2005-7-31 復帰戦 第19回スリーエフカップ日米親善トライアスロン大会 オスギ

 2002年8月、韓国のアイアンマン・コリアで念願のアイアンマンになった「なんちゃってトライアスリート」の私は、「しばし休憩」と称し、ずっと休憩をしていた。これがまた、「やる」と決めないといくらでもズルズル休憩できるのだった。しかも社会人&母親業をしていればできない理由も山ほどあって、自分を納得させるのは、とても簡単だった。
 気持ちは納得していても、体はごまかせず、日に日に順調に体重は増えていった。やばい。まるで妊娠していた時のような腰周り。その現実をやっと受け入れ、トライアスリートに復帰しようと思った。

 4月からチビチビ練習を重ねたものの、自転車に乗っていない。合宿で乗って、あとは、ぶっつけ本番のつもりだった。その分たくさん乗らなきゃと「大丈夫、西湖からは下り坂だから、お昼過ぎに着くよ。」と言う言葉を信じ、合宿2日目、西湖から新横浜の新居へ向かった。これが鉄人クラブのリハビリの始まりだった。
 そうそう鉄人の人の「すぐだよ。」とか「簡単だよ。」は信じてはいけなかったのを思い出したのは、246号に入った頃。既に西湖から30kmは走っていたと思う。あーもうすぐだと思いつつ、標識を見たら「厚木まで50kmっ!!!!!!」うっそぉーー。厚木まで50kmもあったら、全部で何キロあるのよぉ。とにかく走る走る。と言っても下り坂だったが。走っても走っても山の中。同じような景色。いつになったら私の知っている246号になるんだか・・・
 しかーし下り坂だけでなく、上り坂まで出てきた。もーうそつき。もーやだ。歩こう。歩いて上りきった頂上が「善波隧・・・。」これがみんなが言っていた善波なの。なんかやっと会話についていけそう。あまりついていけなくてもいいんだけど・・・・
 ヘトヘトになりながらやっと厚木につき、横浜線に相模原から乗ろうとか考えつつも、結局走って帰ってきた。みんな心配していると思い、電話すると「大丈夫か?コンビニに寄りすぎて太って帰ったんじゃないかって心配してたぞ。」
・・・・・心配するとこが違うんですけど・・・・。まぁこれが私の愛する鉄人クラブだと笑うしかなかった・・・・。

 と、言う皆様の暖かい指導のおかげで、無事3年ぶりの日米のレースを完走することができました。

 スイムは、結構抜いたのですが、最後に4人ぐらいの団体に抜かされ、ガックリし。のんびりゴール。

 バイクは、練習の甲斐あって、最後まで疲れずに乗れました。調子良かったと思ったのですが、2年前より遅かった。

 いつもバイクで思いっきり抜かされてもランで抜けて気持ちよいのですが、今回は、抜けない抜けない。抜かされる一方。周回3周も無理だと思ったのですが、これが練習の甲斐あってか2周目半あたりから急に元気になってきて走れる。よしって楽しくなったところにゴール。最後はお約束のダッシュ。(始めからもっと走れって。そりゃ無理。)

 結果は、1:24:01(スイム 0:09:47 バイク 0:48:23 ラン 0:25:51)
 大満足でした。特にランがキロ5分ちょっとなんて、素晴らしい!! 最近練習ではキロ7分女でしたから。

 やっぱね、練習で泣いて、レースで笑うって感じですかね。鉄人の練習が一番つらい・・・
 練習会に行くのに、練習しなくっちゃ!!


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