2006/04/20〜24 第22回全日本トライアスロン宮古島大会 moto

2006年4月23日 日曜日
天候:雨のち曇りのち晴れ

種目:Swim 3Km、Bike 155Km、Run 42.2Km
記録:10°13′21″ 153位/1105人
 Swim 1°01′10″
 Bike 5°12′05″
 Run  4°00′06″
写真は ⇒ こちら


 パワースポーツのメンバーは実によく働く。トライアスロンが好きなのか、トライアスリートに楽しんでもらいたいのか、とにかく宮古島ではいちばん目立っていた。
今回の宮古島は鉄人クラブからは私ひとり。急遽の参加ということで、同行する人はいなかった。他には「チームパワースポーツ」として、滝川、中島、守谷の3選手。他にはパワースポーツのサポートとして、宮塚さん、宮崎康子さんなどのトライスリートが来ていた。


4月20日(木)
 今日は私の51回目の誕生日。毎年、宮古島大会の時期に誕生日を迎える。

 いつも会社に行くのとあまり変わらない時間に家を出て、羽田から那覇経由で宮古島に入る。羽田からの出発便が遅れ、那覇の到着が遅れた。乗り継ぎの時間があまり無かったので、宮古島行きの便も30分以上遅れた。予定がだいぶ狂ってしまった。

 受付会場の体育館までは、タクシーで行く。受付はすぐに済んで、リゾート行きのバスも5分後くらいの予定。ちょうどいいと思って、正面でバスを待つがどれがそのバスだか分からない。気付いた時には遅く、ちょうど行ってしまったところだった。次のバスは1時間20分後。仕方がないので、近くの食堂に行ってオリオンビールと宮古そばを頼む。のんびりと時間が過ぎていた。東急リゾート行きの最後のバスに乗り、着いたのは5時過ぎ。東急まで来た乗客は私の他にはいなかった。まだ木曜日なのでトライアスリートもまばら。一般の観光客の方が多かった。ゆっくりバイクを組み立て、今日の仕事は終了。

 夕方、体育館の前で滝川に会った時は、体調不良とのこと。風邪をひいた様だった。毎週のイベント事で働き過ぎだろうと思った。夜、滝川は熱を出して寝込んでいた。予定していたパワースポーツのメンバーとの夕食も中止。石垣島から来た中島さんらと部屋で軽くビールなど飲んで、今日は終了。
 同室には将来有望、今回優勝も視野に入れていた湘南ベルマーレ、益田選手と中島さん。広い部屋でのんびりと過ごす。

4月21日(金) 競技説明会、ワイドーパーティ
 天気は悪くないが、風がやや強い。ひとり、ゆっくりと朝食をとりながら今日の予定をたてる。ここのところバイクに乗っていなかったので、東平安名崎まで行くことにした。70キロほど。日射しが強く、日焼けしそうだったので、しっかりアームカバーをして行った。昼は、市内まで戻って来て琉球料理を食べる。ホテルに戻ってからは、海で軽くスイム。やや波が高く、さっと終わらせた。

 夕方から市内で競技説明会とワイドーパーティ。パーティでは地元の料理がたっぷりで満足した。アトラクションとして、D-51という若者に人気(らしい)デュオのミニコンサートが開かれた。大いに盛り上がった。スポンサーであるJTAのコマーシャルソングを歌っているので呼ばれたらしい。しかし、残念ながら私は彼らの名前を知らなかった。今日の行事はこれで終了。

4月22日(土) バイクチェックイン
 今日もひとりでのんびりと朝食。食事の前には、明日のスタートに合わせて泳ぎに出かける。昨日に比べればまだ風は弱かったが、うねりがややあった。多少泳ぎにくかったものの、沖のブイまで往復して終わりにした。この程度ならば、明日も問題ないだろうという感じだった。朝食後は再びバイクで市内に出かける。リゾート前の芝生ではパワースポーツ主催のトライアスロンクリニックを開催していた。滝川も風邪ひきの中、頑張っていた。

 市内ではお土産の買い物と昼食。昨日他の人が食べていた「海ぶどう丼」が食べたくて、同じ店に出かけた。思ったとおり美味しかった。お奨めです。市内のお土産屋も変わっていない。いつものところでいつもの様なお土産を買う。「ストロングまん」の「モンテドール」が平良港の近くに移転していた。IDカードを見せると、1割引にしてくれた。

 ホテルに戻り、バイクチェックインの準備をする。海では、またパワースポーツのクリニックが行われていた。明日選手で出るという人もいるのに、コーチ陣はとてもよく頑張っている。夕方空いてきた頃にバイクを預ける。雨の予報が出ていたので、チェーンにオイルをたっぷりと塗り、ビニール袋を掛けて雨対策をした。

 夕食はパワースポーツのメンバーと市内に出かける。豪華メンバーが揃っているので、あちこちから注目されてしまう。でもお酒を飲むときはみんな同じ。ただの酔っ払いになっていた。私を含め、選手は一応自制していた。明日のレースに備えて、早めに切り上げた。

4月23日(日) レース
 起床は4時。朝食を済ませて、レースの準備を進める。まだ外は暗い。5時半の受付開始に合わせて行動を開始した。風はなく穏やか。暖かくてレースにはいい日になりそうだった。遠くで雷が光っていたのが見えた。トランジッションバッグをセットし、スペシャルフードを預ける。レースナンバーを書き、タイム計測用のチップを手首に付ける。ちょうどそれが終わった頃、ポツリ、ポツリと雨粒が落ちてきた。その直後にスコールとなり、あっという間に一面に水が溢れてしまった。選手もスタッフも皆テントの中に避難し、一時作業は中止となった。しかし、南の島の雨は暫くすれば止んでしまうもの。小降りになるのを待って準備を再開した。中断した作業も6時半頃には全て終了し、一度部屋に戻る。

 あとはスタート地点に向かうだけだった。まだ雨は降っていたが、7時を過ぎてスタート地点へと向かう。特に気負いもプレッシャーもなく、レースを楽しむつもりでスタート地点に立った。今回は特に目指すべきものは無く、練習のつもりで出てきた。時計やメータが無いと気持ち良く走る事ができると、滝川に教えられた。いつもの私のパターンは、要所要所でスプリットを取り、それを気にしながら走っていた。メータのスピードも気にしていた。でも、今回は競うのではなく楽しんでレースをやろうと思っていた。南の島でトライアスロンを楽しむつもりでいた。自分の感覚でレースをやりたかった。時計は付けなかった。バイクのメータもスピードは出ないようにし、時刻だけが出るようにしておいた。スタートまでの時間も分からない。それはみんなに合わせて泳ぎ出せば良かった。

 スイムは無理しないように、スタート地点の左端の少し後ろ。バトルが心配されたが、殆ど無い。楽に泳ぎ始められた。暫くは左側を泳ぎ、第1コーナーを曲がったところで、できればロープの内側に入ってしまうつもりでいた。いつもの潮の流れは岸の左から右側へ向かっていた。そういうつもりでいたので、2つ目のコーナーを曲がってからの1300mはきついだろうと思っていた。しかし、今回は流れが逆になっていた様で、600m地点の第1コーナーから1700m地点の第2コーナーまでの1100mにかなり時間が掛かってしまったようだ。1つ目を曲がった後、2つ目までがずいぶん長いなぁ、と思いながら泳いでいた。やっと2つ目を曲がった後は、これからが長いんだろうな、と思いながら泳いだが、こちらは、あっという間にゴールが見えてきた。しかし、いつもの様にだいぶ蛇行してしまった。調子も悪くなく、気持ち良く泳げたので、タイムもいいだろうと思ったが、計測地点の時計を見ると、ちょうど1時間を過ぎたところ。予想外のタイムだった。前にいるメンバーとはだいぶ離されてしまっただろうなと思った。少なくとも5分は差が付いているだろうと思った。

 バッグをピックアップし、着替えテントに入っていく。焦る必要もないので、落ち着いて行くことにした。雨はもう降っていなかった。しかし、やや寒かった。いいレースになりそうな気がした。寒さ対策としてアームカバーを付けた。バイクラックには思ったとおり、となりに並んでいた「チームパワースポーツ」のバイクは無かった。私がビリだった。結果を見ると、滝川とは2分ほどの差、たぶん、出ていったばかりだったのだろう。他の2人には追い付くことは無いとしても、守谷さんだけにはバイクで追い付けるだろうと思っていた。今回のバイクにはメータを付けたが、スピードは出ないようにしていた。補給食を取るための目的で、時計が表示される様にしていた。30分毎に取るつもりだった。しかしこれも、距離表示の20キロ毎に取ればいいので、無くても良かった。最初のうちは時計を気にしていたが、途中から距離で取るようにした。それで十分だった。

 スイムスタートの頃には風はなかったが、バイクに移った頃には風が吹いていた。しかし、あまり気になるような風ではなかった。バイクはのんびりサイクリング、そんなつもりで走る予定だった。雨は既に上がっていたが、まだ路面は濡れていた。落車もしないように。今日のレースは楽しんで走る、それが基本だった。風は西から東に向かって吹いていた。後からの話では、これも例年とは逆の様だった。市内を過ぎてから、西平安名崎に向かうところでは向かい風、あまりスピードは出なかった。トップともそのあたりですれ違う。帰りの人達は追い風に乗って速かった。我らが益田君はどこに居るかと探したが、分からなかった。たぶんトップグループに居るだろうと思って探していた。

 バイクでは、昨年春のトライアスロンキャンプでの宮塚さんのレッスンを思い出し、なるべく脚の後ろの筋肉を使って漕ぐようにしていた。3月末あたりから、何となく要領が判ってきていた。うまく走れればいいのだがと、期待も込めて考えながら走った。しかし、DHポジションで腰の方が痛くなってきた。痛くなってきたら、ポジションを変えながら、休みながら、考えて乗っていた。自分では割合にいい感じだった。

 西平安名崎をまわって、東平安名崎へ向かう。いつも苦労するアップダウンでは、追い風ということもあり、ペースも速く、気持ち良く乗れていた。40キロも過ぎたので、そろそろ守谷さんの姿も見えてくるのではないかと思っていたのだが、まだその姿は無かった。最初にメンバーと出会ったのが、東平安名崎に入ってから、中島さんだった。上下ともパワーバーのジャージを着ていたので、すぐに分かった。しばらくして、次に滝川。そして私という順だった。守谷さんは中島さんの更に前にいた。滝川との差は3キロくらい、約5分差である。バイクでは差は開くだけ、ランに入ってからの勝負だろうと思った。

 金曜日にはバイクで東平安名崎まで来ていた。ユリの花が道の左右にいっぱい咲いていた。他にも花が咲いていてとても綺麗だった。コースも下見をしたので良く覚えていた。この先はしばらく海岸の近くを走って、城辺、上野と続く。その先は島を1周回り終わって東急リゾートという事になる。東平安名崎を過ぎると疲れが出てくる頃だ。あれは98年だったか、松野に追い付かれたのを覚えている。2周目だったかもしれない。そのままバイクゴールまで一緒だった。あの時は鉄人の4人が等間隔で並んでいた。そんな事があった。

 上野の町を過ぎたあたりか、下り基調になって、調子も戻ってきたところだった。ちょうどカーブを曲がったところに、ひとりバイクを押して走っている選手がいた。どうしたのかと思いながら横を通り過ぎると、何となく見た姿、滝川だった。心配して声を掛けたが、本人は『大丈夫!』。メカトラブルとの事だった。すぐ先にガソリンスタンドもあったので、なんとかなるだろうと思って、先に行った。結局そのまま、90キロ地点まで裸足で走ったらしい。ガソリンスタンドで直そうと思ったらしいが、どうにもならなかった様だ。やはり、自転車専門家でないとダメかな。

 滝川を追い越した後、やっと守谷さんのうしろ姿を見つけた。私のバイクケースに2000年に宮古島に出た時のレースNo.が貼ってあった。671番だった。そして、今回の私の番号は672で1番違い。今年、その671番は守谷さんだった。671を見つけた時は嬉しかった。80キロを過ぎたあたりだったろうか。こんな所まで追い付けないとは思わなかった。守谷さんをあなどってはいけないと思った。疋田選手もバイクは速い。スイマーはバイクが速いのかもしれない。一度は声を掛けて抜き去ったのだが、リゾートに向かう道の下りで抜かれてしまった。これは体重のせいか、下りは速かった。しかしその後、来間大橋の上りあたりで離れた様だった。このまま付いて来られたらどうしようかとも思ってしまった。

 リゾートの前でちょうど100キロ、一時はあちこち痛くて、気持ち良く走れなかったが、あと50キロとなり、だいたい調子も上がってきた。気持ちのいいペースで走れていた。風向きも変わっていないので西平安名崎を回ってくるまでは向かい風だったが、あまり苦にはならなかった。池間島に入ってからは追い風で、残りも30キロほどとなって気持ち良く走れた。いい調子で漕げていた。西平安名崎からの道を抜け、島の周回道路に出ると残りも少ない。時間は気にせず気持ち良く走ることを目指すと言っておきながらも、メータの時計を気にしていた。スタートしたのが8時38分、ちょうど5時間くらいでバイクゴールできそうだった。ちょっと頑張って5時間で走ろうなどと思っていた。

 朝スタートした時は雨が上がったばかりで、曇っていて所々雨に降られたが、いつの間にか暑い日射しが差していた。ゴールの1時半頃には暑かった。とりあえず、1時37分頃にバイクフィニッシュとなった。正味のバイクタイムでは5時間を切っていた。ゴールのバイクラックには自分でバイクを掛けるようになっていた。「自分でできることは自分でやる」。そんな事を説明会で言われた様な気がした。

 着替えはテントの中、腰掛けてのんびりと着替える。5本指ソックスもちゃんと履く。カーボショッツの入ったウェストバッグとゼッケンベルトをしてスタートする。とりあえずはいつもの様に走り出す。やはり日射しが暑く、先が思いやられた。どんな走りをするか、走りながら考えた。競う相手は既に後ろにいるし、あまり無理しないペースで走るつもりになった。気持ちのいいペースで、ボランティアに感謝しつつレースを楽しむ、そんな気持ちになっていた。市内に出ると応援がたくさんいる。商店街にはブラスバンドまで出ている。嬉しかった。やっぱり宮古島は素晴らしい、そんな気持ちだった。

 商店街から空港へ向かう道はやや上り、あまり無理して飛ばさなかった。帰りは下りだから楽になるだろう、そんな思いをしながら走っていた。滑走路脇を通ってメインの道路に出ても少しずつ上っている。これもずっと同じ。帰りには楽になる、そう思いながら我慢した。市街を過ぎると、一度大きく坂を下るこの坂が市街と畑との境だった。あとはサトウキビ畑の中を折り返しへと向かうだけ。やはりここもアップダウンを繰り返しながら、折り返しまで少しずつ上っていた。

 トップとすれ違ったのは12キロあたりだったか。以前は街へ入る坂のあたりですれ違ったこともあった。トップが遅くなったか、私が速くなったか、たいした事ではないが。トップは韓国のパク選手。後ろは全く見えなかった。2位が松丸、3位は河原。どういうレース展開なのか分からなかったが、みんな速かった。その後、何人かとすれ違い、やっと我が益田君とすれ違う。声を掛けて応援した。私の前の方で、その益田君と話をしていた人がいた。その人との差が詰まっていき、よく見るとそれが中島さんだった。遂に追い付いてしまった。ここで抜くと、チームパワースポーツの全員を抜いてしまう事になる。ここでも一声掛ける。遂に来たか、という様子だった。こちらも後ろから声を掛けられ、気持ち良く前を行った。

 自分の順位はよく分からなかった。タイムも全く気にしなかった。ただ、2ケタのゼッケンを付けているランナーがよく目に付いた。2ケタは昨年の順位を示している。それと同じ程度という事は、結構いいところを走っているという事か。私を抜いていくランナーも殆どいない。たまに後ろから足音がするだけだった。15キロ地点も過ぎたあたりだったか、結構速そうな足音が後ろから聞こえてきた。痩せていて、とてもトライアスリートとは思えない様なランナーが私を抜いていった。後ろからTV局の車が追っていた。少し速いかな、その程度の感じだった。そうか、あれが早田か、そう気が付いたときにはもう先に行ってしまっていた。しかし、マラソンの早田には見えなかった。マラソンのイメージからすると、そんなに速くないなぁ。これより速いトライアスリートはいくらでも居るだろう、そんな感じがした。しかし、翌日の結果を見ると、ランラップは3:03、一応3位のラップタイムだった。やはりさすがというところか。

 早田も見たし、ライバルは全て後ろだし、目標らしいものは無くなってしまった。とりあえずは折り返しまで行く事だった。調子はいつものとおりだし、いい方ならば、4時間も切れるだろうというくらいに思っていた。折り返し地点にある時計は8時間を少し過ぎていた。スタート前の予想/目標タイムは10時間。だいたいそれくらいではゴールできる、そんな調子だった。しかし、21キロのランを残して8時間と少し。10時間を切るのはやや難しいかな、という感じだった。あとは下り基調、最後までしっかり走ろうという思いだけだった。競う相手もいなくなってしまったので、まさに、自分との戦いになってしまった。周りを走るランナーの数は減り、本当にひょっとしたら自分はかなりいい位置を走っているのではないかという思いにもなった。100位以内だったらどうしよう、年代別上位に入ったらどうしよう、そんな余計な事まで考えてしまっていた。

 コースは折り返し、今まで何度も走っているので、おおよそのイメージは分かっている。街の入り口の上り坂はまだか、あそこまで行けばゴールまでは少し。それだけを考えながらゴールを目指していた。やっとその坂を上り街の中に入る。あと残りは8ロも無い。滑走路横の交差点を曲がると残りは5キロ。消防署の角を曲がって往きに見た下り気味のコースへと入る。もうあとは楽なものだ、そう思っていたが、そうでもなかった。下り坂では太股に負担が掛かっていた。下り坂も楽じゃないなぁ、そんな事を思いながら街中に入っていった。残り3キロ、2キロ、少しずつ減っていく。しかし、マラソンは楽じゃない、そんな思いだった。前にランナーも見えてくる。抜くかこのまま行くか、順位は上がいいけれど、1つ、2つ上がってもどうって事はない。やっぱり気持ちのいいレースがしたい。今日は無理をするようなレースではなかった。

 陸上競技場は全天候トラックに変わっていた。いつ変わったかな、前回はどうだったかな、雨が降ってグチャグチャになったのは覚えている。トラックは走り易かった。最後のフィニッシュゲートもはっきり見えていた。気持ち良くフィニッシュを迎える事ができた。

 ゴール後はいつもと変わりなかった。日中よりはだいぶ涼しくなっていたので、体のダメージもそれほど無かった。宮古そばを食べ、のんびりした後、シャワーを浴び、高校生のやってくれるマッサージを受けた。それほど効果的とは思えなかったけれど、冷えたタオルは気持ちが良かった。マッサージの後にやっとビール。冷たいビールが体に浸み渡った。競技場のスタンドでのんびりとゴールしてくるランナーを眺めていた。私の待ち人はなかなかやって来なかった。みんなたっぷりとトライアスロンを楽しんでいた。フィニッシュタイムが気になった。滝川はそろそろゴールゲートが閉まるという頃にやっと現れた。一時は意識も危ういと聞かされたが、元気に競技場まで戻ってきた。リミット3分前だった。

4月24日(月) アワードパーティ
 レースに出ていないサポートメンバーもいたので、昨日の夜はずいぶんと夜更かしをしてしまった。いつもなら、朝早く目が覚めるのに、今朝の起床は6時半、目覚ましに起こされてしまった。外は生憎の雨、本降りだった。何もできないので、のんびりするしかない。今日はバイクを片付けてパーティに出て、夜7時半の飛行機に乗る。帰りたくはないが仕方がない。

 昨日のメンバーでのんびりと朝食をとる。雨が降っているので活気はない。でも私は落ち着いていて気持ちがいい。宮塚さんも同じだということをホームページで読んだことがある。そんな事が話題になっていた。ゆっくりした後で、ゴール地点へバイクの回収に出掛けた。選手はパワースポーツの車にバイクを乗せてホテルに戻ってきた。嫌な片付けの始まりだった。雨が降っているので余計に嫌だった。片付けの後は、スタッフが体育館に戻るなか、ひとりホテルで時間が来るまでのんびりしていた。ビールを飲みながら昨日の出来事を反すうする。極上のひとときだった。

 2時頃に迎えの車で体育館へ向かった。パーティを待つ中、パワースポーツのメンバーは今日も良く働いていた。3時からいつものパーティ。表彰式では同部屋の益田君が壇上に上がり、8位の表彰を受けていた。同じ時間を過ごした私としても嬉しかった。パーティの後は、ひとり帰り難く、市内に繰り出すメンバーに同行していた。飛行機に間に合う時間ぎりぎりまで、みんなの楽しい輪の中に入っていた。空港までタクシーを飛ばしていくと、那覇からの便が遅れたためか、出発が30分遅れていた。空港で慌てるかと思ったが、のんびりお土産まで買っていた。飛行機の中ではお酒が入っているからか、ぐっすり眠れた。重い荷物を持って重い足取りで家に着いた時には、日が変わっていた。楽しい宮古島への旅も終わりとなった。

『参加までの顛末』
 今回の宮古島は、アイアンマン・チャイナが急にキャンセルとなり、急遽、同じ開催日だった宮古島に出ることに決めた。昨年11月末の締め切り直前、滝川さんにお願いしてエントリーしてもらった。宿も滝川さんにお願いして、東急を予約してもらった。航空券は誕生月なので、会社の担当のお嬢さんの手を煩わせて安く取ることができた。バイクの発送には、やや手間取ってしまった。佐川に料金を尋ねると、離島への中継料金が必要で、かなり高くなるとの事。大和は全国規模のため、全て自社料金で中継料金が要らなくなるので、多少安いとの事だった。結局、土曜日にヤマト便で送ったが、9,000円を超える料金が掛かってしまった。後日、ツアーのパンフレットを見ると、5,000円程度で送れる様だった。しかしその分、早めに送って欲しいと注意書きがあった。後から送った分だけ高かった。帰りの料金は統一料金なのか、どの運送業者も5,000円程だった。しかし、戻ってきたのは5月3日だった。皆さんのお陰があって、楽しいレースができた。感謝。


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