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種目:フルマラソン 記録:3°05′47″(総合199位/1026人、一般男子193位/926人) 5Km 20′43″ 10Km 41′02″ 20′19″ 15Km 1°01′41″ 20′39″ 20Km 1°23′08″ 21′26″ 25Km 1°43′47″ 20′39″ 30Km 2°04′42″ 20′54″ 35Km 2°27′01″ 22′19″ 40Km 2°53′26″ 26′25″ 42.2Km 3°05′47″ 12′20″
もう一度また来年もサブスリーに挑戦するか、これが今の私の思いである。
9月はアイアンマンの余韻を楽しみながら心身の疲労を取ったあと、中旬から走り込みのための準備を始めた。まずは、走ることに慣れる事。1週間ほど体を慣らしてから走り込みを始めた。9月から10月にかけての4週間、およそ500キロを走る予定。あまり走り過ぎてもいけない。過去の例から、走り過ぎは疲れが取りきれずに良い結果が出ていない。10月後半からは疲れを取りながらスピード練習。11月に入るとレースに出場してスピード感覚を身に付ける。毎年同じ様な練習計画を立て、最終目標の11月下旬のフルマラソンに臨む。
11月22日木曜日、朝はのんびり起床。連日いい天気が続いていた。今日は明日のマラソンのためにお休み。ゆっくり家の仕事を済ませてから昼前に床屋に出掛ける。途中、本屋に寄ってランナーズ1月号を買う。毎年使っている付録のランナーズダイアリーを手に入れるために1月号だけを買っている。床屋の椅子に座れば、何も言わなくてもいつもの様にやってくれる。もう20年以上の付き合いになるだろうか。床屋の後は近くの和菓子屋でどら焼き、草餅など明日の補助食を購入する。1時近くになっていたので、近くのとんかつ屋でヒレかつ定食。少々高いがうまいとんかつを食べさせてくれる。これが毎年のレース前日の行動パターン。小春日和となり暖かくて気持ちがいい。バイクでの移動も苦にならない。夕方はいつもより早めにジムに行き、ストレッチとお風呂。ゆっくり体を休めて明日に備える。11時前には床についた。
起床は4時半。前日買っておいた赤飯を食べて出掛ける。電車の中で食べるために餅を焼いて弁当にする。駅までの途中、北風が強かった。昨日、那須地方では雪とのこと。東北地方でも大雪が降っていて、その影響だろうと思われた。大田原では風が止んでくれる事を願った。戸塚からは予定通り5時42分発の東海道、余計な事に気を使わなくて済むように、グリーン車に乗って東京までゆったりと行く。東京で那須塩原へ行く新幹線に乗り替える。3連休初日のためか、指定席は満席状態だった。那須塩原駅からは大会専用バス。昨年乗り遅れ、だいぶ待たされてしまったので、さっさと乗り込む。とりあえず、大会会場まで行ってしまう。バスの中からは風にはためくのぼり旗が気になった。いつになったら風は止んでくれるか、それだけが気になった。
2ヶ月前の走り込み準備に始まり、昨日、そして直前までできる限りの事はやってきた。あとは走って結果を出すだけとなった。私の走りは私だけのものではない。いつもの練習仲間へ感謝の気持ちと成果を示すためにも結果を出さなければならない。私にはマラソン完走に2年間のブランクがある。50歳代のサブスリーランナーとなるためには自分の持つ力を全て出して走りきらなければならない。プレッシャーが私を締め付ける。早く走り出してこのプレッシャーから開放されたい、楽になりたい。落ち着かない気持ちで準備を進める。
レースウェアに着替え、カーボショッツの入ったウェストバッグを身に付ける。スタート10分前、10時30分に体育館を出てスタートラインへと向かう。今年はスタート地点はだいぶ混んでいた。競技場のアンツーカーは全天候のトラックに変わっていた。競技場一面が全天候になっていたので、広々としていた。そこにたくさんのランナーが既に並んでいた。今年は例年よりだいぶランナーが増えているような気がした。列の前の方には着ぐるみのカエルがいた。そばまで行くと声を掛けられた。根岸のNさんだった。これでフルマラソンを走ろうとする事に感心する。自分の事で目一杯なので人の事まで気遣う余裕は無かった。そのまま陸連の選手の後ろに入り込む。時折強い風が吹いていたけれども、人込みの中にいると風は気にならなかった。スタートまであと1分、あっという間にスタート時間になった。サブスリーでゴールする自分をイメージしてスタートの合図を待つ。
10時40分スタート。列の中にいたのでなかなかスピードが上がらない。たまりかねて外側に出て行きペースアップする。どの程度で走るのが良いかいつも不安があるけれども、走ってしまえば自分のペースはわかっている。気持ちの良いスピードで走ればそれで十分である。5キロまでは自分の走りに自信を持って走る。その結果が望むタイムであれば申し分ない。昨年は走っている時にペースメーカーがいる事を知り、それを頼りにしてしまった。その結果、途中で止めなければならない事になってしまった。今年はペースメーカーだけは頼りにする事は止めようと思っていた。
レース前、プロトライアスリートの今泉が走る事を聞いていた。フルマラソンのレベル的には私と大差無いはず。どのあたりにいるだろうかと気になっていた。走りも落ち着いた頃、前方にピンク色のニットの帽子をかぶったランナーがいた。足元は靴下を履いていない。普通のランナーとは違ってダイナミックな走りをしている。今泉に違いないと直感した。ゼッケンには名前が書いてあるので近づいて確認すればわかる事である。差は5mほど、まだ名前は読めない。近づいてから確認すればいいので、まずは離されてしまわない様に付いて行った。
5キロの通過は20′41″。予定のタイム、20分30秒より少々遅い。出だしのもたつきのせいだろうと思った。タイム自体は問題ないもので、誤差のうちである。風は右側から吹いている。この先左折する。風は追い風となり、更に下り基調のコースなのでペースアップが期待できる。この辺りは何度も走っているコース、よく分かっている。前方の今泉と思われるランナーもしっかりと走っていて、なかなか追い付かない。追い風と下りを利用して徐々に今泉に近づいて行く。10キロの手前あたりでやっとゼッケンの名前を確認する。今泉奈緒美、24歳。年齢まで分かってしまう。うちのクラブのある女性メンバーはこれが気に入らないと言っていた。女性にとってはあまり知られたくない情報だろう。今泉の周りには他に2人の女性ランナーがいた。3人の女性は女性ランナーとしてはかなり上位のはずである。
10キロは40′03″。20′19″でラップしていた。案の定、ペースがだいぶ上がった。5キロで遅れていた分を十分に挽回していた。10キロを過ぎてもまだ追い風区間が続く。今泉選手もまだまだ調子は良さそう。私と前後しながら走る。13キロを過ぎる辺りからコースの方向が変わり、徐々に向かい風気味になる。前方には数人の外国人の集団があり、それに付いてまとまった集団ができていた。向かい風を避けるためにその後ろに付いて行くつもりでいた。今泉はコースも分からないだろうと思い、後ろに付いて向かい風を避ける様にアドバイスした。私は少しだけペースアップし、外人の後ろに付いた。向かい風は全く気にならなかった。
15キロから1つずつジェルを取っていく予定だった。ウェストバッグからたくさん入っているジェルの1つを慎重に取り出す。15キロ過ぎの給水所の手前で補給し、ドリンクで流し込んだ。以降、5キロ毎にジェルを取っていった。エネルギー切れは無かった。15キロからは向かい風であるという事、そして上り基調のコースであることで、ペースはやや落ちていた。今泉の気配はしばらく後ろに感じられていたが、その後少しずつ離れていった様な気がした。20キロのラップは21分台まで落ちてしまった。1°23′08″で通過。この先のことを考えると、このままずるずるとペースが落ちたまま行くわけにはいかない。
ハーフ地点で1時間27分台、2倍にして3時間まで5分弱の猶予、ペースアップが必要だった。意識的にペースアップを計り、前を行くランナーから離されない様に気を付けた。25キロの手前辺りから少しずつ後ろから抜かれ始めていたが、後ろから大きな足音が聞こえてくるのが気になっていた。何だか分からないのだが、ずっと続いていた。そして25キロを過ぎたあたりか、大きな集団が私を抜いて行った。その先頭には「3時間」と書いたゼッケンが付いていた。集団はそれほど大きくなかった。あっけなく抜かれ、それに付いて行く事はできなかった。今年も3時間のペースメーカーにやられてしまった。先行されたが、我慢して走ればサブスリーは問題が無いと思っていた。あのペースはかなり速いように見えた。
25キロは向かい風ではなく、あまり風の影響は無い。1°43′47″で通過、ラップもなんとか20分台に戻った。このまま30キロまで辛抱できればサブスリーの可能性も広がってくる。25キロを過ぎると下り坂、そして追い風。1周目と変わっていない。30キロの目標は2時間5分以内。それをクリアできればサブスリーの目途は立つ。そして残りの12キロを走りきれれば良い。それだけを考えながら走っていた。
30キロのスプリットは20′54″、落ち込んでいたラップは20分台でカバーできた。スプリットは2時間4分。まだまだサブスリーまで期待が持てた。だいぶきつくなってきていたけれども、まだまだ行ける自信は十分あった。このまま落ち込まなければ、サブスリーも実現できる。これからまだ追い風区間が続く。追い風に乗ってペースを維持したい。この5キロを21〜22分でカバーすれば3時間は見えてくる。
33キロを過ぎた辺りから風の向きがだんだん向かい風に近くなってくる。さえぎる物が無く突風となって吹いてくる。まわりのランナーも既にまばら、さえぎってくれる人もいない。その風にあおられ、まっすぐ走る事もできない。走る気力を風に持っていかれてしまう。35キロ地点までが辛かった。しかし、35キロは横風にあおられながらもなんとか走れていた。2°27′01″、スプリットは22分台でカバーしていた。望みは絶たれていなかった。しかし35キロを過ぎてその先を左折、そこまでで今回のマラソンは終わってしまった。
35キロまで来たものの、向かい風によって既に気力はそがれてしまっていた。ジェルを取って給水所のドリンクで給水をしたが、もはや気力までは回復しなかった。徐々にスピードは落ちていた。残り5キロから1キロ毎に表示があるが、残り距離が減っていくたびに、ペースは落ちていた。タイムを確認する事も既に嫌だった。38.5キロ、係員が左折を指示している。もはやゴールタイムは気にならなくなっていた。ゴールにたどり着いてくれれば良かった。幹線道路に出てからゴールまでが長かった。車の渋滞が続いている横を力なく走る。40キロ、2°53′26″、まだ2時間台を示していた。
残り1キロ、時計を見るとちょうど3時間を過ぎたところだった。1キロ先ではサブスリー達成者が喜んでゴールしているだろう。それに加われずに残念だった。その程度の思いだった。残りの1キロも長かった。競技場の近くで小林さんがカメラを構えていた。名前を呼ばれた様な気がして振り向いた。競技場を見てやっとゴールができると思い、少し元気は元気が出たが、頑張る気は起こらなかった。なんとか最後までたどり着いた、そんな思いだった。
3°05′47″、これが今年のマラソンだった。いつもは頑張らなければならない最後の7キロはジョギングだった。そのおかげで体のダメージは少なかった。良かったと思えばいいのだろうか。今年のマラソンは終わった。そしてまた来年サブスリーを狙うチャンスが与えられた。このマラソンがスタートする前は、サブスリーを狙うためのフルマラソンは今年が最後のチャンスだろうと思っていた。しかし35キロでマラソンが終わり、残りの7キロは走れなかったため、辛い部分を味わなかった事で、また来年もやってみようかと思っているところだ。