第20回トライアスロン中島大会 キヨ

   「ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せてきた。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。」
坊ちゃんが、東京から愛媛県の松山中学教師に赴任した時、降り立ったその港からフェリーで約1時間、広島県境に近い周囲約35キロの気候温暖な島。山の上までみかんの段々畑が連なる長閑な島が、1986年以来、熱く燃える夏がまた、やって来ました。

 その島の名は、中島。昨年までの愛媛県温泉郡中島町から、市町村合併で、今年1月から愛媛県松山市となり、トライアスロン大会の主催も中島町から松山市に変わりましたが、20年間、島民の熱意の下で大会は続いて来ました。台風被害により生活の糧であるみかん畑や道路が壊滅状態になったこと、旱魃で島民の生活水にも事欠いたこと、鮫騒動で瀬戸内海の海水浴場が閉鎖されたことなど、いつ中止になっても仕方がないような時もありました。それでもその都度、島民の方々の情熱に支えられ、一度たりとも、途絶えることなく(その情熱に天も味方したのか、たまにある、スイムだけ中止と言う事態もなく)続いて来ました。松山市と合併が決まった時には存続に不安の声も上りましたが、関係者は「自分らが生きとる限り、この大会は続ける」と、強く訴えかけられたそうです。その結果、無事、継続が決まり、いつもの、否、いつも以上の夏を迎えるべく準備が進めれていました。そんな中島に、思いもよらぬアクシデントが起こったのは、大会1週間前でした。

 大会前日、8月20日朝、島へのフェリー乗り場に着いた時、券売場の張り紙が私とヨーコの目に飛び込んできました。「姫が浜ビーチは、油流出の為、遊泳禁止」。姫が浜は、大会のメイン会場で、スイム競技コースです。そのビーチが遊泳禁止だなんて。
大会準備の為の措置なのか、それとも本当に泳げないのだろうか、戸惑いを感じつつ島へ向かいました。

 早速、ビーチに駆けてみると、やはり遊泳禁止の立て札。浜辺には多くの作業員の姿が見えます。伺ったところ、油の吸い取り作業をしているとのこと。実は1週間前、中島からはるか西方の山口県沖で船舶の衝突事故が起こり、積荷の重油が潮に乗って中島沿岸に漂着したそうです。そこで北海道他各地から人が集まり、回収に専念されているのでした。関係者は、当初、泳げるようになるには2〜3週間かかると言われ、頭の中が真っ白になってしまったそうです。それでも、懸命の作業を続けられ、何とか目処がたちつつあるそうです。ただ、スイム競技が行われるかどうかは、当日朝8時に最終決定とのアナウンスが流れています。島の漁業にも被害が出ているだろうに、中島に帰ってこられたたででも、幸せなことだ。目の前の海は穏やかで、潮の香りも変わらない。

 一方、島の文化会館では、第20回を記念して、愛媛県出身で中島にも縁のある俳優・藤岡弘さん(有名なのは、仮面ライダー役)が、生きること、故郷を想うことなどをテーマに講演されていた。その後開かれたチャリティーオークションでは、仮面ライダー関係のお宝グッズの出品もあり、大会ではボランティアを務めてくれる地元中学生に好評を博していました。

 そして、お待ち兼ねの前夜祭。地元中学生の水軍太鼓や、合奏団による大会テーマ曲の演奏で盛り上がり、更に今年は、いつもにも増して、料理も多く、ひらめのお刺身も十分、堪能。また、20年連続参加選手が、私含めて10人紹介されました。後何年続けられるかな。同席の人たちとも歓談し、飲み放題のビールでほろ酔い気分の中、明日への意欲を沸かせます。無事、スイムが行われますように・・・・・。

 大会当日朝6時。8時の発表を待ち切れず、スイム会場へ。昨日の競技説明会では、スイム中止の場合には、代わりに第1ラン5kが行われることになっています。ドキドキしながら浜を見ると、既にスタートの幕が張られており、何となく「行けそうな」雰囲気です。そして、正式に「今年も例年通りのコース(S1.5k+B40k+R10k)で行います」と告げられました。そうと決まれば、いつ雨が降り出してもおかしくない曇り空など、どうでもよくなります。だって3種目できるのですから。10時30分のスタートまで、後2時間余りです。

 9時には、松山市内(昨年までは中島町内)の小学4〜6年生を対象にした第11回ジュニア・アクアスロン大会(S150メートル+R2キロ)が開かれ、男女45人が、選手や家族の応援を得て、元気に泳ぎ始めました。巧みに抜き手を切る子もいれば波打ち際を歩く子もいて、でも、一所懸命頑張っている姿は、ちます笑ましいものです。この子達の中から、将来、何人、トライアスロンに戻ってきてくれるのかな。

 10時。海に浸かってみる。今回は二人ともウェットなし。極薄く油が漂っているようですが、瀬戸の海も見渡せ、普通の大会に比べれば遥かに美しい海が広がっています。第1回大会は開催日が7月6日でまだ、梅雨明けしておらず、浜辺では焚き火が焚かれ、寒中水泳のような雰囲気の中で165人の選手のうち21人がリタイヤしたものでした。今日も生憎の曇り空ですが、海は変わりません。

 10時25分、今年から大会委員長となった松山市長の楽しい励ましの言葉に送られ(後で聞くと、この市長さんはご自身もマラソン大会に出られるなど、大変、スポーツがお好きな方だそうです)、スタート位置に移動。スイムスタートは水中からで、前の方の選手は立ち泳ぎをしながら合図を待ちます。コースは波打ち際から50メートルほど沖を、浜と平行して片道375メートルを時計回りに2往復する1.5k。バトルを避けるためには、一番内側を猛ダッシュで抜けていくか、左端(浜に近いところ)からスタートして内側の選手を少しずつ追い越しながらコースに寄っていく位置取りを選ばないといけません。私達は左端を選びました。内に寄っていかなければならない分ロスにはなりますが、ダッシュで逃げ切れない時の危険を避けました(中島はローカルですが、スイムの早い選手が多いのでちょっと弱気)。

 10時30分、スタート。まずまずの感覚で泳ぎ始めます。ヨーコが右斜め後ろ。いよいよ夫婦対決の始まりです。安全コースを採ったとは言え、370人ほどが泳ぎ始めますから、完全にバトルを避けるところまではいきません。それでも、前を塞がれるところは余りなく、進めます。ただ、折り返しは180度回転しなければならず、人と重なり苦労する。 1周目が終わる頃には、多少バラけて来て泳ぎも落ち着く。2周目の折り返しの手前(約1,100メートル位)に来て、ヨーコが追い越していくのが見える。私自身としては、絶好調とは思えないので、この辺を泳いでいるヨーコが少し不安。ただ、追い越された後は直ぐ見えなくなった。スイムが終わって浜に上がった時は24分40秒位。

 バイクスタート地点へは300メートルほどの距離。トランジットに入ると、ヘルメットをかぶろうとしているヨーコが見えます(女性で3位だったそうだ)。この位置なら、バイクのそれほど進まない地点で追い越せる筈。

 バイクコースはほぼ全行程海岸沿いで片道10キロを2往復。この大会の初期は短距離を6往復して慌しかったことを思えば、片道の距離も伸び、路面も良くなりました。高低差は余りないものの、岬を回るたびに風向きが変わり、またコーナーもキツイので結構、緊張感を要します。ただ、眺めは最高。遠く四国の山並みや、瀬戸の島影も美しく、さらに島の人たちの応援の賑やかも変わりません。2キロくらいでヨーコの後姿が見え隠れするようになり、10kを待たずして追い越す。一方、自分自身にとって最高の目標である2時間30分の為にはギリギリの時間。普通に行けて2時間35分、悪くても40分が今回の目安です。ヨーコとの差は、20キロ付近では4分程リード。35k付近では6分程に広げます。往復コースなので、差の確認は容易で、夫婦対決は、何となく、初めて勝てそうな予感です。それでも自身の最高目標は厳しくなりました。このままだとランを45分程で行かなければなりません。全く不可能とは思いまんが・・・・・。

 そして、5キロ1往復のランスタート。やはり、ほとんど海岸線で、例年は、遮る日陰もなく、アスファルトの照り返しを受けて猛暑の中を走ることになるのですが、今年は厚い雲に覆われ、むしろ雨の心配が必要なほどです。ランの出足も、それほど快調ではなく、キロ5分ペースがやっと。そこで2キロほど走った所で最高目標は諦め、普通に行けて、の目標に切り替えます。これなら、このままで行けば大丈夫です。5k折り返し、変わらぬペースで走れます。少し行った所でヨーコと擦れ違う。かなりの勢いで走ってきてますが、まだ4分差。今のままなら、追い越されることはないでしょう。そのまま、6キロ地点。なんだか急に疲れてきたよ。一気にペースダウン。これでは、ヨーコとはゴールで丁度一緒になるくらいかな、と思いつつ足を進めます。そして8キロ。後ろから声を掛けられました。「えっ、そんなに早く追いつかれた」。後を追う元気はありません。いままでと同じパターンでまた、負けました。結果は、ヨーコが2時間35分くらいで女性総合5位(年代別=20代?=3位)、私は最低目標の40分をやっと切った程度でした。

 中島が終わり、秋の気配を感じ始めました。20回続けてこられた運の良さと、関係者やボランティアの方々に感謝しつつ、今年は翌週のチェジュの観光旅行の準備をしなければなりません。


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