発のあった場所、皆きっと色々な思いを噛み締めながら、走り抜けているのだろうと思いました。            
4:27:53でゴール、昨年より42分遅いゴールでしたが大満足でした。

ゴール後はメダルを頂き、ビニールのガウン?をかけてもらい、遠足のおやつ袋みたいな物や果物を受け取り、
朝、荷物を預けたボストンコモンまで歩いて行きました。



荷物を受け取り、笑顔で「Good job!」と言って頂き、BOSTON MARATHONは終わり、私の写真撮影も終了しました。
写真総枚数約300枚!よく撮りました~!!
どれも忘れられない思い出深い大切な写真です。

最後の締めは、昨年は出来なかった一人完走祝い!
予約してあったオイスターバーでこれでもか!という程、大好物の生牡蠣とロブスタービスクやパスタを食べ、ワインも1本空けて
大満足の一人完走祝いをしました。

写真に収めるためにナプキンにカクテルソースで「完走祝い」と書き、牡蠣のプレートに飾りました(NICE JOB !)。



もう一つ、今回参加したことでラッキーだったこと、もし体力、気力がなくて、走るのをやめた時のために、
家族が「BOSTON RED SOX TOUR」を用意しておいてくれました。

 

欲張りな私は少しの時間だけ参加してグリーンモンスターに名前の落書き?をして来ちゃいました。
これも2014 BOSTON MARATHONに参加した記念になりました。



大会翌日に帰国、ローガン空港でまず新聞を買いました。
昨年は悲惨な事件とエリートだけの結果の内容でしたが、今年はマラソン大会翌日に発行される普通の新聞でした。
約3万人のランナー中から自分の名前を探しながら普通ということの幸せを感じながら、搭乗を待ちました。
これまでとは違った、私の3回目のBOSTON MARATHONが終わりました。
応援して下さった横浜鉄人クラブの方々、有難うございました。

 
「BOSTON STRONG!!」を掲げ、2014年大会の開催にご尽力頂いた全ての方に感謝致し私の
「118th BOSTON MARATHON記録」とさせて頂きます。


                             ジョイナー



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