無論、毎年出場し、昨年よりも良い成績を!!
と思うが当たり前ですが。
2011年 佐渡Aタイプ エントリーしていながらも結局
諸事情!!により(泣) スタートラインに立てず。
2012年 佐渡Aタイプ 抽選の結果、落選。。。
スタートラインに立てず。。
そして今年2013年、もしも、連続佐渡A抽選漏れも想定して
ケアンズアイアンマンを滑り止め?でエントリし、
無事完走。 そして佐渡A念願の参加許可通知が来た。
3年ぶりの佐渡の地。そしてAタイプの完走への不安を抱きながらも
これだけ練習したのだから、きっと良いタイムが着いてくると思って両津の港に着いた。
当日まで
着いたのは、金曜日、そのまま受付会場へ行く大会選手用のバスには乗らずに
路線バスで佐和田のバスターミナルからRyokan浦島へ直行した。
3年ぶりの浦島は、馴染みの旅館、スタッフの皆さんの暖かい笑顔、
女将さんの笑顔も素敵。写真取り忘れたぁ。。
受付会場のアミューズメント佐渡で腕に選手の証のビニール製の
腕輪(閉会式までは絶対に外していけない)の色はAタイプは
ピンク、Bは、水色。トラジションバック一式を受け取り
中身もその場で不足が無いかをボランティアの方が一個ずつ出して
確認してもらう。
レースナンバーのシール、バイク、ラン中のレースナンバー。
スイムキャップ、地元の小学生の手作りの応援メッセージカード
盛り上がる気持ちとは裏腹に
天気は、台風が近づいている。みんなネットで天気予報に一喜一憂。
誰か雨男、雨女がいるのでは、いや自分は晴れ男だから。。とかなどなど。
既に今年は、ケアンズもゴールしているので万が一
スイム中止でもそれはそれで仕方ない。と言い聞かせる。
土曜の開会式では、歌手のマッチがサブライズゲストトーク。
彼は、3年前は、Bタイプ出場し、バイク中の転倒で鎖骨(だったか)を
折り、それでも完走。そして去年は、Aタイプを余裕で完走だったので
今年もこの感動を。という事で佐渡エントリーし練習してきたそうだ。
しかし、9月5日(試合後数日)に予定している舞台を控え
スタッフ側から参加にストップがかかり、泣く泣くスタートラインには
立てないという事。だが、彼のチーム(Kなんとか)のチームメンバーは
参加するのでその応援に回るとか、そんな事を語る彼は、歌手ではなく
1トライアスリートなんだなぁと実感。感動はしないけど、好印象。
当日
当日は、6時がスイムスタートなので朝は、3時起床。2時半過ぎには
結局目覚める。もちろん前日の就寝は、多分10時前、気がついたら寝ていた。
バイクボトルにサプリメントの水を入れ、パワージェルも水に薄めて
専用ボトルにいれ、バイク準備。
浦島から大会スタート会場までは、自走、暗がりなのでライトも必需品。
自走にトラジション一式を担ぐには一つにまとめたバックも必需品。
トラバックを肩に片方ずつかけたり、不自然な自走でレース前に
落車する人の話をよく聞く。
天気は曇り。。しかし、風強く、波は、高い。
佐和田の海は普段は、ウチウミなので
ほとんど波が無いのだが、今回はやはり波があった。
バイクセット中の放送でも当初は、午前4時に判断の予定から、
ギリギリまで延ばして5時15分判断と言っている。スタッフの
苦労を思うと頭が下がる。だが、安全優先だろうな。仕方ない。
まわりのセットエリアでは、スイムはきっと中止だなぁ。残念だなぁ。
スイムが無いとトライアスロンじゃないなぁ。。スイムが苦手な人には
良かった。。でも複雑ぅ。などササヤキが聞こえる。
リレー種目もあるのでスイムパートだった人はどうなるんだろう。
ソバでそんな会話も聞こえた。
5時15分。。やはり、スイムは中止の放送。
バイクスタートは7時。3人ずつウェーブスタートが決定。
一時間以上もあるので浦島にウェット一式を置きに戻りしばし休憩。
前置きが長くなった。
●バイクパート
レースナンバー順(つまり年齢順)のスタート。当然、ずっと後ろ。
女性は、男性の後という事で男子の後に女子の早い人も控えての
スタートということで、、どれだけ抜かれる事か、、、。
〜Z坂まで
長い道のりなので最初から飛ばすと潰れる自覚の元
どんどん後ろからスタートの選手をやり過ごす。。やり過ごしすぎたかも。。
やがて女子にもパラパラと抜かれる。
サイコン表示は、平均すると時速30は行かないが
27、8キロはキープ。こんなもんしょ。。と言い聞かせる。
大佐渡の向こう側(佐渡島のひょうたん型の上側)の海は、とても蒼く、
また沿道も大抵の集落には応援の地元のおじいさん、おばあさんは座って
バケツや太鼓をたたいて応援が嬉しい。いつもの事ながら
バイクのスタートからこの10キロ程度の区間は、
緊張するし、感動もする。佐渡に来たんだなぁと実感。
子供達も「がんばってくださぁい」と大声。
ひたすらZ坂(60キロ地点)を目指す。
疲れていないと思っていたつもり。。
最初のウォーターステーションで佐渡のロゴ入りの水ボトルを受け取り、最初から空きにしていたボトルゲージへ格納。
今回、DHバーにセットしたジェットストリームボトルには、クエン酸、アミノ酸の粉末を溶かした補給水をセット。バイクについている2カ所のボトルゲージには
1つはジェットストリームの中が無くなったら補充できるように次のサプリメントウォーターをセット。1つは空きにしてスタートしていた。
空きは、ウォーターステーションで貰うボトル(基本は水を貰う予定)をセットし足の筋肉や頭からかぶる予定にしていた。
やがて前方に文字通りのZ字のようにに上がって行く坂が見えてくる。
まだ先なのに遠いところからでもバイクの群列が点々と見える。
いよいよ登る。
その頃から左太ももがちょっと力を入れてまわすと攣るカモ。という
違和感が出ていた。。まさか、こんな距離で。。ばかな。
でもこの感覚は、経験した人しかわからない違和感。。
だが、止める訳にはいかない。
フロントをインナーに替え(それまでの坂含めてほとんどアウター)
Z坂アタック開始。すぐにはリアも大口径ギアに変えなかったが
やはり、足の攣りのリスクを回避するには、大口径ギアへチェンジ。
気がついたら途中にある滝の光景、下に広がる蒼い海を
通り過ぎた。 あっという間に上りきってトンネルとなった。
田舎(茨城)で走った 竜神大吊り橋までの激坂(超短距離)に比すと
結果的には、たいしたことなかった。練習の成果??
〜小木の坂(160キロ)
だが、足の違和感は消えない。両津も近づく頃には、それに加えて
眠気が襲う。いつもこの辺りで眠気が来るのは分かっていて、
カフェイン入りのサプリを用意しようと思うのだが、いつも忘れてる。
もうすこし準備をしっかりしろ。自分。
とはいえ、攣りのリスク回避、眠気回避の為、サプリに用意していた
スポーツソルト(塩タブレット)を飲む。(噛む。だな)
そんなこんなで両津の港の商店街、哀しいかなサイコンの表示は
25キロ台。。応援を糧になんとかスピードを
上げようともがくがもがくと足が攣りそうな違和感もアリ
出せない。。騙し騙しの我慢の走り。。
結局 小木の手前の赤泊の港辺りまで、起きてんだか寝てんだか
スピードも上がらないまま 小木のエイドに到着。
ここで一旦、小用。ついでにレモン、おにぎり。を頂いて
ボランティアの方々にお礼(これっていつも重要。ずっと長時間の
サービスを行う光景には頭が下がる)を行って、リスタートした。
エイドを出ると即、有名な小木の激坂スタート。
何故か、快調、足も平気。どんどん抜ける。
ってか自分が遅いスタートでしかも抜いて行った人たちを
抜き返す訳なのだから、今になって思うとレースナンバー順スタート(年齢順)な
訳で、年上の方々を単に抜きかえしただけに過ぎなかった。
とはいえ、3年ぶりでも小木の坂をこんなに快調に行けたのは
初めてだったかも。
行ける!と思うと身体も反応してくれる。小木の後のダラダラ坂もあっという間に
登りきり、後は海岸線へ下り、向かい風のあるはずの海岸線が意外に
風もなく、真野の町並を颯爽と走る、走る、抜ける抜ける。
(と気持ちはそうでしたが、早くない。。泣)
もっと早く回復してれば、こんなはずじゃなかった。。と
後から後から考えるが、レース中は必死なのでこれはこれで
満足しないと。
バイクゴールとBタイプのランのゴールが重なるところまで
元気に走れた。。タイムは遅かった。(笑)
ちょうど チームメイトのNEKOお姉様(Bタイプエイジ1位だった)を見つけて
バイクから応援。知り合いのいる大会は、これがお互いに出来るから心強い。
チームメイトが走っている光景見たり、すれ違うポイントでお互いに
応援する事はとても元気が出る。
●ランパート(42キロ)サブ6への道。
といっても、結果としてやっと6時間切りしただけの事です。
バイクゴールしてトラジションエリアで、バイクジャージ一式から
ランの格好にゆっくり着替え、靴下にもワセリン塗ったくります。
天気は快晴ではないもののやはり数時間のランニングには
足のマメの出来るリスクは回避しなくてはなりません。
ランスタート。
ちょうどスタート地点にはマッチが自チームメイトの応援に
立っていた、ハイタッチしてもらいました。なぜか元気出る。
同時に並走していた同世代っぽい男性の方と話しながら
「いやぁ、やっぱマッチは良い人だね〜」
だけど、元気は出たもののスピードは一向に上がらない。
エイドステーションは佐渡は行き届いていて2キロから3キロ刻みに
きめ細かく設置されていて、やっとこさ 走る感覚にはとても
嬉しい。
街中を抜けて、田んぼのところまで来ると 佐渡の名物おばさんが
「いってらっしゃぁい。行くしか無いよ〜、待ってるからね〜」と言うのが以前だったが
「いってらっしゃぁい。ゴールはテレビで見てるからね〜」
と3年も経つと変わる。名物おばさんも年取ったんだな〜。
キロ7分よりは多分早く走っているつもりのペースでピッチを刻んでいるつもりが、どんどん抜かれまくる。 って事は、実際は遅かったんだなぁ。
やがて20キロ手前の佐渡市役所のエイドへ到着。
ここまでは、歩かないで行けた。しかしここからが、鬼門
過去、何度、このエイドで補給(食べ物、おにぎりなど)した後から
走る意欲が失せて、いや正確には、走る気持ちはあっても
身体が前に走ろうとしてくれない。。そんな状態を繰り返しているので
せめて
20キロから30キロの間は、走ろう!と心に決めてエイドを後に。。
で
結局は、走れたのだけど、果たして早かったかというと
そうでもなく。
ただ、23キロ近辺にある神社の前にまたまたマッチが登場して応援していた。
彼の所属チームのAタイプ参戦の方の応援だったようで
ちょうど 私のソバにそのメンバーがいたらしく。
私の前でも「ナイスラン、ナイスラン」と声かけしてもらう。
良い人だ。先を行くチームメイトのボンクレ嬢は、握手まで
お願いして、ちゃんと握手してもらったそうだ。。偉い!
なんとか、最後の折り返しポイント25キロのエイドに到着。
まだ、走れている。余力はある??。自分で自問自答繰り返すが
どうにもスピードが出ていない。
月間120,130キロのラン走行では、所詮こんな程度か。
スイムが無いのに不甲斐ない。
色々な気持ちが交錯する。 が、どうにもスピードが出ない。
ただ、やっとこの折り返しでチームメイトのプンプンを抜く。
この辺りからは、暗闇走行に移行だ。
いつも思うのはこれよりもっと先に進んだところ
35キロとかそういうところで腕輪が貰えたら。。
だが、練習の成果に比例して結果は着いてくる事を
実感。練習量が少ないと結局はこの辺りで
腕輪のお世話開始になる。
しかし そんな練習不足を気がついてももう遅い。
腕に発行する縁日によく出ているような
腕輪をはめてもらう。商店街という程の事も無いが
いわゆる昔ながらの街並?の家の薄明かり、街灯、そして
エイドのテントの電灯を駆け抜けて行く。
ゴールに近づいているはずだ。
景色、光景、すべて佐渡のレースの一部を実感しつつ
とにかく前へ。
だが、とうとう進む気持ちと裏腹に
足が動きたくないメッセージが足と頭から伝わってきた。
足が悲鳴か。
多分、30キロ超えた辺り、歩く。。
ついに歩行開始か。。。立ち止まり
せっかくさっきまで抜いて行った数名を
過ごし、いやせめてエイドの明かりまで走ろう(ジョグする)
真っ暗だし、ひたひたと抜いて行く足音。。
それでもなんとか走ったりして、。。略
騙し騙し、いよいよ念願の
灯籠の並ぶ田んぼにたどり着く。
33キロくらいから37キロの間か。。
田んぼの間の農道に延々と並んだ 佐渡特有の灯籠群
地元の方々が一生懸命に作った作品群。ミッキーのやら
トキの絵やら。。感動する余裕は無いが
最後の金丸エイド(37キロ)
あとは5キロ我慢すれば、賑やかな商店街の
ゴールでハイタッチが待っている。
もちろん制限時間内のゴールも確信。
キロ6分には行かないまでもとにかく、走ろう。歩くな!
八幡館の旅館を曲がって直線の公道を
意気揚々と(実際は、とぼとぼと)走る。
で。。
明るい商店街(佐和田)の明かりが
先に見えてきた。スピーカーのアナウンスも聞こえてくる。
やっとゴール、長い一日もあと数分でおしまいかと感慨にふける。
つもりだったが、結局のところは
きっと選手の家族の方々だろう応援団にハイタッチの嵐を受けつつ。
ヒーロー気分で商店街を駆け抜ける(歩き抜けるか。)
もちろん、スピーカーからは、「神奈川県から参加の
レースナンバー。。マツモトヒロユキさん。おめでとうございます」
名前を呼ばれるのに悪い気はしない。
そしてゴールエリア赤いカーペット、ここでもハイタッチ連続で
フィニッシュ。
595位/765名中
50−54男子:79位/同世代の完走93人中
13時間27分 バイク7時間35分、ラン5時間51分
決して良い成績でもなく、ただ、完走しただけかもしれないが、
3年ぶりの佐渡はやはり、暖かいおもてなしで楽しかった。
ちなみに
13年前の佐渡大会もスイムが中止。その時の記録がコレ→
過去の自分に対して、13年経って9分短縮した成果って。。ま、ありでしょう。
加齢に対しても体力維持って大切だなと感じた。
と、前向きな締めで佐渡の夏は終わった。