2010-7-11 | 初めての海外遠征、チェジュはラッキー尽くし? ・・・・2010 KOREA トライアスロン チェジュ 完走記 | Mr.ビーン |
■ほんのハズミ…、それだけなんです
「○ー○○サーン」といつものイントネーションで私を呼ぶツカちゃん。「いつも誘ってるときは行かないのに、どうしてチェジュに行く気になったんですか」。もちろん、そう言われるだろうなと思っていた。「まあ、ハズミで…」、と私。ジャパンが中止、クオリファイがチェジュの大会に移行すると決まった時、すぐに行こうと決めた。KOREAトライアスロンのホームページには1日だけ「アイアンマン・アジア」のロゴが踊り、すぐに取り下げられてしまった。私にとってハワイのクオリファイはともかく、ジャパンに行くためにしておいた根回しが無駄になるのも悔しいし、こんなことでもなければ海外には行けないだろうという気持ちもあった。はなはだ消極的ないきさつだが、私にとって20戦目のロングは初の海外遠征ということになったのである。
7月9日8時、羽田空港国際線のロビーに今回のメンバー6名が集合。あろうことかバイクが空港に届いていないというNEKOさんは煮え切らないABCの担当者を相手に、しきりに抗議、交渉を繰り返している。私は両替の窓口へ。米ドルで550ドル、韓国の紙幣で30万ウォンを購入。ウォンはともかくドルは何のため?そもそも何のために私はアイアンマンに参加するのか? 今回のメンバーは武蔵野エリアからKanrekiさん、NEKOさん、Kokiさん、シーちゃん、横浜からMotoさん、そして私Mr.ビーンの6名と、別のツアーでジョージが参加している。私以外のメンバーは確率の差こそあれハワイのスロットが狙える位置にいる人たちばかりだ。私は本当にハワイを狙っているのか?そもそもハワイに行きたいと思っているの?
12:05 依然としてバイクが行方不明のNEKOさんも含め6人を乗せたKE機は金浦空港へ向けて飛び立つ。私にとっては10年ぶり以上になる海外旅行だ。15時、入国審査ののちバイクと巨大なザックをバスに積んで国内線ターミナルへ。優雅なビジネスクラスのラウンジで延々3時間にわたるトランジットの時間を過ごす。
18:10 チェジュへのKE機はホスピのおかげかビジネスクラスでゆったりである。
20:30、チェジュ空港からツアーバスでソギポ市へ向かう。車内でも粘り強くABCと交渉を続けるNEKOさん。バイクは依然としてどこにあるのか分からない?! すでにカーボパーティーは終わっており、ツアーの配慮で名物という黒ブタの焼肉をご馳走になった後、韓国コンドに落ち着いたのは21時をまわっていた。バイクを組み立て終わると、すでに24時近い。
■レース前日、大波の洗礼
7月10日 朝、雨はあがっている。散歩から帰るとMotoさんが試泳に行くというので皆ウエットを着て海岸へ降りていく。私はウエットなし。たんにウエットを濡らしたくないというズボラな理由だけである。どうせ私の体は十分に浮く。事前に見たコース図とは若干異なり、ブイは沖へ長い逆三角形に配置されている。500メートルほど沖に黄色のブイが左右に、さらに200メートルほど沖に赤のブイが左右に並んでおり、レースでは浜から赤いブイ2つを2周回するのである。
海はかなりの波があり、海岸ではどぶーんと大波が砕けている。これはたいへんだ。足をすくわれないように気をつけて海へ入る。大波を2つ、3つ乗り越えたところですぐに息が上がってしまった。100mほど泳いだところで怖くなって立ち泳ぎ。一人で先に海へ入ったことを後悔する。それにウエットを着てこなかったことも…。とにかく手前の黄色いブイまで行かなければ逆効果の試泳になってしまう。恐怖心と戦いながら何度か立ち泳ぎを繰り返してブイへたどり着く。沖へ出ても波は高く、実際以上に陸が遠く見えて心細い。あとは一目散に浜へ、黄色のブイから浜までは15分。これではレースでは2時間は覚悟しなければならないか。
そのあと選手登録のためワールドカップスタジアムへ。2枚の用紙に日本語と英語でそれぞれサインしてゼッケン、トラバッグなどを受け取る。昨日のスイムを思い出し、エキスポでクリアのゴーグルを購入する。
4時からの説明会までの間、トランジッションの支度をする。NEKOさんのバイクは昨夜、在り処が判明したらしい。すでに輸送の手段はなく、ABCの関係者が付き添って、朝一番の成田からの直行便でチェジュに運び、空港からはツアーのTさんが運んでくれるのだそうだ。まずはよかった。
説明会ではスロットの年代配分や、韓国選手へのスロットの付与方法などについて不公平ではないかという声が上がり、少なからざる選手たちから質問ないし詰問が行われた。
コンドに戻ると再び雨が激しくなり、バイクの預託に行くタイミングが難しい。いったんはバイクに乗っていこうと思ったのだが、コンドの裏から歩いてトランジッションエリアに向かう。車検は意外に真面目(?)で、力いっぱいDHバーの締め具合をみる。ヘルメットも力を入れてヒビがないことを確認する。バイクをラックに掛け、ランギヤとバイクギヤを預託する。
■スタートまで、不安の30分
3時頃、ゴーッという音に目が覚める。皆、アルファ米の赤飯やらレトルトのご飯で食事。かなり激しい雨が降っている。風もかなり強く吹いているようだ。昨日の試泳を思い出し、ぞっとする。5時、ポンプを抱えてトランジッションへ。簡単にビニールをかけておいたのだがバイクはずぶぬれである。エアを入れチェーンオイルを塗り直す。海は昨日どころではない大荒れである。すでに沖のブイのあたりから大波が砕けている。日本の大会なら間違いなくスイム中止という判断になるであろう。大会の最終決定は6時の予定である。いったんコンドに戻り。ウエットを着て再び浜へ降りていく。すでに6時を回っているが、行き来する選手たちからは「中止」という声は聞かれない。この波で泳ぐの!!?
トランジッションエリアで全ての支度を終えて浜へ降りていく。まだ半分以上の選手は砂浜の手前の通路にとどまっている。間近で見る大波はすさまじく、これでは沖へ出て行くまでがたいへんである。私の泳力では下手をするとスイムリタイヤしかねない、と思う。選手の間にざわめきが広がり始めた頃、ようやくアナウンスがある。韓国選手たちの間から拍手が起こる。やるの?やらないの?どういう意味の拍手? Kokiさんが誰かから確認したらしく、「スイム中止」と教えてくれる。それでもほっとした気持ちの片隅に、ちょっと残念な気持ちも残る。
トランジッションで待機。スタートは8時、プロ選手、リレー選手の後、ゼッケンの大きいほうから逆に3秒おきにスタートするとのことである。私はエイジグループのスタート開始後、約5分でスタートするはずである。全選手がスタートを終えるには40〜50分かかることになる。
列に並んでバイクスタートへ向かう。すぐ後ろにいるMotoさんが、「ギヤがアウタートップに入ってるよ」と教えてくれる。何年やってても、こういうところが素人くさいのである。ようやく私の番になり、あわててバイクにまたがる。あいかわらず降り続く雨の中をスタート。
リゾートからどう走ったのかわからないが、すぐに幹線道路に出る。片道2〜3車線の道路の右側車線がコーンで規制されており、この道路をしばらくは東へ向かう。前方にはKanrekiさん、NEKOさんとさっき追い抜いていったMotoさんがいるはずである。しばらく行くとKokiさんも追い抜いていく。道路は走りやすく、選手も密集していないのでDHポジションで安心して走れる。スピードは45キロぐらい出ており、これは相当の追い風なのだろう。10キロほど走って、まだタイメックスをスタートしていないことに気がついた。
■「チッチッチ!」のお陰か? ゴリヤクの数々
抜いていく韓国選手がしきりに声を掛けてゆく。「ナントカカントカ、ハセヨー!チッチッチィ!」などと言っている。最初言われたときは、なにか舌打ちされるようなことをしたかな、などと思ったのだが、しばらくして気がついた。これは「いいゼッケンですね、がんばってください」などと言っているのであろう。「チッチッチ」は「777」なのである。ラッキーナンバーのご利益が果たしてあるのかどうか? 練習不足を補って好成績をあげることができるのか? すでにスイムが中止になったことも私にとってはゴリヤクなのかもしれない。
DHポジションで気持ちよくスピードに乗っていると突然、パシッ! やった、リアだ。まだスタートから18キロしか走っていない。今回はノーマルのホイールを着けているが、装着しているコルサは高いほう(?)のやつで、半年ほど使ってはいるが、たいした磨耗もキズもなかったので、よもやと思っていたのだが、パンクばかりは仕方がない。路側帯に寄せてタイヤ交換、後ろを大勢の選手が走り抜けていく。スペアタイヤは2本持っており、新品の練習用のビットリアを選んで着ける。ボンベも問題なく一発でエアが入る。パンクしたタイヤをたたみ、ボンベを間に挟んで、元のボトルケージに押し込む。タイムロスは6分ほどである。まあパンク程度で済めば問題ない。 これもラッキーナンバーのゴリヤクであろうか。
再びスピードを上げていくと、どうもエア圧が高すぎるような気がする。練習用のタイヤに高圧を入れるのは危険である。思い切って再び停止し、若干エアを抜く。コースにはあまり急カーブはないが、いたるところ路面に水が浮いており、コースどりに気を使いながら走る。やはり雨のせいかバイクトラブルもしばしば見かける。韓国の選手は仲間意識が強いのか、パンクしているバイクの周りでは仲間の選手が必ず手伝っている。パンク修理中に抜かれたKanrekiさんにようやく追いついた。
40km付近、幹線道路から右折するところでは落車したらしい選手肩をすりむいている。50kmくらいで街に入り、町を抜けると海岸線へ出る。やがて200番台から500番台までが入り混じった100人以上の大集団が追い抜いていく。このあたりでシーちゃんにも抜かれた。
60キロを過ぎるとコースは西へ向かい、海岸から丘陵地帯へ入っていく。風は一転して向かい風に変わる。長い緩やかな上り坂が延々と続く。やがてスペシャルのエイドがある。赤牛ドリンクを一気飲みし、カロリーメイトを2本食べ、その他の補給食はポケットにしまう。韓国の選手たちは仲間同士、あぐらをかいて座り込んでいる。どうもレース中とは思えない光景である。トイレを済ませてスタート。今回バイクのボトル2本にはやや濃い目のOS-1を入れてある。ベントーバコにはパワージェル、パワーバー、カーボショッツ。エイドでは水とバナナを交互にもらう。
■雨と風と霧、恐怖の下り
100km手前でようやくNEKOさんに追いついた。「この坂どこまで続くんですか?」と聞かれ、「450m上るまで」と答える。コース図では確か130kmくらいまでは上り坂のはずだった。以前、隊長からも佐渡の小木の坂みたいな坂があると聞いていた。蛇行して登ったり、初心者はバイクを押して登るのだという。やがてそれらしき坂が見えてきた。小木の坂と違って車線が広いから下から見上げるとスキー場のゲレンデのようだ。たしかに、バイクを押して上っている選手が1人や2人ではない、大勢いる。大きくS字を書くように蛇行している選手もいる。
登りきってしばらく行くとリアホイールからゴツゴツと規則正しい衝撃が伝わってくる。先ほどの急坂でトルクを掛けたため、交換したタイヤがホイールとずれ、口金が曲がってきたのである。このまま走り続ければ間違いなく口金のところからバーストするだろう。再び停止、エアーを抜くと雨のために完全に接着できていないタイヤはするりと簡単に外れる。位置を直して今度はインフレータでエアを注入、圧は低めの7キロくらいか。いずれにしてもこれからはタイヤに急激なトルクは掛けられない。ダンシングも要注意だ。作業の途中、NEKOさんが「大丈夫ですかー」と声を掛けてくれる。
依然として続く長い上り坂、雨もあいかわらず降り続いている。日本の坂とイメージが違うのはカーブがなく延々と直線的に続いていること。上り坂では雨と霧で先が見えなくてかえっていいけど、見えていたらきっと嫌だよね、というのはレース後の皆の感想。再びNEKOさんに追いつく。「ああ良かった」と喜んでくれる。
132kmほどで、峠らしくもなく上りは終了、あとはひたすら下っていく。霧は次第に濃くなって視界は50mほど、恐ろしくてスピードは出せない。ブレーキも効きにくいが、ホイールロックが怖いので強いブレーキもかけられない。とくに交差点ではところどころ舗装の継ぎ目や小さな溝があり、うっかりホイールロックでもすれば落車しかねない。風も強く、ときおり右手の方向、すなわち山の斜面から吹きおろしてくる風がフロントホイールを強く揺さぶる。
サングラスは先ほどから外しており、ひたすら前方注視。真っ白い視界の中からピピーッと笛の音が聞こえ、その次にパトカーのヘッドライトが見え、ボランティアや警官の人影が見えてくる。
緊張を強いられる長い下り坂が延々と続くが、やがて平地が近づいてくる。畑や人家の境界は整然と火山岩の石垣で囲われており、日本のどこかの田舎にもありそうな風景である。 コースの終盤は再び東へ向かうはずで、追い風になるはずだが、160kmを過ぎても風はいつまでたっても向かい風である。それでも小さな町を抜けるとコースはいきなり高速道路のような道へ入る。残り10kmほどを気持ちよく走ると再び市街地へ入る。やがてランのコースと合流し、Motoさんの背中が見える。ランの10km付近だろうか。ようやくワールドカップスタジアムへバイクゴール。小学生くらいの少年がバイクを受け取ってくれ、ボランティアのおじさんがバッグを手渡してくれる。テントの中も足元は水溜りばかりである。あいている椅子を見つけて座り、ウエアを着替え、シューズを履く。バイクゴールのときにタイメックスを止めてしまったので、トランジッションタイムも分からない。どうも朝からスイムが中止になったりしたので、いつもと調子が狂っているみたいだ。
■チェジュはきつい、って誰か言った?
「もっと胸を張って!」とお尻をつねる真似をしながらMotoさんが追い抜いていく。その瞬間、私がひどく情けない恰好で走っていることに気付いた。ランの15キロ地点、頭をがっくりと落として前かがみになってほとんど歩いているくらいのペースになってしまっていた。
ランコースは約7キロほどの一本道を3往復、つまり両端の6個所の折り返しを通過することになる。全体が緩く長いアップダウンが続いているが、概ね西への7キロは上りで、東への7キロは下りが多いというイメージである。
Motoさんに一喝されて正気に戻った。これではいかん、そもそも私の主義にも反する。苦しいときも笑顔で、参加できることに感謝しつつ走ることがポリシーである。背中を伸ばしてみると、心もち足も動くようになってきたような気がする。
昨日選手登録の会場で会った最年長アスリートの遠藤さんによると、この大会で記録を狙うのは無理、他のアイアンマンレースより1時間プラスが普通、とのことであった。たしかにランコースに平坦な区間はない。路面に記された距離表示を頼りに、最初のうちだけはラップをとっていたのだが、集中力を失いすぐに分からなくなってしまった。最初のうちはキロ7分オーバーのペース、それが中盤は8分になってしまったであろう。これではいけないと思い始めたのは2周回目の後半くらいからだ。ただ完走だけではいけない。なんとか5時間は切らなければ。
3周回目、これからはキロ6分ペースをキープしなければならない。KanrekiさんもNEKOさんも数キロの差で続いている。これ以上下がってはいけない。
ランの前半でツブれかけたこととも関係するのだが、この大会での失敗のひとつが、ランのスペシャルの場所が分からず、補給ができなかったことである。ランのスペシャルのエイドはスタートから50mほどのところにあったと後から聞いた。KanrekiさんもNEKOさんも「あんなに分かりやすい場所なのに」とあきれていたが、それほど余裕を失っていたのだろう。
そのためエイドでは水、スポーツドリンク、その他を積極的に補給する。食べるものはバナナくらい、あとはアメ。一ヵ所のエイドにヨーカンがあり、これをできるだけとるようにする。
エイドでもボランティアのオバサンたちが「チッチッチィ」などと言って喜んでくれるので、こちらも「ありがとう」「カムサハムニダ」と、一つ覚えの韓国語を繰り返す。
3周回目、夕暮れの遅いチェジュでもすでに日は落ち、腕に蛍光のリングをつけた選手が多くなる。とにかく5時間をきること、それだけを目標に走り続ける。最後の折り返し、0番のゼッケンをつけたトルハルバンを回ると残りは6キロほど。このあと6分ペースで行かないと5時間は切れない。もうその他の目標などは頭になく、ひたすらサブファイブだけを気持ちの支えにして走る。最後の坂を上ると道路の右側の建物の間に、一瞬だけワールドカップスタジアムのとがった支柱の先端が見えるとあと1キロだ。ショッピングモールの前を通り過ぎ、スタジアムの入り口を入るとゴールのゲートまで100メートル。ゼッケンと名前がアナウンスされているらしいがよく聞こえない。ゴール、タイムはすでによく分からないが、ランは5時間を切れた。
■次回へ続く、なんちゃってアスリートの挑戦
明け方、目が覚める。今日はツアーの最終日である。また雨が降っているらしい。昨日はハワイのスロットの発表でもトラブルがあった。いくつかのエイジで明らかなミスがあったためだ。それらについては選手たちの抗議により修正されたが、その他のエイジやリザルトそのものにも怪しげな部分が少なからずあるようだ。
私は(リザルトを信じるならば)55−59の24位で、トップとのタイム差では3時間もあるのだから論外である。そのぶん気楽といえば気楽だ。ストイックにハワイを目指している人たちとは、同じレースに同じように参加していながら、実は世界が違うのだ。そんな気がして、自分だけひどく場違いな思いがする。まあ、自分は「なんちゃって」アスリートの部類だな、そんなことを半分眠りつつ考えていた。
それにしても、あの波はヤバかったなー、もしスイムが実施されていれば完走できたかどうか。今回は仕事が多忙なのにかまけて練習が普段の半分もできていなかった。ナンチャッテ、で完走できたからいいようなものの、完走できなければ間違いなく悔いは残ったはすだ。すべては次の佐渡で、少しは納得できるレースをしよう。
No.777 543位 Bike 7:40:26 TR 0:07:53 Run 4:54:29 Total 12:42:48