2009-06-21神が降りてきた・・・kanreki

 レースから二日後、福江港から長崎港に向かう帰りのジェットホイールのなかで、ビールを飲みながら「どうしたら、もっと速くなれるのだろうか」と考えている自分に気づいて「神を裏切る行為」と反省しました。なぜって、レース中ランに苦しみながら「これが最後のアイアンマンです。神さま完走させてください」と祈ったのですから。この半年間、ランの練習がほとんど出来ないままでの出場でした。

 福江島を知ったのはアイアンマン・ジャパンが開催されることになってからです。長崎から約100km、東西30km、南北45kmの島で人口約43000人です。中国に向かう遣唐使船の最後の停泊地で最澄、空海の乗った船も停泊したそうです。古い教会があるキリシタンの島です。

 6月21日朝6時30分。スイムのゲートが開いて砂浜へ。青黒い海へ静かに入ってウォームアップスイムです。水温23度、波は小さく快適なコンディションです。数百メートルをゆっくり、最後にはダッシュして息をあげます。6時57分になってスタートラインに向かって泳ぎ始めます。このレースは、浜から100m先の沖からのフローティングスタートなのです。早くスタートラインに着くと立ち泳ぎで待っていなければなりません。

 7時。プォーとスタートの合図が鳴りました。一斉にダッシュする選手を無視してゆっくりと泳ぎだします。それでも、バトルに巻き込まれます。「どうして、おれの頭を叩くのだ。ゴーグルがはずれたじゃないか」が2回。そのたびに泳ぎながらゴーグルから水を抜いてかけなおします。「なぜ、いきなり目の前で平泳ぎを始めるのだ。顔を蹴られるじゃないか」「クロールのキックで足が開くなんて下手な証拠。おれの横腹を蹴らないでくれ」などなど。他の選手と並んで平和に泳いでいる間に猛然と突っ込んでくる選手がいます。仕方なく隙間を空けたら目の前を斜めに横切ろうとするではありませんか。相手の腰を押さえて彼(彼女?)の上を乗り越えました。顔をあげると、外人男性ににらみつけられました。1.9kmを時計回りに2周回します。ということは、左呼吸の私にとっては不都合なのです。右側にあるブイを見るためにはヘッドアップしなければなりません。実際には前後左右の選手を見ながら適当に泳いでいます。自分が必ずしも正しい方向に泳いでいるとは限らないことを認識している必要があります。このあたりが長年の経験によるこつなのです。周りが空いてくれば、右側に見える海中のコースロープを見ながら泳ぎます。

 1周回ったところで浜にあがってエイドで水を飲んで、応援の人たちに手を振って嫌々ながら海にもどります。さすがに2周目になると、バトルはほとんどないのですが、それでもところどころでグループになって泳いでいる選手たちと交錯します。前々日からビールを飲みすぎたためか途中で何回も泳ぎションです。記録は1:29:51。昨年は1:26:46。一昨年は1:32:41。

 ラックにさげてある自分のバイクトランジションバッグを持って更衣テントで着替えます。ウエットスーツを脱いで、バイクパンツで泳いでいたのでそのまま、フルジップのバイクジャージーを着て、ソックス、バイクシューズ、キャップ、ヘルメット、指きりの手袋、サングラス、それからバイクジャージーのポケットにはティッシュとコンタクトレンズのスペア、目薬、非常時のための千円札をいれたジップロックを入れて、雨模様なのでウインドブレーカー、濡れ煎餅3枚もあわてて詰め込んでスタートします。バイクには、前もってういろうを切ったもの3ヶ、梅チューブ、パワーバーを4等分してトップチューブに貼り付けてあります。ボトルを3本積んでいるのですが、ジェットストリームにはOS−1(脱水時に使用する医療用ドリンク)、もう一本にはアミノバイタルゼリーを3本入れてあります。もう一本は蓋を開いてみるとカビだらけでした。使用後によく洗わなかったようです。これは廃棄処分。エイドでスポドリ入りの新しいボトルをもらいます。

 ランの練習が出来なかった埋め合わせにバイクの練習量が多かったので、普通に走れば昨年の記録より速く走れるはずと普通に走り出しました。小雨が降っています。フラットな部分を過ぎて最初の長くて傾斜が7、8%の坂になって、フロントギアをインナー、リアをローにしてトルクをかけるとチェーンがフロントギアの内側にはずれてしまいました。この時は軽く考えていたのですが、これが何回も繰り返されて、メカニックに調整してもらっても直りませんでした。コースの後半では、リアの一番大きなギアを使うのはやめました。がんばる気力を失ってしまったようです。日頃の力以上のものを出せなければレースの意味がないのです。目標タイムは180kmを7時間半。実際には、スイムからバイク、バイクからランへのトランジションタイムが加算されるので7時間15分くらい、平均時速25km程度で走る必要があるのです。

 コースの一部56kmを2周回するのですが、そこでトップの選手たちに追い抜かれます。後ろから「ゴォー」と音が近づいてきて「あっ」という間もなく見えなくなります。前の選手を追い抜こうと右側に出ようとすると「UWAGA!」と後ろから声をかけられました。右に出るのをやめると「DZIEKUJE」と言って追い越して行きました。とっさのときには母国語が出るようです。ポーランド語です。ウバガは「注意」、ジンクエは「ありがとう」です。

 抜かれるばかりだったバイクも100kmくらいになれば抜ける選手も出てきます。上りで遅いのは私より太っている選手だけです。バイクもランも体重別にクラス分けをしたらどうでしょう。ここ2年続けて100kmあたりから腰が痛くなって往生したのですが、今年は、時々バイクの上でのストレッチするだけでした。もっと、がんばって走らなければいけなかったのでしょう。

 ゴール近くになるとランの選手とすれ違います。ランの7、8km地点になります。この地点に自分が着くのは約一時間後かと思うとうらやましくてなりませんでした。

 バイクからランへとトランジションでは、まず、両足首にしっかりとテーピングをしました。インソール込みで2万円ちょっとのランニングシューズに履き替えて、キャップをランニング用に替え、秘密兵器満載のウエストポーチをつけます。ウエアはバイクのままです。着替えの時間がもったいないこと、クラブの黄色のユニフォームはお気に入りなのです。目立ちます。バイク中から困った問題があったのです。腕時計が表示しなくなっていたのです。バッテリー切れです。出発前にちらっとバッテリー交換をしようと思ったのですが、そのままでした。バイクのメカトラブルも含めていい加減な準備状態で出てきたようです。きっと、完走できないと気分がたるんでいたのでしょう。バイクのみのタイムは自己計時で7時間30分くらいでしたが、トランジションを含めた公式タイムは7時間47分33秒でした。昨年は7:37:09。一昨年は一秒違いの7:37:10でした。

 大会の制限時間15時間以内にランでゴールしなければなりません。すでに9時間17分24秒が過ぎています。残すところ5時間42分です。腕時計なしでは危険で走れません。応援のひとから時計を借りました。そこからは制限時間22時までのゴールを目指して時計を見ながら一喜一憂するのです。

 スタートしてしばらくはフラットなコースを走ります。思いがけず快調です。キロ7分くらいで走れるのです。きっと、バイクのメカトラブルで怠けたせいでしょう。誰かが書いていたことですが「トライアスロンのランは最初の10kmを走りきれば、後はなんとかなる」そうです。それに加えて私の原則は「とにかく、ハーフまでは歩かない」ことです。5km、10kmと普通に走れます。問題の両アキレス腱は違和感があるものの痛みはありません。しかし、爆弾を抱えていることには違いありません。1.5km毎のエイドには水、スポドリ、コーラ、氷、梅干、レモン、ビスケットなどがあります。主にコーラを飲み、ウエストポーチにいれてあるパワージェルとかカーボショッツを5km毎に飲み込みます。おやつの濡れ煎餅もかじります。氷はがりがりとかじったり、時には、キャップのなかにいれて頭を冷やします。

 これまで20数回ランが42.2kmの大会に出ています。そのうち3回がランの途中で制限時間から逆算して完走できないと自発的DNFになっています。調子が悪いと10kmあたりから歩きたくなります。しかし、今回はハーフまでたどりつけました。斜度がきつくて歩いても走っても同じようなところ2ヶ所以外は走りました。予定の時間配分は前半のハーフが2時間半、残りが3時間でした。ところが前半で3時間もかかったのです。制限時間の22時まで2時間40数分しか残っていません。開き直って、できるところまで走ろう覚悟しました。時計を見ながら回らない頭で1km毎に計算します。キロ8分で走ると22時ジャストにゴールできるはずです。しかし、あまりにも危険です。1秒遅れでゴールできなくなったら元も子もありません。1分の余裕が欲しくて走り続けました。2分の余裕を得るために1kmづつを必死に走ります。私の周りの選手たちはみんな制限時間すれすれです。あきらめてしまった選手はうつむいて歩いています。悪あがきしている選手には殺気がただよっています。オフレコですが18km地点でロキソニンを飲んでいます。

 24.4km地点のスペシャルに預けてあった赤飯のおにぎり、OS−1、パワージェル、濡れ煎餅を受け取って、おにぎりを食べながら歩きました。やはり、おにぎりは最高の補給食です。インドメタシンのクリームを太ももからふくらはぎに塗りたくりました。すーっとして、つらさを5kmくらい忘れられます。息を吹き返しました。

 もう真っ暗です。街灯がないところもあります。スタッフが誘導してくれるのでミスコースの恐れはありませんが、たまにはつまずきそうになります。1km毎に距離表示が遠いのです。ようやく着いた30kmまでが長かった。残すところ12kmを1時間半くらいで走りぬく必要があります。歩きたくなりますが、その気持ちをおさえることが出来ます。どうしたのだろう。いつもと違う。足が動いている。「神さま、最後のアイアンマンです。完走させてください」と祈ったからか。

 35kmを過ぎて、残すところ3km、2kmとなって街に入れば、制限時間の数分前にゴールできる余裕があるのですが死に物狂いで走ります。応援のの人たちが「まだ間に合う」「お疲れさま」「走れー」などと声をかけてくれます。石田城の城門からゴールに向かって走ります。ゴールゲートの前にはたくさんのひとが待っていてくれます。ゴールできないかと心配していた仲間たちが前のほうに出てきて喜びと涙のハイタッチ。みんなが風船でアーチを作ってくれています。ハイタッチ、ハイタッチ、ハイタッチ、ゴール。応援ありがとうございました。ランのタイムは5:36:34。昨年が5:28:37。一昨年が5:44:00。

 総合記録は、14:53:58、812位、年代別10位。完走率87%でした。昨年が14:32:32、一昨年が14:53:51です。今年の結果が、汗と涙の結晶だったとしても進歩がないものでした。来年のためには、練習方法を変える必要があることは明らかです。

 完走出来ても出来なくても心の中では、自分が練習に費やしたすべて、すなわち人生を誇りに思うのです。結果は仕方ありません。しかし、完走出来たかどうかは「天国と地獄」あるいは「天使と悪魔」なのです。



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