神奈川トライアスロン大会 ツカ

第20回大会 「もう20年にもなるのかぁ?」

 20年前の第1回大会(1987年8月1日)、自分は体調不良のため裏方(ボランティア)をやっていました。
 あれから何回この大会に出場したかはっきりとは覚えていないけど色々有りました。
周回ミスで上位陣が大量に失格になったことも有りました。この中に自分も入っていました。ランで5位前後を走っていました。年齢も20台の頃。
バブルの頃は式典に芸能人も来てたっけ?お笑いのヒップアップやアイドルの大西結花なんて人が来ていました。
数年前には選手の死亡事故も有りました。役員の方々は事後処理のために大変苦労されて様です。
神奈川トライアスロン協会(今は連合?)の方々がトライアスロン浪人(大会に出たくても出られない人)を救うためや、底辺拡大等々のために立ち上げてくれた大会。
汚い海だけど、ちゃんと海でスイムする日帰りで参加出来る大会。ボランティア無くしては出来ないイベント。しかし、選手こそ居なければ成り立たないトライアスロン大会。最盛期は千人くらいの参加人数が有ったと思います。年々参加人数が減って来ているこの大会。だからこそ選手として参加する事に意義が有ると思っています。連合の方々に報いるためにも、この大会を無くしてはいけないと思います。ましてや日米親善大会が今年限りとなってしまう現状では尚更だと思います。

 レースの話に移りましょう。
 当日は朝からしとしと雨模様。気温もそれほど高く無くスイムの水温が心配でした。また、バイクの一周当たりのコースが短縮され、5キロを8周回するくねくねしたバイクコースのためスリップダウンも心配でした。

 スイムはフローティングスタートのため海に浮かんで待つことになります。その待っている時が寒くてたまりませんでした。しかし、いざスタートしてしまえば、汚い海だろうが低い水温だろうが関係有りません。がんがん行きました。750メートルを2周回するスイムの2周目の途中までトップでしたが後半3、4人に抜かれ、見た目上4,5位辺り(時差スタートのため)で上陸。

 バイクの1周目は初コースのため、これからどっちに曲がるのか分からず怖かったです。当然ブレーキも効きにくく、運良く転倒は免れましたが、或る周にはカーブを曲りきれずにパイロンに突っ込んでしまった事も有りました。

 8周回にもなると心配なのは周回ミスです。自分はこのミスを防ぐために、DHバーに8本のテープを貼り、周回するごとに1枚ずつ剥がすチェックをしました。また、普段レースではコンポジットホイールを後輪に使うのですが、ストップアンドゴーの連続するコースでは軽いスポークホイールの方が有利かと思いノーマルホイールにしました。

 無事バイクを終えランです。トラジッションに置いておいたタウリン2000をグッと飲みランスタートです。空き瓶を応援のサブちゃんに渡し、ガンガン行きます。
気温が低かったので走り易かったです。だからと言って苦しい事にはなんら変わりません。時差スタートしている関係上見た目の順位は関係有りません。時間との戦いです。勿論目の前に居る選手は、リレーの選手だろうが誰だろうが抜く様に頑張ります。最後の最後まで頑張ります。
「あの時もっと頑張っていれば良かったのに」と後悔しない様にゴール寸前も飛ばしました。

 その甲斐有って、5位の選手(後のウェーブ)とは2秒差で6位の選手とは4秒差で4位になれました。ゴール寸前でも頑張って本当に良かったと思いました。 
もういい歳だし、入賞はもう無理だろうと思っていました。しかし前年の6位からジャンプアップ出来た事は上出来です。
また、20年後もこうして表彰台に乗れたのは最高です!


【1989年大会】 トラバッグは地面に直に置いてあった

(しゃがんでいるのが自分)
【1990年大会】 左が自分で右の2人は元横浜鉄人

PS.
皆さんも来年はこぞって参加しましょうよ!安近短の大会で本当に楽しい大会だと思いますよ!今回は天候に恵まれなかったですが、天気が良いとピクニック気分で楽しめると思います。タープの下で海軍カレーを皆で楽しみましょう!


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