2009-06-282009 Ironman France-Nice 出場記録 (2)moto

 >準備 >レース当日 >アフターレース
2009年6月28日 日曜日
天候:晴れ

種目:Swim 3.8Km,Bike 180Km,Run 42.2Km
記録:12°34′37″ (総合1367位/年代44位)
    スイム 1°19′05″        (1581位)
    T1     7′35″  1°26′40″
    バイク 6°57′21″  8°24′01″ (1822位)
    T2     6′23″  8°30′24″
    ラン  4°04′13″ 12°34′37″  (733位)

■6月28日(日)レースデイ
 夜中に何度か目が覚めたが、ぐっすりと眠ることができた。体調は良い。予定通り目覚まし時計で3時半に起きる。昨日作っておいた梅しそふりかけのおにぎりと赤飯のおにぎり、それと今年も水で戻す餅を持って来たが、あまりおいしくなかった。やはりおにぎりがいちばんだ。朝の予定は、スペシャルニーズバッグの預託とバイクのセッティング。朝の準備も早く終わったので、4時半頃にはホテルを出て行く。バイクラックまでは少し歩くので、早めに行って待つことにする。公式には5時にバイクラックエリアがオープンの予定。10分前には着いて、暫く待てばいいと思ったが、ゲートが開いたのは10分ほど遅れた。セキュリティが厳しいのか、時間にルーズなのか、ルーズとは思えない状況だった。スペシャルバッグを預けてさっさとバイクの準備をする。いつも慣れた事なので特に考える事などは無い。タイヤに空気を入れて、ボトルと食料をバイクに付ければ終了。ひとまずこれでバイクの準備は終わり。一度ホテルに戻って、スイムの準備をしてまた戻って来る。

 バイクラックが開くのが10分ほど遅れたので、ホテルでの時間があまり無かった。最後のトイレに行って、ウェットを着る。そこまでできれば終了。頃合いを見計らってスイム会場へ向かう。既にたくさんの選手がスイムゲートの前で待っている。スイムゲートは6時にオープン。これもきっちりとしている。指定時刻前に開くことはない。

 入場チェックが行われて、浜に入っていく。スタート地点はスイムゴール時間毎にゲートが作られている。最初は右回りのコースなので、右側に速い人、左側が遅い人のゲート。体の大きな外人が沢山いるので、外から2番目、表示には1時間18分と書かれていた。しかし、結果から言うとこれが間違いだった。もっと右側の速い連中の後ろから行く方が混雑も少なく、泳ぎやすいだろうと思った。

 6時15分までウォームアップタイム。水に入ると水温が低い。最初はゆっくり、少しずつペースを上げてアップをする。海に入ってしまえば水温は気にならない。十分にアップを済ませて一度岸に上がる。岸は砂浜ではなく、大きな石がゴロゴロしている。楽に歩けるような場所ではなく、バランスを取るにも苦労する。岸では用意しておいたボトルの水を飲みながらスタートを待つ。スタートの位置取りは前から数人目。これくらいで余裕をもって行けるだろうと思っていた。MCがフランス語で何か喋っているが、何を言っているか分からない。プロの選手の紹介だろうか、拍手なども上がっている。時計を見ながらスタート時間を待つ。ドイツでは、スイムのとき時計はしなかった。今回もするつもりは無かったのだが、バイクセッティングの時にバイクのところに置いて来るのを忘れた。仕方なく、はめて出る事にした。

 6時半、スタートの合図が鳴った、様な気がした。この時間帯の事はよく覚えていない。やはり緊張していたのだろう。皆が出て行くのでそれにならって私も海に入っていく。空いている隙間を狙って行くがまわりもスムーズに出て行かない。平泳ぎをするやつもいるので、蹴られない様に注意する。仕方なく左の方へよけて行く。いつもの様に左から先のブイを目指して行くようにする。右側に大勢のスイマーが見えている。暫くは左側を泳ぎ、少しずつ右側に入って行く事にした。しかしなかなか思う通りにはいかなかった。結局最初の直線、およそ1,000mは、ブイから遠く離れたところを泳いでいた様だった。

 最初の直線にはブイが2つあり、2つ目のブイを右に回り400mほど岸と平行に泳いで、再び右に曲がり1,000m泳いで戻ってくる。これで1周目は2,400m。しかし最初のブイをどこで曲がったか分からず、回りのスイマーに合わせ、左にずれて行かないようにするのが精一杯。自分の泳いでいるところが分からず、かなり大回りして泳いでいる様だという事だけが分かった。2回目のブイもどこで曲がったか分からない。かなり外側を泳いでいる事だけは確かだった。

 2回目にブイを回ってからいくら泳いでも岸が見えず、もう1時間以上泳いでいる様な気がしてきた。もうこの1周で終わりにしてくれよと、泣きたくなってきた。こんな思いは初めてだった。しかし周りにスイマーはたくさんいるし、ようやく岸のテントも遠くに見えてきたので少しは安心、岸に着く事だけを目標にした。落ち着いたところで冷静になって見ると、水は透明で波は無くとても泳ぎやすい。地中海は泳ぎやすい海だった。右オープンの私には太陽が眩しかった。太陽の位置を頼りに岸のテントを目指した。岸が大きく見えてひと安心。選手を海から助け上げてくれるボランティアもたくさんいる。遠慮せずにその力を借りて岸に上げてもらう。ようやく1周目が終わる。時計を見ると52分台、まだ1時間は経っていなかった。気合を入れ直して2周目に向かう。

 今度は左回り、これならコースから遠ざかって行く心配も無い。なるべく内側を泳いで行くつもりで出発した。しかし、海に入って泳ぎ出したところで用が足したくなった。コースの真ん中で止まっている訳にもいかず、右側に張られていたコースロープにつかまりながら用を足していた。その時、1周目を終えてまだ岸に上がっていないスイマーが1人、ロープを越えてショートカットして2周目に入って行った。よっぽどズルをするなと言いたかったが、フランス語は喋れなかった。そのまま見送った。

 用も終わったところで、再び泳ぎだす。気合いを入れ直したところで、コースの内側へ向かい、最短距離を泳ぐ。2周目は気持ち良く泳げた。フォームに気を付けながら、軽快に泳いだ。やっとここへ来て6月に一生懸命練習した成果が出てきた様な気がした。自分でもこれだけ泳げるじゃない、そんな気分だった。ブイの一番内側を泳ぎ、最短を目指す。ターンもスムーズに回った。2回目のターンも気持ち良く回る。これが最後のターン、あとは岸に向かうだけ。波もなく、右側−東には太陽もだいぶ上がってきた。なるべく水面を見ながら、たまに岸を見て方向を確認しながらゴールを目指した。流れもあったのだろうが、気持ち良く岸まで着く事ができた。再びボランティアの力を借りながら「石浜」に上がった。

 時計を見る。2周目は25分台で帰って来た。気を良くしてトランジッションへ向かう。ウェットはツーピース、ジッパー無しなので簡単には脱げない。着たままの状態でトランジッションを目指した。ボランティアからバッグを貰い、その先の着替えテントへ向かう。大きなテントで中はガラガラ、余裕で着替えられる。入り口から遠い、空いている方まで走って行って場所を確保する。バッグの中身を全て椅子の上に広げて順番に着替えていく。まずはウェットを脱ぐ。バイクパンツははいているので、上にバイクジャージを着る。サングラスにヘルメット、ゼッケンベルトを付ける。脱いだウェットをバッグに詰めてボランティアに渡す。シューズはまだ履かない。手に持ってバイクラックまで走る。私の周りのバイクを見渡すと、まだ半分くらいはある感じ。結構速いじゃないかと気を良くする。しかし、よく考えると、私の周りは皆年配者だった。

 バイクまで行って、補給食用のウェストバッグを付け、更にスタート前にジェルをひとつ口にする。バイクスタート地点まではまだまだ距離がある。シューズはまだ履かず手に持ち、バイクを押して走る。出口に近づくにつれバイクの数は減っていった。その先の出口はまだまだ渋滞。出口が狭く、行列をなしている。スタートラインを越えてもスムーズに走り出せなかった。しかしそれでも周りに調子を合わせて、コートダジュールの海岸を気持ち良く西に向かって走り出した。この先どんなコースが待っているのか、楽しみだった。

 一番難関のバイク、自分に言い聞かせた事は、最初は無理をしない。ギアも1枚軽いところを選択した。無理をしなくても最初は気持ちのいいペースで走ってくれる。最初は脚に負担を掛けず、ウォームアップのつもりで走り出す。DHポジションも確認する。リラックスしたフォームを意識する。5月中盤あたりからDHポジションで気持ち良く乗れる様になった。練習の成果もあるだろうが、TVでプロの走りを見て、速くて楽なフォームを真似する様にした。今日もいい感じだった。

 空港を過ぎて川沿いを北上する。金曜日はこの道路に出るのに苦労したが、今日はバイクが優先、間違いなく行く事ができる。一度通っている道なので、気持ちに余裕もある。早めに補給食も摂っておく。まだ周りのバイクも多い。前後の差もあまり無く、ドラフティング気味になる。道路も狭いので仕方がない。狭い生活道路を10キロほど北上して最初の難関を目指す。下見の時間違えて入って行った路地は通過した。やはり金曜日はコースを間違えていた。

 3キロほど行ったところで左折の合図が出ていた。山道に入って行くかと思ったが、まだ周りは住宅地だった。暫く緩やかな上り坂、今まで平坦を走っていたバイクのスピードが落ち、だんご状態になる。進むにつれ更に勾配がきつくなり、選手が密集してくる。こんなところで立ち止まったらひとりでは走り出すことなどできない。周りと接触しない様に、前後左右に気を付けながら、必死で立ち漕ぎをする。坂のてっぺんが見えてきたところでひと安心、力を弱める。なんとか止まらずにクリアできた。なるほど要注意と書いてあるだけの坂の事はあった。これが10%の坂だった。少しは楽になったが、この先まだまだ緩やかな上り坂は続いていた。途中から、下見の時に私が間違って入ってしまった道路と合流した。明らかに下見のコースは間違っていた。しかし、続く坂の感触だけは残っていた。この先まだまだ民家の間を抜けながら、数キロの間、坂は続いていた。

 上り坂が終わってひと段落すると、鎌倉山のような軽井沢のような、山間に作られた家を縫うように道が走る。もう既にだいぶ坂を上ってきているので、下の方にはニースの街も見える。バイクのトップチューブには、コースの断面図と、主要な上り坂の始まりと終わりの地点、長さを書いた紙を貼り付けていた。これは大いに役立った。坂に番号を付け、断面図にも番号を記入した。メーターと坂の場所と断面図、この3つで気分的にはだいぶ楽だった。

 3番目の坂は50キロ手前から始まり70キロ過ぎまで続く21キロの上り。最高地点は1,200mほど。およそ大観山と同じ坂と思っていい。1時間以上は上らなくてはならない。とりあえずは今コースのメインの山岳、素人にすれば一級山岳といったところか。坂の取り付きには山頂まで21キロの表示も出ていた。大観山を上るつもりで上り始めた。始まりはまだまだ住宅の立ち並ぶ中。ここから20キロ続く坂とは思えない。小さな街もいくつか通り過ぎる。多いとは言えないけれど、応援してくれる人達がいる。掛け声はアレ、アレ、ホップ、ホップ、ツール・ド・フランスと一緒だ。

 続いている坂を懸命に上る。エイドはおよそ20キロ毎。偶数キロ毎にエイドがある。60キロ地点のエイドは坂を10キロ上ってきた山の中。よくこんな山の中にエイドを作ったな、という場所。回りには木も無くはげ山の様なところ。坂の途中だが立ち止まってひと休み。水を補給する。道行く車は止められ、仕方なく人は車を降りて応援に回っている。ときおり下ってくるサイクリストもいる。ここはみんなの練習場所だった。とてもいいバイクコースを作ってくれたものである。坂の半分が終わったところ、もう10キロほど上ればこのバイクコースの半分が終わった様なものである。まわりの景色は岩と少しの緑だけで、木もなく強い日差しが肌を差してくる。水分補給と食料の補給は忘れない。

 これだけの坂を上っているので、周りにはまだまだたくさんの選手がいる。ひとり置いて行かれてしまうという事もなく、寂しくはない。みんな一緒に上っているという連帯感もわいてくる。もうそろそろてっぺんも近い頃、応援の人がいる。何を言っているのか分からないが、もう少しとか、あと100mとか、そんな事を言っているのかも知れない。もう少し頑張ればいいという張合いも出てくる。最後の上りはどこの峠でもきついもの、立ち漕ぎで見えてきたてっぺんを目指す。朝に託したスペシャルニーズバッグも置いてある。その先にはシマノのメカニックカーも待っている。修理を受けている選手もいた。

 預けてあったバッグを貰い、メカニックの先で堪らず止まってひと休みにする。ついでに用も足す。スペシャルニーズの中身を取り出し、ウェストバッグに詰め込む。スペシャルに入れた物のうち、半分も入らなかった。甘い物はほとんど捨てた。やはりおにぎりがいちばんだった。スペシャルニーズには日本から持って来た新聞紙も入れておいた。1,200m上った後にはその分だけ下らなければならない。プロのレースでは下りではお腹に新聞紙を入れて寒さを防いでいる。それを真似して防寒用とした。スタートする前にスペシャルのどら焼きをゆっくり食べて、気分を入れ替え再びスタートする。スタートする時には新聞紙を腹に入れた。下りになっても寒くはならず、一応の効果はあったと思う。

 暫くは平坦な道が続く。山の谷間を縫って道が続いている。下り気味の道を気持ち良く走り抜ける。ひとしきり下りと平坦路を走り抜けて再び上りが現れる。暫くは長い上り坂は無い。2〜3キロという程度、スピードは大して上がらないものの、辛いことはない。淡々と上るだけ。下りになるとスピードが上がるだけに、周囲もまばらになるが、上りになると再び周りに人が集まってくる。周りに人が全く居ないということは無く、さみしい事もない。コースを間違える事もない。周りの選手と競うことも無く、マイペースで走るだけである。時折メーターを見る。20キロも出ていない。それだけの坂だろうと思っている。時計などほとんど見ない。時間を気にしてもしようが無い。

 練習時、DHポジションがしっくりした頃、ペダリングも無理なくできる様になってきた。筋力によるペダリングではなく、からだ全体を使ったペダリングができる様になった。早くこういう乗り方ができていればもっと楽ができたのに、と思っていた。上りから下りに転じても、DHポジションで無理なく下れる。自分ではいい感じ。いい感じで走れているので、まわりのペースも気にならない。まさにマイペースである。長い下りを気持ち良く下ると、きれいな黄緑の木々のなかを上って行く。明るい緑なので、気持ちも明るくなる。こんなところなら、サイクリングも気持ちがいいだろうに、などと思いながら走る。

 5番目の坂は7キロほど。後半はこの坂がいちばん長い。これを越してしまえばあとは2キロほどの坂が2つあって、残りは殆ど下り。前半に上ってきた分をみんな下って、貸しを返して貰う。下りを楽しむしかない。ここで楽しまなければ、辛い坂を上ってきた甲斐が無い。

 前半はほとんど一致していたが、100キロを過ぎたあたりから、私のメーターとコース上の距離表示が少しずつ合わなくなってきた。唯一、このコースで折り返して来る部分がある。地図上では115キロあたりから往復10キロ、125キロ地点あたりまでなのだが、メーターでは110キロくらいを表示していた。そこから5キロほど、ヤビツ峠の様な山の中を往復してきた。先に折り返して来る人もたくさんいるし、私の後を折り返しに向かって行く人もたくさんいる。調子は悪くないので、楽しくなってくる。一時期、前半の上りのあたりで少し眠気を感じたが、塩タブとジェルとおにぎりを食べることでそれも無くなった。

 下りは気持ち良く下れる。最後、7番目の坂も2キロほど、それまでと同じ様に上りきる。あとは下るだけ。やっとゴールも意識の内に入ってくる。坂を上り切り、小さな街を通過し、これから下ろうという時、車を囲んで選手が止まっていた。その数は20〜30人程。何事が起きたのか、聞いたらば、その先の道路にヘリコプターが着陸していた。道路にヘリとは驚いた。そんなに広い道ではないのによくこんな所に降りたものだというのが正直な気持ちだった。まだローターが回っているので通れないという事だった。私が着いた時にはもう殆ど止まりそうだったので、程なくして選手を通してくれた。みんな文句も言わず待っていた。この時とばかり、脇道にそれて用を足しているやつもいた。私もどうしようかと迷ったが、全体が動き出したので我慢した。あとは殆ど下り、集団ができたので、そのペースに合わせて下る。しかし、その集団も暫くしてばらけていった。どんどん下る。50キロ近くのスピードが平気で出ている。体の痛いところもなく、気持ち良く下って行く。

 私のメーターで150キロほど、ニースの街並みが下の方にだいぶ近くに見えてきた。金曜日に下見で来た所を通過した。その時に、私は全く違うところを走っていた事に気が付いた。あの時は諦めて引き返して良かったと思った。私の走っていた方向とは反対にコースは向かっていた。そこを下り切って川沿いの道に出る。あと残りは20キロ近くある筈だった。川沿いの道路はやや向かい風。海に出る道なので、若干は下っているのだろう。風が向かっているにも関わらず、いいペースで気持ち良く走れていたが、山間部より路面が悪く走りにくい。車が多く通るところなので仕方がない。

 海沿いの道路に出て残りも5キロほど。海岸のホテル群も先の方に見えてきた。追い風だろうか、170キロ走ってきたところでも快調に走れている。見慣れた景色に近づいてきて、前方にフィニッシュゲートも見えてきた。両脇には応援の人達がたくさんいる。右側のランコースには既にバイクを終えた選手がたくさん走っている。自分ではそんなに遅いとは思っていない。半分くらいの位置にはいるだろうとの思いでバイクフィニッシュを目指した。自分のホテル前を通過し、フィニッシュゲート横を通り過ぎる。まだフィニッシュした選手はいない様だ。その先がバイクフィニッシュ。右側には走り終えたバイクのラックがある。そこにはたくさんのバイクが並んでいた。もう全員のバイクが置いてあると思うくらいのバイクの数だった。ひょっとして私はビリの方か、と思ってしまった。それ程たくさんのバイクがあった。とても衝撃的な光景だった。バイクシューズはペダルに付けたまま降りるつもりだったが、その光景を見て動揺し、シューズを脱ぐことを忘れていた。

 バイクの停止位置でペダルから足を外し、バイクを降りる。ゲートの先でバイクを預けトランジッションバッグのあるゲートまで走る。バイクラックの端にあるので、かなりの距離を走る。そこで、シューズはバイクに付けて降りるつもりでいた事を思い出した。シューズを履いたままでは走りにくかったが今さら仕方がない。前にも選手がいてなかなか思う通りに進めない。ようやくトランジッションバッグのところまで着いて、係の女の子に私のバッグを頼む。言葉が通じないので、かぶっているヘルメットに付いた番号を指し示す。もうバッグの数も多くないので、すぐに持ってきてくれる。お礼を言って着替えテントに入る。テントと言っても屋根が付いて両脇にシートが張られているもの。通路側はオープンになっている。スイムから上がってきて着替えたところだ。さすがに同じテント内の女性用エリアは周りが囲われていた。

 ヘルメットとサングラスを取り、バイクシューズを脱いで、周りの目など気にせずにバイクパンツを脱ぐ。たぶんヨーロッパではそんな事を気にしている人はいないだろう。ランニング用のスパッツを履き、上はタンクトップに着替える。どうしようか考えたが、いちおう、塩タブの入ったウェストバッグを持つことにした。いつもの様に5本指ソックスを履き、スタート、足取りは軽い。気持ち良く走れそうである。テントを抜けてランコースへ向かう。コース上にはもうたくさんの選手が走っていた。コースの両脇には応援がたくさんいる。元気が出てくる。しかし残念ながら日の丸の応援は見あたらなかった。

 今回のレース展開は、最初は無理せず、最後に最大の力を出せる様に、という事。体の力を抜き、リラックスする。藤原裕司の言う様に、筋力に任せて走る様なことはしない、と真似してみた。最近の練習でもそれを実践して調子が良かった。若くもないので力任せに頑張っても限界がある。体をリラックスさせ、からだ全体の筋肉を使って走る様に心掛けた。

 走り出しも調子が良い。バイクでも無理に筋肉を使わなかったので、負担のかかったところが無かった。気持ち良く走れていた。最初のいくつかのエイドはパスする。コース上にシャワーが設置されていたけれども、それも脇を走り抜けた。バイクで戻って来た時、道路の木の陰で用を足している人を見かけた。ここはそういう事ができるのだと頭にインプット。1回目の往きのコースで用を足す事にした。ちょっとコースを外れてひと休み。すっきりして再び走り出した。ランコースは片道5.25キロを4往復。スタート・ゴールの公園前から空港の端までを走る。片側の3車線ある道路が完全に閉鎖されている。

 折り返しまで行ってタイムチェック、28分台で走れていた。まずまずのペース。最後までこのペースで行ければ目標の4時間を切ることもできる。帰りのコースは空港の脇を走っているところは、自転車専用道路を走って元のコースに戻る。ちょうど、その戻るところにスペシャルニーズバッグが置かれていた。予想通り、自分ですぐ手に取る事ができそうなので、何度かに分けて取ることにした。レッドブルの缶は2本用意していた。

 海岸通りの1本道、アップダウンも無いので単調だが、両脇に応援もたくさんいるので気が抜けることも無くしっかりと走れる。エイドもコース上に3か所あるので、十分に水分を取れる。アイアンマンではどこのレースに行ってもコーラ、ジェルがあるので、栄養補給の面では安心していられる。

 1周目の終わり、公園の周辺、私の泊っているホテルの周りは海岸の外れ、目標にもしやすい。モスクの様な特徴的ホテルもあって、目印となってくれる。このネグレスコという名のホテルは、古くからあって有名らしい。1周目は58分台、いいペースで走れた。このペースを維持できるよう。ペースを落とさぬ様に頑張る。2周目に入っても自分ではペースは落ちていないつもり。またエイドでも止まらない。ただし、それがいつまで続くかは分からない。今までの経験上、ハーフくらいまでは止まらずに走り続ける事が出来ている。

 日差しは暑いのだが、まとわり付く暑さではない。湿度が低いためだろう。走っていても苦にならない。2周目の折り返しでは30分を少し超えてしまっていた。やはり少々ペースダウンか、まだまだこれくらいなら許容範囲というところ。折り返して暫くして1周目に確認したスペシャルエイド。取ろうとして番号を確認したら、行き過ぎていた。仕方なく逆戻りする。自分のバッグを探して中身を取り出す。日なたに置いてあったのでレッドブルが温かくなっている。しかしそれでも効果に変わりは無いだろうと、開けて一気に飲む。やはり温かいより冷たい方がいい。そんな贅沢は言わないが、半分ほど飲んで残りは捨てた。次の周回でも飲むために袋は元の所に置いてきた。少しは元気が出るだろうと思って頑張って走る。

 ここの周回チェックは昨年のドイツと同じ。周回の終わりでゴムを1本ずつ貰う。ドイツではドイツ国旗の3色だったが、フランスでも青、白、赤の3本だった。どこでも自国の国旗の色を使っている。これも流行りだろうか。3本目の赤を貰った人は最後の1周を回ってゴールできる。私の1周目、既に青のゴムを付けている人がたくさんいる。私より1周−1時間早い。バイクであの坂を上ってきて、どうしてそんなに速いの?って感じ。どうしても考えられない様な人も走っている。とても不思議だ。2周目をまわり終えて2本目、白い髪止め用のゴムを貰う。やっと半分終わり。まだ元気なつもりだが、ややペースが落ちた。2周目のラップは1時間と少々。まだ2時間は切っている。ただこのまま行くと次第にペースが落ちる。少々疲れても来た。3周目に入って初めてエイドで止まる。コーラをゆっくり飲んで再び走り出す。固形物はほとんど食べない。ときおり小さく切ったバナナを貰う。コーラとジェルがあれば何とか走り切れる。

 3周目の折り返し、自分では変わらないペースだと思っていたが、32分近くのタイムになってしまった。このままではズルズルとペースが落ちていく。望みのスペシャル、2本目のレッドブルに期待する。再びスペシャルニーズバッグ、2本目を取り出し、一気に飲み干す。暖かいけれど元気は出る感じ。遥か5キロ先の折り返しを目指して走り出す。帽子を深くかぶって走りに集中するようにする。3周目は63分台、予定をだいぶオーバーしてしまった。やっと3本目の赤いゴムを貰って最後の周回を走る。ラスト周回となって多少は元気が出たか、力を出し惜しんでも仕方がないので、全ての力を走りに集中させる。

 少しずつだがペースが上がってきたような気がした。帽子を深くかぶって集中、残りも10キロを切れば、元気も出てくる。エイドの1つくらいはパスして走り抜ける。暑くなってきた体はシャワーで冷やす。頑張った甲斐があって、30分そこそこのラップが出た。自分では1周目と同じくらいのペースで走っているつもりなのだが、どうして遅いか理由が分からない。1周目はそれほど楽に走っていたという事だろう。折り返してからも軽快に走り、前方にはモスクのホテルも見えてきた。残りはもう半分くらいか。時計は気にしない。頑張っている気持ちだけで十分である。頑張っている自分を褒めてあげたい。今日はいいレースができている。もう走っているランナーも少なくなって来ているので、こんなペースで走っているのは自分ひとりではないか、と思えるくらい気持ち良く走れている。しかしそれでもキロ6分程度、なかなか5分半では走れない。

 4時間を切ることは無理な様だが、タイムが問題ではない。いかにきっちりと走れたかという事が重要だと思う。これだけの走りができたのは、久しぶりの気がする。まだまだこれくらいの走りは続けられるという事か。これも練習があったからだろう。40キロの練習はこのレース中、大いに自信になった。走れる事は練習で実証済みだった。

 フィニッシュラインも近づき、応援もたくさんいる。まだ日は高い。気持ちのいいフィニッシュを迎えられる。ふつうのレースであれば、フィニッシュはゆっくり、まわりを気にしながら入るものだが、今日はまだまだまわりにたくさん選手がいた。のんびり余韻に浸ってゴールしている場合ではなかった。最後まで力を落とさず、全ての力を出し切ってのフィニッシュになった。自分でも満足のいくレースになった。

 お決まりのようにメダルを掛けてくれる。カメラマンがたくさんいる。たぶんいい表情で写っているものと思う。貰ったボトルの水をたっぷり飲んでからゴールの喜びをかみしめた。回りにはたくさんのフィニッシャーと応援の人たちが溢れていた。まずフィニッシャーだけが入れるフィニッシュエリアに行って、着替えのストリートウェアバッグを貰ってくる。周りを見渡すが、更衣室やシャワールームが無い。片隅で簡単な食事が配られている。仕方なく芝生の上で着替える。タオルくらいは貰えるだろうと思って小さなタオルしか持って来ていなかった。申し訳け程度にタオルを腰に巻いて着替える。直ぐに食事はできなかった。噴水の池にフィニッシャーが足を浸けて冷やしている。私もその仲間に入って暫くアイシングをする。落ち着いたところで食事を貰ってきた。大した食事は無かったが、フルーツがとても美味しかった。

 これ以上ここに居ても何もなさそうなので、腰をあげ、重い足取りでバイクのピックアップに向かった。まだ周囲は明るい。日が沈むのが遅いので仕方が無いか。まだまだ夕方の様である。バイクを貰い、トランジッションバッグを受け取り、ホテルへ帰った。ホテルが近くて助かった。いつもなら、帰ってシャワー、ビールとなるところだが今日は違った。最後のランがとても体にこたえた。シャワーを浴び、ビールは飲んだがその後ベッドから起き上がる事はできなかった。しかし夜中に、空腹に堪えかね目が覚めた。起きあがって、お湯を沸かして食べたカップヌードルが美味しかった。

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