2011-4-24第27回全日本トライアスロン宮古島大会 完走記よっしー

平成23年4月24日
天候:晴れ、微風

記録
Swim 1:00:18
Bike 5:43:39
Run 5:27:12
Total 12:11:09/H
順位 第770位/完走者1213人中(男子706位、50-54歳男子74位)

 4年振り、二回目の宮古島に参加しました。今回は広島の母と家内の3人のツアーでした。昨年、佐渡が終わって、「来年こそはアイアンマン出場!」と家内に相談しましたら、「宮古島にしたら。宮古島だったら、私も行きたい。広島のママさんも誘ったら。」との「ご聖断」が下り、宮古島にエントリーすることになりました。家内には昨年の義父の介護と最後の看取りの慰労会、母には現在も続いている祖母の介護(完全な老老介護)の息抜きということで、レース当日以外は、観光ツアーに徹しました。現地では、天候も良く、二人には、宮古島の美しい景色やおいしい料理を満喫してもらったのかな、と思っています。
 レースにつきましては、前回、2007年の記録が12時間40分なので、約29分の短縮となりました。SWIMは好調、バイクは130kmまではまずまず、その後、苦しくなり、RUNは10kmを過ぎてから、ペースダウン。25km以降は登りで走れなくなり、30km以降は、少し走ると脚に力が入らず、歩きを混ぜながらの苦しい展開でした。「ロングのトライアスロンのRUNで5時間切り」の目標でしたが、残念ながら、それは達成できませんでした。でも、何とか、無事に、明るいうちにゴールできました。

 以下、日程に沿って、報告します。

【4月21日】
 家内と羽田発8:35のANA那覇行きに乗り、那覇で広島の母と落ち合う。12:00発のANA宮古行きに乗り、13時頃、宮古空港に到着。ネットで予約していた「OTSレンタカー」のお迎え車に乗り、レンタカー営業所にて、軽自動車を借りる。(宮古島の場合、レンタカーがあると、エントリー、競技説明会、バイク預託、バイク回収、その他観光に非常に便利。)
 まずは、宮古島市総合体育館にて、エントリーして、ゼッケン・トラジションバッグ、スイムキャップをもらってから、前回と同じ民宿の朝日荘に向う。4年振りに朝日荘の瑞慶覧夫妻に再会。懐かしい。何故か、ふるさとに帰った感じ。
 朝日荘で一休みしている間に、今回も同宿の折原選手、田中選手さんと合流。その後、2週間前に送ったバイクを組み立て、試走。右のDHバーの先のバーコン(リア)が緩んでいて、異音発生。BIKE SHOP RUNの加藤さんに電話して、対処法を聞くが、ちょっと難しそう。メカニックに修理を頼んだ方が良いとのアドバイス。
 その日の夕食は、宮古島在住のトライアスリートの桐原夫妻と折原選手、田中選手、朝日荘の主人の瑞慶覧さん、母と家内とで海鮮酒家「中山」本店。桐原夫妻とも4年振りの再会。桐原さんは今年はアイアンマンのシンガポール70.3、チャイナ、台湾70.3に出場するため、宮古島には出場しないと。バイクのバーコンのトラブルで相談すると、アスリート・サイクルショップ「くるくる」を紹介いただく。店長はプロメカニックだし、大会に出張のメカニックサービスは混んでいるので、こちらの方がいいのでは、とのこと。
 海鮮酒家「中山」本店には、タッキーとOSJご一行(宮塚氏、ベルマーレの中島氏、益田大貴選手、塩野恵美選手他)や松山アヤト氏のご一行、サニーフィッシュのご一行等々、有名なメンバーの団体が来て、それぞれで大いに盛り上がっていた。(小生は塩野選手に声をかけ、サインをお願いした。)
 夕食が終わり、今度は、朝日荘で瑞慶覧さん主催のオトーリ。他の宿泊者も集まり、夜遅くまで宴会。

【4月22日】
 昨晩の二日酔いが残るが、本日は、家族サービスで宮古島観光の日。バイクコースに沿って、西平安名崎、雪塩製塩所、池間大橋、池間島一周、島尻マングローブ林、比嘉ロードパーク、吉野海岸、東平安名崎、を回って、インギャーマリンガーデン(バイク右折ポイント)で遅め昼食。来間大橋を渡って、折返し、東急リゾート前を経由、朝日荘に戻る。
 その後、「くるくる」に行き、早速、バーコンの修理をお願いした。これで、不安は解消。夕方は競技説明会とワイドーパーティだったが、折原選手、田中選手と途中で抜け出して、家内と母を連れて、「泡盛と沖縄料理 郷家(ごーや)」にてOMINOの伊谷さん主催の「宮古島完走するぞ〜!宴会」に出席。郷屋の店長もストロングマンではあるが、今回はSWIM2000m地点での監視役のボランティアと。風向きが、北風で例年の逆との報告。三線のライブや河原勇人選手の優勝宣言・ポロシャツを脱がしての腹筋・腸腰筋・背筋の鑑賞会(?)で大いに盛り上がる。朝日荘に戻って、瑞慶覧さん主催のオトーリ。この日も遅くまで宴会。

【4月23日】
 本日朝から雨。母と家内がどうしても島田紳助プロデュースの民宿「夢来人(むらびと)」に行きたいと言って聞かない。場所を瑞慶覧さんにお聞きすると、比嘉ロードパーク手前のバイクコース沿いと。明日の応援バスツアーで母と家内と一緒になる田中選手応援の越智さんが10時の飛行機で来たので、朝日荘の前で挨拶をして、早速、出発。今回はRUNコースを通って、海宝館からバイクコースを逆走して「夢来人」に到着。駐車場の売店で、早速「おかずですよ」と犬の「まもるくん」の人形を購入して、「夢来人」に向う。家族で写真を撮っていると、ノッチが出てきて、声をかけたが、畑の方に走って行ってしまった。
 昼食は上野ドイツ文化村向いの「ひろちゃん」食堂にて、名物のモズクと宮古そば。上野ドイツ文化村にちょっと入ったが、見るものはあまりなく、早々に引き上げ。トップバリューに寄って、水やお土産を購入して朝日荘に一旦、帰り、バイク預託の準備。母と家内を連れて、東急リゾートに行き、バイクを預託した後、前浜のスイム海上で試泳。曇り空で、水温が低い上に、相当うねっていて、早々に上がる。波酔いで気持ちが悪い。明日はどうなることやらと不安になる。その日の夕食は折原選手、田中選手、越智さん、母と家内の6名でこじんまりと海鮮酒家「中山」本店で澱粉系主体のメニューとビール少々。明日朝のバイクの空気入れの際に必要な懐中電灯を買うため、コンビニやスーパーを回ったが、震災影響でどこも売り切れ。仕方なく朝日荘で借りることにした。9時過ぎには床に入るが、久し振りに寝付けなかった。

【4月24日(レース当日)】
@起床からスタート
 3:00に起床。ストレッチをして、朝食。4:40ホテルアトールエメラルド前から大会巡回バスにて東急リゾートに到着。まずは、最終エントリーとマーキング。次にバイクの空気入れ。真っ暗なので、朝日荘でお借りした懐中電灯が役立つ。そして、仮設トイレに並んで、大。
その後、タケ2と出会い、一緒に着替え。横浜の須藤さんに会い、ハイタッチ。6:20頃にはタケ2と浜に出る。母、家内、越智さんも浜に到着していて、写真撮影。天気は快晴。風も波もなく、絶好の天候。海も真っ青で美しい。素足で踏んだ砂が冷たかったが、試泳すると水温はまずまず。そうこうしている内にスタート10分前のコール。田中選手とも落ち合い、握手。そして、いよいよスタート。

ASWIM
 スタートの音が聞こえないが、アナウンスはスタートしたと言っている。ともかく歩いてスタート。水が胸ぐらいになり、前が開いたの見て、泳ぎ始める。水がきれいで、ずっと底が見える。海底で待機しているダイバーや白い砂の中にぽつんぽつんとあるサンゴ礁もはっきり見える。渋滞を避けて、自分のペースを崩さず泳いでいるうちに、600mのB地点に到着し、最初の右折。えっ、もう来たの、って感じ。そのまま、直進し、1500mは25分で到着。潮はいつも通り。そのまま、関門のある1700mのC地点は29分で通過。思ったより早い。疲れはほとんどなく、好調。そこから逆潮で、なかなか進まないが、自分の泳ぎに集中しているうちに2300m、2600mが過ぎ、いよいよ上陸。そこの時計が59分過ぎだったので、「1時間切れるかも?」と嬉しくなり、母、家内、越智さんの応援に手を振って、急いで走った。だが計測所まで以外と遠く、1時間00分18秒でスイムアップ。前回より7分縮め、自分としては、会心の泳ぎだった。

B第一トラジション
 スイムアップ後、渋滞しているシャワーを浴び、トラジションバッグの置いてあるラックに到着。そこで、もぞもぞとバッグを開けていると、痛い視線が…。そうだ、着替えは下のテントだと気付いて、トラジションバッグを持って、走り始める。テント脇に腰掛けて、汚れた足をきちんと拭いて靴下を履き、バイクシューズを履く。バイクジャージを着て、アームカバーを着けて、歩いてバイクラックに向う。サングラスを着け、ヘルメットをかぶり、バイクを下ろし、また、歩いて乗車地点に。この間、11分。遅過ぎ…。ここでも、母、家内、越智さんの応援をもらった。

CBIKE
 SWIMは調子よかったが、BIKEは最初からどうも調子が出ない。最初の空港近くの登りから脚が重い。でも、行ける所まで行くしかない。向い風もそれほどなく、快晴のおかげで、池間大橋の海がものすごくきれい。池間島の30km地点までは、平均時速は約30km。例年は向い風で苦しむ島の北側コースもそれほどの風もなく、62km地点の応援バスツアー応援ポイントで母、家内、越智さんの応援を受け、70km地点の東平安名崎を通過。この間の平均時速も約30km。そこから七又風力発電所のジェットコースターコースはノーブレーキで突っ走って、インギャーマリンガーデンを右折後の激坂を無難に過ごし、ここから先はしばらく平坦な道が続く。来間大橋を渡って折返し、再度、来間大橋の復路の中間点で卯月夫妻の応援にびっくり。大きく手を振って、応える。橋を渡り切ったところで、「吉野さん、久し振り。山登です。調子良さそうですね。佐渡にも出るんですか?」と声をかけられ、また、びっくり。「今年は佐渡は出ません。競技場で後ほど…」と応えて、先に行ってもらった。そのまま、何とか130km地点の2回目の池間島までの間も平均時速は約30km。頑張れたのは、ここまで。それ以降は、急にスピードダウン。疲労でなかなか踏み込めない。150km地点先の植物園に母、家内、越智さんが待っていると思って、最後の力を振り絞ると、不思議と元気が出て、応援に手を振って、応えた。そのままの勢いで、最後の坂を登り、バイクフィニッシュ。疲労困憊で、「もう、何もしたくない。早く帰りたい。」って感じ。中学生のボランティアに手伝ってもらい、バイクをラックに掛け、トラジションバッグを受け取り、テントで着替え。バイクジャージ、ソックスを脱ぎRUN用のジャージに着替え、足指の間、足底にたっぷりワセリンを塗り、五本指ソックスに替え、ランシューズを履いて、テントを出る。ここのトラジションも時間はわからないが、結構、時間がかかっている筈。RUNスタートの計測ポイントを通過して、BIKEは終了。5時間43分39秒と前回より、約26分の短縮。最後は、非常に辛い思いをしたが、まずますの出来。果たして、RUNはどうなることか、と不安がよぎる。

CRUN
 走り始めは、身体がギクシャクしていて、思うような動きにならず、また、多くの選手に抜かれたこともあり、遅いんじゃないかと思っていると、1kmの表示。手元の時計で6分を切っている。前回と違い、1kmごとに距離表示があり、非常に親切。2kmの地点でも12分を切っていて、ちょっとびっくり。2.2kmのエイドを過ぎた辺りで、また、卯月夫妻の応援。二人とハイタッチして、元気が出る。快晴で日差しがきつく、エイドでは、毎回、スポンジで頭、首筋、ももを冷やし、給水しながら進む。最初の5kmは31分ぐらいで通過。全然、OK。7kmの応援バスツアーの応援ポイントでも、母、家内、越智さんの応援に応え、元気よく通過した。念のため、痛みの出る前に、ここでロキソニンを飲んだ。5kmから10kmまでのラップは32分ぐらい。 でも、調子が良かったのはここまで。ここから、アップダウンが続き、10kmから15kmまでのラップは35分に。でも、この調子で粘れば、4時間30〜40分で行ける。11時間30分も夢ではないと思って頑張ってみたものの、スピードは上がらない。タケ2とすれ違いざまに声を掛け合って、ハイタッチ。でも、ペースはドンドン下がり、20km過ぎの折り返しまでで2時間26分もかかってしまった。走っていても、歩いている人をなかなか抜けない。
 25kmを過ぎてからは、もはや、上り坂では走れなくなり、歩いてしまうことに。悔しいけど、どうしようもない。20kmから30kmのラップは、1時間19分(キロ7分55秒)、スプリットは3時間45分と相当、厳しいタイム。その後、ついに脚に力が入らなくなり、平地であっても、走っては歩くということの繰り返し。30kmから35kmのラップは42分と、キロ8分のペースにダウン。37kmの応援バスツアーの応援ポイント(7kmの応援ポイントと同じ)は既に撤収されていた。
 空港脇の坂を登り、宮古支所前の道を右に曲がると、残り5kmのポイント。相変わらず、走っては歩き、走っては歩きの繰り返し。だんだんと沿道の応援が多くなり、声援が途切れず、その中を歩くのも、気分的には、結構辛い。残り1kmを過ぎ、競技場手前のちょうちん通りに、ゴールしたタケ2が「吉野さ〜ん、あと少し〜」と応援。「よし、もう、歩かない!」。
 競技場が見え、ゲートをくぐり競技場へ。そこで、家内が待っていてくれた。トラックでは、ゴールしたタッキーも応援してくれた。スクリーンでは、宮古テレビの中継が移っていて、丁度、女子優勝の塩野選手がスタジオに来て、インタビューが始まったところで、「あ〜あ、自分のゴールシーンはテレビに映らないな〜」と思いながら(ここだけは、不思議と余裕)、最終コーナーを回り、最終ストレートに。そこでも卯月夫妻の応援にハイタッチ。ゴール手前10mぐらいのところに母と家内が待っていて、最後は3人で手をつないでゴール。RUNは前回より、3分遅い、5時間27分12秒だった。トータル12時間11分9秒の長いレースが終わった。空は、まだ、明るかった。

Dゴール後
 完走メダル、完走バスタオル、完走ポロシャツをもらい、フィールド内に入り、既にゴールした面々、応援してくれた家族と記念写真。宮古そば、あんぱん等を食べて、しばらくする内に、制限時間1時間前の花火。早速、母と家内と3人でタクシーに乗り、朝日荘に。ウェアの洗濯、ウェットの水洗い等をやり、シャワーを浴びて、食堂に。瑞慶覧さんが待っていて二人で、早速、オリオンビールで乾杯。20:30、テレビ中継では、競技場のゲートが閉まり、最終走者のゴールを映していた。その後、だんだんと選手、応援メンバーが集まり、また、他の民宿に泊まっている選手も来て、皆の無事のゴールを祝して、延々とオトーリ。小生は12時前には、眠くて、ダウン(朝3時起床だったので…)、お先に失礼した。

【4月25日】
 翌朝は6時に起床し、帰宅の準備。昨晩の洗濯物を取り込んだり、バイクの撤収、バイクの梱包で大忙し。9時過ぎには朝日荘を出て、宮古島市総合体育館に行って、完走証の交付、写真の購入。レンタカーを満タンにして、「OTSレンタカー」の営業所で返却。そこからレンタカー会社の送迎車で宮古空港に行き、ぎりぎりで10:50発のANA那覇行きに乗った。那覇空港で、福岡に行く母と別れた後、12:45発のANA羽田行きに乗って、15:00ころ羽田着。京急に乗って、やっとこさで帰宅。

【反省点】
 ひとえに「練習不足」の一言です。宮古島にエントリーした後は、大会に向け、相当気合が入っていました。バイクもハンドル周りとシートポストをTT仕様に変更したり、ホイールをチューブラー(本当はカーボンホイールにする予定でしたが、予算不足で…)にしたりと、ばっちり準備をしました。ところが、11月の大田原マラソン以降、体調が思わしくなく、風邪をひいたり、インフルエンザに罹って会社を休んだりして、練習を中断することがしばしば。ようやく練習できるようになって、少し追い込むと、腰痛で動けなくなったりと、まともな練習が出来ませんでした。気合が入りすぎて、焦ったのかもしれません。12月以降の練習量は以下の通りで、ロング前の練習量としては、非常に少ない。これだと、バイクの途中で潰れるのも仕方ありません。ゴールできただけでも、良かったというべきでしょう。

 12月 : Run : 57.1km Bike : 333.2km Swim : 6.4km
  1月 : Run : 182.0km Bike : 233.9km Swim : 11.5km
  2月 : Run : 53.2km Bike : 349.8km Swim : 6.5km
  3月 : Run : 111.3km Bike : 379.6km Swim : 12.4km
  4月 : Run : 68.0km Bike : 136.1km Swim : 3.7km

【最後に(お礼)】
 BIKE SHOP RUNの加藤さん、バイクの仕様変更もさることながら、3月のバイク破損(近所の方がバイクに乗って転倒、DHバー、ブレーキレバー、シフトレバー、ホイール、タイヤが破損し、交換)の迅速なご対応、搬送用のダンボールの手配等々、いろいろとお世話になりました。加藤さんに選んでもらったタイヤ(CHALLENGE FORTE)はすごいグリップで、下りはノーブレーキでカーブに突っ込んでゆくことが出来ました。本当にありがとうございました。
 サマディ上大岡のスイムの金子コーチ(松山アヤト氏やベルマーレの中込氏の大学の先輩とのこと)、原田コーチ、ご指導のおかげで、フォームが劇的に改善し、速く、楽に3kmを泳ぐことができました。本当にありがとうございました。
 朝日荘でご一緒した折原選手、田中選手、越智さん、いろいろとお世話になりました。また、楽しく過ごすことができ、本当にありがとうございました。越智さん、来年は選手として、宮古島に来てくださいね。
 朝日荘の瑞慶覧さん、奥さん、懐中電灯や体温計を貸していただいたり、「日向夏」や「島ラッキョウ」のおみやげをいただいたり、毎晩、遅くまで泡盛を飲ませていただいたり、本当にありがとうございました。次回、宮古島に出場するときには、また、お世話になります。よろしくお願いします。
師匠の丸さん、朝日荘のご手配やさまざまなアドバイスをいただき、ありがとうございました。いつか、また、一緒に大会に出ましょうね。
 そして、横浜鉄人クラブの皆さん、いつも楽しく練習させていただき、また、アドバイスをいただき、本当にありがとうございました。おかげでなんとか完走できました。今後とも、よろしくお願いします。

 最後に、いつも支えてくれる家族に感謝します。ありがとう…。

以上


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