2009-11-29今日は我が身の関門閉鎖:横浜マラソンキヨ

 15キロの給水でポケットに入れていたサプリメントを流し込む。時計を確認。1時間22分45秒。16.057キロ関門時間はスタート後1時間29分だったはず。ギリギリの所だが、まだ行ける。「さぁ、完走に向かって気を取り直すぞ」。鉄人のデュアスロンで走りなれたかもめ町を、ペースを少し戻して進む。その、かもめ町北側の交差点が関門。手前100m程に差し掛かった時、なにやら前方の様子がおかしい。拡声器を通して、『車が通ります。』の声が聞こえる。見ると、交差点を一般車がコース上を横断している。「一時的に車を通して、その後ランナーを走らせるのだな」。この時、私はまだ事の重大さに気づいていない。市民マラソンで、しばしばとられている措置なので、特に違和感は起こらなかった。今度は『交通規制を解除します。歩道に上がって下さい。』のアナウンス。「遅い人は歩道を走っていかなければならないのか。でも、大会実施要綱にそのような記載があったかな?」。まだ、のん気に構えている。ところが、関門の先には人の流れが見えない。「えっ、まさか」。新聞やテレビで、振り込め詐欺や、金儲け詐欺に騙されるニュースを見るたび、「普通に考えれば、騙されるはずなどないのに。」と思っていたが、いざ、実際に、予期せぬこと(多少、予期していたにせよ、まさか、と思っていたようなこと)が我が身に起こると、その場の状況が冷静に判断できないものだ、と分かった。「16キロ地点で一体何が起こっているのだ」。関門地点に到着すると、ランナーの群れ。係員が、ゼッケンにつけられたバーコードを剥ぎ取って行きながら声を掛けて来る。『バスに乗って下さい』。

 その予兆は10.3kmの関門にあった。走り過ぎる時、係員がランナーに『関門閉鎖まで後3分。頑張ってください。』と声を掛けている。「あと3分しかないのか。」と思うと同時に、今まさに関門を走り過ぎようとしているランナーに、この言葉はどのような意味があるのだろうか、とも考える。500m手前で掛けられるのなら分かるのだが。それとも、ここから頑張らないと、次の関門で引っ掛かるよ、という意味なのだろうか。そんなことを思いながら走っていた。思えば、最初から少し軽く考えすぎていたのかも知れない。今の体調で、自己記録など遠く及ばないが、完走はできるだろう、という程度に。アップの時もジョグ程度なのに息苦しい。だからスタート位置が殆ど最後尾に近い所であっても、それ程焦らなかった。一方、洋子は、なんだかんだと言いながらも、連続入賞は意識しているようだ。しかし、このスタート位置では、10秒、20秒を争うレースには乗っていけないだろう。私は、ゆっくりキロ5分ペースで、との思いだった。それ程威勢が良いとは思えないような音が聞こえ、前列の人がスタートしたようだ。後方は殆ど足踏み状態。漸く動いたと思っても、歩いて移動。同じ位置に並んでいた洋子の記録を後から見ると、スタート地点まで1分16秒ほど掛かっていた。私はスタートラインを越えた所でストップウォッチを押す。スタートの合図と同時に押しておくべきだっことに、私はこの89分後に気づくことになる。

 最初の1キロは5分17秒掛かったが、7キロ地点は35分07秒。予定通りキロ5分で走れている。ただ、最初からかなり汗をかいて、それがいつまでたっても止まらない。そして、この辺りから早くも少しきつくなって来た。次の3キロに16分13秒もかかってしまい、10km通過が51分21秒。ここで、関門閉鎖まで3分。その後、更にペースダウンしてキロ6分ほどにまで落ちる。12km手前、本牧陸橋を下っている時に、折り返してきた洋子が見える。13.5キロ付近だろうか。スタート位置からの出遅れを、そこそこ取り戻してはいるようだ。例年なら、ここから1キロ弱先の折り返しの間で、鉄人のメンバーと擦れ違うのだが、今年はもう誰もいない。その折り返しのところで、洋子が勤める体育館に来ている女性に追い越される。自分のことは棚に上げて、「そのペースで行けば大丈夫ですよ。」と声を掛ける。ここから、ペースはキロ7分まで落ち続ける。それでも、完走できないなどとは、さらさら思っていなかった。

 16キロの関門で止められた時も、まだ私の時計は89分になっていなかった。その時、始めて、公式計時はグロスであるとことを思い出した。時、既に遅し。16キロ地点で立ち止まって、ゼッケンを外した後、私は歩道を走り続けることにした。バスに乗っても、どれくらい掛かるか分からないし、先ほどの給水で随分身体も楽になったので、後5キロくらい、走れそうだった。他にも何人か、同じように歩道を走り続ける人がいた。500mも行かない内に、関門をクリアした最後尾のランナーに追いついた。火事場のバカ力、というが、気楽になって湧いて来る力もあるのかも知れない。その後、ゴール迄ほぼキロ5分ペースで走り続けた。勿論、タイムカットされた誰よりも速く。レース中のランナーも100人近く追い越した。ゴール手前の新山下橋を降りてからゴールまでは歩道がなく、コーンの脇を歩かなければならなかったが、公式計時の時計の横に着いたのは1時間59分31秒だった。

 人には、努力すればできること、努力してもできないこと、そして努力しなくてもできること、の三つがあるそうだ。今回、私達夫婦は、スタート地点に適正に並ぶという、マラソンのスタートから完走までの中では、おそらく最も努力しなくてもできること、を怠った。しかも、私はストップウォッチを、ラインを越えてから押した。ロスタイムと、経過時間の計測間違い。その結果、ハーフでは初の『記録なし』。洋子はネットでこそ8位だったが、公式記録では30秒及ばず11位。それぞれにとって、「あと1分。」という時間だけが、残った。


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