2009-3-7アイアンマンニュージーランド参加記ハイジャン

 2008年12月に宮古島の落選通知が届き、2009年3月7日のニュージーランドのアイアンマンに申し込みました。2009年の新年を迎えて、さてこれからの練習方針について考えてみました。今からじたばたしても、自分の力が劇的に伸びるとは思えません。方針の第一は「故障、体調不良のない状態でスタートラインに立つこと」としました。そのために大事なことは、
@風邪を引かない
A慣れない練習はしない
B練習の負荷を上げすぎない
だと自分で決めました。

 バイクのことを考えると憂鬱でした。1月18日鉄人スイム練習会の後、先輩諸氏の話を聞いて、心底ビビったからです(ビビらされたというか)。確かに今の実力ではバイクのカットオフ10時間30分を切るのは非常に難しいようです。それまでは、ぎりぎり大丈夫だろうと思っていましたが、1月18日以降、考えれば考えるほどダメかもしれないという思いが強くなっていきました。しかし、慣れない練習はしないという大方針がありますので、ロングライドには行かないことに決めました。その穴埋めは、相変わらず自宅でのローラー練習しかありません。

 私のレースの目算は、乗っているときは時速25キロ平均、それ以外に1時間を、補給とか、トイレとか、ストレッチとか、つらくて泣くとかの時間を余分にみて、スイムからバイクへのトランジションを15分として、何とかぎりぎり(33分前に)カットオフタイムをクリアする目標です(スイムは1時間半の計算)。

 さて、時速25キロだと7時間15分自転車に乗っていることになります。それまでのローラー台練習最長記録は約3時間。7時間は気が遠くなる数字です。スイム練習会から本番までに、4時間ライドを週1回、少なくとも1回は5時間ライドを経験しようと決めました。が、実績は3時間1回、4時間を1回、4時間半が1回、その他平日の1時間程度の練習が約10回。距離計の最高値は4時間半のときの100キロちょうどでした。とても十分な練習が出来たとはいえませんし、距離への不安も以前と変わりませんが、もはやしかたがありません。

 おスギさんがレポートで書かれていた、今の自分の持ち物ってやつでしょう。それ以外の不安は、ニュージーランドのがたがたに荒れた舗装です。本吉さんにうかがっても、過去の参加者のブログを見ても、皆さんこの舗装の荒れに悩まされたようです。ローラー台では全く振動がありませんから、振動に慣れていない体が、どう反応するか想像できません。とにかく振動を和らげるためにできるだけのことはやろうと思いました。まずタイヤを23cから25cに変えました(邪道なのでしょうねえ)。本当は28cでもいいと思ったのですが、自分の自転車の今のセッティングでは入らなかったのです。サドルも最初に自転車についていたGIOSのサドルは、硬すぎるように感じましたので、NZ前に二つ試しました。最初はスペシャライズドの穴あきをネットで購入、でもこれは体に合いませんでした。一時間で捨てようと思いました(どなたでもお譲りします)。次に試したのはトレックの全体的にやわらかいやつ。こちらの方が合うようでした。振動を抑えるグリップエンドをつけ、ハンドルにネットで買ったゲルパッドを貼り、その上から厚手のバーテープを巻いたら、太巻き寿司のようなハンドルになりました。グローブも手のひらにゲルパッドがついているパールイズミのやつを買いましたが、何か物足りなさを感じて色々と物色したら、トレック社のグローブで手のひら全体に分厚くゲルパッドが入っているやつを見つけて即購入しました。鶴見川の路面が荒れているあたりをわざと選んで走ってみました。いくらか効果が出ているように感じましたが、180キロ走ったときにどうなのかは、全く想像できません。

 1月11日多摩川で行なわれた新春マラソン(30キロ)に出場しました。このレースを、滅多にやらない30キロの距離走と位置づけて、キロ6分のペースで余裕をもってゴールすることを目指しました。ところが15キロを過ぎたあたりで古傷(30年前にやったやつです)の左膝半月板が痛み出して、残る15キロをラン半分、ウォーク半分でゴールすることになってしまいました。このとき、NZまでにランをさらに強化することは諦めました。

 まず何をおいても、膝を直さなければなりません。膝が痛むことは絶対にやらないようにしました。でも、全く走らないのはやはり不安です。2年前に、同じ場所を傷めたときに、下りを歩くと痛むのですが何故か上りでは痛まないことに気づいて、トレッドミルの傾斜を多めにしてゆっくり走っていたことを思い出しました。

 1月22日に、怪我の後初めてのランの練習をしました。スポーツクラブのトレッドミルで傾斜4%、速度は時速6キロの超スローペースです。2年前と同様にほとんど痛みが気になりません。NZまであと40日ほどだったのですが、週一回程度このトレッドミル練習を1時間行なうことにしました。でも、1月18日の鉄人スイム練習会の後、自分の危機感はかなり高まっていたので、これ以外に何か出来ることがないかを考えました。いまから実行可能で、レースで実際に効果が期待できるようななにか?? ひとつ思いついたことがあります。それは減量です。

 福岡大学の田中先生の本に、走力が変わらない前提で体脂肪だけを落としたときの、フルマラソンのタイムに及ぼす効果が出ていたことを思い出しました。私は体脂肪が大体15-17%ほどありました(けっこうあるなあ)。重さにして8-10キロの脂肪を背負っていることになります。この脂肪を残り40日間で、無理のない範囲で落としてみようと思いました。私は酒飲みなので、夜の食事は必ず飲みながらです。私には、これがないと仕事もトライアスロンもやる意味がありません。従って夜の酒量は今まで通りとして、夕食も満腹まで食べてもいいが、なるべくご飯や動物性脂肪を食べないで、魚、豆腐、野菜を食べるようにしました。朝はいつも野菜ジュースとヨーグルトだけなのでこれ以上減らしようがありません。昼飯は、普段家から持っていく弁当の量を減らしました。小ぶりの容器で、3段重ねなのですが、これをまず2段に、次に1段に減らしました。1段って本当に幼稚園児の弁当みたいです。この夜と昼のカロリー制限を合わせると、多分1日400から500Kcalの減でしょう。脂肪1キロは7,000Kcal くらいらしいので、このペースだと450Kcal x 40日=18000Kcal ÷ 7000Kcal として約2.5キロの減量です。大した重さではないようですが、2.5リットルのペットボトルを持って走らなくてすむと考えれば、膝に故障を抱えて42キロ走るのはずっと楽になるはずだと思いました。

 減量を開始してしばらくは体重も変わらず、また日中は常に空腹状態でつらい日々が続きましたが、3週間目ぐらいからウエストが細くなり始めたことに気づきました。スーツのズボンのウエスト周りがゆるいのです。変化が実感できるようになるとモーチベーションもあがります。昼間の空腹も前向きに受け入れられるようになりました。NZへの出発前の計量では、減量開始前と比較して体脂肪率がマイナス7%、体重がマイナス3.5キロでした。数字の上では目標達成です。これで何かレースに良い効果があるかどうかは、走ってみなければわかりません。そんなこんなで、大会1週間前には、なんとか家の周辺を90分のLSDができる程度に回復していました。

 バイクをどうやって運ぼうか?? 海外初挑戦の私には難しい問題です。国内(新島、佐渡)はオストリッチ社のパッドが入っているソフトケースに入れてヤマト便で送っていました。日本が誇る宅配便業者に大事な自転車を任せることに不安はありませんが、今度はちょーおーらかな性格のニュージーランドの人の手に委ねなければなりません。やはりハードケースが必要に思えました。ネットをあれこれ探して、一番丈夫そうなので決めたのは、大阪のあさひという会社のレンタルケースでした。前輪、後輪、ハンドルをはずせばきれいに、かつ簡単に収まります。パッキングを済ませて、ヤマトの成田空港のカウンターで預かってもらおうと、近所のヤマト集配所に車で運びました。驚いたことに、ヤマトの成田空港カウンターではこのケースは大きすぎて預かれないとのこと。困りました。家に持ち帰り、オストリッチにパックし直すか、このままで当日成田行き高速バスに無理やり頼んで積むか、うーん、どちらもリスクが高すぎるように思えます。インターネットであれこれ解決策がないか調べましたが、見つかりません。どんどん時間が過ぎていきます。ふと思いついてケースを貸してくれたあさひに電話して聞いてみると、解決策は簡単にわかりました。JAL系ABCカウンターに電話して自宅に集荷に来てもらって何と3,000円!安い、というかそれだけの値打ちは十分あるサービスだと思いました。ひと安心です。

 補給が大事だと(特にバイクのとき)誰もが言います。バイクの補給を自分なりにどうすればいいか考えました、これも初めての経験なので、人のレポートなどを参考にあれこれ考えました。メインの補給はカーボショッツとパワーバーにしました。カーボショッツをいちいち破るのが面倒くさいし、片手ハンドルも怖いので、あらかじめ一気に10本分ぐらい水で割って(水割り案は還暦さんのレポートから)、トレイルランに使うバックパックにいれて、走りながら管から取ることにしました。パワーバーも袋をやぶるのが面倒だし、結構かたくて食べるのが大変なので、パワーバー4本を小さく切ってオブラードにつつんで(これも確か還暦さん?)BentoBoxに詰めることにしました。昨年の本吉さんのレポートで塩タブのことが書かれていたので、宮古島の塩タブ1ケース全部BentoBoxにぶちまけておくことにしました。後は、エイドでもらう水を飲んでいれば何とかなるはずです(あくまで初心者の想像ですが)。

 出発の日が来ました。バイク関連、スイム関連のグッズ、シューズ類は全てバイクのケースに入れたので、持っていくものは、レース関連の衣類、補給食(NZは食べ物チェックが厳しいのでまとめて検閲を受けます)、日用品とお土産(オークランドの知人の頼みで、北海道のこまい「たらに似た魚」の干物と吟醸酒)です。2007年にオークランドマラソンに行ったときに、こまいに関してご下問がありましたが、Sea Fish だというと以外にあっさり通れました。川の魚は絶対にだめだそうです。補給食とお土産以外は大きめのバックパックひとつにまとめて、機内持ち込みとしました。

 ABCカウンターで自転車を受け取って、NZエアーのカウンターにもって行きます。係員の人がアイアンマンですか?と聞くので、そうですと答えました。どうもNZエアーは大会スポンサーになっていて、荷物の重さなどにある程度目をつぶってくれるようでした。自転車は30キロちょうど。持ち込み荷物も規定以上であることは明白でしたが、何も言われませんでした(でも、帰りは見逃してくれず、400NZ$約2万円を払いました、、)。席は、後ろに人がいない列の通路側にしてくださいと言うと、一番後ろの列の通路側の席にしてくれました。乗ってみると、普通の窓側は3つ席が並んでいるのに、最後尾だけ2席しかなくて、しかも私の隣の窓側は空席で、つまり両側のスペースが開いている状態で、とてもゆったりとしたフライトでした。

 まず南島のクライストチャーチに一旦着陸して、それから北島オークランドに戻ります。3時間ぐらい損した感じです。火曜日の夜に成田を発って、水曜日のお昼にオークランドに到着です。時差は4時間。空港では、私と家内の仲人を務めてくれたKHさんが迎えにきてくれていました。KHさんはもうオークランドに移住して8年になります。私が九州でセールスマンをやっていたときの上司です。若いころはレスリングで東京オリンピックに出場した選手です。退職後、海外でレスリングの普及を手伝いたいと、行き先を探していたところ、NZが手を上げたのです。KHさんは、今回私がレースのためタウポに行っていた間、オーストラリアで開催された日本でいう国体のような大会に、なぜかNZも出場するので、コーチとして帯同していました。

 さてKHさんの車でKHさん宅まで行きまして、早速バイクを組み立てます。新島や佐渡で経験した、宿で場所の制約のある中でバイクを組むのと違って、広々としたガレージで、ビールを片手に人目を気にせずゆっくりバイクを組めるのはいいものです。佐渡のときなど、後輪が入らなくて、人目が気になって汗だらだらでしたものね。さて、そもそも大してばらしていないので、すぐ終わります。どこも壊れた箇所はなし。あー良かった。ひと安心です。

 飛行機を10数時間乗りっぱなしでしたので、午後4時ごろから、体をほぐすために、KHさんとゴルフに行きました。KHさんの家からゴルフカートを引いて100メートルぐらいで、彼がメンバーになっているゴルフ場の敷地と住宅地の境界線であるフェンスに突き当たります。ここで、なぜかKHさんはフェンスの扉を開ける鍵をポケットから取り出し、当たり前のような顔でゴルフ場に入っていきます。入ったところはちょうど2番ホールのティーグラウンドです。いつもはこの2番からスタートして1番であがるらしいのですが(メンバーは年会費を払えば、後は一年間回り放題なのでこんなことも許されるそうです)、今日はメンバーではない私が一緒ですので、一応1番を逆に歩いてクラブハウスまで行き、お金を払ってからプレーすることにしました。9ホール分払い、いつでもどーぞという感じで、すぐにティーオフです。なんと恵まれた環境でしょうか。4時に家を出て、今回は9ホールだけでしたが、サマータイムで8時過ぎまで明るいので、余裕で18ホール回れます。しかも安いし(9Hが千円ぐらいです)。。。夜はボリュームたっぷりのNZビーフステーキを頂きました。なんでも、日本が輸入しているオーストラリアビーフのかなりの部分はNZビーフで、いったんオーストラリアに輸出してから、オージーとして日本その他の国に輸出するのだそうです。

 翌木曜日、朝10時ごろ、KHさんの車を借りてタウポを目指して出発です。距離は約250キロ。4時間弱で到着予定です。オークランドからひたすらRoute 1を走ればTaupoに着きます。幸い道に迷うこともなく順調に走ります。景色はふるさと九州のやまなみハイウェイが延々と続く感じでしょうか。ノンストップで3時間半ぐらいでTaupoにつきました。受付会場もすぐわかり、湖の汚染防止のためのウェットスーツ殺菌を済ませてから、受付完了。ゼッケンは1124番。うーん最後が4かあ。112キロで死ぬ(!)あーいかんいかん、ほかに何か語呂合わせを考えねば。うん、これだ。いいフィニッシュ(1124)。決まり。

 まずはビールとワインを調達して(これは隊長の格言か、、)、バーガーキングのセットをテイクアウトにして(日本よりあきらかにまずいです)、ホテルにチェックインします。ホテルは湖の湖畔に並ぶホテルのひとつで、カプソーンホテルです。ツインのシングルユースで一泊約9千円でした。円が高くて助かりました。スタートや、受付会場などからは約1キロ離れていますが、車があれば問題ありません。会場周辺もどこでも駐車できますし。。木曜日の晩にカーボロードパーティーがあることをすっかり忘れて、夕方バイクコースを車で走りに行きました。噂どおり、路面は荒れています。途中500メートルほど舗装工事が終わらず、未舗装の箇所もありました。日本であれこれ振動対策を考えたのは無駄ではなかったようです。ホテルに戻り、ピザハットのテイクアウト(これも日本より明らかにまずいです)と、ビール、ワインで夕食です。

 翌金曜日、意識して早起きして、5時起床です(日本時間だと午前1時)。朝ごはんはホテルのビュッフェ。湖の見える席でゆっくり頂きました。なんか泳いでるやつらが見えましたが、私には全くそんな気は起きませんでした。午前中に選手説明会があるので、会場に行きます。人が異常に少ないので、説明会の会場はどこかと聞くと、ここからずうっと離れたイベントセンターというところでやるとのこと。車でいくと、とんでもなく離れていて、歩いていたらどうなっていたことかと思いました。が、ホテルに帰って本吉さんの昨年の参加記を読み返したら、ちゃんとそのことが書かれていました。まだまだ大会に対する集中力が足りないようです(反省)。。今年の説明会は午前中でしたので、午後ゆっくりと準備をして、トランジションバッグとバイクを預けます。昼はマクドナルドのビッグマックセット(これもひどかった)とビール。夜はアルファ米のおこわと、サブウェイのサンドイッチ(これが一番まとも)でした。ワインをボトル半分飲んで寝ます。でもぜんぜん寝付けません。寝なくても、安静に横になっていれば寝るのとあまり変わらない効果があると誰かが言っていたような気がしたので、少し気が楽でした(あれ、これも還暦さんか?)。目覚ましは4時にかけましたが、1時過ぎまで目が覚めていたことを覚えています。

 ついにその朝がきました。トイレがまず最重要事項ですから、まずそのことに集中します。今回出発間際に、TOTOの携帯ウォシュレットを買って持ってきたのですが、これは使えます。これはどなたの大会レポートにも書かれていなかったので、私が強調させていただきますが、優れものです。ぜひお試しください。ちなみにネットで5000円ぐらいで買いました。単3電池ひとつで世界中どこでもウォシュレットです。朝ごはんはアルファ米赤飯2合とバナナです。次に、お尻にプロテクトをぬりまくって、乾いてからお尻のとがったところにキネシオを貼りました。お尻がすれて痛くなるのを防ぐためです。次に補給のカーボショッツの水割りを作ろうとしたとき忘れ物に気づきました。トレイルランに使うバックパックに背負っていく予定でしたが、なんとその液体を入れるビニールの入れ物のふたを日本に忘れてきていました。昔の水枕の留め金みたいなやつです。仕方ないので、日本から持ってきていたCCDのバイクボトルに、カーボショッツ水割りを入れることにしました。でもカーボショッツと水を1:1とすると、6袋ぐらいが限界でしたので、残り8袋はバイク用バックパックに入れていきました。

 5時過ぎにホテルを出発します。外は気温10数度でかなり寒そうです。もうホテルからウェットスーツを着ていきます。ウェットを着て靴を履いて、約1キロの道のりをスタート地点まで歩きます。会場に着くとまず、バイクのところへ行って、Bento Box にパワーバーオブラード巻きとアスリートソルトをぎちぎちに詰めて、雨にぬれてぐじゃぐじゃにならないように、レジ袋をかぶせておきました。次にスイム会場に向かいます。丘を400メートルほど下った湖岸にスイムスタート会場があります。現地のマオリ族の勇ましい(オールブラックスの雄たけびみたいなやつですな)踊りのショーが行われていました。まだ薄暗いうちにプロがスタートしてから、15分後に我々一般のスタートです。沖のほうがすいている気がして、沖に出ます。だいぶ明るくなっていましたが、寒い。ほんとーに寒い。長袖のウェットスーツは当然として、頭にウェットスーツ生地のキャップをかぶっていましたが、それでも寒い。

 号砲が鳴り、スタートです。まず周りを見ながらゆっくりとスタートしました。水はきれいです。どこまでも見えます。水面に顔を出すこともなく、まわりの人を見ればコースの方向はわかります。人の足を見ながら、どの人についていこうか考えます。あまりばしゃばしゃキックしない人で、自信を持って泳いでいる人(ちゃんと方向を確認しながら泳いでいる人)についていこうと考えていましたが、私と同じレベルの人で、そのような人はあまりいないようです。みんなバタバタしていました。そんな中で、ひとり平泳ぎでゆうゆうと泳いでいるおじいさんを見つけました。平ですが、私のクロールと同じスピードです。自分の遅さが悔しいですが、このおじいさんは平で泳いでいるということは、常にコースを確認しながら泳いでいるはずなので、この人についていけば最短距離でいけると思い、ついていくことにしました。折り返しまでは、疲れもなく順調でした。が、折り返してからちょっと状況が変わってきました。湖には波も潮もないと信じていたのですが、実はありました。自分はストロークのピッチはゆっくりで、けのびの時間が長いのですが、伸びてる間に潮で後ろに戻されて、いつまでたっても同じ場所でじたばたしているような感じで、いつしか平泳ぎのおじいさんに置いていかれてしまいました。帰りは本当に寒くて長かったです。変な話ですが、あまりに寒くておしっこがしたくなり、泳ぎながら、なんと3回もしてしまいました。そうこうしながら、最後のパイロンをまわると、すぐそこがゴールです。よし、もう少し、と思ったらふくらはぎが攣りました。そういえば、スイムスタート前に飲む予定だった、甘草冬芍薬を飲むのを忘れていました。おぼれてここでレースはおろか人生までも終えるのか、と思いましたが、平泳ぎに切り替えると、うまい具合にふくらはぎが伸びて、痙攣がおさまりました。やっとのことでスイム終了です。丘の上のバイクへのトランジションエリアを目指して(とぼとぼと)走ります。スイムフィニッシュの時計は2時間と4分。プロのスタートと15分差があるので、1時間と50分程度でしょうか。予定の1時間30分から20分も遅れていました。塩野プロの記録を見ると、昨年の記録より10分ほど悪かったので、やはりコンディションはベストではなかったようです。

 寒い、とにかく寒い。トランジションエリアは閑散としています。もう残ったアスリートもほとんどいないでしょう。ボランティアの助けを借りて、ウェットを脱ぎ、競泳パンツを脱ぎ、体を拭きます。あまりの寒さに、しゃべれないほど震えているので、毛布を持ってきて、全身をこすってくれました。バイクのウェアは、パールイズミのパッドが厚めのパイクパンツ(内側にシャーミークリームぬりまくり)をはき、その上から日焼け防止と、こけたときのプロテクションのためにタイツをはき、シャツはCWXの長袖(これも日焼け防止と、こけたときのため)、その上にバイク用カッパです(小雨が降っていました)。ボランティアにお礼を言って、バイクのところに行くと、まあ見事にバイクがありません。私のバイクと他数台です。待たせてごめんね、と心で言いつつ、準備です。メットをかぶってスタートゲートへ、スイムスタートから約2時間10分経っていました。予定では1時間と45分(スイム1時間30分+トランジション15分)でしたので、これはかなりショックです。苦手バイクに入る前に早くも25分の借金生活です。正確には、予定ではバイクフィニッシュの制限時間33分前にバイクを終える予定でしたので、予備費の33分のうち25分を使ってしまったという感じです。

 スタートするとすぐに、湖からその周辺を囲む丘陵地帯への上りとなります。実はこのコースでは、このほんの1-2キロの上りがコース最大の上りとなります。後は多少のアップダウンはありますが、私から見ても大した坂ではありません。コースは片道45キロを2往復です。まずは無理のないペースで走って、最初の45キロがどれだけかかるかがポイントです。8時間強が予定時間でしたがスイムの借金があるので、7時間50分くらいで走らなければなりません。往路は最初の1-2キロの急な上りと往路全体的に向かい風なので、2時間ぐらいであれば良いはずです。景色は、やはり九州のやまなみハイウェイですが、景色を楽しむ余裕はなかったです。。。路面の荒れ方は予想通りでしたが、あれこれ試したおかげか、振動は耐えられる範囲でした。足をなるべく使わないように、9割がた下ハンを持って走ります(DHバーはついていません)。

 折り返しのある小さな町にやっと到着です。時間は2時間4分。これが良いのか、悪いのか判断がつきません。復路の時間を見てから考えることにします。帰りは往路と比べるとかなり楽でした。追い風で、しかも最後の10キロ弱は下りです。行きよりもずっと速いのが体感できました。帰りは1時間45分くらいで戻ってきたようです。よし、これならカットオフタイムに間に合う!!補給もうまくいきました。カーボショッツ水割りをボトルで補給、パワーバーを食べて、たまたまですが、一緒にBentoBoxに入れていたソルトタブがオブラードにくっついてきて、パワーバーひとかけら取ると、塩タブが2-3個くっついてくるという2度おいしい状況になり、補給に関しては次回への課題はあまりありませんでした。

 中間点を過ぎ、再度急な上りを上りきったあたりに、スペシャルバッグを受け取る場所があります。私はほぼビリなのですが、そのころには暇をもてあましているボランティアは、残っているバッグを道路まで持ってきてくれています。その場所は右カーブで、右に深くバンクしているところの左側でした。立ち止まって、バッグを受け取り、ありがとうと言おうとした時に、バイクが右に倒れていきまして(スローモーションのようでした、、、)、何とまあこんなところで痛恨の立ちゴケ!!!右膝、右くるぶし、右ひじを痛打、、、あーやってしまった。今までレースで立ちゴケしたことはなかったのに。生涯3度目の立ちゴケだあ。痛みが引くまでは、どうしようもないとあきらめて、路肩に腰を下ろして、ゆっくりとカーボショッツ水割りの後半用を作ったりして再スタート。と、思ったらチェーンが外れていました。入れようとしても、こけたときのダメージでしょうか、ローに入れると外れます。あれこれやっているとどんどん時間が過ぎていって、10数分が過ぎていました。結局原因はわからず、ローから3段くらいまではギアを入れられないことが分かりました。真ん中ぐらいのギアだとチェーンも変な音をたてず、落ち着いています。あーまた借金が増えた、、、と思いながら2回目の往路スタートです。ラッキーなことに、向い風が弱くなっていますし、急なのぼりは終った後だったので、ローに入れられなくても何とかなるでしょう。疲労度もそれほど感じませんでしたし、1度目の往路と比較して楽に走れている感じがしました。

 二回目の折り返しの町に来ます。マーシャルの人たちに、俺はビリか?と聞くと、あと二人いるとの返事、そーかよしっ、そいつらには負けんぞ、と思ったら、私の隣をそいつらの一人であるじいさんが通過していきました。ビリから3人目が2人目になってしまいました。が、そんなことを気にしている場合ではない、ビリ云々よりまず、バイクフィニッシュの時間に間に合うことが大事です。再スタートしてそのじいさんを追います。10キロくらいでじいさんに追いつきました。じいさんのゼッケンは1390台です。70歳代ってことのようです。すごいなあ、後ろからみてもふくらはぎからアキレス腱にかけての筋肉のつき様はとてもじいさんとは思えません(失礼!)。追いついて、俺達間に合うのかな?と話しかけると、じいさんは結構自信ありげに大丈夫といいます。よし、と気をよくして、See you later! といって抜いていきます。

 その後も、何とか間に合う、何とか間に合う、と念じながら足を動かします。足がつりそうになると、クランプストップをシュッと一吹きです。この頃にはBentoBoxにもスペースができているので、クランプストップを入れておきます。と、抜いたはずのじいさんが隣を抜いていきます。おー元気あるなあ、と思っていると、だんだんと離されはじめました(汗)。それなりにがんばるのですが、追いつけません。いつしかじいさんは視界から消えていきました、、さきほどの折り返しを過ぎて数キロのところで、大会主催者の車を従えた最後の選手とすれ違いました。おばあさんのようでした。俺が制限時間ぎりぎり(というか間に合わないかもしれない)と考えると、このおばあさんが制限時間に間に合うのは難しそうです。ということは、つまり、さっきのじいさんに抜かれた私がビリなのです。あとは、時計と距離計とにらめっこしながら、まだ間に合う、まだ間に合う、と念仏を唱えながら、自転車をこぐ辛い時間です。

 NZのバイクコースはクローズドコースではないので、片側一車線の道の左端を走ります。その右側を車が追い越していきます。市街地を除いて、制限速度は100キロです。KHさんに教えてもらったのですが、NZには日本のような自動車保険はありません。車で人をはねると、全て税金によって、保険金が支払われます。ところがその金額は驚くほど安いそうです。一度日本の高校の修学旅行で、高校生が自動車にはねられて死亡したとき、支払われた保険金が200万円だか300万円しか支払われず、その子の両親がNZ政府に不服を申し立てても、無駄だったそうです。私がふらついて車にはねられても、日本の家族に満足な補償はないということですよ。怖いです。

 復路も残り10キロになり、あとは下りというところで、残り時間26分でした。10キロを時速30キロで走って20分、ギリギリ間に合いそうです。と、思ったらコースを間違えて、2分のロス! これはショックです。あとは坂道を転がるように下っていきます。ローラー台しかやってないので怖い!!でもゆっくり走っていたら間に合わない!!死に物狂いでこいでいくと、ボランティアの人たちが「Smile!」とかいうので、たぶん相当悲壮な顔していたのでしょう。湖の岸まで下ってくると、トランジションエリアです。このとき、10時間30分の時間制限が、バイクフィニッシュのゲートなのか、ランのスタートゲートなのか自信がなかったのですが、マーシャルに聞くと、そのゲート(バイクフィニッシュです)をくぐればいいよと言われて、あーよかったあー、バイクを降りてゲートをくぐったところで、ちょうど5分前! ゲートの向こうにいたマーシャルと抱き合って喜びました! あとは幸せな時間でした。ゆっくりと着替えて、ランのスタートです。スイムからバイクへのトランジションのときは余裕がなくてよく覚えていないのですが、このランへのトランジションのテントの中にいるボランティア達は男性と女性半々なのです(選手はもちろん男女別のテントですけど)。私が着替えるとき手伝ってくれたのは女性でした。バイクパンツを脱ぐときに、「May I excuse ?」と言うと、はいはい、そーだったわね、と言う感じで、後ろを向いてくれますが、彼女以外にも女性はたくさんいて、その人たちは私の着替えを見てました、、、

 さて、ランはCWXの長タイツと長袖シャツです。日焼け、寒さ、汗冷え防止のためです。ウエストバッグには、ウインドブレーカー(これはツカさんのアドバイス)とクランプストップ(いわずと知れた、還暦さんのアドバイス)が入っています。バイクを180キロ走ったあと、ランにどのような影響があるか、全く想像できませんでした。正直、かなり軽く考えていました。ランゲートをくぐってから、しばらくは順調でした。18キロまでは歩かず走っていけました。18キロのエイドステーションであれこれ飲み食いしたあと、走れなくなりました。ウォーキングに切替えです。自分のウォーキングのペースはキロ10分より少し速いスピードです。これで最後まで行って、間に合うかどうかです。予想では、バイクが制限時間ギリギリであっても、無事に終えられれば、あとは6時間半でフルマラソンを走るのは楽勝!と思っていましたが、甘かった。一体何回クランプストップにお世話になったのか分かりません。この薬はきっと体に悪いものが入っているのでしょうが、この効き目はすごい!!漢方薬のほうは、効いているのか効いてないのかよくわかりませんが、このクランプストップは効果てきめんです。

 20キロのあたりで日が暮れて、寒くなってきます。ウインドブレーカーを着て、新春マラソンの参加賞でもらったクラシックな布製の白の手袋をして、競歩大会を続けます。歩くと辛くないので沿道の声援にも、余裕で応える事が出来ます。住宅地では、庭や玄関でパーティーが行なわれていて、選手に声援を送ってくれます。ある家の前では、でかいバスタブを置いて、その中に6-7名のビキニのおばさんたちがビール片手に入っていて、選手に大声援をおくっていました。異国だなあ。

 最後の折り返しを回ったあたりから、沿道整理の自転車に乗ったボランティアがいっしょに走ってくれます。僕はバイクをビリであがったんだよ、日本では自宅でローラー台でしか練習しないんだ、などと話すと、僕は家の前にトレイルがあって、そこを毎日マウンテンバイクで走る練習をしてるよ、とのこと。えらい練習環境が違うなあ、、、うらやましい。。満天の星空を見ながら歩いていて、ふと思い出しました。僕は生まれてからまだ南十字星を見たことがないと言うと、彼が教えてくれました。思ったより小さくてかわいらしい星座です。本当に見事なクロスの形をしています。30キロ過ぎから、下りと平地は走れるようになったので、制限時間の心配はほぼなくなりました。夜の11時を過ぎてもまだ応援してくれている人たちに手を振ったり、ハイタッチしたりして応えます。いよいよ町に戻り、ゴールが近くなってきました。誰かのレポートに、ゴールでは前後にランナーがいないのを確認して、衣服を整えて、笑顔でゴールするべしと書かれていたのを思い出し(またしても還暦さんか??)、ウインドブレーカーを脱ぎゼッケンが良く見えるようにして、帽子のひさしを後ろに回して写真に顔がちゃんと写るようにして、ゴール前の直線に入りました。12時ちかいのに、すごい数の観客の応援です。ハイタッチをして走り、最後にゴール前で立ち止まり、ゆっくりとテープを切りました。

 もし完走できたら、その晩に飲もうと思っていたスパークリングワインは飲む気がおきませんでした。代わりにビールでひとりで乾杯しました。携帯にメールが入っていました。家内からの完走おめでとうメールです。インターネットでゴールの瞬間を息子と一緒に見ていてくれたようです。完走できたことはもちろん嬉しいことでした。でも、自分の心の中では、嬉しさよりも、悔しさと安堵感の入り混じった気持の方が大きかったのです。そして、自分の力の足りなさを痛感しました。完走できたのはたまたまで、何かひとつでも状況が違っていれば、途中棄権または失格になっていても不思議ではありませんでした。

 オークランドへの帰りに、車を運転しながら、日本に帰ったらこれからどんな練習をしようかを考えました。バイク対策をどうするかなどなど、色々とアイデアが浮かんできて、だんだん楽しくなってきました。なんだか今からスタートラインに立つような気持です。月曜日に、シドニーから帰ってくるKHさんを、オークランド空港に迎えに行きました。飛行機が到着してから随分時間が経ってから、KHさんは一人の選手と共に、到着ロビーに出てきました。今回のオーストラリアの大会のグレコで銅メダルをとった選手でした。信じられないことなのですが、彼は視力がほとんどありません。わずかに光を感じる程度だそうです。手荷物受取で彼の荷物をKHさんが見つけることができなくて、出てくるのに時間がかかってしまったのでした。しかし、目の見えない人が目の見える相手といったいどうやって戦うのでしょうか?KHさんはあまりボキャブラリーが多くない人なので、「それはな、気だよ、気」とか言うのですが、どうしてもイメージできません。人間ってすごいですね。大変な勇気をもらいました。

 海外でアイアンマンレースに出るなどということができて、何と幸せなことでしょうか。さまざまな事に恵まれなければ、到底できることではありません。私の父親は、47歳と9ヶ月で病のためにこの世を去りました。私は偶然にも47歳と9ヶ月25日でアイアンマンになることができました。全ての事に感謝しながら、この大会参加記を終ろうと思います。大会前のダイエット中やレース中も、いつもこの大会参加記を書く自分をイメージして、がんばることができました。今はとても幸せです。


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