2005年10月11日〜18日 2005 アイアンマン・ハワイ WORLD CHANPIONSHIP moto
種目:アイアンマン    Swim 3.9Km,Bike 180.2Km,Run 42.2Km
記録:12°04′42″ 1275位(Over All)65位(50-54)
 スイム 1°24′57″  Tr1      8′03″  1°33′00″  バイク 6°23′36″  7°56′35″  Tr2      5′02″  8°01′37″  ラン  4°03′05″ 12°04′42″

 それはおよそ1年前、年間のスケジュールも予定通りこなし、来年の予定をどうしようかと考えていた頃だった。

 来年は50歳になり、アイアンマンのエイジもひとつ上がるし、ハワイに行けるチャンスは大きい。バイクパートは占める時間が長く、いいバイクに乗りたい。いまのバイクも10年近く乗っているし、新しいバイクの事も頭の片隅にはあった。新しいバイクでタイムを短縮し、それでハワイの権利も獲得、そんな夢を見ていた。しかし新車に乗り替えるにはかなりの出費になるし、簡単に購入の結論は出せなかった。でもバイクショップに行っては新しいバイクの事なども相談をしていた。

 そんなところで年末となり、来シーズンのためにバイクをオーバーホールに出した時の事、バイクのフレームにひびが入っているのが見つかった。もうこのバイクに乗り続ける事はできないし、新しいバイクを作らなければレースにも出られない。その時はそれしか頭に浮かばず、以前に新しいバイクを買いたいなどと思っていた事など、すっかり忘れてしまっていた。しかし以前から相談していて、欲しいバイクの候補はだいぶ絞られていた。そして、もうバイクに乗れない事を告げられてから、購入するモデルを決めるまでは早かった。その場で決まったバイクのフレームは、最高級に近い、ヨーロッパのプロレーサーが乗るようなモデル、普通の人からすれば考えられないような値段だった。しかし、全てのパーツを新品で揃えるわけではなく、乗れなくなったバイクから、使えるパーツは使うことにした。使っていたパーツも高性能、まだまだ十分使用に耐えられる。

 時期はちょうど年末、ディーラーでは来年のモデルの注文を受け付けているところだった。早ければ納品予定は2月頃、ちょうどバイクに乗り始める頃で、いい時期である。しかし、なかなか思い通りにはいかないもの。およそ1ヶ月遅れで、3月に入ってやっとフランスから納品、3月半ばになって組み上がった。費用はほぼフレーム代分だけで一式が揃った。新車で揃える事を考えれば、かなり安く仕上がった。そして、出来上がったバイクはさすが、素晴らしいバイクに仕上がっていた。

 今年8月、そのバイクでアイアンマン・コリアに出場、なんとかハワイの出場権を獲得する事ができた。結果からすると、1年前に思い描いていたとおりになっていた。


10月11日(火)
■丸の内〜成田
 成田へ向かう前に一騒動。娘に搭乗のチェックインを頼んだら、本人でなければダメとの事。7時頃に成田着の予定でいたが、30分早いNEXで行くことにした。会社は会議中のところ、早めに抜け出して問題なし。電車のチケットを代えて貰うつもりで窓口に並んだら、前の客で15分以上つかえている。時間が無くなり、仕方なく変更せずに乗った。しかし、問題は何も無かった。

 電車に乗ってパスポートの無い事に気が付いた。娘に預けてある。空港の検問をどう突破しようかと思ったが、見送りと言うことにした。多分大丈夫。そう思ってビールを飲んで一眠り。空港に着いても何も問題は無かった。案ずるより産むが易しというところか。

 成田に到着して、娘と落ち合う。私の荷物がまだ残っているのかと思ったが、荷物は既に預けてしまっていた。バイクを含めて3人分の荷物だったが、それも問題なく預けられた様だ。私自身のチェックインもスムーズに進んだ。ターミナルで塚越と出会う。チェックイン後みんなで夕食を取って搭乗の準備をした。あとは定刻のフライトとなった。

■成田〜コナ(21:00〜9:00)、登録、アイアンマン・パレード
 成田からのフライトは、朝9時にコナ到着。入国手続きなどを済ませて、ホテルに着いたのは11時を過ぎていた。ホテル到着後すぐにチェックイン、運良くすぐに部屋に入れた。その後、アイアンマンの登録をしてひと息いれる。今日は塚越と二人、明日関谷さんが到着予定。

 5時からアイアンマン・パレード。楽しそうな雰囲気があふれていた。他の国の人達はスタート地点のキンカメの駐車場にたくさん集まって来ていたが、日本人は塚越と私の二人きり。どうなるかと思ったが、そのうちにアイアンマン・ジャパンの事務局の方が一人、ジャパンののぼりを持ってきた。他には家族連れが何組か、合計10人ほど、ちょっと寂しかった。しかし、浴衣や法被が目立っていた。後ろのコリアチームはチマチョゴリを着た女の子達がたくさん、周りから歓声が上がっていた。パレードはキンカメからアリードライブをのんびり歩いてアイアンマン・エキスポ会場まで。6時過ぎまでのんびりと歩いた。楽しいひと時だった。

 夕食は加藤一家とババガンプレストランへ。ハワイ到着の一日目、まだまだ観光気分の初日、のんびりと過ごした一日だった。

10月12日(水)
■競技説明会
 起床は6:30。一応スタートの7時に合わせてスタート地点に泳ぎに出かける。そこにはたくさんの人が出てきている。ゲータレードの給水サービスや荷物預かりもある。軽く沖までひと泳ぎして戻ってくる。熱帯地方の小魚もたくさん泳いでいた。水もきれいで暖かく気持ちが良かった。レース当日も安心して泳げそうな気がした。預けた荷物を返してもらうと、バイクボトルとゲータレードも付いてきた。

 今日は関谷さんが来る日。ホテルのレストランで加藤家と一緒に食事をした後、塚越と二人で空港までバイクの練習がてら迎えに行った。片道およそ13キロ。関谷さんはホノルル経由。国内便のハワイアン・エアラインで11時過ぎに無事到着。一度ホテルに戻り街で食事。そして1時からの日本語競技説明会に出席。少々遅刻してしまった。今日の予定はこれで終了。午後はのんびりとアイアンマングッズの買い物に出かけた。

 加藤一家と私はキンカメのディナーショーで夕食をとる。ハワイアンショーや食事などを堪能した。

10月13日(木)
■カーボパーティ(17:30〜20:30)
 今日は関谷さんも入れた3人で7時からスイム練習。やはりゲータレード商品を獲得。お土産がたくさん集まった。

 今日の予定は6時からカーボパーティ。午前中はバイク練習に出かける。往復40キロほど、空港の先まで乗ってきた。やはりコースは荒野の中だった。調子は上々の様に感じた。いい調子で乗れていた。戻って来たのは昼前。夜にはパーティもあるので、昼食は日本から持参のカップラーメン等など。久々の日本食がおいしく感じた。午後からは再び街に出てお土産探し。エキスポなども覗いてグッズを貰って来る。

 6時から始まるパーティには、いい席を確保するために5時頃から並ぶ。同じ考えの先客も何組か居た。5時半頃には入場開始、ステージ正面の席を確保できた。しばらくすると食事の提供も始まった。まだレース前なのでアルコールは出ない。ひと通り食事も終わった6時半頃からショーも始まった。昨日見たホテルのショーと同じメンバーだった。内容も似ていたが、2回目という事もあり、親しみを持って見ることができた。いいショーだった。その後のアイアンマンのお話も、少しの英語しか判らないものの、ある程度の内容は理解でき、アイアンマンのパーティを楽しんだ。9時前には終了した。

10月14日(金)
■バイク&レースギア・チェックイン
 レース前日。今日はバイク、レースギアの預託。午前中にトランジッションバッグの準備とバイクの調整。午後からバイクチェックインに出かける。ボランティアがたくさんいて、一人の選手に一人のボランティアが最後まで付いて来てくれる。チェックイン前にはキンカメの前の道路に行列ができていたが、私の行った1時過ぎにはスムーズに流れていた。終了後はまた街を散策。自分用、クラブ用等などお土産を入手。今回は選手ではない宮塚も街の中で見かけた。

 明日はレース。レース前日は日本食が食べたいと思い、最近できたという日本式居酒屋に出かける。しょうゆ味が懐かしかった。寿司も良かった。箸を使った食事が自然だった。夕食は身内だけでのんびり。7時過ぎには食事を済ませて帰る。ちょうどその頃、同じ店にTJ関係の宮塚一行が来たところだった。いつもの様に9時過ぎには床につく。3時過ぎに起床予定。

10月15日(土)
■レース当日(7:00〜)
 レーススタートは7:00。プロはそれより15分早い6:45。だからと言って私にとっては特にいつもと変わりはない。3時半に起きて朝食の準備をする。非常食用として売っていた餅と、昨日買っておいたおにぎりを食べる。あとは、バイク時のおにぎり用にこれも非常食用のアルファ米赤飯を用意した。お腹いっぱい、バイク用食料もういろうとおにぎりで一杯になった。

 今年のナンバリングはホテル裏のテニスコート。パーティと同じ場所だった。部屋から人の集まり具合が見えていた。出かけて行ったときには既にたくさん並んでいた。しかし、列はスムーズに解消し、すぐにナンバリングの列に並ぶ。ナンバリングもスタンプ方式で大きく鮮明にできた。どこへ行ってもボランティアの数が多く、列に並んで待たされるなどという事が全く無い。

 バイクラックに行ってエアの調整と補給食のセット。すぐ近くにチェジュでも一緒だったN氏。ハワイには奥様と一緒の様で、ボランティア登録した奥様はもっぱら専用アシスタントだった。私も少しは手伝って貰う。セッティングもすぐ終わり、一度ホテルの部屋に戻る。ウェットスーツを着るわけでもないので、余分な手間も無い。楽である。あとはスタートの時間を見計らってスタート地点へ行くだけだった。

 6時半頃にスタート地点に向かう。やや風があるような気がした。今年はスイムのスタート、ゴールが同じ場所なので、立派な階段が作られていて、海岸へ下りるにもスムーズだった。

 プロのスタートは6:45。私は狭い砂浜でそれを見ていた。寒気を感じたのは風があったからだろうか。水中の方が暖かかった。私たちのスタートの10分ほど前に、意を決して沖のスタート地点へ向かって泳ぎだした。泳ぎ出してしまえば、もう後には戻れない。しかしまだアップのつもりでもあった。しっかりと泳いでスタート地点の近くまでたどり着いた。しばらく小舟につかまり漂う。あとはスタートの合図を待つばかり。水温の影響か、舟の影のためか、寒気を感じた。体を動かしながらスタートの時を待った。

10月16日(日)
■レース終了
 時計は12時を回り、既に16日になっていた。長かった1日も終わり、あとは寝るだけだった。明日はぐっすり寝ていよう、そう思うけれどもいつも早くから目が覚めてしまう。

■アワード・パーティ(17:30〜21:00)
 案の定、誰かがガサガサやっている。まだ外は暗いとは思ったが、6時半を過ぎていた。

 ハワイでなければ買えないもの、それは「FINISHER」のロゴの入ったアイテムだった。レース後の日曜日、朝8時からショップが開店。8時少し前に行くと、もうだいぶ列は延びていた。何を買おうかと気をもみながら列に並ぶ。とは言え、買うものはほぼ決まっている。今回は奮発して、フリースジャケットとウィンドブレーカを買ってしまった。しかもアイアンマングッズはこれだけではない。他にもかなりの物を買い込んでいた。

 買い物が済んだ後は娘夫婦、孫と一緒に今度は街に出かけてショッピング。レース翌日の充実したひと時をのんびり過ごした。昼はハワイのデニーズで大きなステーキ。ボリュームは満点だった。ホテルまで帰って来た後は、嫌なバイクの分解とパッキング。これが終わってしまえばもうする事は無い。夕方6時からのアワード・パーティが待っている。

 パーティもスムーズに進行していく。今年は無料でビールも提供されていた。浴びるほど飲んでしまった。レース後だからいい事にしよう。表彰式の後はお楽しみのビデオ上映。パレードから始まる一連の行事から最後のフィニッシャーを迎えた後まで映像が流れた。9時半にパーティも無事終了、これでアイアンマンの行事は全て終了した。

10月17日(月)、18日(火)
■帰国 コナ〜ホノルル〜成田(10:45〜16:30)
 私達のツアーでキンカメの宿泊者は少数派。帰りの出発はシーサイドホテルを8時。それまでにバイクを含む全ての荷物を50mほど先のコナシーサイドまで運ぶ。ちょっと一苦労してしまう。

 今日帰国の日本からのアイアンマンがたくさん居るのか、コナ国際空港はJAL79便に乗る為の日本人で溢れている。そのため、チェックインまでにどれくらいの時間がかかったか、暑い日差しの中、かなりの長時間待たされてしまった。また、さすが現在の厳重な米国のチェック体制か、私が練習用のタイヤの間に入れ忘れていたエアボンベまで探し当ててくれた。お陰で嫌々ながらもバイクケースを開ける羽目になってしまった。

 結局コナの出発は1時間20分遅れでホノルルへ。ホノルルまでフライト時間は35分。到着は1時過ぎ。そしてホノルルでの搭乗時間は40分後。のんびりする間も無かった。結局、機材トラブルなどもあり、1時間半ほどの遅れで出発、最後にとんだ土が付いてしまった。

 成田着は5時半、外はハワイと対照的に暗く小雨の降る夜だった。今回はレースを楽しむハワイツアー。十分その目的が果たせたツアーとなった。いい一週間の休日だった。

 日本では10月18日(火)。娘夫婦の車に荷物を積んで見送った後、私はJRで東京へ。行く時と同じ。電車の中でビールを1本。気持ち良く寝て起きたら喉が痛かった。どうやら帰って来る早々風邪をひいてしまった様だった。


10月15日(土)
■レーススタート(7:00)
 どの様な合図でレースがスタートしたのか、当事者には判らないものか。大型のカヌーの様な舟につかまりながらその時を待った。

 スタートは左端の客船のそばから出て行ったためやや渋滞。しかしスイムで頑張っても前の方に行ける訳でもなし、これだけはまわりの様子が判らないので、楽しんで泳ぐことにした。水は綺麗だしそれほど深くはない。底を見れば綺麗な小魚がたくさん泳いでいる。波もなく泳ぎやすい。人の邪魔にならない様、人に邪魔されない様に左寄りのコースを選んで泳いだ。たまにオレンジ色のブイが遠くの方に見えていた。それほど大きく離れない限り、気にしなかった。ハワイの海は日本の海より余計に浮くのではないか、と思うくらいに気持ちよく泳げた。前回もスイムでは余り怖い目に会ったという記憶がない。やはり泳ぎやすいからだろう。どこまで行っても海底は見えていた。岸からそれほど大きく離れるわけではないので水深も深くはない。右オープンなので、往きは岸が見えない。ロイヤルコナホテルがおよそ中間点、帰りはそれがひとつの目安だった。

 復路になると右後方からの日差しがまぶしい。しかしそれも気持ちがいい。2艘のヨットの周りをぐるりと回って、スタートのコナの街を目指した。残り半分、もう半分という気持ち。同じところを2周回よりも気分的には楽だろう。遠くに見えていたロイヤルコナが、右正面に見えてくればあと1キロ。どこにも疲れが出てくることもなく、気持ちよく泳いでいる。時折、脚がつらない様にキックもしてみた。ほとんどキックも要らないくらいよく浮いた。ピアの先に置かれた大きな緑のゲータレードのボトルが目立った。残りも少なくなってくると、それが目標になった。

 スイムの順位は判らなかったけれども、まだ回りに人がたくさん居る事は分かった。それほど遅くはないだろうという思いだった。やっとスタートした砂浜にたどり着いて、スイムゴールに向かう。置かれた時計は1:24、前回とあまり変わらない。もう少し早いタイムを期待したが仕方ない。だいたい実力はこんなものだろう。

 助けてもらいながら階段を上がる。残り1キロあたりから用を足したくなっていたが我慢していた。更衣室の中にトイレがあった。すぐに駆け込む。勢い良く出てなかなか止まらない。スッキリしてからバイクウェアに着替え。体が濡れていてうまく着られない。ボランティアに手伝ってもらいながらなんとかバイクの格好になる。更衣室でバイクシューズを履いてしまったので、バイクラックまでの長い通路がもどかしかった。焦って走ると滑ってしまう。ここは無理せずゆっくりと行った。私のバイクのすぐそばのN氏のバイクは既に無かった。N氏の連れ合いにその差を尋ねると、それほど開いていないとの事。しかしバイクも私よりは速いので、追い付くことは無いだろう。ランで追い付ける事を願う。

■バイクスタート(8:30)
 バイクを押して行くと後ろからすごい声援。何事かと見ると、片脚義足の女性。テレビカメラも付いていて、取り巻きがたくさんいた。ちょうど私の前に出てきて邪魔だった。これからが正念場のバイク、気合いを入れて行かなければならない。まずはキンカメの前の短い坂を上って行く。昨年からバイクコースが変わって、一度クインKに出た後、ケアウホウ方面へ5キロほど行って帰ってくる。娘夫婦はどこへ居るかと思ったら、2回目にキンカメ前の坂を上っているところへ居た。こちらから気が付いて声を掛ける。コナの街を過ぎてしまえば後は応援も無い。ただ荒野の中の1本道を、ただひたすらハヴィの折り返しに向かうだけ。コナウィンドに悩まされて折り返しまでの坂を上る事になるのだろうと思っていた。

 バイクのエイドは7マイル毎、およそ11キロ毎に置かれている。調子が良ければすぐにエイドがやってくるし、苦労して走っているとエイドも遠い。水はいつもの緑のボトル。一番初めに居る。次にゲータレード、これはボトルのままでくれる。食べ物があって、コーラ。そして今度は逆の順になって最後が水。折り返しまでは、ほとんど水しか取らなかった。補給食は自前のおにぎりとういろう。そして濡れせんに種抜きの乾燥梅。更にいちばん大事なカーボショッツ。ウェストバッグにバイクシャツのポケット。そして今回からDHバーの間に手製のメッシュの袋を付けて、そこに重量物を入れた。今までよりずっとうまく補給が取れた。

 今回の補給は全く問題なかった。チェジュの時の様な眠気もおそって来なかった。補給としては問題なかったが、相変わらずバイクは遅かった。抜くよりも抜かれるほうが明らかに多かった。しかしそれもレベルが違うと思って気にしていなかった。180キロのバイクを楽しむことにしていた。クインKを北上している間、調子はまずまずだった。ここで頑張り過ぎても後半バテるだろうと思って、最初は無理をしなかった。向かい風などは感じず、快適にバイクが乗れた。

 クインKからハヴィへ向かう海沿いの道へ出る。道なりに左折。ここからが勝負どころと思っていた。上りながら向かい風、横風の20マイル、そう思っていた。しかし、どこまで行っても強風が吹いて来ない。前回横風にあおられ、体を斜めにして上ったところも難なく上っていた。今年は風が無いな、という事に気が付いた。ならば、このまま無風でいってくれれば、という思いだった。

 先頭とすれ違ったのはどのあたりか、私が折り返しまで10マイル以上はあった様な気がした。先頭はゼッケン「3」。そのあと30番台、そして2番、そんなところだった。昨年チャンピオンのスタドラーの姿は無かった。アワードの時に見たビデオでは、パンクで早々にリタイアした様だった。その後は集団で走り去った。下りなので余計に速かった。あとはどんどんやって来る。今度は私がどこまで行くんだろうという不安な気持ちにさせられる。

 塚越とすれ違ったのは、そろそろ折り返しも近いだろうという様なところ。坂もだいぶ上って来ていて、向かい風も吹き出していた。とりあえずは時計のチェック。すれ違ってから折り返しまでは10分掛かっていた。およそ20分の差。折り返しのハヴィにはスペシャルもある。栄養ドリンク、アミノバイタル、そして何は無くてもカーボショッツ。楽しみにしていたスペシャルを受け取りゆっくり補給、そして下り坂を気持ち良く下って行く。やはり、上り坂を向かい風で上って来ていたのだった。その分の見返りとして、気持ち良く走らせて貰う。関谷はどの辺ですれ違うかと思ったら、時計にして、折り返してから30分、こちらの声に反応せず坂を上っていた。

 帰りは早い。20マイルもあっという間に下って来て再びクインK。ここからが本当の勝負、残りは30マイル、およそ50キロというところか。コナの街までは再び1本道のアップダウンの繰り返し、しっかりと漕いで走る。時折飲むコーラが美味しい。眠気など起きずにしっかりと走れていた。いくつかのリゾート地を走り去り、空港が見えてくればあと10マイルほど。もうあと少し、バイクゴールも8時間を切れそうな感じもしていた。バイクタイムは6時間半。予想もしていないほど速い。トータル12時間を切るのも夢では無かった。やはり風が吹かないとこうも違う。レースを楽しむ余裕も出てくる。

 そろそろ街が見えて来たところで右折。朝いちばんに走って来た所へ戻る。最後の交差点へ来ると応援も多い。私の家族はどこにいるのだろうか、などとキョロキョロする。バイクシューズはペダルに付けたまま脱いでいた。長い距離を乗っていて、早く脱ぎたかった。キンカメの前は人だかり、そこを過ぎてバイクゴールへ向かう。バイクを下りて、ボランティアにバイクを渡す。ここでシューズを脱いでいたので楽だった。再びバイクラックの周りを一周走らされ、ランへのトランジッション、今度は裸足なので速かった。スタートしてから8時間、予想以上に速かった。焦ることも無いのでのんびりと着替える。いつものように5本指ソックスをはいてランシャツを着る。ウェストバッグにはカーボショッツ、準備完了でランスタート。

■ランスタート(15:00)
 走り出しは軽快、気持ち良く走れる。これもバイクで足を使い切っていないせいだろうか。ちょうどキンカメの前に娘夫婦がいた。応援をもらって気持ち良く出て行く。ランコースもバイクと同じ様に、一度ケアウホウの方へ行って、同じコースを戻ってきてからエナジーラボの折り返しを目指す。

 最初の折り返しがどこなのかが判っていなかった。5キロ程度で折り返しだろうと思っていた。第一折り返し迄はアリードライブを走るので応援も多く、気持ち良く走れる。しかし、どこまで行ったら折り返しなのか全く見当もつかない。なかなか折り返しは見えて来なかった。4マイルあたりで塚越とすれ違った。その差も判らないので、折り返しまでもどれ位か判らない。とりあえず時計をチェックしておく。

 応援のたくさんいる中をまだまだ気持ち良く走る。そのうちにやっと折り返し、およそ5マイル地点。塚越とすれ違って10分経っていた。塚越との差は20分という事になる。同じコースをそのまま走ってコナの街まで戻り、バイクで走ったクインKハイウェイをエナジーラボ目指して走る。クインKまで来てしまうと応援もいなくなる。トップグループは私が走り出した頃に既にゴールしていて、今ゴールに向かっている選手は9時間台でゴールする人達。それでも私とは2時間以上違う。そんな中、田村選手を見つけた。かなり疲れた様子だった。今年はあまりいい成績とは言えなかった。プロでは日本女子の今泉選手も頑張っていた。知った顔はそれくらいだったろうか。

 エナジーラボまでも長い。応援もいない1本道をひたすら走る。まだまだ調子は悪くなかったが、道路に立つ電柱が遠くまでずっと続いていた。それが嫌だった。途中アメリカ人が私に話し掛けてきた。最初はいいかげんに応対していたが、ペースも良く、2人で元気付けながら折り返した後の復路の中間くらいまで並走した。これでだいぶペースアップできた。

 前回出た時はエナジーラボへ入るあたりで既に陽は傾いていた。夕陽が沈むところを見ながら海の方へ下っていた。今回はその逆に、是非夕陽を背にして海から坂を上って行きたいと思っていた。エナジーラボの入り口ではまだまだ陽は高かった。なんとか私の目標は達成できそうだった。だいぶ疲れては来ていたが、まだまだ走れていた。エイドでも歩くことはあっても止まることは無かった。

 エナジーラボの第2の折り返しを過ぎてから、スペシャルフードポイントがある。残りは8マイルほど、ここでバイクと同じ栄養ドリンクとアミノバイタル、それにカーボショッツの補給。これでだいぶ元気復活、また走れるようになった。クインKへの道を上っている時にそろそろ陽が傾いてきた。私の望んだ通りの光景だった。きれいな夕焼けが周りを照らしていた。陽が沈んだのは私がクインKに戻ってからだった。今回はずいぶん速く走ってしまった。

 左手の山の頂上の右側に満月に近い月が見えてきた。陽が沈むと急に暗くなってきた。街灯など無く、あたりは真っ暗。しかし、月明かりがほのかに明るい。今はレースは第2土曜と決まっているけれども、今年は満月にいちばん近い土曜日。やはりアイアンマンはこれでなければならない。

 暗くなって涼しくなり、残りの距離も少なくなって再び快適に走れるようになってきた。前から来るランナーはライトスティックを持って走っている。自分にはまだ渡されていなかった。どこかのエイドで渡されるのだろうと思ったが、持って走りたいとは思わなかった。涼しくなってチキンスープも用意されていた。前回はだいぶお世話になったが、今回は不要だった。すべて通過した。

■フィニッシュ(19:00)
 長かったハイウェイも終わり、右の方にオレンジ色の街の灯も見えてきた。もう間もなくゴールだった。クインKからカイルア・コナへの坂を下る。疲れた脚には下り坂がきつかった。最後の1マイルと思って頑張って走る。キンカメが見えているところを左折して、コナの街を大きくまわる。これが長かった。なかなかアリードライブへの降り口が見えなかった。だんだん人が増えてくる。右折して坂を下り、もう一度右折してアリードライブに出る。もう人がいっぱいいる。応援の人、既にゴールして戻ってくる人、入り乱れている。もう間もなくゴール、その思いで最後のコースを走り続ける。その先に明かりが見える。フィニッシュロードも見えてきた。ついにゴールだった。

 スタート前に約束したとおり、娘から孫を手渡された。抱いて走るにはだいぶ重かったが、後ろには誰もいないことが判っていたので孫を抱いたままゆっくりとゴールへと向かった。大歓声のなか、感激のフィニッシュラインを迎えた。しかし、歓声とライトに孫はびっくりしてしまっていた。

 孫を抱いたまますぐにフィニッシュの手続きへ連れて行かれた。まわりのボランティアも孫を抱いて大喜び。しかし、Tシャツ、メダル、荷物をもらったけれども、娘達とはぐれてしまった。しかし幸いに、部屋に戻ったところで再会できた。バイクと残りの荷物を受け取って、再び部屋に戻って一休み。

 記録を扱う部署では日本人スタッフがいて、親切に私のゴールタイムなど教えてくれた。また、関谷さんの居所やゴール予想タイムまで教えてくれた。10時頃再びゴール前の花道に戻り、フィニッシャーを迎えた。そして11時過ぎ、関谷さんも無事ゴールまで戻って来た。たくさんの歓声に迎えられ、フィニッシュラインを越えていた。


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