2011-7-3 | アイアンマン・コリア 2011 完走記 還暦編 | 還暦 |
*まえがき
今日は木曜日、レースから4日間過ぎています。筋肉痛はなくなりつつありますが疲労は残っています。「吹き溜まり居酒屋」で軽く飲みながら完走記の構想を考えています。アイアンマン(ハワイ、ジャパン、コリア)とアイアンマンの距離(佐渡、ちょっと短い宮古)のレースを合計すれば20回くらいは出場しています。どのような構想をもってしても、このあじの塩焼きのように食い尽くされた完走記しか書けそうにありません。
20数年間トライアスロンを続けてきて疲れてきた自分がいます。私的理論では「トライアスロンを20年続けると身体が壊れる」のです。76歳で私より速い選手がいますが60歳からトライアスロンを始めたのでまだ壊れていないのです。今年のアイアンマン・コリアを完走した50歳代以上の選手数です。年代が上がる毎に人数が半分になっていきます。身体的条件だけではなく経済的、家庭的条件なども影響してくると思います。サバイバルゲームなのです。
男 女
50−54歳 96名 11名
55−59歳 39名 5名
60−64歳 15名 2名
65−69歳 7名
70−74歳 3名
74歳+ 1名
*それ以前
金曜日の朝6時20分発リムジンバスで羽田空港へ。前日宅急便で送っておいたバイクを受け取って、ソウルの金浦空港トランジットで済州島へ。レースのための旅行なので通常のの海外旅行ほど心がうきうきするわけでもありません。韓国で楽しみなのはなにを食べても美味しい韓国料理だけです。箱詰めにしたバイクと日頃食べていたレトルトのカレー風なおかずと白いご飯です。キッチン付きのコンドミニアムに男4人で泊まっていました。
レース前日は忙しいのです。レース中に使うバイク用のものとラン用のものをそれぞれ主催者から支給されるトランジションバッグに入れて預託しなければいけません。バイクもバイクラックに掛けて雨が降ったらオイルが流れてしまうのでバイクカバーを掛けておきます。昔はレース前日は禁酒にしていましたが多少控えめにしているだけです。
*スイム
7月3日朝7時、小さな花火とともに1000人近くの選手が海に入っていきます。速いグループの選手たちは砂浜から走って、私たち遅いグループはのんびり歩いて。ここで急げばバトルに巻き込まれます。蹴とばされたり殴られてゴーグルがはずれたりするのです。コースロープを右側に見て時計回りに2周回3.8kmです。左呼吸の私にとってはコース選択の自由度がない嫌なコースです。右呼吸ならコースロープと自分の間に泳いでいる選手たちを見て自分の位置を認識できますが、左呼吸の場合、自分より左側にいる選手はコースロープから離れていることになるのでその選手たちは指標にならないのです。海水の透明度は高く水温は20℃ちょっとくらいでした。試泳で海に入った時には心臓がきゅっと縮んで息があがるくらいでした。何度となく前後左右の選手たちと接触しそうになり、実際に接触もします。その時は、身体に緊張が走って身体が固くなります。1周回が終わると浜に上がってUターンするのですが波酔いでよろけてしまいます。泳ぎながらたまにはフォームのことを考えて腕のまわし方を変えたりします。ウエットスーツの中が暖かくなることがあります。なぜかって、もちろん自分のおしっこです。タイムは1:33:03。私の標準タイムの数分遅れです。
*バイク
バイクスタート。ゆるやかなアップダウンが続く2周回のコースです。これが曲者でした。上りでも下りでも足を回し続けることになるのです。足を休める暇がないままにDHポジションで回し続けます。挙句の果てに40kmで腰が痛くなり始めました。普通のアイアンマンのコースなら100kmあたりからの症状です。ここでつぶれました。それからの140kmは苦役でしかありませんでした。ガソリンスタンドのトイレに入って、ついでにコンタクトレンズが曇ったのを水道で洗って走り出してサングラスを忘れたことに気づきました。戻る元気はありませんでした。2周回目に同じトイレに寄ったのですがサングラスはなくなっていました。8:01:14。目標より20分以上遅いものです。練習では調子は悪くなかったのです。
*ラン
バイクでぼろぼろになった足ではどうしようもありません。いきなり急な下りです。ここでさえ歩きたくなりました。続く上りは歩きました。ここから最後まで歩きとランのハイブリッドでした。走り出したころは暑かったのですが、夜になるにつれて走りやすくなってきても「つらい、つらい、つらい」とリズムつけてつぶやきながら走っています。2周回のコースなのですが、私が1周回終わるときにゴールに向かう選手が多くて落ち込んでしまいます。ハワイへのライバルはふたりです。1周回目の折り返しで差を計りました。私がびりです。1位の選手とは50分くらい、2位の選手とは30分くらいです。この時点で1位、すなわちハワイをあきらめました。結果的には、歩かないで走り続けられれば挽回は可能性はあったようです。1位の選手との差は45分、2位とは9分でした。ランタイム6:13:25。
*ゴール
ランで精神的にはきつかったにしても肉体的には歩いていしまったのであまり感激のないゴールでした。ゴールタイム16:03:20。ワーストに近いタイムです。
*それ以後
ゴールしてからバイクと3っのトランジションバッグを受け取って足を引きずって、コンビニでビールと夜食のレトルト食品を買って帰りました。24時頃です。
翌朝は疲れで早起きになるので5時頃からビールを飲みながら汚れ物の整理です。午前中にハワイの出場権を取れた選手の手続きがあって、午後からアワードパーティでした。
見れば分かるように小さい順に順位が上なのです。この世界では、特に日本では大柄の年寄りは不利なようです。
焼き肉を食べ軍隊鍋を食べ、しこたま飲んできました。
数年前から足の調子と経済的状況から翌年のアイアンマンレースには出場できないと思い続けながら今年のアイアンマンまで出場してきました。来年はどうなるかはまだ分かりません