ウイスコンシン2005 matsu

今回のアイアンマンマンウイスコンシンは予期せぬ腰痛に見舞われ最悪の体調で望むことになってしまった。完走だけを目標に、特にランでは制限時間を気にしながらマイル毎のラップ計算を繰り返しひたすら歩いた。そしてゴールにたどりついたときには16時間21分になっていた。

ウイスコンシンを目指した練習は3月19日からの春合宿から始めた。ご存知の通り、昨年11月の大田原マラソンでさらに深く悪化してしまった右ハムストリングの肉離れが治らず、12月からはずっとスイム練習しか出来なかった。バイクとランを休養したにもかかわらず、結局肉離れは完治せず、だましながらの練習が始まった。4月以降の練習距離数は次のとおり。

4月 S25,500 B349 R 40
5月 S19,700 B757 R 56
6月 S20,100 B238 R107
7月 S21,500 B346 R115
8月 S23,100 B651 R105

スイムは引き続き良くやった。バイクは6・7月が少し少なかったと思うが、まあ合格点。ランも6月からは月間100キロを何とかこなせて、キロ6分程度なら十分走れるようになっていた。7月の西湖デュアスロンで、バイクの60キロできつくなりペースダウンしたときには、弱気にになったが、翌日のスバルラインヒルクライムは思いのほか調子よく上れ、8月にはツールド長野を含め651キロ乗れたので何とかアイアンマンへの目途はたったと思っていた。

月1〜2度通っていたマッサージを西湖の後、毎週行くようにした。鍼を打ってもらうと腿の調子も少し良くなった。ウイスコンシン出発の前日、最終のマッサージを受けた時、腰が張っていて脚よりもひどいかもしれない、デトロイトまでのフライトに耐えられるか心配だと言われたが、腰が張っているというのは以前にもよく言われていたので、特に気にもしなかった。また長いフライトも毎年のことだ。

今回のアイアンマンウイスコンシンツアーの参加者は4人。成田から2人、中部国際から2人。ノースウエストでデトロイトへ向かう。注目のバイク追加料金はなし。係員にはバイクとバッグ両方で43キロ以内と言われ、計量されOKだった。11時間超のフライト後、デトロイトで名古屋組と合流、1時間弱の国内便フライトでマディソンに着き、ガイドのペリー美智子さんに出迎えられた。ペリーさんはシカゴ在住の日本人トライアスリートで米国在住は25年以上になる。昨年アイアンマンウイスコンシンを完走した。本業は通訳。ペリーさんには現地滞在中たいへんお世話になった。

ホテルにチェックインした後、食事まで時間があったのでバイクを組む。19時にペリーさん推薦のフレンチ風アメリカン料理のレストランを予約した。例年レストランでは、注文するまでが一苦労で悩みの種だが、今回はペリーさんがいたので大助かりだった。ウエイターにメニューの端から端まで、そして材料から地ビールの味に至るまで詳しく説明してもらい、それを同時通訳してくれたので、メニューの内容は十分理解できた。考えた後にさらに詳しく聞いて注文にたっぷりと時間をかけ、食事もゆっくりと楽しむことができた。ビールは3種類の地ビールを1本ずつ頼みグラスは3人に対し一人に3つずつ用意してもらい、それぞれ3つの味のテイスティングができた。

2日目の朝は例によって早朝スイム。6:45にホテルロビーに集合し、スイム会場まで歩く。15分程で到着。ホテルを出たときにはひんやりしていたが、日が出てくるとともに暑くなってきた。ゲータロードのテントに荷物を預け泳ぐ。水温もちょうど良かった。コースに沿って約15分ほど泳いで折り返してきた。そして陸に上がり荷物を受け取り着替えようとしたら腰が痛かった。ぎっくり腰のような痛さである。着替えで腰を曲げることができない。腰は垂直を保ちひざだけ曲げて着替えた。泳いでいるときは別に違和感は感じなかった。かえって調子良かったくらいである。スネーク状に泳ぎ腰に負担がかかったのかも知れない。歩くことはできたのでそのときはそれほど深刻にも思わなかった。

ホテルのレストランで朝食後、レジストレーション。その後大会グッズのショッピングを楽しむ。ペリーさんはシカゴのトライアスロンクラブ2つに所属している。マディソンとシカゴは車で3時間の距離とのことで、シカゴに住むたくさんのトライアスリートがアイアンマンウイスコンシンに参加している。会場にいると練習仲間、バイクショップのメカニック、クラブの会長さん親子(子の方が会長)などいろんな人からペリーさんに声がかかり、我々にも紹介してくれた。挨拶した後はほとんど相槌をうっているだけだったがそれなりにコミュニケーションすることができて楽しかった。アイアンマン参加30回以上のメキシカンとも話が出来た。彼は会社のCEOで年間8回アイアンマンレースに出場し、今年は日本の五島へも行った。バイク練習は主にエルゴメーターだということだった。

昼食にインドネパールレストランのカレーを食べた後、午後はペリーさんの運転でバイクコースの下見に出かけた。ペリーさんは昨年レース前にバイクの下見練習に3回来たと言うだけあってコースを熟知していた。このマンホールの段差で3人が転倒したなんていう貴重なピンポイント情報まで教えてくれた。このコース、車では厳しさが分からないかもしれないが小さなアップダウンが繰り返しあって徐々に身体に効いてくる。似たような牧場やとうもろこし畑が延々と続き、目印らしきものは見当たらない。60キロの周回コース中にコンビ二は1件もなかった。そして路面は粗い。舗装の色が変(茶褐色)。リピーターの二人は1年ぶりのコースを再確認した。今回初参加の二人にとっては大いに参考になったと思う。途中スーパーで買出しして戻った。

17時半よりプレレースバンケット。遅れて行ったにも係わらず、舞台前の一等席につくことができた。ここでもペリーさんが司会者やスピーチする人の早口英語を同時通訳してくれた。おかげで今まで漠然と理解していたパーティー内容も十分理解することができた。好例のアイアンマン何回目?のコーナーは、2回目以上の人から始まって、チームジャパンの4人は全員立ち上がった。次、5回以上残ってで3人になった。人数はかなり減った。次、10回以上でも3人は残った。周りの人たちはほとんど座ってしまい、われら3人は驚きのまなざしで見られることとなった。そして最後に聞かれたファーストアイアンマンで立ち上がった人数の多さにびっくりした。3割ぐらいはいたと思う。初心者が大挙してアイアンマンディスタンスに挑戦するアメリカのトライアスロンブームのすごさを実感した。

腰痛は座っているときは感じなかったが、立ち上がり腰を伸ばすと痛んだ。また普通に歩いているときはあまり感じなかったが、腰をひねったときや段差を降りたときには痛んだ。左の腰からおしりにかけての筋肉を手で押すと痛い。コース下見での車の乗車も腰には悪かったようでアイアンマンをやるにはちょっとまずい状態になってきた。明日は早朝スイムはパスして、無料のマッサージを受けてみることにした。ペリーさんによるとこの無料マッサージは、スポーツマッサージの専門化がボランティアで開いているもので信頼できるものだという。有料のマッサージもあったが、30分で30ドルだったのでまずは無料の方でということになった。

3日目、土曜日、大会前日、朝食はメキシカン料理のオープンカフェに行ったが、普通のパンケーキを注文してしまった。同室の尾上さんがたのんだメキシカンがとてもおいしそうだった。この日はウイスコンシン大学でカレッジフットボールの開幕試合があるので街はスクールカラーの赤いTシャツを着た人々でいっぱいになる。学生だけでなく大人から子供までみんなが赤Tシャツを着てあちこち歩いている。オープンカフェ前の通りにはチアガールを乗せたオープンカーが走ってきてにぎやかである。またステートキャピタルの周りでは朝市が開かれ、野菜、果物、蜂蜜、パンなどの出店が出てにぎわっていた。昨日下見したバイクコースで見かけた牧場や農場の人たちが一同に会しているのだろう。食後朝市を一回りした。腰の方は昨日よりも痛む。特に歩道の切下げの下りを歩くたびに痛んだ。少し小走りに走ってみると、すぐ痛みが来た。

バイクには預託前に少し乗ってみたが、腰があまり動かない分とりあえずはだいじょうぶそうだった。バイクとトランジットバッグを預けた後、マッサージの順番を待つ。20分ほどで自分の番が回ってきた。ここでもペリーさんのお世話になった。マーサーへ細かく症状を伝えてもらい、マーサーの言っている事を同時通訳してもらったので、じっくり時間をかけて治療してもらうことができた。日本からの11時間のフライトが弱った腰には特に悪かったようで、なぜ到着した日に来なかったのかと言われてしまった。治療の合間に少し(15m位)走ってみなさいと言われ、走ってみると少し痛むが走れた。そして治療して走るを3回繰り返すと、違和感は残るものの不思議と痛みは消えていた。まるで魔法にかかったような気分だ。これでやっと何とかなりそうである。ようやく明日は完走目的でとにかく頑張ろうという気になってきた。

この日の昼食はイタリアンにした。なんだかトライアスロンツアーというよりグルメツアー各国料理の食べ歩きのようになってきた。ボリュームたっぷりのピザとスパゲティを5人で5種類頼み味見しあいながらたっぷりと食べた。ピザは食べきれずにテイクアウトした。長い時間座った状態から立ち上がるまだ腰は痛んだが、マッサージ前と比べると各段に改善していた。食後大学グッズショップを見て少し街をぶらつきホテルにもどった。

今日の夕飯は日本から持ってきた赤飯に味噌汁とテイクアウトしたピザで済ませた。昼が遅かったのであまり腹は減ってなかった。9時に就寝。

大会当日は3時に起床。腰の調子は昨日の朝と比べると格段に良い。朝食は赤飯、味噌汁、梅干、ハムチーズサンドとヨーグルト。4:45にホテル発、みんなで会場へ向かう。いよいよアイアンマンレースが始まる。

7時スイムスタート。スイムは慎重にゆっくりと泳いだ。おととい泳いだ後に腰痛になったので怖かったが、泳いでいる最中は別に痛みは感じなかった。2000人の同時スタートのため、1周目はバトルもときどきあったが、大きな混雑はなく淡々と進んだ。1周目、時計を見ると41分台。上出来の通過だった。2周目は時々ブイから遠く離れてしまい少し長めに泳いだ気がする。時間も長く感じた。しかしいつも起こる足底筋の痙攣が今回は起こらなかった。水から上がるときふらついたが、これはいつものことで腰も異常なし。1:27:34でスイム終了。昨年と1分しか違わなかった。ウエットスーツをボランティアに脱がせてもらい、うれしさのあまり預けたメガネを受取るのも忘れて、螺旋通路の最上部まで駆け上がってしまった。やっと気が付き戻る。選手の流れに逆行してウエットスーツをかかえて坂を下る変なおじさんになってしまった。今日は別にあせる必要はない。完走が目的だと自分に言い聞かせた。

トランジットは15分かかった。ペリーさんの声援を受けてバイクをスタートした。バイクも最初はのんびりとゆっくり走った。周回ループまでの30キロは平らのように見えて結構上っていてきつくスピードはでない。せっかくのニューバイクを活かす場面が出てこないが、腰痛の爆弾を抱えてのレースではそれも仕方なしだ。少し空腹になりそうだったので早めに補給した。それでも血糖値が下がってしまったのか少し眠気を感じるようになった。そんな時、悪いことにメーターが動かなくなり、日本時間を表示しだした。時計は23時過ぎでもう寝る時間を指している。このレースは日本時間の21:00にスタートしてバイクは23:00少し前から7時間以上は乗ることになる。ということは翌日の6時過ぎまでで、いつもの睡眠時間以上だ。考えたくもないが消してもすぐ時計表示に戻ってしまった。

眠気はひどくはならずにやがて治まった。アップダウン繰り返しのきつさは想定内のことだったが、今回は暑さと風に悩まされた。気温は鰻のぼりに上がって華氏94度(摂氏34度位)にもなった。常々外国人は暑さに弱いと思っていたが、その通りにバイクでは200人がリタイヤしたと言う。また常に向い風に感じるような風が吹きまくり選手達を苦しめた。後半には熱中症でコース脇の木陰で横になっている選手が続出した。

スペシャルエイドでは止まって、預けておいた蜂蜜入り紅茶を受け取り、アフタヌーンティーをホットで楽しんだ。ここまではゆっくり来たのでまだ余裕は残っていたが、ループ2周目に入るとだんだんときつくなり、サイクリング状態になってきた。トイレにも行きたくなったので、次のエイドで降りて、トイレに行き、その後冷水を全身にかけ、フルーツを補給し、少しストレッチした。さすがに腰を伸ばすのはつらかったが、水をかぶったことで身体はすっきりした。この後も2回続けてエイドではバイクから降りて補給し水をかぶった。選手説明会でマナーを守りましょうというアナウンスがあったせいかコースの途中で用を足している選手はひとりも見かけなかった。そのためかどうかエイドのトイレは二人待ちだった。トイレ使用中にバイクを持っていてくれるボランティアがいたのには感心した。空ボトルやゴミはエイドの手前50m位が投げ捨てゾーンになっていて、ポイ捨てのマナーも良く守られていたと思う。ループが終わり会場へと戻るラスト30キロはやっと追い風になり気持ち良く走れた。

バイクは7時間37分かかり終了したが、バイクを降りて愕然とした。バイクをまたいだ状態から脚を戻すのがものすごくきつかった。やっとのことで脚を戻しバイクを放すと腰が伸ばせずすぐには歩けなかった。腰曲がり状態で腰をたたきながら何とか歩いてトランジットへ向かった。イスに座って時間をかけて着替えをし、サンスクリーンを塗ってもらい、トイレによっていよいよランのスタート。スイムスタートからは9時間半が経過していた。ランコースはスタートしてすぐにゴール手前7〜80m位の直線に出て平行してキャピタルを回りショッピングモールへと向かう。大観衆がいてスタートする選手、ゴールする選手、2周目へ向かう選手が交差する一番にぎやかで、普通なら元気が沸いてきて自然と速く走れてしまうところだ。何とかゆっくりでも走ろうと試してみたがまったく走れなかった。30分もすれば走れるようになるだろうと覚悟を決めてしばらく歩くことにした。平らなところをゆっくり小幅で慎重に歩いている分には痛みはなかったが、ひねりやちょっとした衝撃があるとピリッと痛んだ。モールの入り口でペリーさんに応援されたが歩くことしかできなかった。

歩きは1時間15分に及んだ。その間、頭の中では計算に計算を重ねた。キロ10分で歩くと7時間かかることになるが30分の余裕を残してゴールできる計算だ。キロ10分はマイルでは16分になる。ところが最初の1マイルは19分もかかってしまった。このペースだと3分×26マイルで78分も追加されることになりタイムオーバーは確実だ。歩くペースを少し上げてみたが、とてもマイル16分には届かなかった。なにしろ腰引けの小さなストライドの歩きしか出来ないのだから無理はない。このときはタイムオーバーは免れたとしても今回はついに栄光の最終ランナーになってしまうのかと心配になった。まだこの栄誉を手にするには若すぎると思った。10年は早い。何とか30分くらいは余裕を残してゴールしたかった。1時間15分の歩きで進んだ距離は4マイル、たったの6.4キロであった。少しは走らなければと思い少しずつチャレンジしていった。最初は2〜30mしか続かず、すぐに歩いてしまったが、走れる距離は徐々に伸びていった。腰が原因で走れないだけで通常のトライアスロンで脚がまったく動かなくなるようなあの苦しさはなかったので助かった。しかし走れる距離は100mくらいが限度で、それ以上は無理だった。だんだん腰が重くなり、ちょっとしたきっかけでピリッと電気が走り歩いた。それでもやっとマイルラップは15〜6分に上がり、30分の余裕をもった完走も読めるようになってきた。

走るフォームはいろいろ工夫した。結論としてベストフォームは腰を落とし小さなストライドでかかとから着地し、腕振りは大きく、といったフォームになった。ランの2周目に向かうときは複雑な気持ちになった。周りの選手はほとんどがすぐそこに見えるゴールへと直進する。すでに13時間を過ぎて真っ暗である。まだあと4時間あるのかと思うと気が遠くなり、ここでやめてしまえば楽になるという悪魔のささやきが何度も聞こえてきた。2周目に入ると選手の数は極端に減少した。ほとんどの選手が歩いていた。歩きには暑かった気候もプラス要因になった。夜になっても寒くならず、軽装での歩きにはちょうど良い気候だった。

歩きながらいまさらながらボランティアの方々には本当に感謝したいと思った。選手はゴールすればそれで終了となるが、ボランティアは24時まで終わらない。選手が少なくなっても交差点には必ず誰かいて声をかけてくれた。その一言には本当に勇気付けられた。また外灯のないところでは消防車まで動員してライトで照らしてくれた。そして9月11日もあと少しで終わろうとする23時過ぎ、大歓声のあがるゴールに帰って来た。最後のゴールストレートは歩かずにゆっくりと走った。フロムジャパンとアナウンスされたときは、歓声もひときわ高くなったように感じた。16時間21分38秒、ランは6時間49分かかった。ペリーさんととっくにゴールしていた小島さんが迎えてくれた。ボランティアにメダルをかけてもらいウイスコンシン大学カラーの赤い完走Tシャツをもらった。完走できて本当に良かった。

翌日のアワードパーティーは午前11時半から始まった。司会者の第一声は、昨日の悪コンディションの話だった。400人のリタイヤが出て、おそらくアイアンマン史上最悪の完走率だろうとのことだった。

グルメの旅最後のディナーはステーキレストランに出かけた。ここでもメニューを詳しく説明してもらった。ウエイトレスもいやな顔ひとつしないで丁寧に説明してくれた。アメリカのレストランではきっとそれが普通なのだろう。地ビールとサラダ、そしてウエートレスお勧めの16オンスのテンダーロインステーキを頼んだ。ステーキは7センチ位の厚みがあってまず見て感激。食べてみたらやわらかくてとてもおいしく更に感激した。

楽しかったアイアンマンツアーも無事?終わった。ウイスコンシンは3回目の挑戦だったが、3回とも悪い成績で終わっている。いつも前回のリベンジを目標にして参加するが、返り討ちにあってしまう。アイアンマンウイスコンシンは本当に手ごわいレースだ。成績は、その時々の条件の中で自分なりに頑張った結果である。そしてゴールできればとにかくそれは素晴らしいことだと思っている。今回腰痛でも完走できたことで、人間はその気になれば何だって出来る、ということを改めて知らされた。


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