2008/5/17 第37回東京−糸魚川ファストラン kanreki

●まえがき
 「1971年から継承されてきた、伝統のファストラン(*1)「東京−糸魚川。当時ある学生が東京湾の水を日本海に注いでみたらどうなるかの想いを胸にひたすらペダルを踏んだ結果、一度では答えがでないため、毎年行われることになった」(大会要綱冒頭の文章から)大会です。京王線の高尾山口駅前をスタートして新潟県の糸魚川までの292kmをひたすら走るのです。参加選手は東京湾の水を携帯することが義務付けられています(*2)。今年は470名がこのロマンに魅せられて申し込みました。しかし、制限時間内にゴールできたのは375名です。真のロマンチストになるためには厳しい試練が待っているのです。
 *1 自転車での走り方のジャンルで長距離を速く走ること。ちなみに、ポタリングは街乗りです。
 *2 こんな規則はありません。

●前日
 夕方5時になって自宅から高尾山口駅近くの旅館「花藤」まで自走しました。荷物を背負って31km、1時間半。途中のコンビにで、明日の朝食と宿についてからの缶ビールとつまみを調達しました。缶ビールを飲んでいると、程なくNOBUさん(*3)が自走して到着。直ちに、旅館の食堂へ。旧知の女性2名がすでに宴会を始めていました。翌日、ひとりは最終走者、もうひとりは大町でサポートカーに拾われるなんて露知らぬことでした。ビールで乾杯。9時頃になってびーんさん(*4)が缶ビールを持って宿に到着。またまた、乾杯。
 *3 走るピアニスト。スイムがキャンセルになると上位入賞間違いなし。
 *4 ウルトラランナー。顔はコメディアン、性格は真面目?

●スタート
 3時半起床。5時少し前に高尾山口駅へバイクで移動。受付、ゴールの糸魚川まで持っていってもらう荷物と、途中の白馬で受け取る荷物を預けました。天気予報では日中22度になるといっていたのですが、朝は寒く、きっと、大町を越えてからのアルプス下ろしの風が冷たかろうと、白馬行きの荷物には長袖のジャージーと長いバイクパンツ、指きりではない手袋を入れておきました。

 3時から6時半までの間、10分毎に20名くらいづつの選手がスタートするのですが、245km地点の白馬が18時、270kmの小谷が19時の制限時間は変わらないので遅くスタートすると制限時間までの余裕がなくなります。我々は5時半スタート、実力相応?ではないよなあ。ヘッドランプとバックランプ(常時点灯)は義務です。

 スタート前に、wakaちゃん夫妻とそのなかまふたりと会いました。この夫妻は、元強豪トライアスリートでハワイに出場している旦那と今も強豪トライアスリート、中年女性の星の奥様です。奥様は、この大会で女子3位でした。表彰式では「今回は旦那に引いてもらわなかったので3位になれました」と話していました。旦那の方が順位は上でしたけど。

●峠、峠、峠・・・
 いきなり大垂水峠(372m)への上りです。冷え切った身体なので息はあがり「あーあ、また来てしまった」と後悔が始まります。豪快に下るつもりでしたが、前の遅いトラックを追い越せば嫌がらせを受けるに決まっている、といらいらしながら後ろについて走りました。相模湖畔を過ぎて上野原の上りと当然の下り、笹子峠(750m)に第一チェックポイントがあります。57km地点です。一緒にスタートした選手達はとっくに先に行ってしまっているし、次から次へと追い越され続けています。3kmの長いトンネルをトラックの風圧に脅かされながら抜けると、長い下りと甲府盆地のフラットな道が続きます。なるべく2、3名の集団について目一杯のスピード走ります。快調、快調。

 いつものことなのですが、80kmを越え韮崎に向かう道で睡魔に襲われます。一瞬気を失う感じになります。このあたりが鬼門なのです。まず、止まって目薬をさします。梅チューブから極めてしょっぱい梅を口に入れて、持っている食べ物、カロリーメイト、ボトルに入れたゼリーを喉に押し込みます。この状態が10数キロ続いて、ようやく第二チェックポイント韮崎郊外106km地点に着きます。次は133km地点の富士見峠(960m)への長い上りです。息も絶え絶えに上って豪快に下って諏訪湖畔に出ます。この大会は正規、あるいは、推奨ルートはあるのですが、チェックポイントを通ればどこを走っても失格にはなりません。競争ではないのですから。ということで、前から気になっていた昔のルート、湖の北側の道を取りました。結果的には、この道で誰にも会わなかったということは遠回りだったようです。

 どのコースを取るにしても、スタートからゴールまでに何十もの交差点があって、どちらに行くかを判断しなければなりません。難しい交差点がいくつかあります。逸話として、長野方向に右折すべき交差点を直進して岐阜方向に行ってしまい、タクシー代2万数千円でもどってきたひとがいたそうです。

 150kmくらいになり、尻と腰が嫌がってきたし、トイレにも行きたくなったのでコンビニで休憩することにしました。ちょっとの休憩でも息を吹き返せるのです。さて、それから難関の塩尻峠(999m)です。つらいという意識を無視するようにして回し続けます。50〜60回転/分になっているでしょう。フラットでは90〜100回転です。そして、第三チェックポイントの172km地点、小坂田公園です。ここで、2時間半前にスタートしている昨晩乾杯した女性(*5)に遭遇しました。彼女曰く「こんなところで会いたくなかった〜」。去年はもっと手前で会ったので、大分進歩しています。
 *5 3年前だったかの伊豆大島トライアスロンの荒れた海で溺れていたのですが、いまや立派なスイマーになっています。来年は完走できるはずです。

 ここから大町までが複雑なコースと向かい風に悩まされる区間です。そのうえ、上りともわからないような軽い上りが続くので、自分が疲れてしまったと思い違いをするところです。松本を越え、いよいよ左側に北アルプスが見えてきます。ついでに、冷たい風が吹き降ろしてきます。腰が完全に悲鳴をあげています。195kmあたりのコンビニで休憩。結局、チェックポイントが4ヶ所、コンビニ2ケ所で休憩をしました。

 北に向かって荒れた舗装の道を走り続け、白馬駅近くの第四チェックポイントにつきました。もう、248kmも走りました。これで、完走の目処は立ちました。長袖のジャージを重ね着して、長いバイクパンツに履き替えて、手袋も冬用に替えました。トイレ、エイドのおいなりさんなどを食べながらのんびりしているとびーんさんが着きました。どこで抜いたのでしょうか。「しめしめ」。きっと、どこかのコンビニでうつらうつらとしていたのでしょう。

 ここからは上りが何箇所かはあるのですが、下りばかりです。それより恐いのがトンネルです。昔は真っ暗なトンネルもあったのですが、さすがに照明はあります。路面も恐い穴ぼこがほとんどなくなり転倒の危険も減りました。上りはスピードがないのでいいのですが、下りでとばすのはちょっとだけ命がけ。

 がんがんとばして、フラットになって、ときどきバイクに乗ったままで腰のストレッチをしながら走ります。ゴールの糸魚川ホテルが見えてきました。292km走りきりました。お風呂にはいってさっぱりしたNOBUさんが出迎えてくれました。

●祝杯
 主催者から支給された幕の内弁当と缶ビールで祝杯です。出場したことを後悔していたことを忘れています。同じチームのたろちゃん(*6)は寝坊して1時間遅れの6時半スタート、結果、白馬で制限時間切れになって収容されてしまいました。
 *6 たろちゃんを形容すれば「女性に親切なSE」。赤ちゃんが生まれたばかりです。

●翌日
 朝5時過ぎにびーんさんと日本海を見にバイクで行きました。NOBUさんはランです。これこそが、今回の最大の目的でした。武蔵野市の水、すなわち自宅の水道の水(*7)を日本海に注ぐことなのです。これで思い残すことはありません。

 帰りはバイクで走ってきた道をバスで戻りながら昨日のことを思い出しながら感慨にふけっていました。もちろん、ビールを飲みながらです。


 *7 武蔵野市の水道水のほとんどは地下水なので、武蔵野の水と言えます。

●記録
 10回出場した記録です。2000年を頂点として遅くなってきています。今年は60歳代が24名、70歳代が2名出場しました。


1995年 14:42:42
1996年 13:47:50
1997年 13:32:32
1999年 12:03:05
2000年 11:45:28
2001年 12:24:43
2002年 12:54:27
2004年 12:39:24
2007年 13:15:43 総合235位/完走368名
2008年 13:21:38 総合219位/完走375名
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