2009-05-23 | 東京−糸魚川完走記 | kanreki |
38年前に東京湾の水を自転車で運んでいって日本海に注ぐことをテーマに始められた大会です。昨年は武蔵野市の水、すなわち我が家の水道の水を日本海まで運びました。今年はなにを運ぼうかと頭をひねりました。私のために女性が流した涙を集めて供養のために日本海に注ごうかと思ったのですが、女性が流した涙なんてありません。流したのは私の涙だけです。ということで、なにも運びませんでした。
大会発表の公式距離は291.6km、昔は300kmあったのですがバイパスとかトンネルが出来たりして距離が短くなっています。自分のバイクのメーターでは285kmです。日頃の練習では180〜190kmまでは走るのですが、300kmは気が遠くなるような距離です。こんな公式があります。練習距離を一括管理する場合、ランの距離を1とした場合、バイクは3分の1、スイムは3とするのです。すなわち、バイク300kmはランの100kmに匹敵することになります。どちらを選びますか?
3時に起床して朝食。高尾の近くに住んでいる同じチームの選手宅に泊めていただいたのですが、朝食の間、その彼がツール・ド・フランスのDVDをイメージトレーニングのために見ようと言ったところ、朝食の支度をしてくれていた奥様が「あなた気が狂っているんじゃないの」と即座に却下。もちろん、見ている時間の余裕はないのです。
さて、出発してしまいましょうか。5時10分、20名くらいでスタートしました。490名の選手が3時から5分刻みで少数のグループに分けられてスタートするのです。16℃、肌寒いくらいです。勇み立ってというより、長い一日が始まった、というのが実際の感覚です。走りなれた大垂水峠をあえぎながらのぼります。横浜鉄人クラブとして6名登録して、同じスタートが4名、5時30分と5時40分がそれぞれひとりでした。
アップダウンを繰り返しながら走り続けて57km地点の笹子峠(標高750m)のチェックポイントへ。まあ、元気です。長いトンネルに入ればダンプが右脇をかすめて走り抜けていきます。照明は明るいし路面はあれていないので、自動車の風圧で自分がよろめかなければ平穏無事なトンネルですが長いのです。
笹子峠の下りから甲府バイパスを抜けて韮崎までの49kmは高速コースです。私ですら平均時速で27kmです。甲府市内の渋滞している自動車の横をすりぬけて走ります。止まっている自動車がいきなり左ドアを開ければ一巻の終わりです。甲府盆地を過ぎたあたりから今日のメインテーマ「向かい風」が始まりました。ちょっとした向かい風でも時速30kmのはずが20kmくらいに落ちてしまします。肉体的につらいのですが、精神的にもつらいのです。これだけがんばっているのに、結果、すなわち速度がともなっていない落差によるストレスです。精神的に「めげて」しまうのです。
肉体的につらいのは、足が攣りそうになったりするより、まず腰が痛くなってバイクの上で腰を伸ばしたり曲げたり、右手がしびれて右肩が痛くなってきて右手をハンドルから離してぶらぶら、尻が痛くなってきてサドルに乗る位置を微妙に動かす、こんな状態で10時簡以上耐えるのです。ゴール後、風呂に入ると尻がしみて痛いのです。両足首は、ほとんど痛みは感じなかったのですが、二日後でも両足首は浮腫んでいました。
100km過ぎたあたりでいつものように眠気が襲ってきます。ハンドルがふらついてくるのです。なんとか眼を開けていようと、バイクに積んでいる固形物を食べ(口を動かすと眠気が取れる?)、頬をつねったり、最後には止まって目薬を差したりします。この睡魔との闘いは命がけです。不思議なことに、ある一時は過ぎると嘘のように眠気が消えてしまいます。
この大会では途中4ヶ所のチェックポイントでタイムカードに印字してもらえば、どこを走っても失格にはなりません。しかし、推奨コースはあります。道なりに走ってはいけない曲がり角が多数あるのです。コースの事前学習が必須です。10回参加の私ですら、一瞬どちらだと迷います。右折ポイントを通り過ぎてあわてて戻ったところがあります。Y字路のどちらに入るべきか判断がつかなくて別コースを走った部分もあります。諏訪のあたりは難コースです。
諏訪湖を右手に見ながら走り続けます。無性にアイスキャンデーが食べたくなりました。かなり気温があがってきたことと気分的に疲れてきたのでしょう。無駄な抵抗はやめてコンビニでガリガリ君とペットボトルのお茶を買いました。ガリガリ君に気づいて羨ましそうな顔をして通り過ぎる選手に手を振ります。
さて、ここからが最大の難所、すでに160km以上走った身体にはつらい塩尻峠(標高999m)です。このあたりからようやく実力が同じような選手たちと一緒になります。スタートしてから抜かれるばかりです。ここまでの区間で抜いた選手は数えるばかりです。基本的には、速い選手が遅い時間にスタートしています。
塩尻峠から松本に向かって急降下です。くだりの途中に小坂田公園のチェックポイントを通り過ぎないようにしなければなりません。ここのエイドステーションでも、おいなりさんとおにぎり、梅干しとレモンスライス、麦茶を飲んで、ポカリスエットをボトルに充填します。4ヶ所のチェックポイントに同じように飲食物が用意されているのです。
3.1km走って最大の難所?高出の交差点を右折します。直進すれば飯田、名古屋方面に行けます。ここを直進して、タクシーで2万円以上使って帰ってきた選手の伝説があります。自転車の右折は、直進してから右折の二段階右折が交通法規です。今年は右折車線に入れなかったので交通法規どおり直進しました。自動車と一緒に右折する選手もいます。立体交差のいくつかは自転車進入禁止になっています。この大会は交通法規を守ることになっているのです。
松本を抜けて安曇野へ。同じトライアスロンクラブのメンバーで安曇野に移住してきている夫妻が応援に来てくれました。1歳になる母親似の将来の美貌が保証されている赤ちゃんと一緒です。冗談でビールを用意してくれるように連絡してあったのですが、本当に一番小さな缶ビールを差し出されました。一瞬、どうしようかと迷ったのですが飲みました。甘いサプリでべたべたしている口の中がさっと爽やかになりました。後遺症ですか?あったかなかったか分りません。美味しかったことだけが記憶に残っています。
200kmが過ぎました。相変わらずの向かい風です。軽いのぼりが続いています。たまらずコンビニに入って冷やし中華を食べました。疲れでか手元が狂って上に乗せる具の大部分を落としてしまいました。冷やし中華を食べて息を吹き返したのですが、何分かの損失になったでしょう。早食いは特技ですから、他の人よりははるかに短い時間だったはずです。
最後のチェックポイント、白馬駅前の数キロ手前で他のチームのサポートカーに「あと10分あるから間に合う」と言われて、大会規則に白馬での足切りが17時となっていなかったはずとは思ったのですが、自信がないままに必死にスピードアップ。ここまでの長い距離を向かい風に負けていた身体に鞭がはいって別人のように走り出しました。自分でも驚くくらいの力が出ます。反省しました。つらい状態にあきらめて怠けていたと気づいたのです。タイムカードには17:01と印字されました。もちろん、大会役員は「そんな規則はありません」と言いました。
アルプス下ろしの風が冷たくなってきました。このチェックポイントに預託しておいた長袖のジャージーを重ね着して、ロングタイツをバイクパンツのうえにはきました。ヘッドランプをひとつ追加しました。ゴールまで44km。くだりが長い区間です。
ここから恐ろしいトンネルが続くのです。数キロも続くトンネル、照明が暗いトンネル、照明がないシェルター、トンネル内のあれた路面には穴があります。それより怖いのはトンネルの中でのパンクです。修理しようとすれば自動車に引っ掛けられることは必至です。だからといって、バイクを引いて歩くのも危険です。昨年でしたか、日本一周自転車旅行をしていたおじいさんが、このあたりのトンネルで自動車にはねられて亡くなられています。必至に走り抜けるだけです。トンネルの中で怖いのは「音」なのです。神経を逆なでするような自動車の反響音なのです。音だけでは、自動車が前から来るか後ろからかは分りません。後ろからの場合は、路肩に寄らなければなりません。しかし、路肩は凸凹です。砂利もあります。ひとつのランプは路肩の白線を照らして、もうひとつのランプで路面をチェックします。くだり区間では、かなりの高速で走っているので一瞬の判断ミスで事故に直結します。スリルとサスペンス?心臓の弱いひとにはお薦めしません。
ようやくトンネル区間を過ぎました。残すところ10kmくらいです。残った力をふりしぼってゴールに向かいます。ゴールの糸魚川ホテルが見えてきました。涙が出るほどの感激はないのですが、サバイバルゲームに勝ったという安心感が湧き出てきます。
ゴールの横にはうどん、豚汁などの売店が出ています。生ビールを早速一杯。ふー。同じチームの2時間半前にゴールしていた美人選手は風呂上りの姿を見せました。しかし、この彼女はアルコールを受け付けない身体です。45分くらい前にゴールしたメンバーは風呂に入るところでした。しばらくゴールで待っていると残ったふたりがゴールしました。生ビールで乾杯。このふたりは初参加だったので感激ひとしおだったと思います。糸魚川ホテル温泉源です。
幕の内弁当の夕食とホテルの自販機から買ってきた大量の缶ビールで宴会。といっても、疲れた身体では起きていられません。10時頃になるとばたばたと倒れるように寝てしまいました。
翌朝は疲れからの早起きで5時頃に起きてしまいました。「温泉に入ってビール」あるいは「日本海を見に行こう」との選択肢があって、もちろん、初参加3名は日本海組ですから、道案内を兼ねて6名で出かけました。サドルに坐るとお尻が痛い。これが日本海です。
バイクを輪行袋に詰め込んで貸し切りバスで高尾まで帰ります。
結果のまとめです。 距離:291.6km 時間:13:34:43 平均時速:21.47km 総合順位:218位(完走397位、申し込み490名、出走?名) 年代別:13位(60歳代24名中)
1995年の初参加の記録が14:42:42、ベストが2000年の11:45:28です。2005年は日程がアイアンマンジャパンと近かったので欠場、2006年は手術直前で欠場、2007年が13:15:43、翌2008年は13:21:38、そして今年と年々記録が落ちています。