2008-03-09 第23回大山登山マラソン moto
種目:一般男子50歳代 9.1Km
記録:47′08″ 3位/330人

スタート        0        0         第21回大会
1Km       3′40″    3′40″      3’35”
2Km       3′59″    7′39″      3’59”  7’34”
3Km       −′−−″    −′−−″      -’--” --’--”
4Km       8′19″   15′58″      8’20” 15’55”
5Km       4′28″   20′27″      4’35” 20’30”
6Km       4′28″   24′55″      4’32” 25’02”
7Km       5′05″   30′01″      5’13” 30’16”
8Km       6′12″   36′14″      7’28” 37’45”
9Km      10′54″   47′08″      9’44” 47’30”

 金曜日、思いがけず松野から応援メッセージを貰った。私が一昨年逃した年代別優勝を期待しているとの事だった。自分でもその事を忘れていた。出るからには精一杯やるつもりだったが、優勝までは狙っていなかった。

 1ヶ月くらい前から大山の準備は始めていた。走り込みとスピード、両方のレベルアップを目指していた。オフィスでは、毎日7階までの階段の上り下りは欠かさなかった。1週間前の月例マラソンでも気持ち良く走れて、準備は万端だった。当日の天気も予報では問題無かった。暑くなる様だった。

 朝10時のスタートに合わせて、家を6時半に出た。平塚経由で伊勢原へ向かう。会場の伊勢原小学校へはちょうど8時に着いた。受付を済ませ、いつもの様に準備を進める。暖かくて準備もスムーズに進む。9時前からアップを開始する。何故か、今朝はトイレが近かった。1回の量も多いし、回数も多い。昨日はそんなに水分を摂ったつもりは無い。しかし出る量が多かった。スタート前までに5回は行った。最後にスタートラインに付く前に駅前のトイレに行ってすっきりした。もうそれでトイレの心配は無かった。

 ここには毎回招待選手がいる。今回は往年の名選手が5人呼ばれていた。鈴木博美、高橋ちえみ、そして田村由紀も来ていた。私達50代と一緒にスタートしたのは私と同じ千葉出身の鈴木博美、親しみが持てる。もう専業主婦という事だったが、往年の名残はあった。

 10時、定刻にスタートする。今年は白バイの先導が付いていた。暫くは白バイも目の前にいたが、先頭が少しずつ離れていくにつれ、白バイの赤いランプも見えなくなっていた。私の走りはいつものとおり。平地では無理もせず、ある程度先頭からは離されてしまう。そのうち、坂の勾配がきつくなってきたところで、つぶれて来た選手をとらえていこうという算段である。

 1キロ地点は246号線の交差点。3′40″で通過、例年よりは少々遅かった。先頭とは10mくらいの差が付いていただろうか。その先から勾配も少しずつきつくなっていく。伊勢原高校入口の交差点を左折し、大山へと向かう。勾配がきつくなり、先頭を2人で競っていた1人がもう落ちてきた。最初だけ先頭を争うランナーがいてペースが上がってしまった。こちらにとってはいい迷惑である。競わなければもう少しペースも遅かったろうに。20人位いた集団も散り散りになり、私の前には10人くらいしかいなくなった。皆年をとっているだけあって、あまり無謀な走りをするランナーはいない。最初だけというランナーは少ない。人数はそれで固定されたと言っていい。あとはじわりじわりと追い上げていくつもり。

 昨年からコースが変わった様だった。4.5キロ過ぎから新しいコースになった。数年前にバイパスが完成していて、それを通る様になっていた。バイパスに行くまでに唯一の下りがあった。100m程の下り坂で、勾配は結構きつい。中途半端なものは作らない。勢い良く下ってから、再び坂を上り始める。バイパスなので、道はまっすぐ、直登に近い。坂も長くきつくなった。旧道を迂回する為に、コースも若干伸びた。バイパスを終えて元の道に戻って6キロ地点、残り1キロで舗装路は終わる。最後の1キロ、しかしこの1キロは普通の道では無い。バイクで上るにはとてもきつそうな坂、走っていても今にも止まってしまいそうである。

 少し遠回りした分、7キロ地点は以前より少し手前に変わっていた。バスの終点にもなっているターミナルを過ぎて、神社の参道に入る。その時、順位は7位まで上がっていた。とりあえずは6位に入らないと表彰対象にならない。しかしその1人になかなか追い付かない。両側に土産物店の並ぶ階段に入ってやっと1人パス。更に前のランナーも目の前、3位のランナーまでは見える範囲にいた。しかし、その先までは見えない。1人ずつ確実に捕らえて3位まで上がるつもりでいた。前の方でも順位は入れ替わっていた。どのランナーが何位だか分からなくなっていた。しかし、見えるランナーは全て抜く。1人ずつ確実に捕らえた。

 山の中で、残り1キロも過ぎ、あと500m程になると、走路はもう石段しか残っていない。おととし私がトップに立ったところで、まだ前に1人見えていた。あれを抜けば3位。4位と3位の順位差は大きい。前回も思ったが、勝ちたいという思いの強い者が勝つ。私は3位になる、そう思って全ての力を出した。石段も残り僅かとなったところで抜き去る。後ろからは荒い息づかいが迫って来る様に聞こえてくる。しかし一度抜いたからには抜かせない。奇しくも、私が最後に抜いたランナーは、一昨年私が最後に抜かれたランナーだった。順位は違うものの、リベンジを果たしたというところか。

 見慣れた石段の風景となり、頭の上にはゴールとなる最後の石段が見える。後ろの荒い息づかいが恐ろしいが、負けられない。私の方が前にいるというアドバンテージは大きい。1歩でも先にゴールすれば勝ち、3位という位置は渡したくない。後ろは振り返らず、前だけを見る。最後の石段を上りきってゴール。目の前に張られた白いゴールテープを、両手を挙げて通り抜ける。ゴールテープの張りが気持ち良かった。後ろがどれ位離れているのか分からなかった。何秒でも良かった、1歩でも先にゴールしていれば。

 ゴールして、3位の札を首に掛けて貰う。もうこれ以上走らなくて良かった。でも、心臓はまだまだ速かった。立ち止まことができなかった。やっと少し落ち着いてから椅子に腰掛ける。靴に付いたRCチップを外すのにも苦労した。着替えの荷物を貰うにはもう少し階段を上らなければならなかった。阿夫利神社下社前まで上がって行き、荷物を受け取り、着替えを済ませる。すぐに表彰式は始まった。今年も1位にはなれなかった。優勝者を羨ましく眺めながら来年のレース展開を考えた。やはり1番にならなければ、2位以降は全て同じだった。来年は今度こそ1番になりたいと思う。まだまだ無理ではない。皆同じ50代なのだから。

 今年は思いがけず賞品がたくさん出た。何も貰わずに帰るよりも嬉しいもの。参加費分位は取り戻したかと思い、上機嫌で帰路についた。いいレースになった。


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