2006/11/23 第19回大田原マラソン大会 moto

種目:フルマラソン
記録:DNF


 もうオフになったからか、テレビの深夜番組にハンマー投げの室伏広治が出演していた。その中で彼が言うには、いくら頑張っても筋肉は半分くらいしか活性化されていないとのこと。それが、ハンマーをリリースする時に大声を出す事で、眠っている筋肉が活性化されるというのである。その時の私の筋肉は、ほとんどが眠ってしまっている状態だった。

 今シーズンのレースは8月末のコリアで終わり、9月半ばから走り込みが始まった。順調に練習もこなし、計画したとおりに進んでいた。体調も万全の状態だった。10月末の土曜日、最後のスピード練習として、根岸ランナーズのメンバーと根岸公園内周を23周、30キロ走を計画した。絶好の練習日和、朝9時に予定通りスタート。先頭を引く様な格好で半分以上過ぎたところだった。平らな所の無い内周コースの、なだらかな上りに差し掛かった所で左脚太腿に痛みが走った。すぐに止まって練習中止。軽い肉離れだろうと推測した。すぐにドクター中村に連絡し、状態を診てもらう事にした。まずは冷やして安静にしろとの事、一応言うとおりにした。しかし、名医でもいつ治るかまでは断言してくれなかった。中村、小林両先生にはかなり迷惑を掛けたが、一週間後の月例マラソンでは快走し、見事に復活を果たすことができた。まさに感謝の一言だった。しかし一週間のブランクは大きかった。私の筋力は殆どが眠ってしまっていた。室伏の言う筋力の活性化を計らなければならなかった。レースまであと20日ほど、私の筋力を活性化するために、再び短期走り込みを行った。そしてレースまであと少し。体調も故障する前と同様に完璧。体力、気力も十分、あとはレースで成果を出すだけだった。ドクター中村からも太鼓判が押された。

 レース前日は、休養のために休暇を取る。のんびりと起き出して、朝食をとってから床屋に出掛けた。頭がさっぱりした後は、床屋のそばのとんカツ屋で昼食。ここは少々高いが、美味しいとんカツを食べさせてくれる。用事が済んだ後は家に帰って録画しておいた映画をゆっくりと見た。夕方からジムに出掛けて、ストレッチをして風呂に入って帰ってきた。普通の休日なら軽く泳いでくるのだが、今日はスイムはやめた。晩ご飯にはカーボローディングにとスパゲティ、そして早めに床に付いた。ここまでは予定どおり。

 当日の朝は4時起床、ぐっすりと眠れた。餅とヨーグルトを食べ、準備を整えて5時25分、家を発つ。予定の東海道線に乗り、東京駅に向かう。東京で東北新幹線に乗り換え、那須塩原駅を目指した。天気は曇りでまずまず、絶好のマラソン日和だった。今年は那須塩原駅に降り立った人が多かったのか、迎えのバスに乗り切れず、次のバスまで15分ほど待たされてしまった。会場の体育館には9時過ぎに到着した。受付を済ませて、いつもの小体育館に向かう。ここまでもいつもどおり、順調に準備が進んだ。スタート1時間前の9時40分頃からアップをするために外に出る。少々風があるようだった。しかし、それほど寒くはない。風は追い風気味、いいコンディションだった。軽いジョグと少々速めのスプリントを数本、汗をかいて心拍数を上げておく。30分ほどで切り上げた。何の問題も無く、調子は上々だった。今年は緊張感も全く無い。2ヶ月間の練習内容は完璧だった。

 レースウェアに着替えてスタート15分程前に再び体育館を出る。最後にトイレに寄ってスタートラインに並ぶ。おととし出場した時よりスタートラインが50mほど後方にずれていた。今までが短かったのか、あるいは途中のコースが変わったのかどちらかだろう。先頭の陸連登録選手のエリアが空いていたのでそこに入る。スタートラインから数メートルのところで前すぎるかとも思ったが、問題は無い。

 私の時計は1分半ほど進んでいた。10時41分30秒、スタートの合図が鳴った。まずは早めに4分ペースに上げなければならない。トラックを1周半回ってから競技場の外へ出て行く。1周回ったところで1分45秒、ぴったり4分ペースだった。出だしはまずまず、あとはこのまま最後まで走り切るだけ。次は5キロのラップを確認する。風は殆ど気にならない。追い風になっているはず。暫くすると汗をかいてきた。吹き出て来るほどでもないので問題ない。自分の調子に合わせて走るだけ。周りから遅れるような感じもない。いい感じがしている。そのうちに周りで話しているのが聞こえてきた。どうも前に誰かが走っているらしい。しかし誰が走っているのか分からなかった。とりあえずは周りのランナーのペースに合わせて走る。そのうち前方に「3時間」のゼッケンを付けたランナーが見えた。ペースメーカーだった。ならばこれに付いて行けばいいかと思う。5キロまではこれに付いて行く事にした。最初の直線が終わる頃に5キロ地点。ラップは20′28″、理想的なラップだった。しかし、集団が大きく、私は道路の中央側を走っていた。この先このままでは給水ポイントでは水が取れない。少しずつ内側に入って行くようにした。でも、いちばん内側に入ったのはいいのだが、結構窮屈だった。ペースもやや落ちている様な気がしていた。仕方なく、しばらく歩道を走ってペースメーカーの直後まで行った。後ろからペースを上げてペースメーカーを追い抜いて行くランナーもいるのだが、それには少々勇気も要る。残念だが、私にはそこまではできなかった。とりあえずは、10キロのラップを見てから先の事を考える事にした。

 2回目に左折をすると、もうすぐ10キロ地点、給水の事も気にしながら、再び内側に入った。10キロ地点のラップは21′00″、スプリットは41′30″。かなりかかってしまっていた。このままではダメだ。ペースを上げねば、きっと周りのランナーは皆そう思ったのだろう。ランナーのペースがまさに弾かれた様にパッと上がった。ペースメーカーもかなりペースを上げた様に見えた。私も遅いとは思ったが、急激にペースを上げることはしなかった。徐々に追い付いて行くつもりでいた。10キロポイントの先、右折してから暫くして給水所、パックに入ったドリンクを貰う。相変わらず周りにランナーは多い。そのうちに2人目の「3時間」ペースメーカーが私を追い越して行った。さすがに彼も遅いと感じたのだろう。そのうちに2つの集団はひとつになった。

 私がペースアップを考え始めた頃、右太腿ハムストリングに少し違和感を覚えてきた。どうしたかな?もう疲れが出たかな?そんな感じだった。まだまだ先は長い。ゆっくりペース配分をすれば良い。そんな事を考えながら気持ちよく走っていた時、右太腿にピッと痛みが走った。あっ、これはあの根岸の時と同じだ、そういう思いが脳裏を走り、私の今年のレースは終わった。道路の左側に寄って、走りを止めた。暫く歩きながら、もう一度スタートできるか走ろうとトライしてみたが、やはりダメだった。止まっていても寒くなるだけ、少しずつ歩いてみた。しかし痛みは変わらない。前方にスポンジテーブルが見えたので、とりあえずそこまで歩いて行った。救護の車を呼べるか尋ねてみたが、ダメだと言う。そのうちに後から来るとの事だった。誰に聞いても同じ返事、しかしこちらは寒くて仕方がない。早く助けが欲しい。寒い中震えているしかなかった。歩いていると、ランナーが次々に後から来る。途切れる事が無い。いつまでこのランナーの列が続いているのか、よくまぁこれだけいるものだ、と感心するだけだった。

 そのうちにやっと救護の車、最初の乗客になってしまった。乗せて貰って寒さからは逃れられたものの、気持ちは納得がいかない。ゆっくりと進む車の中で、沈んだ気持ちのまま、15キロ地点のランナー回収場所へ着くのを待った。救護車のラジオからは、先頭集団の状況中継が聞こえてくる。そのうちにランナー回収地点の小学校に着き、今度は回収バスの乗客になった。スタッフに暖かく迎えられたが、気持ちは晴れない。ゼッケンを回収され、毛布をもらってバスの座席で丸くなっていた。最初のバスの出発は12時20分とのこと。誰も乗る者などいないだろうと思っていたが、次々に乗り込んでくる。15キロ地点でタイムアウトになったランナーだった。

 ラジオの実況中継では、トップはもう30キロを過ぎたとのこと。もうすぐここをトップランナーが通過する。トップはそんなに速いものかと思ったが、12時半頃には、ここを通過する。予定どおりバスはその前に出発した。マラソンコースからはそれて、近道をして競技場に向かった。本来なら私でも25キロ辺りは走っているだろうと思ったが、そんな想像は直ぐに止めた。まだ選手がゴールする前ののんびりした雰囲気の中、競技場に戻って来た。計時用のチップと引き換えにTシャツを貰い、足を引き摺りながら体育館に戻る。まだ人影もまばらな中、さっさとシャワーを浴びる。体育館の中で小林さんと会って、マッサージ、テーピングを勧められた。後はランナーの帰りを待つだけだった。私の今年の大田原マラソンは12キロで終わっていた。
 

 症状は根岸の時と同じだった。中村さんにマッサージなどして貰い、数日間おとなしくしていると、痛みも無くなり走れる迄に回復した。12月の初めにはまた月例マラソンがある。また先月のように走れる事を願った。無理をせず、脚の様子を見ながら調整をした。月例マラソン当日は調子も良く、以前の様に走れそうだった。無理はせずに走るつもりでいて、前半は少し抑え気味に入り問題は出ていなかった。中盤から後半にかけて競り合いをして少々ペースアップをしたところ、またも同じ痛みが右太腿ハムストリングに出てしまった。完全には治りきっていなかったところで無理をしてしまった。無理をしない走りをするという事をすっかり忘れてしまっていた。気持ちの面から治さなければならない様である。


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