2008-3-22 三角形の二辺の和は他の一辺より長く、発泡酒はビールより美味い キヨ

2008年、鉄人春合宿  写真は ⇒こちら

 『三つ子の魂、百まで』なんてぇことを申しますが、今から、46,7年ほど前、四国の田舎に一人歩きが出来るようになったばかりの子どもがおりました。ある日、母親と散歩に出かけたその子は、Y字路の分岐点に行き当たった時、母親と別方向の道を進み始めたのです。最初の内こそ、母親との距離はそれ程離れませんが、なにせY字路のことですから、進むに従ってだんだん、母親の姿が小さくなっていきます。次第に心細くなったこの子はとうとう途中で泣き出し、次の交差点に辿り着いた時、母親のいる道へ走り出しました。その道のりの遠かったこと。

 やがて、小学生になった子は、算数の授業で、三角形の定義の一つの、「二辺の和は、他の一辺より長い。」ということを教わった時、その幼い日が甦り、この定義をしっかりと覚えこんだのです。それから、更に月日がたったある春の日、おやじ世代になったその子は、その定義を思い知らされることになったのです。

 2008年3月22日のバイク練習、合宿場所である日本エアロビクスセンター(NAC)まで、後5キロも切った頃、カーブを曲がると50mほど前に、突然、見覚えのあるバイクジャージに身を包み、ロードレーサを漕ぐ男性の姿が見えたのです。「なんで?」。彼は、朝のスタート時から最後尾で、最後のコンビニ休憩を終えた時も後にいたはずなのに、そして、途中で追い越された記憶もないのに、何故、前を走っているのだろう。考えられるのは私が途中で道を間違えて大回りをした、ということ?

 今日のバイク練習は、マツがサポートカーを運転してくださり、イヤミ、ダニエル、モト、隊長、ジャムおじさん、ヨッシー、ガサ、キヨ、そして、ヨーコ改め”港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ・長いっ”の10名で走ります。私の合宿初参加は04年でしたが、苦手なバイクでは、いつも最初の休憩コンビニ(約20キロ地点)で皆を見送り、引き返していました。今年は、梅林コースにも2度参加したこともあり、また、サポートカーがいてくれるという安心感もあり、全コースに挑戦してみようと、思います。昨日とは違って、春の日差しが暖かい、絶好のバイク日和。NAC敷地内の梅も盛り、風も治まりつつあるなか、養老渓谷約100キロを目指し、9時過ぎにスタート。その道中の陽気なこと(ヨーコ・ヨコハマさん、渓谷に着く頃ヨロヨロにならないでね)。

 NACから、最初の坂を下り、心持ち追い風の中、気持ち良く走り始めます。今までなら、離され、疲れる第一休憩所にも余力を持ちつつ到着。これから未体験ゾーンに突入です。ダニエル、イヤミ、ヨッシーに引っ張ってもらいながら、快調に進みます。ヨーコも殆ど遅れることなく、付いて来ます。上り下りが連続しますが、梅林+神大コースに比べれば、何とか越えて行けます。遅れ勝ちのガザも強制収容されることなく、重い自転車で頑張ってます。半分の50キロ辺り、ダニエルの後に付かせてもらいましたが、まだまだ前に出るだけの余裕はありません。しかも、未知の道なので。ごめんなさい。もっと練習して、いつかは、たまには牽けるようになりますね。この後、房総の山の中を、小湊鉄道に沿って走り抜けます。しばしば、テレビでも紹介され、鉄チャンには垂涎のローカル線です。菜の花に彩られた鄙びた木造の駅舎を見つけ、思わず、足を止めたくなります。1両編成のディーゼルカーでも走っていたら最高なのですが、なにせ廃止間際の路線だけに、列車も日に数本しかないようで、その姿を見ることはありません。それでも私にとっては、今日のコースで一番のお気に入りになりました。

 ところが、先ほどから、後のタイヤから擦れる音が聞こえるようになりました。パンクはしていませんが、少し空気が抜けているようで、重く感じます。前の集団から遅れ、後とも離れ、辛い一人旅です。それでも、最後の休憩所で一息ついて、NACに向けての最後の20キロを2番手で走り始めます。ダニエルが一気にスピードを上げ、瞬く間に見えなくなり、暫くすると後も見えなくなり、また、一人旅になってしまいました。後輪は重いままですが、あと少し、走りきれそうです。昨日、木更津北インターを降りてNACへ向かい車で走った道なので迷うことはないだろう、と思います。ところが残り10キロを切った辺りでT字路にぶつかり、少し悩みましたが、やや道なりに左へ進みます。しかし、2〜300m程行った所で、少し変だなと思い、引き返し、後続が来るのを少し待つことにします。

 しかし、待てども来る様子がありません。やむなく、昨日の記憶を頼りに右へ行くと『明るい農村』という看板が見えました。確か、スタート前に誰かが言っていた目印だった筈です。少し安心。と同時に後続グループも気になります。更に進むと、見覚えのある道になり、元気を出して帰り道を急ぎます。と、その時、突然、目の前に現れたのがガサだったのです。

 後で確認してみると、T字路にぶつかる前に右に折れる道があり、そこに『明るい農村』という看板があったようです。私はそれを見逃し、T字路まで突き抜けたのです。従って、その後に見た『明るい農村』は反対方向から入る看板だったのです。正しいコースは手前で右に折れるべきで、大回りをしている間に後続グループに抜かれていたのです。まさに、二辺の和は他の一辺より長い、を46年ぶりに演じてしまったのですね。そして前日、車で通ってなければ、恐らくT字路をそのまま左へ行って、今頃、袖ヶ浦で彷徨っているかも。

 さて、今年の宿泊場所は、例年のコテージとは異なり、ホテルです。随分広い部屋です。ホームバー形式のカウンターもあり、シティホテルのスイートルーム並みです。ソファやカーペットが剥がれているとこともありますが、酔って寝てしまえば気にもならないでしょう。20日は、モト、隊長、ガサの3人、21日にキヨとヨーコが、更に22日にイヤミ、ダニエル、マツ、ジャムおじさん、ヨッシーが加わり、総勢10名の宴会です。毎度のことながら、酒と話題には事欠きません。ミシュランの三ツ星がどうのこうのとか、幻の銘酒がどうだとか、言われますが、食事も酒も5W1H。家で飲むビール(と言っても、滅多にありませんが)より、鉄人と飲む発泡酒の方が、よほど美味いと感じます。

 最終日の午前中は、バイク組、ラン組、そして昼寝組みとそれぞれ思い思いの春の半日を楽しみ、無事、合宿は終了しました。隊長とヨーコが土産に買った『金のなる木』、果たして実を結ぶでしょうか。


home back