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翌日、21日になってもほとんど状況は変わらず、いつものようにバイクをスタートの富江まで自走していくことなどは最初からあきらめて、カンレキ氏、シーちゃん(カンレキ氏の地元アスリート)と福江文化会館まで預託に行く。会場では長崎から応援に駆けつけてくれたサブちゃん一家と再会、しばし旧交を温める。
22日3時半、日本のほぼ最西端となる福江島の夜明けは遅く、まだ空は真っ暗だが、道路の明りに反射して見える路面は黒ずんで見え、なんとなく一部は乾き始めているようにも思える。とりあえず今現在は雨は降っていないようだ。プレスイムバッグとバイクのバッグ、インフレータなどを抱えてバスに乗り込む。
富江のスイム会場ではひとしきり小雨が降ってきたが、ボディナンバー、バイクのセッティング、ウエットスーツを着てスイムチェックへ進むころにはすっかりあがった。「言い訳のたねがなくなった」とカンレキ氏。酷暑、凍えるようなスイム、大波に多数のリタイヤを出した年など、過去さまざまなドラマのあった五島大会であるが、曇り空で風も波もなく、前日の不安を払拭するようないいコンディションなのだ。
6:58、エリート選手がスタート。7:00、いよいよエイジグループのスタートだ。スタート後はいつものようにコースの左端へ。風も波もなく、水温も発表では20.5度で泳ぎやすい。これまでのジャパンでは一番のコンディションかもしれない。最初の周回を終えるころ、はやくも右側を素晴らしいスピードで追い抜いていくブルーのスイムキャップが見えた。これがトップのルークマッケンジーだったようだ。
サブちゃんの応援を受けて二周目へ。一周目のタイムは46分ほど。自分にしてはまずまず、と気を良くして少しスピードを上げたつもり。これだと1:30近くであがれるかなどと期待したのであったがそんなに甘くなく、スイムゴールは1:42であった。これでもまずは上出来である。しかしバイクラックはすでに閑散としており、コルナゴの周辺より少しゼッケンが若い方、つまりエイジが上のほうに数台かたまって残っているだけ。今回、スイムは皆早かったようで、リタイヤもなく2時間を超えた人も1〜2人だったようだ。
練習不足を言い訳にするのは毎回のことであるが、それでも今回は自分でも異例といえるほどの練習不足である。3〜4月にバイクの練習に何回か顔を出した後は5月に東京・糸魚川を走っただけ。それに昨年軽い肉ばなれ?の症状があっていらい右脚に軽い違和感を感じており、その不安がつねに頭の片隅にあって、思い切り走ることができない。今回、天候が悪ければバイクゴールでの制限時間が気になっていたのと、それ以上にランがまともに走れるのかが不安であった。毎回、参加する以上は自己ベストへの意志が最低限のモチベーションだと思っているのだが、今回は出場できただけでもラッキーであったと思う。本当に完走が目標なのである。
アイアンマンジャパン長崎五島大会は今年で8回目の開催となるが、その間にバイクコースは大きく3回変わっている。2001年の第一回は鬼岳の中腹を回り、島の北部まで大きく周回するコースであったが、2002年から2005年までは島の西部を半時計回りに2周するコースになった。荒川から二本楠まで、長い坂を3回登る部分が含まれ、IMJのバイクは厳しいといわれるようになったコースである。昨年からは6月の開催となったことにあわせて、再びコースは変わっている。島の西部をそれまでとは逆に時計回りに二周回するコースで、荒川からの上り坂はコースに含まれなくなった。自分は昨年出場できなかったので、今回このコースは初めて走ることになる。
気持ち良くとばせる富江からのフラットなコースを10キロほど行ったところで後ろから声をかけて神戸のYさんが追い抜いていった。Yさんは本来はもっと速い人なのだが、いかんせんスイムが元々カナヅチなのである。カンレキ氏はどのくらい先行しているのか、たいていはバイクパートの後半で追いついて、ランでかろうじて先行するというパターンである。ハンドルネームはカンレキであるがすでにこの名前で8年になる。自分より12歳年長であるが佐渡ではランで10分以上先行されたこともあった。シーちゃんは今回しっかりハワイを狙ってきており、この人にはコース上で会えることはないであろう。カンレキ氏、シーちゃんともにハワイ経験者である。
50キロ、二本楠を左折したところでサブちゃんからの声援を受ける。ここから上っていく幾久山には新しくトンネルができ、ここもかつてのような峠越えはなくなった。トンネルの中で早くもトップ選手にラップされる。これもマッケンジーか?
玉の浦まで下り、大宝までが折り返しのコース。しかしカンレキ氏の姿は見えない。これはずいぶん先行されているのか。荒川を過ぎるとこれから先はジャパン未体験の時計回りのコースとなる。周囲の選手の半分ほどは周回のゴムバンドをはめている。高浜、三井楽を回り二本楠へ、再び幾久山を下って玉之浦、大宝を折り返したところでカンレキ氏とすれ違う。バイクはすでに130キロに達するあたりである。
以前のコースと比べて大きな坂はなくなり、小刻みなアップダウンを繰り返してコースは再び二本楠へ。ここを左折すると最後の登りがあり、あとは福江に向けてなだらかな下りが続く。バイクコースの終盤、すでにランに入っているシーちゃんとすれ違う。ほぼ1時間近い差であろう。それでもバイクは7:11:08、バイクフィニッシュは8:51:18だから自分としてはかなりマシである。
上だけランシャツに着替えて、ランにスタート。トランジッションを出るとすぐ、この大会最年長のアスリート、遠藤澄夫さんがやってきた。約2キロの差で自分より先行している。中央公園の周回を折り返し、公園の出口付近でカンレキ氏とすれ違う。これもほぼいつも通りのレース展開である。
バイクが楽に終われたせいか脚へのダメージはさほどなく、ゆっくりと福江空港の滑走路わきの折り返しを回る。ここまでが距離稼ぎの迂回コースであって、毎回この区間が終わるとなんとなくほっとする。ここからは単純に鬼岳を二周回すればいい。バイクコースとの対面コースでは、早くもバイクの最後尾の選手がマーシャルの車両を従えてやってきた。これもいつになく早く、この選手でも10時間の制限時間には十分に間に合うはず。
周回コースに出ると右から一周回を終えた選手が合流してくるのでコース上は再び人数が増えて活況を呈してくる。ランはそれだけが自分の取り柄のようなパートであるが、今回は脚に不安があるので意識的に押さえている。ここまではコンディションの良いこともあって比較的余裕を残しているのだが、うっかりペースが上がりかけると右足にいつピリッとくるかもしれない、その不安がつねに頭の隅にある。
ランコースは2001年の第一回が10キロまでの部分で違っただけで、その後はほとんど変わらない。距離表示も1キロごとにある。エイドも2.5キロごとあるから、補給も何も心配がない。不用意にペースを上げさえしなければ、なんとかフィニッシュできそう。
一周回を終えて武家屋敷通りで周回チェック、ここで二周回を終えた選手はフィニッシュへ右折していく。このあたりの選手はおそらく11時間台の前半か。
ランのコースは鬼岳を中心とした直径5キロほどの円周形で、これを二周するのであるが、後半にいくつかのアップダウンがあり、疲れた脚にはこれが結構きつい。右手に海が見え始めるあたりからが終盤の難所である。5キロラップで25kmまでと40kmまでがその区間である。
5km 0:29:36 10km 0:30:32 15km 0:31:18 20km 0:33:51 25km 0:36:32 30km 0:33:52 35km 0:31:17 40km 0:35:05 finish 0:14:39
30キロを過ぎた頃、ようやく遠藤さんを追い抜いた。夕暮れの遅い五島だが、このあたりでいつも暗くなってくる。
40キロ、最後の坂を越えると福江の町に入る。今年はゴールの石田城に入る手前が若干変わっており、武家屋敷通りに入ってから右折するようになっている。お堀を回った突き当たりにこれもおなじみの「あと600m」のネオンサインがあり、いつも通り盛大な応援の中をお城への石垣の門をくぐってゴールへ。
13:27:11、もっと悪いタイムも予想していたので、完走できたことがとにかく嬉しい。
応援席で見ていてくれたシーちゃんはエイジ1位でフィニッシュしたとのこと。彼女のエイジのスロットは2つあるから、文句なくハワイ獲得である。
シャワーを浴びようとテントまで行くと急に寒気がしだした。ランにはちょうどいい気温だったのだが、単に気温の問題ではなさそう。どうもこれはいけない。しばらく体育館でマッサージを受けて休憩。ようやく人心地がついて、シャワーを浴びたところでYさんと会う。Yさんは自分より約1時間早いゴールだったそうだ。うどんを食べて待つことしばし、カンレキ氏は14:32:32でゴール。本人曰く、上からの年齢順では遠藤さんに次ぐ2位だそうだ。「途中の年代の選手は皆抜いたからね」という。
翌日は、バイクを引取り、ロールダウン会場を見物。60−64で12人のロールダウンがあったが、そのほかはほぼ順当にハワイ枠が決定したようだ。昼食のあとはコンカナ王国へ。ランシャツのすれた傷が胸の上にハの字になってついており、痛くてお湯に浸かれない。
最終日、バイクの発送手続きを済ませて、福江港へ。1:55のジェットフォイルまで時間があるのでバスに乗って堂崎天主堂を拝観に行く。福江島のキリシタンの遺物などが展示されている。島の北端に近い入り江は大変のどかな風景であって、キリシタン迫害の陰惨なイメージとはちょっと結びつきにくい。
帰り道、バス停へ向かう途中で地元のDさんの車に同乗させてもらい、鬼岳の展望台にのぼった。Dさんは帰途わざわざ第一回のバイクコースの一部であった鬼岳中腹の鉢巻道路を走ってくれたのだが、それはジェットコースターのようなアップダウンの道で、こんなコースを走ったのか、とあの暑かった7年前の一日を思い出したのであった。
結局、大会の当日と月曜だけが曇りで、火曜日からはまた雨が降り出すという、なんともラッキーなコンディションに助けられて、無事完走することができた。もっとも路面は各所でかなり濡れている場所もあり、そのためかパクビュンフンが落車してリタイヤというハプニングもあった。しかし全体では完走率95%(と翌日山本光弘は言っていた)と、かつてない好結果だったようだ。バイクコースも以前に比べると格段に走りやすいコース設定であった。
遠い、高い、きつい、とあまり人気のないジャパンなのであるが、とりあえず「きつい」のは解消されたかな。雨の心配は依然としてあるのだけれど。
今年自分はエイジが上がっての参戦なのであったが、もとよりスロットに手が届くようなレベルではない。それでも2001年がエイジ55位、2002年は63位、その後、37、24、28、23、で今回が23位であるから、確実にハワイは近づいている(!?)。
No.235 13:27:11(583位/完走814人) 1:40:10(816) 7:11:08(712) 8:51:18(655) 4:35:53(453) 13:27:11(583)