2008-11-23 第21回大田原マラソン moto

種目:フルマラソン 一般男子
記録:3°08′09″(総合279位/1223人、一般男子269位/1098人)

	   5Km	  20'22"
	  10Km	  40'53"  20'31"
	  15Km	 1゚02'03"  21'10"
	  20Km	 1゚23'35"  21'32"
	21.1Km	 1゚28'09"
	  25Km	 1゚45'02"  21'27"
	  30Km	 2゚07'47"  22'45"
	  35Km	 2゚31'22"  23'35"
	  40Km	 2゚56'16"  25'16"
	42.2Km	 3゚08'09"  11'31"

 まぼろしのサブスリー、夢のサブスリー、夢で終わった50代サブスリー、ちょっと長いけどやっぱりこれかな。40キロを過ぎ、もうサブスリーなど夢と消えてしまった時、完走記のタイトルを考えていた。50代でのサブスリーはやっぱり簡単な事ではなかった。去年とおんなじパターン、ゴール地点ではサブスリーを喜ぶランナーがいるはずだった。今年は去年よりもタイムが落ち込んでしまった。もはやこれが実力だと思うしかなかった。

 スタート5分前、50代のサブスリーランナーを実現するために、私はスタートラインに並んでいた。サブスリーになるためには絶好のコンディション、そこにはなんの障害も無かった。前から数メートル、陸連登録者の列にまぎれてスタートの合図を待っていた。

 50歳では運良くハワイに行けたのでマラソンには挑戦しなかった。51歳は屈辱の途中リタイア、昨年の52歳では強風に力尽きて5分オーバー。今年は万全の体制を敷いて大田原に備えた。準備期間は3か月、8月下旬から走り込みを開始し10月末までに900キロを走った。11月からは準備のレースを2つ、月例10キロ、横浜ハーフ、それぞれ納得のいく走りができていた。直前の最終調整も全く問題なし。そして当日の気象コンディションも最高、サブスリーを達成するにはなんの障害も無かった。走ればサブスリーが達成される事は疑う余地は無かった。数日前から速く走りたいと体が言っていた。

 今年は参加者が増え、一般ランナーが1000名余り、陸連登録者が500名ほど、女子が100名余り。以前から比べると倍くらいのランナーが参加していた。これも昨今のランニングブームの影響だろうか。お陰でスタートラインもランナーであふれていた。決まりどおりに一般ランナーのところに並ぶ気もせず、後から行って登録者の前の方に横から入った。まわりのランナーもそれに対して文句を言うわけでもなく、中に入る事を許してくれた。

 10時40分にスタートの号砲が鳴る。大外からスタート、なるべく内側に入ろうとするが、内側に入ってしまうと自由に身動きが取れない。仕方なく再び外に出てペースを上げる。1周400m、タイムは1′41″。昨年も同じタイムだった。予定どおりに進んでいた。まず出だしは問題なく始まった。あとは自分の走れるペースで走れば良かった。当然の様に、この大会の出場者は速いランナーが多い。前方からスタートするランナーはサブスリーで走れるランナーと思っていい。そのランナーの流れに乗って走りだした。5キロまでは距離表示が出てこない。しかしそこまでは自分の感じるスピードで走ればいい。

 出だしはみんな速い。ほとんどのランナーが私を抜いて行く。しかし焦るのは禁物と思っている。出だしで先走っても仕方がない。3キロほど行けば汗もかいてくる。汗かきの私だからまわりより早く汗をかいていて、ひとりで顔から汗を流している。大きな交差点を通過したとき、距離の確認のために時計を見る。17分だった。そのしばらく先に5キロ地点、タイムは20′22″。目標の20′30″を上回り、上出来のタイムだった。自分ではペースを上げ過ぎているつもりもなかったのでそのまま気持ち良く走り抜けた。

 5キロを思ったとおりに通過してしまえば、あとは慣れたコースをいつもの様に走るだけ。自分のペースに確信を持って走る。マラソンのレースで最初のうちは集団がいても徐々にそこから置いて行かれるレース展開となっている。無理をしても仕方ないのでほとんどのレースで大きな集団からは離されて行く。今日もやはり同じ展開だった。女性ランナーがいるとそれに男性ランナーが付き集団ができている。今年は速い女性ランナーが多かったのか、そういう集団がいくつもあった。7.5キロのスポンジテーブルを過ぎたあたりでは、後ろから見慣れた女性ランナーが来た。月例でも一緒になる松井さんだった。彼女は東京女子にも出てコンスタントに3時間を切れるランナーである。私を抜いて行っても不思議はない。実力的には似たようなものなので、付いて行っても速すぎるという事はない。しばらく松井集団の後ろに付くが、いつもの様に徐々に離されてしまった。

 9.5キロあたりで滝沢T字路にぶつかりそれを左折、その先が10キロ地点。この5キロのラップタイムが気になるところ、20′32″で通過した。予定どおり、望んだとおりのタイムだったので気を良くする。これで少しはサブスリーへの自信が持てた。10キロを過ぎてその先の交差点を右折するとスペシャルがあり、その先がゼネラルの給水所。ドリンクの提供はサントリー、給水しやすいパックで供給されている。蓋を開けてくれるので渡す方は大変だが、ランナーにとってはありがたい。給水して気分を変え、ペースを上げる。ウェストバッグにはカーボショッツとパワージェルが入っているが、10キロではまだ取らない。15キロから1個ずつ取っていく予定でいる。

 風は北西の方向から吹いている感じ。10キロから15キロの区間でやや向かい風気味になる。昨年の強風では大いに苦しめられたところである。今年の風は昨年ほど強く吹いていない。ちょうどいい感じの風である。ここまで走りとしては悪くないつもりでいた。15キロ地点は小学校の近くの角を左折する少し手前にある。ラップは21分をオーバーしていた。やや予定とは違ってきた。しかしこの間は上っている区間のはず、毎年この程度のタイムに落ちているはずだった。十分にリカバーできる範囲と思って気にはしない。

 15キロの給水所で最初のジェル、手に取れたのは梅ジェルだった。塩分も必要だろうと思い、喜んで食べる。小学校の先の給水でドリンクを貰い流し込む。エネルギーの補給は十分だ。走りのペース自体は悪くないと思っていた。民家の集落を抜けて市街地へ向う。

 昨年もそうだったが、後ろに大きな集団が付くとその足音が大きく聞こえてくる。何の音か、最初は分からなかったが、追い越されてみると、それが大きな集団だったと分かった。今年は既に女性が男性ランナーを引き連れていた集団が2つあった。そして20キロ地点に着くまでに再び大きな足音がうしろから聞こえてきた。今まで以上に大きな足音が響いてきた。それは予想どおりだった。先頭に3人が並び、胸には「3時間」のナンバー。30人ほどのランナーを引き連れやや緊張している様な顔でしっかりと走っていた。また今年もこいつらにやられてしまった。場所はまだ17キロあたりだった。今年こそは抜かれずに最後まで行ってやろうとの思いも、早々と打ち砕かれてしまった。このペースでは彼らに付いて行っても無理なことと思い、自分のペースを貫く事にした。しばらくは後ろに付いて走っていたが、徐々に離されてしまった。

 18.5キロ地点で左折し、市内のメインストリートへ出る。もうすぐ20キロ、ペースは気にしていなかったが、きちんと走れているはずだった。しかし、20キロ地点では前のラップと同じくかなり落ち込み、21分半もかかってしまっていた。自分では20分台で軽くカバーするだろうと思っていただけに、だいぶショックだった。スプリットも1時間24分近い。予定のタイムからは2分くらい遅れていた。しかしまだまだ3時間は無理ではない。体力的にも苦痛はないので、挽回できるものと思って前へ進む。

 2車線道路を左折して再び周回道路へ入る。しばらくしてハーフ地点、通過タイムは1時間28分。今年はしっかり練習もできていたし、過去にも27分台で通過してサブスリーを達成した事もある。決して無理ではないと自分に思い聞かせ次の地点を目指した。この先の25キロ地点にはスペシャルドリンクを用意していた。元気回復のためのレッドブルとカーボショッツ、この力を借りてサブスリーを願って置いた。

 1周20キロの周回コース。1周目で走っているのでコースはよく分かっている。たまたま1周目の交差点で見たラップタイムが17分台、2周目でも確認すると、なんとかまだ17分台だった。まだまだ十分走れているタイムだった。気を取り直して25キロ地点を目指していた。ちょっと開けたところの左側に25キロ地点、タイムは再び21分台。ほぼこのペースに固まってしまった様だった。21分が維持できれば問題ない。その先のスペシャルに希望をつなぎ、このまま走れる事を願った。大田原でスペシャルを置いたのは久しぶり。それだけ今回は準備をして臨んでいるつもりだった。飲み慣れたレッドブルとカーボショッツ、力が与えられる様な気がした。

 25キロから30キロは下り気味のコース、多少のタイムアップも期待した。一度は引き離された平塚の松井さんの姿も前の方に見えてきた。彼女が落ちてきた事も考えられるが、いつもしっかりとサブスリーを達成する人である。改めてその姿を目標にした。私の調子自体は悪くないという事なのか、気が付いた頃には次の5キロポイントに近付いている。30キロも10キロと同じ場所。T字路にぶつかって左折、あと500mもすると30キロポイントとなる。タイムが上がっている事を期待してラップを確認する。22′45″、スプリットは2時間7分台、30キロでの私の最低目標タイムの2時間5分を大幅にオーバーしてしまった。そしてサブスリー達成が難しくなってきた事を知らされた。しかしまだ完全には終わっていないつもりでいた。多少の望みは持っていた。

 30キロにはスペシャルは無かったので、ウェストバッグからジェルを取り出してゼネラルのドリンクで流し込む。前方の視界は開けていて気持ちがいい。ここをサブスリーを目指して気持ち良く走り抜けるつもりだったが、なかなか予定どおりにはいかない。10月の走り込みが良かったからか、或いは今日のペースが遅いからか、まだ体へのダメージは来ていない。それだけにまだまだ期待は捨てていなかった。昨年強風にあおられて戦意をなくしたあたり、左側には那須の山々が連なっている。毎回牛舎の臭いも漂って来る。35キロまで1キロを切ったあたり、時計を見ると既に20分を過ぎていた。

 35キロのラップはついに23分台まで落ちてしまった。今までが遅いので、さすがにここまで落ちるともう3時間の望みも断たれてしまったといえる。スプリットは2時間31分、残り7キロで残された時間は29分、なかなかたやすいペースではない。35キロにはスペシャルがある。小学校の前のエイドで自分のボトルを取りレッドブルを補給した。ボトルに付けたカーボショッツを取り、その先のゼネラルの給水所のドリンクで流し込む。私の走りも既にだいぶ力無い走りになってしまったが、周りのランナーも似た様なもの、元気に走っているランナーは殆どいない。私もその流れに乗ってゴールを目指す。明るい希望はもう無かった。一歩ずつゴールを目指すだけだった。周りを走るランナーは、力尽きて立ち止まったり後ろに下がって行く人もいた。

 徐々に応援の人も現れてくるが、なかなかそれに答えられない自分が辛い。少年野球の子供たちが懸命に声を上げて声援を送ってくれるが、反応は全くできなかった。その先は2車線の道路、残り3キロなどという表示も見えた。走っている横では1車線に規制された道路に車が大渋滞を起こしている。申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちとこんな走りしかできない自分の惨めさと、いろいろな気持ちが合わさっていて、走りは全く冴えない。もうここ数年、49歳の時以来、ここを元気に走り抜けてはいない。今となってはそんな事があった事すら忘れてしまっている。もう自分にはこんな走りしかできないのだろうと思ってしまう。

 遠かった40キロのラップは25分も掛かってしまった。しかしまだ3時間にはなっていなかった。しかし3時間以内にゴールするのも無理な話だった。1周目に左に折れて行った所を直進すれば、あと残りは2キロほど、ゴールの競技場を目指すだけ。今年も去年と同じ思いを味わってしまった。サブスリーを喜ぶ仲間に入る事ができなかった。そのふがいない気持ちだけしか無かった。ランナーと思える人がたくさん応援してくれているが、無表情で何の反応もできない。坦々とゴールを目指すだけだった。残り1キロを過ぎた時、時計は既に3時間を超えていた。

 競技場が左手に見えてきた頃、後ろから体の大きな選手が私を抜いて行った。ナンバーカードは2番、名前は小島と書いてあった。元実業団の有名選手だった。こんな人もこんなところを辛そうに走るのかと、私と同じ思いをしているのかと思うと少しは気持ちが救われた。競技場もすぐ目の前に見え、少しは意地でも見せようかとペースを上げようとしたが、もうそんな力は私には残っていなかった。精一杯走ったが、その思いは結果としては現れてくれなかった。フィニッシュラインも力なく通過した。私のマラソン人生はこれで終わった。

 大げさだが、この大田原マラソンには自分のマラソン人生を掛けるつもりでいた。マラソンを走るからには3時間は切らなければならない。それは私のマラソンへの想いだった。49歳で3時間を切ったあと、50代になってからは、毎年1回のこのマラソンでまだ目標が達成できていなかった。自分ではもう今年を逃せば来年は達成するのは年齢的に無理だろうと思っていた。そのためにも今年は万全の体制で臨むつもりでいた。気合いを入れるためにウェアも一新した。当日の天気は最高だった。まさに私のサブスリーを祝ってくれるかの様な天気になった。私はスタートラインに立った時、サブスリーを確信していた。そしてゴールした今、すべてが終わっていた。

<呆れたこと>
 今回の大田原では当然サブスリーを達成するつもりでいた。そのためにいろいろな準備をしていた。そのひとつに、ランナーズのラップタイム通知メールというものに申し込んでいた。最後にサブスリーを達成した記念にそのラップをメールに残しておこうと思った。サブスリーを達成するには、5キロを20′30″で30キロまで走れれば十分である。10キロは41分という事になる。今まで私はそういう走りをしてサブスリーを達成してきた。しかし家に帰ってから送られて来ていたメールを見て驚いた。最初の10キロを41分で走った時の私のゴール予想タイムが3時間25分となっていた。ランナーズの予測では10キロを41分で走るとゴールタイムは3時間半になるという事である。ランナーズの出版する本にはそんな風に走れと教える本など無い。逆に3時間半で走るには、10キロは45分で走れば十分である。ランナーズともあろう会社がランナーにそんな風に走れというとは何と呆れた事かと思った。実際に10キロを45分で走るとそのゴール予想タイムは何分になるのだろうか、知りたいと思う。

<驚いたこと>
 私の今年のレースナンバーは昨年と同じ「8470」だった。偶然か必然か、大田原はそんな事まで気を遣ってくれるのか。昨年と同じナンバーだったから、昨年と同じようなタイムだったのかな。

<その2>
 ジョージ君のラスト2.2キロのタイムが私と全く同じだった。スピードランナーがそこまで落ちるとやはり辛いとしか言えないだろう。ご同情申し上げます。

<感心したこと>
 今年の東京国際女子の結果を眺めていたら興味深いものを見つけた。Aさんのタイムは次のとおり。40キロまでほぼ私と一緒、この人に親しみが湧いてきた。

【本吉】
	5K	10K	15K	20K	half	25K	30K	35K	40K	42.2K
	0:20:21	0:40:53	1:02:03	1:23:35	1:28:09	1:45:02	2:07:47	2:31:22	2:56:38	3:08:09
		(20:32)	(21:10)	(21:32)		(21:27)	(22:45)	(23:35)	(25:16)	(11:31)
【女性A】
	0:20:29	0:41:11	1:02:11	1:23:29	1:28:09	1:45:07	2:07:52	2:31:20	2:56:26	3:07:30
		(20:42)	(21:00)	(21:18)		(21:38)	(22:45)	(23:28)	(25:06)	(11:04)

<その2>
 同じく東京国際女子、Bさん。この人は30キロまでほとんど私と同じ。彼女はサブスリーを達成している。今回の私のタイムでも最後までしっかりと走れれば3時間を切れるということ。

【女性B】
	5K	10K	15K	20K	half	25K	30K	35K	40K	42.2K
	0:20:21	0:41:03	1:02:06	1:23:24	1:28:03	1:44:52	2:06:53	2:28:36	2:50:39	2:59:48
		(20:42)	(21:03)	(21:18)		(21:28)	(22:01)	(21:43)	(22:03)	(9:09)

<その3>
 同じく東京国際女子。3時間ぎりぎりの59分でサブスリーを達成した女性が3名いる。
Cさん:59分40秒、Dさん:59分45秒、Eさん:59分59秒

【女性C】
	5K	10K	15K	20K	half	25K	30K	35K	40K	42.2K
	0:21:09	0:42:05	1:03:13	1:24:12	1:28:49	1:45:17	2:06:38	2:28:06	2:50:19	2:59:40
		(20:56)	(21:08)	(20:59)		(21:05)	(21:21)	(21:28)	(22:13)	(9:21)
【女性D】
	0:21:18	0:42:28	1:03:47	1:25:02	1:29:40	1:46:09	2:07:25	2:28:48	2:50:28	2:59:45
		(21:10)	(21:19)	(21:15)		(21:07)	(21:16)	(21:23)	(21:40)	(9:17)
【女性E】
	0:21:04	0:42:07	1:03:13	1:24:17	1:28:51	1:45:10	2:06:19	2:27:06	2:49:33	2:59:59
		(21:03)	(21:06)	(21:04)		(20:53)	(21:09)	(20:47)	(22:27)	(10:26)
 なんとDさんは5キロのラップすべてを21分台でカバーしている。これだけのタイムで走るにはどうすれば良いのか、教えを請いたい。
 また、3名とも入りの5キロは21分台。これで十分3時間を切れるのである。これを見て、私も練習次第ではまだまだ3時間を切れるという事だろうか、少しは希望が見えて来たような気もする。また3時間を狙って見ようかという気にもなってきた。
 来年の事はまた来年考える事にしよう。


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