日本学生トライアスロン選手権大会観戦記キヨ

 ⇒ インカレ写真集

【近づくゴール】
 「しっぽ」。河童からのメールのタイトルを見ただけで結果は分かりました。2007年8月26日、香川県観音寺市で開催された日本学生トライアスロン選手権大会の報告でした。その日、私は同じ四国の愛媛中島でトライアスロンの大会に参加しており、河童とは別行動でした。

 本文を読むと、バイクの2往復半で先頭に追いつかれ失格したとのこと。バイクは5往復ですから、丁度、半分。予想はしていたこととは言え、40歳で迎えた大学1年生の夏は、不完全燃焼で終わったようです。それから3年。2010年9月12日14時02分、同じ観音寺市でのインカレ。ゴール迄あと100m。入学式で新入生の母親と間違えられた時から始まった河童の学生生活も、本当の終わりが近づいています。


【1年から3年まで】
 河童が教師を目指して改めて学生生活を目指したのは2005年夏でした。都内から横浜へ引っ越した直後、神奈川大学人間科学部で体育の教員資格が取れるコースがあることを知りました。3年生からの編入学を目指したのですが、人間科学部はその年新設されたばかりで、最上級生が3年になるまで、もう1年、待たなければなりませんでした。それならば社会人入試を経て1年生からやってみるのもいいのじゃないか、と判断しました。折角の機会なので、4年間、若い人達といろいろ勉強してみるのも良いだろう、と。

 何とか入学許可を得て、大学のパンフレットを見ると、クラブ紹介の中に、トライアスロン部も載っていました。学生のレベルには達しないだろうし、そもそも学生のレースに出るのに年齢制限があるかどうかも分かりませんでしたが、取り敢えず部室を訪ねてみたら、と焚きつけたのは私でした。本人もその気になり、トライアスロン部の部室の扉を叩いたのは入学式の3日後でした。当時、男子部員が何人かおられたようですが、扉を開けて入って来た40歳のオバサンを見て、彼らがどのような感想をもったのか、今でも尋ねてみたい気がしています。

 当時、神奈川大学トライアスロン部に女子部員はいませんでした。同部は、国士舘大学、和光大学、桜美林大学とともに『T−Freaks』という合同チームを作っており、横浜国大とも親しくしていたようです。このチームは今でも、レースや合宿などで活動を共にしています。その国士舘と和光には女子部員がおり、河童にとっては心強かったようです。

 さすがに、入学当初は、慣れない学生生活と年齢ギャップで、心が折れそうになったこともあったようです。それでも、先輩(!)達に引っ張られながら、インカレを目標に大学近くの岸根公園でランの練習に励んでいました。学生連合への登録には年齢制限はなかったのですが、学生レベルは分かりませんでしたから、私は、1年間はトレーニングを積み、2年でインカレ関東予選、3年で日本インカレに出られれば良いな、と考えていました。インカレは、北海道から九州まで6地区の予選を勝ち抜いた人と極一部のシード権保持者しか出られません。ですから、1年目から、と言うのは全く期待していませんでした。

 ところが、学生のトライアスロンは、陸上や水泳と異なり、学連のレースでも出場資格を得る標準記録というものがなく、学生連合に登録さえすれば関東予選には皆、出場できる状況で、河童も1年目から関東予選に出ることができました。参加者は50人ほど。体育学部のある所は一つの大学で5,6人参加しますから、大学数で言うと20校にも満たない状態でした。男子にしても200人いるかどうか。他の学生スポーツと違い、監督やコーチが帯同している学校は見当たりませんでした。大手のスポンサーがあるわけでもなく、大会運営も学生委員。そのような環境の中で、トライアスロンに取り組もうとしている学生達は、頼もしくも見え、また、もう少し支援してあげられることがないだろうか、とも思えました。

 さて、1年目の関東予選は完走者61人中37位までがインカレ出場権を得られる中、35位で通過。和光大のMさん(昨年末の鉄人駅伝に来られた方です)と共にインカレ出場権を獲得しました。この時の参加者の中に筑波大学44歳の女性がいました。その方の凄さを知ることになるのはその翌年です。インカレでは、冒頭のとおり、DNF。1周7キロのバイクコースで参加者54人中7人が周回遅れで失格となった中の一人でした。スイムをトップから5分も遅れたのでは、致しかたない結果でした。

 2年目、関東予選は61人中16位で通過。同じT-Freaksの中では国士館大のKさんと共にインカレ出場権を得ました。この年は36位までインカレ出場権を得られたのですが、38位だったのが先の筑波大の女性でした。この方は、40歳を過ぎて、ご主人やお子さんもおられる中、筑波大学医学群へ学士入学され、医師を目指しておられました。それだけでも凄いことなのに、強豪筑波のトライアスロン部で学生と一緒に活動され、その年には宮古島も完走されました。本気で日本インカレも目指し、最後のランであと二人というところまで追い上げたのでした。彼女は昨年、医師の国家試験に合格し、今は都内の病院で働いておられます。勿論、トライアスロンもまだ続けておられます。出来ないことや、やりたくないことの言い訳はいくらでも見つかりますが、この方の姿を拝見していると、見習わせてもらう所ばかりです。年齢で悩んでいた河童も、随分、元気付けられました。

 河童はこの年のインカレでは、バイク終了時点が45位、バイクでカットされなかったのは後ろに3人しかいない、危機一髪の状態でランに移ることができました。最後は完走者46人中39位。関東予選での順位からすれば、不満の残る結果ですが、予定より1年早い日本インカレのゴールでした。

 3年目になると、回りの学生の実力がドンドン上がっているのが目に見えてきました。1年目では十分勝てた学生に敵わなくなってきました。若い人の伸びしろの方がはるかに大きいのは、当然のことでしょう。関東予選は51人中21位。前年より少し順位を落しました。日本インカレへはT-Freaksから女子は国士舘大2年生のNさんと、Mさん二人も出場権を得ました。男子で神大からは二人が出場権を得ました。当時の前主将T君と、現主将S君でした。

 T君と、私が初めて会ったのは、彼が2年生の時のスイム練習でした。バイク、ランは速いというのは聞いていましたが、スイムを見る限り、ご本人に怒られるのを承知で言えば、インカレを目指す、と言うのは絵空事のようにしか聞こえませんでした。最終学年で迎えた関東予選スタート前も、俯き加減で覇気が伝わってこなかった、というのが正直な所でした。主将として苦労をしてきたことも考えますと、レース終了後、どのような言葉をかけてあげられるだろうか、と心配していたほどでした。ところが、ゴール後会った時、彼は満面の笑顔で出た言葉は「奇跡が起こりました」。いろいろな重圧とも闘いながら、地道にトレーニングを重ねていた結果でしょう。サラリーマン生活を30年近く続けて、心が手垢まみれになっていた私が、久しぶりに、他者の成果を心から喜ぶことが出来た瞬間でもありました。

 インカレでは、河童は完走者45人中37位。バイクでのカットされた11人を除いては、後に二人しかいない中でのバイクをフィニッシュしました。この年はランでも余り調子は上がらないままでした。T君は、残念ながらバイクカットされましたが、インカレまでトライアスロンを続けられたことは、きっと貴重な経験になると思います。今は、新聞社で働いており、後輩のレースの応援にも駆けつけてくれています。将来、余裕が出来たらまた、トライアスロンを再開してもらいたいものだ、と思っています。


【2010年 観音寺】
 そして最終年。4年目で、予選は楽に観戦できるかな、と思っていたのですが、スイムは28位、それ程余裕はありません。そしてバイク終了時では33位。毎年のようにギリギリに近い所まで落ちました。結果はランパートでは9番目で、59人中25位。関東予選の順位だけでは2年の16位を上回ることは出来ませんでした。T-Freaks女子では前年に続きNさん、Mさんの二人。男子はシード権を得た人も含め、神大3人、国士舘6人、桜美林1人、横国1人が出場権を得ました。特に、神大は初めて3人が通過し、本戦では団体戦の対象になりました(団体戦は各校3人の合計タイムで競うものです。)因みに、レース距離は51.5kmで、今年、インカレ出場できるかどうかは、男子が2時間13分、女子は2時間34分が分かれ目でした。

 2010年の日本学生選手権は、例年の8月末から9月12日に移りました。それでも厳しい猛暑の中でレース当日を向かえることになりました。実質3年半、いろいろ悩みながらも、良くやって来たと思います。神大のSさんや、国士舘のエースなど、デュアスロンで世界選手権に出るような意欲の高い学生が間近にいてくれたことも大きな励みになったようです。そんな河童の学生最後のレースがいよいよ始まります。

 10時50分、女子スタート10分前。恒例の日体大エッサッサの応援を受け、55人がスタート地点に並びました。1周750mを2周回、時計回りで三角にブイを回り一度砂浜に上がるコースです。ウエットスーツは禁止です。河童はバトルを避けるため、一番外側に位置します。

 11時00分、号砲が鳴り、一斉にスタート。人数は少ないとは言え、各地区の予選を勝ち抜いてきた人ばかり。女子でもトップグループは海でも21分そこそこで泳ぐ力を持っているので、見ていてもかなり迫力があります。1周目が終わり、河童は27,8番。直ぐ前に国士舘Mさんがいます。Nさんは少し出遅れました。2周目もポジションは殆ど変わらず、スタート後25分過ぎ、26位ぐらいでMさん、そこから3秒遅れで河童、Nさんは後方のままです。バイクカットが気がかりです。

 バイクでは、Mさんがご両親の声援を受け、好調のようです。日本インカレではバイクはドラフティングが認められています。1周目終了までは河童も同じ集団についていましたが、周回を重ねるごとに離されて行きます。後から来た集団にも付いていけません。Nさんも追い上げを図りますが、トップグループは4人で形成されているため、かなりスピードが上がっているようです。スイムで出遅れ、集団を作れない人は次々に追いつかれ、失格となっていきます。

 バイクコースは、スタート地点から凡そ2.5キロ先から折り返しコースが始まり、1往復7キロを5往復した後、スタート地点へ戻る、というコースです。後方の人にとっては、周回コースと違い、折り返すたびに、後から迫ってくるトップグループが目に見えるだけに、体力だけでなく、精神的にもタフな状況だろうと思います。

 普通のレースのように制限タイムをクリアするとか、自己との戦いなら、普段の練習と努力がそのまま表れるのでしょう。しかし、トップグループという他者が相手となる、いわば相対的な基準で争うとなると単純にはいきません。いくら自分が全力を尽くしても、他の人がそれ以上の力を持っていれば敵うことは出来ません。練習や努力が必ず報われるというような甘い世界ではありません。努力に勝る天才無しと言いますが、もともとの能力の高い人に最大限の努力をされては、普通の人はいくら努力しても勝ち目はありません。夢は叶う、などという建前の言葉は、ほんの一握りの人にしか通じないのが、人と競わなければならない競技スポーツの世界なのでしょう。その厳しい世界で建前ばかり言っていると、どこまで努力すれば良いのか、という蟻地獄に嵌ります。数少ない成功の周りには、報われなかった努力が累々としているのでしょう。努力は必ずしも報われない、けれど、努力をしなければ何も始まらない、というところではないでしょうか。閑話休題。

 バイクも残り2往復。少しMさんの元気がなくなって来たように見えますが、まだまだ中段をキープしています。河童は更に遅れていますが、カットされる心配はないでしょう。Nさんは最後尾近くですが、懸命に粘っています。もう1往復が終了する迄にトップに追いつかれなければ完走が見えてきます。沿道からOB,OGも必死で声援を送ります。先頭と後尾にはヘッドライトを点灯させたオートバイが並走しているため、最後尾と先頭の差は一目瞭然です。

 折り返しに戻って来た時、後尾のオートバイの前にいなければその往復の間に失格になったということが見ているほうに分かります。失格になるとバイクを降りてスタート地点まで押して歩いて帰らなければなりません。河童は1年目、折り返し地点で失格したため、延々5キロ、歩道を歩いて帰りました。その間、ルールを知らされてない沿道の多くの人から、何故走らないのか、と声を掛けられ続けたそうです。辛い時間だったことでしょう。1年目のそんな経験も、その後のインカレへの思いをより強くさせたのでしょう。

 スタートして1時間20分、既に先頭集団は最後の往復に向かいました。続々と折り返す人たちが続いて行きます。トップが折り返して約10分後Mさんが、その1分半後に河童が最後の1往復に向かいます。このコースは折り返し地点から300m程先に川に架かる橋があり、その橋の上から走行してくるバイクが見通せます。が、Nさんの姿はなかなか現れません。

 ついに、その橋の上から、3台のバイクと最後尾のオートバイが見えてきました。その3台の中にいなければ…。しかも、その直ぐ後ろに先頭のオートバイも見えてきました。最後の300m追いつかれ失格になっては見ているほうも辛すぎる。傍らのOB,OGと共に祈る中、3台の中にNを見つけました。精一杯の声援の中で最後の往復に送り出しました。先頭集団がバイクフィニッシュに向かう為、折り返し点を通過したのは、それから僅か10秒余りのことでした。実のところ、スイム終了時では厳しいかな、と思っていました。最後まで諦めず、良く粘りとおしたと感心しています。

 最後の往復から戻って来る前に、ランコースへと移動を開始。その途中で、バイクフィニッシュに向かう河童が通り過ぎて行きます。愚直にも、2人組の前をずっと牽き続けて走っています。それも彼女のいい所だと、思っておきましょう。ただ、気づいたら後には4人しかいませんでしたが。女子は55人中9人がバイクで失格になりました。

 ランに移る頃は午後1時近くになり、暑さはより一層厳しくなってきました。それでもトップの方はキロ4分そこそこで走っています。河童はいつもほどの元気は残ってないようです。それでも42位のバイクフィニッシュから少しずつ盛り返しているようです。それと共に、ゴールも近づいてきています。3年半。長かったのか、短かったのか。必ずしも思い描いていたとおりの学生生活ではなかっただろう思います。楽しかったことより、苦労した事の方が多かったのは間違いないはずです。その経験を、これからどのように活かしていくのか。自身過去最高順位の29位でゴールに向かう河童は、その先の道程を見ているはずです。

 国士舘のMさんは2年連続、Nさんは初めての完走を果たしました。二人ともまだ3年生。2年前にお会いした時より、間違いなく、学生としても、トライアスリートとしても、しっかり成長を続けておられるようです。これからも楽しみです。


 男子の部は、河童がゴールする直前の14時にスタートしました。スイムトップは神大3年のI君。3,4秒の間に立て続けに4,5人がトランジッションエリアへと駆け抜けていきます。神大の他の二人もスイムを終えました。私はバイクコースへは向かわず、トランジッションエリア近くで、バイク先頭集団の情報をアナウンスで聞きながら、スイムの後続を見ていました。国士舘で3人ほど出遅れたのが気になります。スタート後36分、アナウンスで神大I君を含めた先頭集団が1往復目を終わろうとしている、との情報が入ったころ、スイムの最終者が海から上がって来ました。この人は、2.5キロ先のバイク折り返しコースに入るところで失格になってしまうはずです。結局、男子では163人中、34人がバイクでカットされてしまいました。

 会場には往復を重ねる先頭の情報が次々、入ってきます。さすがに女子と比べて、格段の速さのようです。バイクの先頭が戻ってきたのは1時間20分後、10秒ほどの間に何人もの人が連なって戻って来ます。I君も依然、先頭グループの中にいます。国士舘エースはデュアスロン世界選手権の疲れでしょうか、何時もほどには見えません。尤も、彼の目標はもっと高い所にあるはずです。桜美林のK君。彼は今年のチェジュで20-24のカテゴリーでハワイをゲットしました。鉄人クラブの何人かとも面識のある、ロング指向型青年です。横国のK君もランに移りました。彼は卒業後に、世界の子ども達の笑顔に会うためユーラシア大陸を自転車で横断する、という壮大な計画を持っています。

 最終結果、I君は2位でした。神大の他の二人も無事ゴール。大学対抗のチーム戦では6位でした。3人とも3年生、まだまだ来年が楽しみです。他大学で、残念ながら完走できなかった人もいますが、次の目標に向かって、再度スタートしてくれるでしょう。

 河童と共に3年半、学生の大会を見てきました。運営に携わっている学連委員の学生の努力。チームを支えたマネージャーの情熱。遠路、応援に駆けつけたOB,OGの熱意。一般の大会とは、また違った、活気のある大会でした。

 ここに紹介できなかった学生も、何人もいますが、一人ひとりが目標をもって、地道に活動をしている姿には、私の方が元気付けられることも少なくありませんでした。彼ら(彼女達)が、これからもステップアップを続け、それぞれの道で活躍の場を広げて行くことを願っています。

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