2010-7-112010 済州島トライアスロン完走記kanreki

 レースから5日後、掃除の仕事をしながら翌日からの三連休の過ごしかたで困っていました。「練習」の二文字が削除されてしまうと「する」ことがなくなってしまうのです。この一年間、アイアンマンを中心に生活を組み立ててきました。こんな生活は「無意味」と思った日々もあります。

 アイアンマンでの年代別カテゴリーはM70−74になります。日本に、このカテゴリーの現役選手は何人いるのだろうとしばしば考えます。今年のジャパンにエントリーしていたのは5名、チェジュに出場したのは3名、昨年のジャパンではM70−74の完走者は0(ゼロ)でした。名前が思いうかぶ数名の有名選手もいるのですが、現役を続けているかどうかを知りません。恐らく10名、いや20名?
 こんな生活を続けるのは大変なことなのです。肉体的にも精神的にも経済的にも、若い選手たちには家族的にも障害があるのです。

 とにかく海外のレースに出場するのはバイクを携行しなければならないので面倒です。昨今のように航空機に持ち込める荷物の重量と容積が制限されるとそれをすり抜けることが難しいのです。

 吉祥寺からリムジンバス、羽田からソウル乗換えで済州島へ。家を出たのは6時半、済州島に着いたのは20時半。成田−済州島直行便の所要時間は2時間弱です。諸悪の根源?は、韓国のスターのファンミーティングがレース前日に済州島で開催されて日本からおばさまがた?が2千人も直行便とチャーター便を専有してしまったからです。がんばれ、日本男児!

 泊まったのはコンドミニアム4名ひと部屋です。女王様がベッド、奴隷3名は床にピンクのふとんを敷いて寝るのです。台所はあります。電子レンジはありません。

 レース前日の朝食は食堂で鮑入りのおかゆを食べました。朝方、試泳に行きました。うねりがあって沖にあるブイが見えにくいのでレースでは苦労しそうです。レジストレーション、EXPO(売店)をひやかして、日本語の説明会へ。雨が降り始めました。
 前日のゴール付近とゴールのシミュレーションです。レース当日のゴールは22時少し前で真っ暗でした。

 朝3時半に起きると土砂降りの雨でした。雨の中のバイクは憂鬱そのものです。焼いた餅を3ヶと水でもどしたきなこ餅を1パック食べました。他の3人はお餅の他にお湯でもどした赤飯のおにぎり、前日に作っておいた電子レンジで温めた白いご飯に塩こんぶを混ぜたおにぎり、などを大量に食べていました。トライアスリートの必須条件は胃腸が強いことです。

 ウエットスーツを着て7時のスタートを待っていました。雨は降り続いています。波が高い。泳ぎながらコースを表示しているブイが見えるはずはないと覚悟。漂流? 直前になってスイムキャンセルの発表がありました。1時間後に3秒毎に選手ひとりずつスタートすることになりました。

 男子プロ、女子プロ、女子選手、それからは年代別の年齢の高い順番にスタートしました。76歳の遠藤さん、70歳の滝さん、私、佐藤さんの順です。スタートから軽い上りが続きます。ここで抜かれ始めて若くて速い選手たち何百人かに抜かれ続けました。抜くことが出来たのは女子選手数名だけと明らかにメタボの男子選手だけでした。

 スタート後70kmはゆるやかなアップダウンはあるものの高速コースでした。こんな長距離をDHポジションで走り続けることはないので腰が痛くなって参りました。ここから70kmくらいが山岳ステージです。霧があたりを覆い始めました。と思うや否や視界が10mくらいになってしまいました。路肩の白帯と黄色いセンターラインを頼りに走るしかありません。霧の先にどのような道が続いているのか、なにか障害物、道に穴があっても分りません。極端にスピードを落とすしかないのです。しかし、韓国の選手たちが、猛スピードで追い抜いていきます。彼らは道を知っているのです。雨は降り続いています。2kmほどの斜度10%を越える直線の上り坂がハイライトです。バイクシューズを脱いで歩いている選手がかなりいます。標高500メートル近くです。下りでブレーキをかけるとすっと速くなるような気がするくらいです。気が狂いそうになる霧の中の4時間でした。山を下りて街中に入るとうそのように霧が消えました。

 途中、同じカテゴリーの佐藤さんと抜いたり抜かれたりで走りました。彼は道端で用を足す回数が多いのです。ゴールが近くなって追い抜くときに「あと何キロ残っていますか」「24km」。私のサイクルメーターは10数キロ地点からが動かなくなっていました。レース前日、輸送中にセンサーの棒状のところが折れたので、接着剤や粘着テープで修理しようとしたのですが無理でした。EXPOで日本製を買いました。雨の中を走ることが確実なので無線タイプを選びました。ただし、ケイデンスはついていません。それが動作しなくなったとき、バイクを止めてチェックする時間が惜しくて「自分の体感スピードで走ろう」と走り続けました。結果的には、これがバイクタイムの悪かった原因のひとつだったのです。絶えず時速をチェックして遅ければ「怠けている」と自分を叱咤激励しなければいけなかったのです。終始マイペースで走ってしまったのです。人生もマイペースでは駄目なのかもしれません?

 バイクゴールでバイクキャッチャーにバイクを受け取ってもらって、ラン用のトランジションバッグを受け取ってテントの中へ。バイクジャージーとバイクパンツのままで走ることにして、アームカバーを脱ぎ、キャップをバイク用からラン用に替え、濡れた靴下を乾いたものに替えて、ランシューズに履き替えました。補給食と秘密のものが入ったウエストポーチを腰につけました。違和感のある左ふとももと右アキレス腱にキネシオテープを貼ろうとしたのですが濡れた皮膚にはつかないのであきらめました。記録を見るとバイクのタイムはトランジションを含めて8時間9分11秒でした。予定より30分は遅い。ショック。トランジションタイムは9分35秒でした。トイレに坐った時間が余計でした。

 勇躍ランにスタート。小高くなっているところが3ヶ所ある7kmのコースを3往復するのです。フラットなところがないタフなコースです。このコースをねじ伏せるために練習でアップダウンの続く尾根幹を繰り返し走ってきたのです。ピッチを変えないで歩幅の調整で上りと下りを走り分けます。6回も行ったりきたりするので、他の選手とすれ違います。同じ年代のトップの滝さんが1時間近く前を走っています。佐藤さんとは、ほぼ同時にランに入っています。ここから42.2kmの戦いが始まりました。NEKOさんが他の選手と雑談?をしているところを「遊んでいちゃ駄目」と声をかけながら追い抜き、佐藤さんも離れていくようなので一安心。「眼下の敵」は消えました。

 何度も上りで歩きそうになりました。2、3メートル歩いたことも1度か2度あったのですが、走り続けることが出来たのは稀有のことです。1.5から2km毎にあるエイドでは、手持ちのカーボショッツを水で流し込んだり、コーラだけを飲んだり、時にはパスしたりしながら、飲みものを取る時間だけは止まりますが、飲んだり食べたりするのは歩きながらです。

 ハーフが2時間44分。頑張っている割には遅い。薄暗くなってきました。雨はほとんど止んでいました。14kmと28km地点のスペシャルでは預託しておいた赤飯のおにぎりをレッドブルで流し込みました。濡れ煎餅も食べました。次から次へと知っている選手たちとすれ違うたびに手を振ったりしながらのランなので、孤独になる時間が少ないので歩こうにも歩けません。見栄があります。消炎剤を塗り、ロキソニンをのみ、エイドにあったエアサロンパスを吹きかけて気をまぎらせます。

 35km。これからが我慢のしどころ。速い選手たちはゴールしてしまってコース上の選手はまばらになってしまいました。ようやくゴールです。アイアンマンのような華やかな花道もなく質素にゴールしました。5時間30分17秒。合計タイム13時間49分03秒。

 年代別1位の滝さんにはバイクで1時間差をつけられ、ランで30分以上詰めて、結局は22分差で負けました。これまでは1時簡以上の差をつけられていたので、ようやく射程距離内に入ってきました。しかし、1年後にこの差が広がっているか縮まっているかは、来年のレースまで分らないのです。そう、闇雲に練習を続けていってレース後になって、この練習の成果があったかどうかが分るのです。悲しい練習です。レース当日の朝、滝さんに「どうして海外でハワイのスロットを取らなかったのですか」と恨みがましく質問しました。もちろん、勝てる可能性がないからです。回答は「オーストラリアに行ったけれど取れなかった」とのことでした。今年は不運だとあきらめました。しかし、結果を見るとバイクをもう少し頑張れば滝さんをかわすことが出来たのです。う〜ん、口惜しい、とよよと泣き崩れましたとさ。

 このツアーの収支決算です。エントリー代5万円、ツアー代金(4泊5日)旅行保険込みで約10万円、羽田からソウル経由済州島までにバイクの超過手荷物料金8100円、ウォンに換金したのは3万円分、往きは羽田、帰りは成田の交通費、バイクの空港往復ABC代金が往復で約7千円、羽田空港や帰りの成田エキスプレスで飲んだビールとおつまみ代など。3万円分のウォンですが、主に食費だったのですが、他にサイクルメーターを交換のため67000ウォン(5500円)、帰りの済州島から成田までのバイク超過料金が25000ウォン(2000円)、多少のお土産などでしたが充分でした。まだ、借金の返済を完了していません。

 これからトライアスロンにどのように取り組んでいくかを決めなくてはいけません。身体のあちこちの違和感としびれが悪化しないか、経済的事情が好転するのか、などなどを勘案する必要があります。もし、来年のアイアンマンを狙うのであれば、練習内容を改善する必要があります。キーワードはスピードになります。


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