2007/9/2 未完走交響曲
−佐渡国際トライアスロン2007−
kanreki

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 この題名は使い古されているかも知れませんね。交響曲になるように、自分のことだけではない完走記、未完走記にしようと思っています。


 佐渡の大会は1989年に始まりました。この大会に出場した「名も無き走友会」のメンバーのひとりが夏目さんです。その後、夏目さんはすべてを捨てて、ついでに胃の2/3も捨てて、すべてを得るために佐渡に移り住んでしまいました。現在71歳、今年もBタイプを完走しています。「なつおじさん」(おじいさんとは言わせないそうです)として慕われていて、子供たちへの紙芝居、お年寄りの運動クラブなどを楽しんで主催しています。このときに泊まった旅館が「浦島」だったのです。それから一度だけ建て替えのため別の旅館に泊まりましたが19年泊まり続けています。

 「名も無き走友会」のトライアスロン部隊が「ぽらりす」でした。そのメンバーとして第2回大会でBタイプ( 2.5 / 109 / 25 ) に出場しました。8:01:39で50〜54才2位になって賞品に米を5kg貰いました。敗戦直後でもないので、涙を流すほどうれしかったわけではないのですが、きっと、この成功体験がトライアスロンを続けるきっかけになっていることは確かです。「ぽらりす」は夏目さんが佐渡に移り住んでから衰退の道をたどりましたが、今でも、10名足らずですが年一回くらいは飲んでいます。今年の佐渡では、当時のメンバーでもあった卯月静子(旧姓若林)さんが48歳で女子総合3位になっています。

 それから、今年までAタイプ14回、Bタイプ4回出場しています。昨年は手術直後だったので応援でした。印象に残っているのは、1997年の大会です。雨のなかのレースでした。ランで潰れて、すぐ後ろに大会の収容車を従えてというより追われて走っていたのですが、39.8kmのエイドステーションで「もう、やめませんか」と肩をたたかれました。残り時間15分15秒でした。一緒に走っていたおばさんは泣きくずれました。呆然として乗っていた収容車のなかは暖かかった。

 さて、いよいよ今年の佐渡の話になります。8月31日(金)早起きをして、7時48分発の新幹線で新潟へ。同行するのは、松本、落合、石島さんです。ご多聞にもれず新幹線にビールは付きものなのです。新潟港から佐渡の両津へもジェットフォイルとビールです。両津からバスで佐和田の旅館「浦島」へ。いつ見てもどきどきする女将と若女将がいます。そのうえ、真っ白ででかくておとなしいピレネー犬が加わっていました。宿で荷を解き、いつもの「外川」で昼食でした。佐渡でも飲酒運転がうるさくなってきたので、酒飲みが店にこなくなったとかで、刺身類のメニューがなくなっていました。いろいろな刺身をのせた丼物が美味しかったのに残念です。しかたなく、柳川風とんかつを食べました。会場での受付、説明会はいつもの手順です。トライアスロングッズの店がいくつも出ていて、あれこれと欲しくなります。でも、我慢です。それからのことは、あまり覚えていないのですが、「浦島」の絢爛豪華な夕食を食べて寝たはずです。決して酔っぱらっていたわけではありません。念のため。

 レース前日です。7時に朝食、8時半から目の前の海で泳ぎました。久しぶりにウエットスーツを着るひとたちは、体型の変化を自覚させられます。石島夫人の場合は上半身がゆるくなって、下半身はきつくなったとか。

 それから、バイクで20km近く走りました。レーススピードで速く、しかし、疲れを残してはいけないのでゆっくり、矛盾の走りです。12時過ぎになって5名が到着。対馬、川島、中村、杉浦、山登さんです。一緒に昼食に行きました。いつもの「長三郎」です。中村さんは朝から食中毒で吐き続けていたそうでお茶漬け、他は、並寿司の一人前半、実際には3貫が追加されて1350円。もちろん、ビール付きでしたが、飲み始めると歯止めが利かない山登さんはお茶だけです。

 さすがにレース前日とあっては、酒を飲み続けるわけにはいきません。レースのための準備に専念します。やらなければならないことがたくさんあるのです。ひとつでも忘れると致命傷になりかねないのです。ゼッケンベルトにナンバーカードを2枚、安全ピンで付けます。バイクとヘルメットにナンバーカードを貼ります。スイム、バイク、ランのためのウエア、用品を揃えて、それぞれのトランジションバックに入れます。頭の中で、トランジションのシミュレーションをしながらです。それから、大変なのがサプリメントなのです。スイムをあがったところから、ランの終わりまでのサプリを用意します。金額にすれば数千円のものです。山登さんはパワーバーを6等分にしてオブラートで包んでいます。石島夫人はういろうを小さく切ってラップで包んでいたし、小食の落合さんは無頓着、松本さんはサロメチールをフィルムケースに入れてトップチューブにテープでとめていました。私ですか、バイクにはういろうを5cmくらいに切ったものを3ヶ、梅肉チューブ、濡れおかきを6ヶ、バイクボトルにはカロリーメイトゼリーを3ヶ入れました。ラン用としては、梅味のパワージェル、カーボショッツ、クランプストップ、ドリンク剤などでした。夜9時消灯。輾転反側して眠れない夜なのですが、気にしません。

 朝3時起床。いよいよレースの日です。ご飯を2杯、3杯目も食べられたのですが太るのでやめておきました。それから、身体中にディクトンを塗り、日焼け止めを塗り、尻にはシャーミークリームを塗りました。4時半になって会場に行って、ボディマーキングをしてもらって、バイクラックのところにバイクを掛け、用意されているプラスチックの箱にバイク、ラン用品を並べます。小雨がぱらついたりするので上にはビニールの袋をかぶせます。

 5時半から海にはいってアップをしたのですが寒い。自分だけかと思って対馬、松本さんに尋ねたのですが、やはり、寒いとの回答だったので「ほっと」しました。この「寒い」と感じたことが、バイクでウインドブレーカーを着た理由です。

 6時スイムスタート。スタートしてから数百メートルは人込みの中でバトルです。なるべく逆らわないようにしているのですが、目の前を横切ろうとする選手がいれば、両手で横にはねのけます。川島さんは、目の前で平泳ぎをしようとする選手がいると両手で足を押さえて蹴られないようにするそうです。左呼吸なのですが、右側にコ―スロープが見える位置を泳ぐようにしています。身体が接触するたびに身体を硬くするのでくたびれます。沖に向かって真っ直ぐ1.3km、まだ他の選手と交錯して落ち着いて泳げない。もしかすると、いつもより速く泳いでいる? 右に曲がって1.1km、波とうねりで身体が翻弄されてしまう。岸に向かって1.4km、後ろから波で押されるように感じる。ところが、これが間違いで逆潮になっていたそうです。なかなかゴールに着きません。クロールの手が砂浜に付いてしまうまで泳いで立ち上がるのですが、ふらふらして歩けない。時計を見ると、泳いでいる途中に誰かと接触したときに時計のボタンを押されたようで止まっています。

 バイクへのトランジションです。そばにいた選手にスイムのタイムを聞くと、1時間35分くらいとのこと、予定より遅くがっかり。いつもより速いつもりでした。正式計時では1:34:03でした。どっかりと腰をすえて左ふくらはぎにキネシオを3本貼ったうえに、上下をテープで押さえます。右のアキレス腱は、2枚重ねにしたキネシオを貼って、3ヶ所ではがれないように押さえます。「年寄りは寒いのだ」とつぶやきながらウインドブレーカーを着て、190km先を目指して走り出しました。

 フラットなところで時速29〜30kmに押さえて走ります。落合さんだと32〜33kmでしょう。走り出して数キロのところで対馬さんに追いついてびっくり、そのうえ、対馬さんが「今、落合さんに抜かれた」と言うので吃驚仰天。通常であれば、私が対馬、落合さんにバイクで抜かれるはずです。後でスイムの記録を見ると、対馬さんより4分、落合さんより9分速かったのですが、トランジションのときテーピングなどで時間を使ってしまったのです。佐渡のコースは大きな登りが3ヶ所、大きくない登りが無数にあるのですが、だからといって、フラットな区間が無いわけではありません。80kmあたりから腰と尻が悲鳴をあげ始めます。下りで腰を伸ばしたりして走り続けます。

 スイムも遅いので、スイムをあがった時に後ろにいる選手の数は多くないはずなのですが、バイクになると雲霞のごとく選手が出てきて追い抜いていきます。びりになったと思うくらいです。バイクを降りたくて仕方なくなります。我慢しきれずにトイレに寄るために止まりました。ほんの数分のトイレ休憩ですが、腰もすべてが復活します。しばらくは、快調にとばせます。160kmを過ぎたところから始まるのが小木の坂です。途中で止まってしまうと走り出せません。坂の下に向かってスタートしてUターンするしかないのです。バイクゴール10km手前くらいからお決まりの強烈な向かい風です。バイクタイムは8:18:31、トランジションで時間がかかっているにしても2005年より28分も遅い。

 バイクから問題のランへ。6週間前に30km走ってから、右ふくらはぎの軽い肉離れと左アキレス腱周囲炎のため走っていません。一度走れるかを試したのですが、2km走って右ふくらはぎが痛くなってやめました。ウォーキングは続けていました。不安で一杯のランです。キロ7分くらいで走り出しました。普通は数キロ走ると調子を取り戻すのですが、その時がなかなかこないのです。走りながら「早く楽になるときが来るように」と祈っていたのですが、つらいままでした。2.5km毎のエイドで息をつきながら5km、7.5kmとよろめいていたのですが、それでも、エイドでのロスタイムを含んでもキロ7分からたいして遅くなっていません。でも、第一目標の10kmを過ぎてしまうと足が動かなくなってしまいました。登りは歩くようになります。15km地点で2時間が過ぎていました。17.7kmのエイドにほとんど歩いてたどり着きました。残り25km、制限時間まで3時間です。

 もう、心身ともに疲れていました。やめることにしました。マーシャルに申し出ると、リタイヤして毛布をかぶって震えている選手と一緒にスタート地点にある体育館に連れていってくれました。そこには、医者がいてベッドがいくつかあって選手が点滴を受けたりしています。私は走れなくても元気なので、手当ての必要ないこと伝えてゴール地点に行きました。ゴールした中村、落合、山登さん、Bタイプの石島、杉浦さんがいました。「お疲れさま、残念ですね」と遠慮しながら言われました。逆の立場になったこともあるのですが、こう言うしかないのです。しばらくしてから対馬さん、それから、もっとしばらくして松本さんがゴールしましたが、私たちは宿に戻って、ウエットスーツを洗って、風呂に入って、遅い夕食の席にいました。

 リタイヤして悔しいこともなく、さばさばとしていました。深層心理?で完走は無理と思っていたのでしょう。ぎりぎりまで追い込んでいないので、夕食をきちんと食べられてビールも美味しかった。それでも疲れているので鎮痛剤を飲んで寝ました。

 翌朝5時に朝風呂、そして、ビール、至福のときです。ちょっとだけリタイヤで心が痛みます。汗をかきながらバイクを箱詰めにして、荷物をまとめて、12時過ぎのジェットフォイル、新幹線で帰ってきました。

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