2009-9-6佐渡Bタイプ完走記還暦

 「5,4,3,2,1、プオー」スイムのスタートです。672名が一斉に浜から遠浅の海に歩き出します。もちろん、前列のほうの選手は走っています。くるぶし、膝までしかない海水ですが走ると疲れるのです。何分歩いたかなと時計を見るとスタートボタンが押してありません。隣の選手を見ると時計をつけていません。後ろの選手に「スタートから何分過ぎましたか」「2分くらい」。仕方ないので泳ぎだしました。水温26℃、波はなく快適なコンディションです。相変わらず私のコースを邪魔する選手たちがいます。上手い具合に速い平泳ぎの選手がいたので後ろについて泳ぎます。周りが空いてきたので追い抜こうと横に出たとたんに横腹を嫌というほど蹴られました。自業自得。クロールが平泳ぎより遅くてはいけません。

 スイムは小学生低学年の頃、文字通り海に放り込まれて覚えました。あの情景は今でも覚えています。中学校では、体育の時間に市営プールで泳ぎました。校長先生がクロールの腕は曲げることを教えてくれました。高校にはプールがあったので水泳の授業を見ていた水泳部から入部を誘われました。結構速かったのでしょう。やはり、授業などでタッチフットボール(タックル抜きのアメリカンフットボール)をやっているとタッチフット部からも入部を誘われました。結局は山岳部に入りましたが、強度の近眼でなければ、すなわち眼鏡をかけていなければ、アメリカンフットボールの方向に進んだと思います。私の身体能力には瞬発系のアメフトが向いていて、トライアスロンのような持久系のスポーツには向いていないのです。というような話題はこの完走記と関係ありません。それ以後、40歳頃になって勤めていた会社が会員になったスポーツクラブで泳ぐまでスイムはブランクです。今でもスイムのスクールに入りたいと思っています。

 700m−600m−700mの三角形を泳ぐのですが、いつもとは様子が違います。なんとなく選手が吹き溜まりのように集まってくる箇所があるのです。後で聞くと、潮の流れが速かったので選手は流されていたようです。力強く速く泳いだつもりでしたが、浜にあがって時計を見ると47分くらい、昨年と同じだと思ったのですが、そうだ2分時計が動いていなかったと気がついてがっかり。正式計時は50:33。

 のんびり走ってバイクラックへ。どこに自分のバイクがるのかを周りとの位置関係で記憶してあります。位置を忘れてバイクがないとパニックになる選手もいるとか。しばらくは軽いアップダウンはあるもののフラットな区間です。時速30km以上を維持して走ります。一秒でも遅れたくないときはバイクに乗ったまま放尿したことがありますが、この頃はトイレで止まってゆっくりとです。

 1987年にロード風なバイクを6万円で買いました。近所で開催された小さな武蔵野トライアスロン(0.5−30−10)に出場しました。翌年、フレンド商会で本格的なロードバイクを買いました。クロモリの6段変速です。今でも固定ローラー台に載せてあります。それから7年後にオミノで26インチのアルミフレームのバイクを買いました。月賦でした。それからまた7年後くらいに今のバイクを買ったのです。今回のレース前日にリアディレイラー(後輪の変速機)の調子が悪いので佐渡に来ていたオミノさんに見てもらったところ、あちこちに「がた」が来ていると指摘されました。特に、ヘッド周りは錆びていました。えっ、持ち主と同じ? やはり、買い替え時期なのです。

 76km地点からは、かの有名な小木の坂とそれに続く一連の坂が始まります。今年はバイクの練習量が多いので死に物狂いにならなくても走れました。たまに抜いたり抜かれたりしながら走ります。ゴール近くなってくると恒例の向かい風です。自分のメーターでは4時間1分、平均時速26.3km、公式記録では4:11:21でした。バイク前後のトランジションタイム約10分が加算されています。

 どっかりと坐って両足首にテーピングをして走り出しました。速くは走れないけれど一定スピードで走り続けることがテーマです。暑くてエイドステーションでは頭から首筋に掛けて冷たい水につけてあったスポンジで冷やします。シューズは濡らさないように気をつけます。6km地点あたりの私設エイドでスイカをいただきました。毎年の楽しみです。つらくもなく、しかし楽でもないペースで走り続けました。2:16:55。エイドで止まっている時間を考慮するとキロ6分半くらいで走っていたようです。上出来です。

 ジョギングを始めて初めてのレースは青梅の10kmでした。今でもいくつかのシーンを思い出せます。1980年前後だったと思います。初フルが河口湖で4時間47分くらい、それからキロ6分ペースの4時間13分、サブ4を狙って走り続けました。1985年あたりが最も速かった時代です。サブ4が3回あります。1989年になってトライアスロンを始めました。フルは河口湖からつくばへ、他にも勝田、霞ヶ浦、掛川などに出場していますが、1995年頃に4時間10分前後の記録がいくつかあるだけで他は4時間半前後です。5時間すれすれの記録もいくつかあります。当時の制限時間は5時間でした。1989年からの記録がワープロデータとして残っているので、それを一覧するとトップスピードは大幅に落ちてしまいましたが、今も昔も同じような記録を繰り返していることになります。

 ゴール。早くゴールした選手たち、応援のひとたちが迎えてくれました。ハイタッチ。7:18:49 総合414/661位、年代別4位でした。


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