アイアンマンコリア道中記 その2 キヨ

 8月25日、Jejuに向かう前夜、成田のホテル。台風接近。表向きは翌日の飛行機に乗り遅れない為の前泊、実は今回のコリア旅行での最初の楽しみだった、「昭和時代のレトロな夜店付き飲み放題食べ放題ガーデンバーベキュープラン」が中止になってしまった。

 26日未明、台風は丁度成田の真上のようだ。恐らく出発時間までには遥か通り過ぎでいるだろう。7時過ぎ、空港へ向かうバスの中でツカさんからの電話が入る。早めのつもりで出たけれど、皆もっと早いのだ。空港のロビーに着くと既に自転車ケースを持った人達が列をなしている。どの人のケースにも各地のアイアンマンレースのステッカーが貼られている。チェックインを済ませたところでmotoさん達とも顔を合わせ、遅れていないことを確認してもらう。飛行機は予定通り飛び立つようだ。今年は、大島も今回も台風からタッチの差で切り抜けられた。

 Jeju到着後、本部(2002年のサッカーワールドカップの開かれたスタジアム)で受付を済ませホテルに向かう。ホテルは済州島の南、西帰浦(ソギポ)市にあり、付近は、高級ホテルが立ち並び、海水浴場や、植物園、遊歩道など、中文観光団地と名付けられている韓国随一のリゾート地帯にあり、噂に聞いていた以上の豪華さに、旅気分は最高潮!日本海(と言うより、東シナ海の最北限?)にありながら、対馬海流の影響か、周りの景色はまるで、南国。ホテルの中庭にはリゾートプール、池には白鳥型のボートが浮かんでいる。早くレースが終わらないかなあ。
 軽く食事をし、一休みした後、夕方、カーボパーティ会場に向かう。到着したのは5時半頃。海が見渡せる屋外の芝生広場。開始までまだ、30分。人影は疎らで、食べ物の準備もまだ整っていない。ところが、10分、20分経っても集まりは悪く、なんとなく心配になって来る。そして予定の6時になっても、席はほとんど空いたまま。時間が変更になったとしか考えられない。6時半を過ぎて漸く来場者が増えてきた。どうも7時開始らしい。だとしても、鉄人関係者7人もいて誰も気づかないなんて。後から来られた、私が京都にいた時にお世話になった「鉄人くらわんか」の方たち4人と同席、この内、女性1人はハワイ経験者。楽しく夜は更けていった。

 27日、10時からの日本人向け競技説明会に出席。昨年のコリアの完走Tシャツを着た人を多く見かけ、「明日、何とかこのTシャツを貰いたい」、との気持ちが強くなる。少し観光気分から脱却。午後、車検を受け、バイク、ラン用具を入れたバックを預ける。試泳の時間は取れなかった。午後、皆と焼肉に行く待ち合わせ時刻に遅れ、逸れてしまう。ホテル近くの焼肉屋を延べ5キロくらい走って探し回ったけれど見つからず、結局2人でつましく食事を済ませた。後で聞くと、最初に探して、私がおみやげ物屋と勘違いした店の2階におられた、とのこと。
 夜、全ての準備を済ませた頃に、ホテルの私達の部屋の目の前の庭で噴水火山ショーが始まった。轟音と共に火と噴水が吹き上げ、なかなか迫力のあるアトラクションだが、なかなか寝付かれない。ここからは見えないが恐竜のロボットも出て来るそうだ。

 28日朝、制限時間17時間をフルに使えば完走だけは出来るかな、との思いで、さほどの緊張感はない。とにかく、レース途中でのエネルギー切れだけは避けるべく、途中の給水、給食だけはコマ目に摂ることだけを考える。パワージェル6袋、練羊羹1個、塩小さじ少々をバイクに携帯した。ナンバーリングを受けて、バイク置き場から浜に向かう。長くて急な下り坂で、スイムから上った時にはしんどいだろうな。スタート位置にはもうほとんどの参加者が並んでいる。さあ、スタートだ。

 スイムコースは、ホテルの真下の「中文海水浴場」にあり、沖に向かって野球のホームベース型の5角形を時計回りに2周するもので、キャッチャーの位置からスタートする感じ。バトルを避けるためには一番左から泳ぎ出すのが良さそうだ。後は多少、大回りにはなるけれど、常に集団の左にいることを意識していればパンチ、キックは避けられそうだ。ヨーコと励ましあってスタート。思惑通りで混雑もなく気持ちよく泳ぎ始められた。波もない。やがて海底が見えなくなり、波のない深緑の海の中を順調に泳ぎ進める。ところが第2コーナーを回った所で、巨大なクラゲと遭遇。人の頭ほどもある黄色くて、まるで水中機雷のように漂っている。手の届かない深さだと思うが、やはり余り気持ちの良いものではない。第3コーナーを過ぎて少し波が出てきたようだ。進行方向も変わり息継ぎ右オープンの私の目に太陽が眩しい。15年余り、スタート時刻の遅いショートタイプしか出ていなかったので、水平線から低い位置からの直射日光を受けるのも久しぶりで、懐かしい。
 1周目が終わり、一度浜に上がる。30分15秒。これは少し早すぎる。出発前、鉄人掲示板でスイム絶好調発言をしたので、恥は掻けないとは思っていたが、いくらなんでも早すぎ。それほど無理をしているつもりはないが、もう少しゆとりを持たないと、バイク、ランで潰れそう。予定では1時間5〜10分を目指しているのだ。2周目、一度泳いだので、なんとなく感覚はつかめた。クラゲとも再会してゴールへ向かう。浜に上がって時計を見たら1時間2分程。その直後、うしろからヨーコに声を掛けられた。一緒にトランジットへと向かおうとする。ところが、付いて来ない。振り向くとシャワーでウェットスーツを洗っている。君の綺麗好きは知っているけど、そこまでしなくても・・・・・。急がして先に進ませる。

 一足先に着替えを済ませてヨーコをバイクラックで待っているとツカさんが来た。せめてスイムだけでもクラブ1位になれたので、多少、観光旅行の言い訳はできるかな。ヨーコと一緒にバイクスタート。無事完走、その為には、二人にとってこれからが正念場。10キロ付近でmotoさんに、20キロ手前でダニーさんに追い越される。自分達のスイムの記録から、もう少し逃げ切れるかな、と思っていたが、予想以上に早く捕まってしまった。この辺りで、ヨーコに離され始める。が、バイクでは30キロ毎に必ずエイドで立ち止まり補給をすることを決めていたので、焦らず完走の為にはどんなことがあっても守ろうと思う。西帰浦のジェットコースターのような上り下りとカーブの続く市街地を抜けて、島の東部のイカが干してある漁村を駆け抜ける。道路脇に、2〜3メートル位の高さに石が積まれているのが見える。まるで、賽の河原の石積みのようだ。後で調べると防邪塔(コウックデ)と呼ばれる、地形の気運がマイナスの所を防ぎ、村の平安を願うために建てられたもののようだ。そう言えば、ここ済州島は石の国だそうで、その象徴がドル・ハルバンと呼ばれる石像。山高帽を被り、どんぐり眼にだんごっ鼻。きりりと結ばれた真一文字の口。この島の民たちは、そんな可笑しくも威厳のある、お腹から上の石像に守られて人としての営みを続けて来たのだ。そんなことを思いながら走っていると、40キロ辺りから急に睡魔が押し寄せて来た。今まで。レースや練習を通じて始めての経験。60キロのエイドでは少し横になろうか、とも考える。ポケットから塩を取り出し、舐めながら水を飲む。ところが、少しするとお腹がグルグルし始めた。やはり普段やらないことをレースでやるのは良くないよね。自分で決めた第二小休止地点の60キロ。多分、ここでJRさんに追い越されたのだと思う。ここには日陰がなく、なんとなく眠気も解消されてきたので、飲食だけして、走り出す。でも、これじゃあ、レースが終わった後、かえって体重が増えてるかも。

 そして、コースは海岸線を離れ、西へ折れて、丘陵地帯へ向かう。うねるようなアップダウンを繰り返しながら少しずつ上って行く。加えてまた、眠気が襲って来た。半分、居眠り運転をしていたのだろう。追い越される人に大声を掛けられ我に返る。90キロの第三小休止。ここで車座になって「宴会」をしている多数を参加者達を目撃。コース図では、この後100キロ過ぎから110キロ辺りにかけて400m余り上っていく。そして迎える一気の上り。私が走っているレベルでは、殆どが降りて押している。きつい、けれど鉄人クラブの一員としての沽券に懸けて(何もこんなところで力まなくてもいいのだが、)なんとか漕いで登る。ところが上り終わってもまだ105キロ。まだこれからこれ以上の上るのか。この後、勾配こそきつくはないものの、高さは増していく。周りの景色での目の錯覚で、下りに見えてもペダルは重い。ただ、道は快適で見下ろす風景は心地良い。そろそろ追い越されることもなくなった。120キロ辺りから漸く下り主体になる。JRさんとヨーコが「ローラーブレード・ファイティーンメカニック隊」を目撃したのはこの辺り(因みに済州島ではインラインスケートが盛んで競技場もあるらしい=お問い合わせは済州総合観光案内所742−8866まで)。
でも、楽をさせてもらったのも束の間、坂を下り切った150キロからまた上り下りの繰り返し。まだまだ苦しみは続くけれど、ギリギリを覚悟していたバイクの制限時間には1時間ほど余裕ができそうだ。遠くにぽっかりと岩だけが取り残されたような山が見える(アメリカのモニュメントバレーの岩の幅広のような形)。山房山と呼ばれる395メートルの名山で。山の中腹には山房洞窟があり、山房徳といわれる乙女の伝説があり、今も洞窟の天井から落ちてくる水は乙女の涙であると伝えられているらしい。その後、高速道路を走り、やがて、ランコースと合流。後5k。バイクフィニッシュの手前でラン1周目のヨーコとすれ違う。30分くらいの差かな。最終制限時間まで7時間半程。なんとかなりそう。

 ランは1周14キロを3周。1周終了まで走れれば、完走は出来るだろう。キロ7分を目安に走り始める。ところが、ランの時、一度スタートラインを越えた後トイレに寄り、再スタートする時、間違えてフィニッシュラインを踏んでしまい、チップの音が鳴ってしまった。係りの人に注意されて走り出したものの、もしかして記録計測上、失格になってないか、この後、走っている間、ずっと気になっていた。
 走り出し直後、5kを30分を切っている。感覚は悪くない。むしろ早すぎる。このコースも結構、2〜3k単位くらいでうねっているが、概ね行きが上りで帰りが下り、かな。エイドがほぼ1.5k毎くらいにあるので、ここでも毎回立ち止まって、補給を怠らない。頭の中にはガス欠注意報が駆け巡っているので、バイクも含めて、余分な時間を取りすぎたかも知れない。が、兎に角、完走第一しか考えてない。
 3周回なので、かなりの頻度で皆と擦れ違う。ツカさんは元気そう。ダニーさんはその実力からすると一寸、疲れてる?JRさんは擦れ違うたびに後ろのヨーコと差が詰まっている。motoさんは見つけられない。くらわんかの髭の黒須参太さんに写真を撮ってもらう。
 1周目、無事終了。まだまだ、走っていられそう。エイドでの立ち止まりを含めるキロ8分以内を目標にする。かなり日が傾いてきた。もとより明るいうちでのゴールなど望むべくもないが、完走だけは、見えてきた。2周目の往路で初めてゴール直前のmotoさんを発見。思わず声を掛けてしまったが、完全に集中しておられた。1周目を経験しているが、折り返しが遠い。それでも何とか、2周目もコース上で歩くことなく終える。
 3周目に入る時、反射ライトの付いたリストバンドを渡される。鉄人クラブでこれを貰ったのは私だけだぞ!(と、威張ることではないか)。ゴール目前のヨーコと擦れ違う。「あと1時間半くらいでゴールするから」と言ったものの、まだ12キロ残っていた。今のままではきつい。エイドで止まると8分半、パスすると7分くらいで1キロを走っている。遅れると何を言われるか。30キロを過ぎて遂に足が止まる。1キロ歩いては1キロ走るを繰り返す。丁度、一人の韓国の選手と同じくらいのペースになり、追い越し追い越されを何度が繰り返し、やがてお互い励ましあうようになる。37キロ付近のエイドで、その韓国の選手が鎮静剤のスプレーを吹きかけてくれた。レース中では使ったことがなかったが、その後、急に足が楽になる。後5k。潰れても知れていると思って、走り出すと、キロ6分を切るくらいで行ける。お世話になった韓国選手を置き去りにしてしまったのは心苦しかったが。さらに「くらわんか」の髭の黒須参太さんが行き違う時写真を撮って下さったが、立ち止まらずに、また写し返すこともなく失礼しました。前を行く選手も何人か捕らえ、後1キロを切ったくらいで2人が並んで走っているのが見えた。追い越せそうだが、ここまで来て追い越すもの大人気ないかななどと余計なことを考えて速度を落とす。それでも追いつきそうなので、思い切って走る。ところが、ゴールへの入り口の手前50mほどで間違えて先に右に入ってしまい、引き返す羽目に。言葉は通じないはずなのに、コース沿いの人達が喚いているので間違いに気が付いたのが不思議だ。ともあれ、先にゴールしていたヨーコと一緒にテープを切った。残念ながら、最後スピードを上げて疲れすぎたのとコース間違いが気になって、感激を味わうには少し時間が掛かった。マッサージを受ける元気もなかったが、スープは美味しかった。完走Tシャツを受け取る。今回の韓国旅行、これさえあれば、他に何もいらない。もし前日、完走Tシャツがあることに気づかなければ、ここまで頑張れたかどうか。
 一服して、マッサージを受けていると、先ほどの韓国選手も、黒須参太さんもゴール。隣では、くらわんかのカテゴリーRの方がマッサージを受けていたが、この方こそが、自身が年代別1位だったことをアワードパーティーまで知らず、ロールダウンの時間、のんびり朝食を摂っていたのだった。ホテルへの送迎バスの発車は22時30分。ランコースに沿って走るが、コース上の人影も疎らになっている。撤収が始まっているエイドもある。そんな時、まだ、バイクに乗った選手らしき人を見かけた。荷物を背負っているのでホテルに帰る選手かな、と見てみるとJRさんだった。バイク190キロ完走!!
 ホテルに戻ると、motoさんとダニーさんは当然のことながら、くつろぎモード。ハワイへはツカさんが権利を得て、motoさんも可能性大、とのこと。きっとお二人は明日の発表を楽しみに、そして私達はホテルでのプール遊びを楽しみに、眠りについた。

 29日、ハワイへ向けてツカさんは一足先に手続きを済ませ、motoさんと野次馬の私達は、ロールダウンを待つ。motoさんのカテゴリーではハワイ不参加を予め表明している人がいるらしかったが、枠が2名と発表された時点で、名前を聞くまでもなく決まり、歓声を上げた。
 私達にとっては旅はまだ終わらない。焼肉の後、プールのウォータースライダーを堪能、夜のアワードパーティーも楽しく過ごした。
 翌日、朝一番で、早速プールに飛び込み、午後1時からの筈のスライダーも何故か11時から始まり、心残りはなくした。レースも仕事も遊びも、何事にも全力投球のヨーコの面目躍如、といったところだろうか。それでもカテゴリーの変わる2年後の再挑戦を心に誓っているようだ。おっと、そうなると私はmotoさん、ダニーさんと同じ年代になるぞ。待っててね。


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