2009-03-08第24回大山登山マラソンmoto
種目:一般男子50歳代 9.1Km
記録:49′26″ 7位

スタート     0′00″   0′00″
1 Km      3′47″   3′47″
2 Km      4′06″   7′54″
3 Km      4′21″  12′15″
4 Km      4′23″  16′39″
5 Km      4′37″  21′16″
6 Km      4′31″  25′47″
7 Km      5′21″  31′08″
8 Km      6′27″  37′36″
9 Km     11′54″  49′26″

 朝起きると昨日までより調子は良い。また雨も降っていないので、とりあえずは走るために出かけて行く事にする。今年は今までより受付時間などが早くなっているので、少し早めに出かける。いつものとおり平塚駅からバス。危うく違うバスに乗ってしまうところだったが、無事8時前には会場の小学校に到着した。準備は例年通り、スムーズに進む。しばらくは小学校でのんびりする。最近のトレイルランブームのためか、それらしき格好のランナーも多く見受けられた。私達50歳代のスタートは10時、小学校の集合は9時40分。それに合わせてアップなどを始める。雨の予報もあったが、レース中は雨に降られる事は無さそうだった。スタート地点の気温は11℃、ゴール地点は6℃、天候は曇り、湿度75%、絶好のコンディションだった。

 1週間前の月例マラソンは雨の中のレースだった。そのためか分からないが、翌月曜日には風邪をひいてしまった様で、喉が痛かった。そのため、この1週間は一切練習ができなかった。前日の土曜日にはだいぶ回復してきたので、軽く走ってみて調子を確かめてみた。なんとか走れそうだったので、出場を決めた。しかし練習不足は何ともしがたく、決して先頭争いはしないと決め、スタートはゆっくり出て行くと肝に命じた。

 入賞を狙うつもりはないので、今年は気が楽だった。ゆっくりと準備をして、集合もあまり焦って行かなかった。しかし、9時40分頃に行くと、もう殆ど並び終っていた。そこを前の方へ横から割り込む。人混みの中に入って、寒さをしのいだ。スタート10分ほど前にスタート地点の伊勢原駅前に移動する。その時更に前の方に少しずつ移動する。スタートラインに並んだ時は、最前列に並んでいた。しかしこれは先頭を狙うためではなく、スタート時の混雑を避けるためである。最前列から遅くない程度のペースで出て行くつもり。

 今年も50歳代と一緒に走るゲストランナーは鈴木博美。現在は伊東博美という。あの100m日本記録保持者の伊東浩司が亭主との事だった。知らなかった。スタート前にゲストの掛け声で、気合いを入れた。

 10時ちょうど、予定通りにスタート。スタートは無理をしない。あくまでも全力ではない。8分くらいのペース、辛くはないのでまわりがよく見える。隣に並んでいた60代のおじさんが邪魔だった。遅いのだから無理せずゆっくり行けばいいのにと思う。すぐに落ちて行った。

 246号の1キロ地点まではペースを抑える。タイムは3分47秒、いつもより10秒程度は遅い。まだきちんと昨日の約束を守っている。1キロを過ぎ、ほぼ形勢は落ち着いたのか、まわりのランナーの入れ替わりもひと段落する。1キロ毎の距離表示もよく見える。東名ガード手前の2キロ地点、4分06秒、いつもよりだいぶ遅い。やはりペースは上がらない。自分でセーブしているのか、あるいは精一杯なのか分からない。とりあえずはこのままのペースを維持して走る。極端に前から離されなければ良い。前の集団との差はあまり変わっていなかった。

 4キロを過ぎたあたりで、先行していた60代のK氏、坂もきつくなってきて第2集団から落ちてきた。60歳を過ぎても50歳代の第2集団の中で走っていた。しかし徐々にスピードも落ち、私のそばまで下がってきた。たぶん60代ではトップ。そこへ後ろから、胸に付けたゼッケンを確認しながら私のそばに来た水色Tシャツのランナーがひとり。そのゼッケンを見ると60代だった。同年代のランナーを確認しながら走っていた様だ。

 下がってきたK氏に一言ハッパを掛ける。するとしっかり私に付いて来た。もうひとり水色Tシャツのランナーも私に付いて来た。60代のランナー2人のトップ争いと私、争いとは関係ないので2人の争いを楽しんでいる。2人とも必死の様だった。その争いは6キロあたりまで続いたが、勾配がきつくなるにつれ、2人は私から離れていった。私の後ろにはK氏が来ていた様だった。

 そろそろ7キロ地点というあたりが一番の急勾配、ランナーのスピードもだいぶ落ちてくる。先行していたランナーもばらけて目の前まで来ていた。7キロを過ぎ、バスターミナルを過ぎると、山に入って行く。その手前で14位という沿道の声が聞こえた。もう14位まで上がってきたか、という感じだった。これなら1ケタ順位に入れそうだと確信する。すぐ前には3人ほど見えていた。土産物店の間の石段を駆け上がり、500mほど先のケーブルカー駅を目指す。この石段でだいぶふるいに掛けられ、階段の苦手なランナーが落ちて行く。

 ケーブルカーの乗り場を過ぎると山道に入る。まだ最初はトレイルランと言った感じが、次第に階段が増えてくる。順位は10位まで上がっていた。また目の前には3人のランナーがいる。これを抜くのも時間の問題だろうと思い、焦らずに走る。スピードの落ちたランナーとはペースが違っていた。山道の石段に入ったところで2人を抜き去り、8位まで上がる。

 もう何年前になるか、10位まで表彰のあった頃、その大会の日は14日だった。そして私が14位でゴールしたとき、特別賞が出た。今日は8日、8位なら賞品が出るかな?などと思った。このまま8位でいいか、それとも1つでも順位を上げるか、そんな事を考えながら前のランナーを追った。いつの間にか、すぐ前にランナーがいた。遅いランナーの後ろを走るわけにもいかず、さっとかわして7位に上がる。もう1人抜けば6位、入賞、そんな考えが浮かんできた。更に上を見上げると、だいぶ先の方に3人並んで坂を登っている。しかし、そこまで追い付くのは簡単そうではなかった。

 残り600段あまりの表示。もうすぐゴール、この先もうひとりとらえるのは難しそうだった。ゴール近くなると、応援の人も見えてくる。頑張れと言われて、頑張ってはいるのだが、とても走って登れる状態ではない。1段ずつ早足くらいの勢いで登る。上を見上げると石段が切れているところが見える。あれが最後の石段、その先にゴール。もう一息、最後の踏ん張りで登り切る。なんとかゴールまでたどり着いた。

 もう既に入賞の札は売り切れだった。目の前にいる係りの人が、「特別賞」と言って手渡してくれた。今日は7位でも賞品が出た。ゴールの先でRCチップを外す。そこに先着のランナーが集まっていた。数えると6人、やはり私は7位だった。今回はやはり楽だったのか、ゴールしてもあまり息は上がっていない。昨年はゴールの後、しばらく座ることもできなかった。時計を見ると49分台、昨年より2分も楽をしたのだから、これくらいだろうと納得。入賞できないのも仕方がない。もしもの話をしても仕方がないが、昨年通りの走りができていれば上位入賞も可能だった。

 今年の記録は3位までが飛び抜けていた。参加者のデータを見ると、1、2位は今年50歳になったランナー。昨年40歳代でも上位に入賞していた。それだけのスピードランナーだった。今の私のタイムではとても追いつかない。3位は昨年の2位、やはり私より速いランナーだった。今年は良くても4位どまりということか。しかし、走る前に予想していた結果をかなり上回ったので、自分としては納得できるものだった。

 下社で着替えのバッグを貰い、さっさと着替えてケーブルカーで帰って来た。ゴールの先で出されていたおしるこ、とうふ汁が美味しかった。雨にも降られず、いいレースだった。


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