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2008年7月6日 日曜日 天候:くもり 種目:Swim 3.8Km、Bike 180Km、Run 42.2Km 記録:11:48:04 総合1395位/年代57位 スイム 1:11:31 T1 7:51 1:19:22 バイク 6:07:41 7:27:03 T2 3:09 7:30:12 ラン 4:17:52 11:48:04写真は ⇒ こちら
■7月6日(日) レースデイ
予定通り3時半に起床。昨晩早く寝たせいか、気持ち良く起きる事ができた。7月なのでもう少し暖かいだろうと思っていたのだが、フランクフルトの緯度は北海道より高く、朝の気温はだいぶ低かった。その代わり昼の時間が長い。サマータイムを採用しているが、朝の5時には十分明るくなっている。朝早くからの食事も、オフィシャルホテルなので問題ない。和食もあるので、日本と同じものが食べられる。さすがに納豆は無かったが、ご飯、味噌汁、たまご、お新香、気のすむまで食べて朝の準備を進める。
スタート地点までのウェアは長袖、長タイツで寒くない様な格好で出かける。5時頃にはホテルの前から出るバスに乗ってスイム会場に向かう。およそ10キロ、20分程で到着する。スイム会場には既にたくさんの人がいる。皆忙しそうに準備を進めている。特に変わった事をするでもなく、いつもの様に自分の準備をする。エアポンプだけは大会で用意した物を使わなくてはならない。たくさん用意されているだろうと思っていたが、少々考えが甘かった。空いているポンプを探すのに右往左往してしまった。少々焦ってポンプを探す。人が使い終わるのを待ってポンプを貰っていく。残りの準備は特に問題は無い。ウェットを着るにも問題無し。全ての準備が終わって6時半頃、スタートまであと30分ほど。6時45分には我々より15分先にプロの部と女性達が出て行く。その間にウォームアップを済ませる。
プロが出て行って暫くしたところで、岸から100mほど先のスタート地点へ泳いで行く。ニュージーランドでも一緒だったシーポの田中さんに聞くと、右端から出て行くと言う。私もそれにならって右の方へ移動する。スタートラインを示す右端のブイより更に外側にいると、まわりで何かしきりに言っている。もっと左へ移動しろ、スタートはブイの内側だ、と言っている様だった。無視してずっとそこにいると、ボードが集まってきて前をガードし始めた。仕方なく少し後ろに回って左へ移動する。
今回スイムでは腕時計をしなかった。時計をしていても確認する時がないし、レースが終われば分かる事だと思っていた。また時計をはめた分、少しではあろうが、水の抵抗もあるかもしれないと思った。更に、泳いでいる途中で時計が外れて無くなってしまうのも心配だった。時計が無いので時刻が分からない。しかし、ひとの動きで様子は分かるので、時間はあまり気にする必要はなかった。
プロの部がスタートして15分後、我々エイジ男子がスタートした。案の定、エリア外からのスタートは許されなかった。仕方なくブイの内側へ移動して行く。ブイの下をくぐってスタートする人が見えたので、それにならった。田中さんも私の前でくぐって行くのが見えた。いちばん外側から800mほど先の大きなパワーバーのボトルを目指して泳ぎ始めた。距離的に大きくロスするわけでもなく、人に邪魔されることもなく、気持ち良く泳いだ。対岸の黄色い大きなボトルはよく目立った。いい目印だった。水はきれいではないが汚れているという感じではない。泳いでいて不快という感じはしない。
最初の周回は、反時計回りに大きな長い三角形を1周。右オープンの私にとってはブイが見えないが、左に寄っていく癖のある私にはちょうど良いかもしれない。2か所のコーナーでもそれほどのバトルは無い。一度、外人の大きな腕で頭を叩かれた。二度目はいきなり顔面にキックをくらった。しかしその被害はあまり無く、ゴーグルが外れたのと、左の頬が少し切れた程度。ゴーグルを掛け直すのに止まっている最中にも後ろから殴られる事も無く、再び泳ぎ始める。水は冷たくないので体も冷える事は無かったが、そろそろ1周目も終わる頃、用を足したくなった。トライしてみるとスムーズに出てくれる。コースを左にそれてゆっくり泳ぎながら用を足してしまった。
1周を終わり一度岸に上がる。後ろにどれ位いるのかなど気にすることも無く、時計が無いので時間を気にする事も無く、あと残りの1.5キロほどを頑張って泳げばよかった。ここまで不調なところは無く、気持ち良く泳げていた。あと1.5キロと思えば気も楽、30分ほどの頑張りだった。今度は時計回り、ブイを右側に見て泳ぐ。フィニッシュ手前、左岸にヌーディストビーチがあるが、右オープンの私には見えなかった。ただし、こんな朝早い時間から誰も来ていないだろうが。最後、ゴール直前でもまた用を足したくなった。今度も気持ち良くできた。そのお陰で陸に上がってからトイレに行く事も無かった。
岸に着き、ゴールゲートの時計を見ると、8時11分。スタートが7時なのでスイムタイムは1時間11分、上出来のスイムだった。気を良くしてトランジッションへと向かう。バッグを貰い着替えテントへ向かう。松岡からは男女一緒だと聞いていたが、今回は男女別のテントだった。手伝いも女性という事は無かった。少々期待が外れた。しかし十分なサポートがあってスムーズに着替える。素早いトランジッションとはいかなかったが、しっかりと準備をしてバイクをスタートした。トランジッションは7分も掛かってしまっていた。遅い!!
湖岸の道路を抜けて、フランクフルト市街へ向かう道路に出る。そこは高速道路の様だった。追い風、下り気味という事もあって気持ち良くスピードが出る。周りに合わせて走っているつもりだが、それでも時折後ろから勢い良く抜いて行くバイクがある。ドイツ人はバイクが速いという事は十分承知しているので驚きはしないが、気持ちのいいものではない。
高速道路を抜けて市内に入ると応援がたくさんいる。ここから残り170キロ、85キロ程のコースを2周する。ゴールとなるレーマー広場の近くは応援も多い。気持ち良く通り過ぎる。しばらく市街を走って、今度は郊外へと向かう。所々に消防隊員の様な格好の人達が警備にあたっている。ドイツでは交通規制は消防の仕事だろうか、感謝しつつ通過する。
高低図を見る限り、この周回コースには4つの坂がある。どんなものかは予想がつかず、図を頼りに想像するしかない。2つはかなり長い坂、他は短いけれども急坂の様である。街を出てすぐにいちばんの長い坂がある。しかし高低差は大きくないので、それほどきつい坂ではなかった。ちょっとした丘を上る様なものだった。とは言うものの、私は次々に後ろからパスされる。明らかに私よりも年配と思われる様な人にも抜かされる。女性にも同様、どんどん抜かれる。仕方ないので前を行く女性の大きなお尻を目標に、気合いを入れて上ることにした。下りは長かった。こんなに上っただろうかと思えるくらい、長く気持ちの良い下り坂が続いていた。丘をひとつ越えてしまうと農村に出たのか、小さな街と麦畑が広がっていた。気持ちのいい風景だった。
意識的にバイクコースに入れたのか、このコースしか無かったのか、プロのロードレースで見るような石畳も走らされた。古くからの石畳の様で、石は丸みをおびている。初めて体験する石畳のコースに、思わず笑ってしまった。こんなコースを走らせてくれて嬉しかった。ジェットストリームのボトルからは水が跳ね上がるし、手に伝わって来る振動はもの凄かった。ハンドルをしっかりと握って走りきる。ヨーロッパらしいところはたくさんあった。所々に置かれた障害除けも麦わらだった。日本では見られない光景がとても嬉しかった。街には人が繰り出し、お祭りのように通過するアイアンマンに声援を送ってくれた。街のはずれでは建物の下をくぐるゲートを通ってまた畑の中に出て行った。
バイクコースは85キロ程のコースを2周回。スタート地点から55キロあたりで折り返して再びフランクフルトの街に戻ってくる。折り返しの街らしいところを通過する。そこでとりあえず1/4が終了。まだ自分としてのペースは悪くなかった。しかし、周りに比べれば明らかに遅かった。私が抜いたバイクは数える程しかいなかった。4つ目の坂はパワーバーの坂だった。両脇にパワーバーの黄色いのぼり旗があがり、200mほど続く坂の上まで人垣でいっぱいだった。私が通過したのは1500番程度なので明らかに応援の人達は疲れていた。きっとトップが通過する時はもの凄い応援だった事だろう。それを思うと少々がっかりしてしまう。しかし応援に力付けられた。坂を上り終わると街まで10キロ程となる。遠くにはフランクフルトの高層ビルも見えてきた。下り気味のコースを気持ち良くとばして行く。ひと通りの上り下りをこなしてアベレージを見ると、30キロを少し超える程度だった。頑張れば6時間も切れるか、という感じもした。
街まで帰ってくると、フランクフルト市内は思ったほどの人出ではなかった。しかし、ゴール地点のスタンド前を気持ちよく通過し2周目に入った。まだまだ余力は残っていた。充分行けるつもりでいた。2周目もコースは全く一緒。それだけに1周目のイメージが残っているのでやや辛いか。しかし長い下りだけは気持ち良かった。2周目も半分くらい終わったところで、アベレージは30キロを割ってしまっていた。まだ上りも残っているし、6時間を切る事は無理になってきた。山岳地帯を行くわけでもなく、割合にフラットな走り易いこのコースで、それなりのいい結果を出すつもりでいたのだが、6時間を切れないのは残念だった。最後の例のパワーバーの上り坂ではペースもだいぶ落ちてしまった。パワーバーの坂をひと通り上り終わると、あとは街まで下り坂。頑張ってゴールを目指すが、最後は辛いバイクだった。市街地を車と共に走り抜け、スタンド前を通過してフィニッシュを迎えた。スイムで時計を付けていなかったので、トータルタイムは分からなかったが、7時間半くらいのタイムだった。ランを4時間で走れば11時間半、まずまず満足できるゴールタイムの予定だった。
ランへのトランジッションでも充分なサポートがあった。ひとりが付いてくれて、椅子に座らせてくれ、バッグの中身もならべてくれた。順番に身に付けられて素早く終わった。ランパートでもパワージェルが全てのエイドで提供されていたので、何も持たずに走ることにした。やはり身軽で良かった。とりあえず目標は4時間、最初の10キロは50分程度の予定。調子が良ければ、4時間を切って走るつもりでいた。
ランのコースは、市内のマイン川沿いの10.5キロを4周。1キロ毎に表示も出ているので、ラップもきちんとわかる。コース上はほとんどフラット。対岸に行くために橋を渡る。橋に向かうところが軽い上りになっている程度で、普通に走るなら走り易そうなコースである。出だしはまずまず、キロ5分程度で走れていた。2キロは10分少々、橋を渡って対岸に行って、3キロが15分半程度だった。走り出しのあと徐々にペースが上がっていくかと思ったが、そのあとなかなかペースが上がる様子は無かった。3キロ過ぎから7キロまでが川岸の1本道。両脇には応援がたくさんいるが、走路が狭くなり自分にとっては走りにくい。エイドでは早いうちにジェルなどを積極的に取っていた。水分も多く取るようにした。前半はそれで十分だった。
4周回するので、コース上には既に何周も回っているランナーがたくさんいる。腕にゴム輪をはめている。たまに3本の人もいた。そんな人はやはりペースも速い。もうすぐゴールを迎える人達だ。まだ8時間台でフィニッシュか。1周終って10.5キロ、なんとか1時間は切っていた。しかしだんだん走るのが辛くなってきた。明らかにペースは落ちてきていた。バイクで頑張り過ぎたか、あるいは暑さか。日差しは暑いものの、日陰に入ればあまり暑さは感じない。暑さのせいとは考えられなかった。時折日本人の応援も見かける。日本語で声を掛けられると嬉しくなる。ゼッケンに名前が入っているので、日本に親しみを持ってくれているからか、地元の人も名前で応援してくれる。それには手を挙げるくらいの反応はするが、ペースが上がるほどではなかった。もはや限界といった感じ、惰性で走っていた。残り3周というイメージも良くなかった。しかし、歩を進める事だけは確かだった。それだけは止めなかった。
2周目の半分を過ぎたあたりで、シーポの田中さんに抜かれた。同じ年代、相手は元気がいい。腕を見ると2本の輪を付けている。私よりも1時間以上速かった。ゴールタイムは10時間台の予想、立派なものだ。3周目になるとかなりペースも落ちていた。止まって休みたいという気になっていた。腹も空いてきたので何か食べなければ、という思いもあった。たどりついたエイドで立ち止まり、コーラを飲み、バナナを食べてまた走り出した。いちばん辛い時間だった。3周目、7キロ過ぎの折り返しでゴム輪を貰う。最初が黒、2周目が赤、そして黄色、ちゃんと上から付けていくと見事、ドイツ国旗の3色になっていた。やっと私も3色が揃った。3周目もそろそろ終わる頃に時計を見ると10キロで65分くらいかかっていた。途中のエイドでだいぶ立ち止まっていたせいもあるのだろう。最後の1周はもう少しペースを上げたかった。
残り1周になりだいぶ気も楽になったが、あまりペースは上がっていなかった。周りを走るランナーも少なくなってしまった様な気がしていた。やはりランの応援も疲れてきたか、元気も無くなってきていた。私がランをスタートする2時間も前から応援しているのだろうから、かなりの時間が経っている。ありがたいことだ。しかし感謝はしたいがそれに応える元気が出て来なかった。3キロから7キロ過ぎ迄の1本道を走り切れば、もう先は見えたもの。とりあえずの目標を折り返しのゴム輪を貰う場所にする。もうエイドも要らなくなり、いくつかはパスして行く。最後の折り返しで最後のゴム輪、白を貰う。やっとこれで全色揃いゴールに向かうことができる。最後の橋を渡る頃には完走を祝福してくれる応援もある。それはやはり嬉しかった。きちんと応える。辛いランもやっと終りになると思った。あとは喜びのフィニッシュゲートが目標だった。
周回を繰り返していたところからコースを外れて、バイクコースだった道路に出て、更にレーマー広場へ向かう上り坂に掛かる。両脇には応援がたくさんいる。みんな歓迎して、はやしたててくれる。名前のアナウンスもあり、やっとドイツアイアンマンのフィニッシュを迎えることができた。なんとか11時間40分台でのゴールだった。ランは予定より20分近く遅れてしまった。辛いレースだったが、日の沈むのはまだまだ先、明るいうちにゴールができた。
メダルを掛けられタオルを貰い、付き添いに連れられて選手の控えに移動する。歩くことは問題なかったが、疲れていた。気分はどうだとか、何が欲しいかなどと聞いてくる。マッサージをして貰いたいと思ったが、やはり点滴がいちばんだろうと思い、ジェスチャーで点滴をお願いする。すぐに分かってくれて医療チームに連れて行かれた。テントの中はきっと人で一杯だったのだろう。外のベンチに座らされ、そこで20分ほど点滴を受けた。楽になった様な気がした。その後は着替えのバッグを貰い、とりあえずホテルに帰る事にした。お腹が空いていたので、軽く食事をする。もちろん食事にはビールも付いていた。その後は、余韻を味わいながらのんびりと部屋に戻り、シャワーを浴びて一息つく。そしてまた荷物の引き取りを兼ねてゴールに戻った。まばらになっていたが、まだまだゴールを目指す選手は頑張っていた。
■7月3日(木) 成田発
いつもの朝一番の成田行き横須賀線に乗り空港に向かった。空港に着いてすぐにチェックインを済ませるが、私の他にはトライアスリートなど見えなかった。カウンターでは予想されたとおりバイク輸送として80ユーロを請求された。時節柄仕方がない。9時35分発ルフトハンザ、フランクフルト行きでドイツへと向かう。飛行時間は11時間ほど、サマータイムのため日本との時差は7時間。フランクフルト着は午後2時頃、着いてしまえば、飛行時間もそれほど長くは感じなかった。空港から市内へ向かうのにバイクを乗せられるワゴン型のタクシーを拾うのに少々戸惑う。空港の外をうろうろしながらやっとつかまえた。タクシーで20分ほど、フランクフルト市内へ向かう。歴史のありそうな建物がたくさん建っている。近代的な高層ビルも空に伸びている。オフィシャルホテルのインターコンチネンタルにチェックイン。
少し離れたメイン会場のレーマー広場まで歩いて行き、受付を済ませる。オフィシャルの大会グッズ売り場はそれほど広くなかったが、数点買い求める。とりあえず今日やらなくてはならない事は終わり。やや疲れてはいたが、また外へ出てくるのも億劫なので、そのままザクセンハウゼンに向かう。還暦さんお奨めの店でリンゴ酒やソーセージを味わうつもりだったが、場所がわからず断念。街角の店に入ったが、リンゴ酒はあったものの、ソーセージは無かった。軽い食事を済ませこの日はこれで終了。
■7月4日(金)パスタ・パーティ
今日の予定は説明会とパスタ・パーティ。そしてショップに行ってまた買い物。
朝起きてバイクを組み立てる。午前中は少しバイクライド。市内からバイクコースを行ってみるつもりだったが、道が全く分からない。一本脇道にそれたら自分がどこにいるか分からなくなった。仕方なく来た道を戻る。結局10キロ程乗ってしまった。昼からレーマー広場に向かい、軽い食事と買い物。説明会場へは大会ヘルパーに行き方を聞いて余裕を持って出かける。
1時間ほど英語の説明を聞いた後、しばらく間をおいてパーティ。食事の内容などは他とあまり変わらない。ただ飲み放題のビールがあった。少々抑えながらも普通に飲ませて貰う。しかし、7時から始まり1時間以上経っても何も始まらない。やっと8時を過ぎてから何か始ったが、何を言っているかわからない。お腹もいっぱいになったので、そのまま帰って来る。今日の予定は終了。
■7月5日(土) バイク・チェックイン
今日の予定はレースギアとバイクのチェックイン。レースギアを持ってスイム会場へバイクを預けに行ってそこで泳ぐ予定。
レースナンバー順にチェックインの時間が決まっていたが、いつでも問題ない様子。私のナンバーは1968、指定通りだと夕方になる。そんなにゆっくりしているわけにもいかず、10時過ぎにホテルを出てレーマー広場に荷物を持って出かける。何しろ初めて、ひとりの事なので、どこで何が行われているのだか分からない。その都度人に尋ねて何とか行ってみる。こちらの人はみんな親切である。丁寧に教えてくれる。丁寧に教えてくれるのだが、こちらが十分に理解できない。結局余計に時間が掛かってしまう。スイム会場に行くバスもどこから出るのかよく分からなかったが、なんとかたどり着く。タイミング良く出発する直前に間に合い、待ち時間も無くすぐに出発。専用のバイク台にバイクを乗せて、バスに連結したトレーラーに積み、スイム会場へ向う。スイム会場は空港のすぐそば、これも市内から車で20分ほど。しばらくバスに乗りため池のようなスイム会場に着く。一辺が1キロくらいの大きなため池である。水は決してきれいではない。
まずはランニング用のレースバッグを預けた後、バイクチェックを受けてバイクをセット。大きなビニールのバイクカバーを貰ってバイクに掛ける。これで準備はおしまい。その後はスイム会場に行って軽く泳ぐ。水温はぬるい感じで泳ぎやすい。スイム会場の右側には聞いていたとおりヌーディストビーチがあった。遠目ではっきり見えないけれど、様子はわかった。しばらくのんびりとくつろぐ。帰りもタイミングよく戻りのバスに乗って市内に戻った。
遅い昼食は中央駅のスタンドで寿司を買ってくる。レースを明日に控え、ご飯を食べたかった。しかし高かった。10ユーロ、1,700円もした。更に夕食は駅前の中華料理店に入る。量が多すぎてひとりでは食べきれなかった。明日に備えての食事は十分だった。9時にはベッドに入る。
■7月6日(日) レースデイ
3時半起床。長い1日が始まった。緊張感などは無い。楽しい1日になる事を願った。
■7月7日(月) アワード・パーティ
昨夜はベッドに横になったら自由に身動きが取れず、そのまま寝てしまった。今朝はいつものレースの翌朝と同じ様に、5時には目が覚めてしまった。納得のいくレースができなかったものの、レースを完走した充実感はあった。
アワード・パーティは11時から。地下鉄の乗り方もわかったので、いちばん近い中央駅から出かけて行く。乗り換えはスムーズにできたが、降りるはずの駅で乗り過ごしてしまった。次の駅まで行ったが、会場まですぐ近くだったので、少し多めに歩いただけで済んだ。パーティ自体は特に変わりのないものだった。表彰式も簡単に終り、パーティは終了した。50歳代の日本人女性が3位に入賞していた。その後はフランクフルト市内を観光し、1日が終了した。
■7月8日(火) 観光
いつもより帰りを1日延ばし、今日はライン川下りを予定していた。ガイドブックを参考にし、川下りの起点まで電車で行き、終点まで約4時間、のんびり川下りを楽しんだ。ゆっくりした川の流れのなか、古城を眺め、のんびりとした時を過ごした。帰りはドイツ国鉄自慢の特急であっという間に帰ってきてしまった。いい1日だった。
朝はリューデスハイムというところから船に乗るはずだったのだが、電車が遅れていたのと、駅名が“〜ハイム”というので、駅に降りたら、どうも様子がおかしい。暫く歩いて着いたガソリンスタンドで尋ねると、乗り場はまだ5キロ先だと言う。今日はひとつ手前の駅で電車を降りてしまった様だ。お店の人にタクシーを呼んで貰い、無事船着場に着いて事なきを得た。乗るはずの船もだいぶ遅れていた。日本の様な正確な時刻の運行を期待してはいけないのだろう。
■7月9日(水) 帰国
帰りの便は13時55分、フランクフルトから成田への直行便。ゆっくりホテルを出て、最後のフランクフルトを楽しむ。飛行機に乗ってしまえば成田に着くだけ。成田には翌朝の8時に到着。長かったアイアンマンドイツ・ツアーも終了した。
ツアー費用 約35万円(グッドウィル) エントリー費 6万円 現金 300ユーロ(@180円)