アイアンマンコリア道中記 その1
「アイアンマンは見た 済州島人間模様」
キヨ

1.エンタのエイド

 スイムで追い越されようとするとむきになって向かってくる人がいる。泳いでいれば付いて行けるかどうか分かると思うのに。周回の浜に上がろうとする時にも、押してくる人がいる。3.8キロも泳ぐのに1秒を急ぐの?

 バイクのエイドステーションでは通り過ぎた直ぐのところから数百メートルの間、ペットボトルが散乱している。民家の前に干されている農産物の上にまで抛り捨てられている。前日のブリーフィングでは「エイドで受け取ったボトルは次のエイドまで持って行く」との説明がなされた筈。だから私達は二つあるボトルゲージの一つを空けてそれに備えていた。ところがこの有様。エイドでボトルを受け取るにも、スピードを落とさずまるで奪い取っていくかのように走り去っていく。腕を斜め前に伸ばして受け取る瞬間、少し腕を引けば、それほど速度を落とさなくてもボランティアへの衝撃も少なくて済むのに、それすらも、ない。説明会で「ボトルのキャップは閉まっているので、各自で開けてください」との話があったとき、不満な顔をした人もいた(当日になってみれば、キャップはボランティアの手で開けてくれていた)。180キロを走るのに、5秒も急ぐの?

 ランコースでも、紙コップやスポンジが至る所に投げ捨てられている。グリーンベルトを挟んだ反対車線にまで飛んでいる。レースは夜中まで。その数時間後には地元の人達の日常生活が始まる。一体誰が片付けるの?

 初めて参加したアイアンマンレース。私の好きなトライアスロン。この程度だったの? そもそも私達は「選手」なのか「参加者」なのか。

 バイク90キロ地点。スペシャルドリンク・フードが置かれている。ここで数十人の「参加者」達が座り込んで休憩している。噂には聞いていた。長閑な光景だ。この時の私のペースですら、バイク終了時には制限時間に30分ほど余裕があるかどうかだ。「選手」からすればとんでもない光景かも知れない。それでも、彼らには年に1度のお祭りなのかも知れない。後半の90キロで私は、これほどの参加者に追い越されてはいない。それでも、彼達は、心底、トライアスロンを楽しんでいたのかも知れない。20年前、私が初めて参加した大会で、後尾のランナーと地元の小学生達が一緒に走っていた。それを決してノスタルジックにしたくは、ない。

2.あるある救援隊

  「バイクの130キロ位かな。トラブルを起こしている人の近くで携帯電話をしている人がいたんだよ。そこから暫く行くと、自動車からローラースケートを履いたメカニックのが3人出て来て、その人のいる方に向かったから、きっと救援にいったん だよ。」
 「私も見たけど、5人だったよ。でも、履いていたのはローラーブレードだったと思う。」
 「そう言えば、長かったね。ローラーが3個くらい付いていたかな。」
 「でも、何で車で行かなかったのかな? そもそも何でメカニックだと分かったの。」
 「工具は何も持ってなかったね。」
 「それって、本当にメカニック?」
 「じゃあ、何しに行ったの?」
 「きっと、トラブルの状況を見に行って報告しようとしたんじゃないの?」
 「五人で?」
 「そう。現場に着いて、パンクだ!パンクだ!パンクだ!パンクだ!パンクだ!って。」
 「トラブル起こした人にすれば、何しに来たんだって感じだね。」
 「それじゃあ、励ましに行ったんだ。」
 「ファイティーン!ファイティーン!ファイティーン!ファイティーン!ファイティーン!って。」
 「なーんだ。そうだったのか!」
皆さんも、何時か何処かの大会で、ローラーブレード・メカニック隊を見かけたら、このことか、と思い出してください。ただ、今回、横浜鉄人関係者6人の内、2人しか見てませんから、レースに熱中して見過ごされて、後で、「残念ーっ」と言うことのないように。

3.奇跡のロールダウン

 「ロールダウンでハワイの権利を得た人には泣き出す人もいるんですよ。」と、教えられて、大会翌日の10時前に、私とは全く縁のないロールダウンの会場に来た。そして1時間ほど、多少のドラマが展開されつつ、いよいよ最後の1枠の発表となった。ところが、そのエージでは名前を呼ばれるも、誰も応答無し。そして、その枠は、何と、既に終わっていた別の年代へと戻って行ったのです。でも、そのエージの人達って、自分達のロールダウンが終わったら帰ってしまっているんじゃないだろうか。他人事ながら気を揉む。やはり、一人、二人、三人とロールダウンされて行くが、返事がない。ここまで下がってしまうと始めから諦めて来ていないかも知れない。もしかして、このまま終わってしまうのかな、と思い始めたところ、五人目に呼ばれた人がガッツポーズで手を挙げる。雄叫びを上げ、既にハワイが決まっている人と肩を抱き合う。そうだろうな、きっと本人が一番信じられないのだろうな。良く今まで待っていたものだ。

 一方その頃、カテゴリーRで1位になった人は、仲間達とのんびり朝食を摂っていた。そして、自分がエージ1位だったことを知ったのはその日の夜、アワードパーティーで名前を呼ばれた時だった。この方は、来年、ここに忘れ物を取りに来られるそうだ。

予告編

 当日のレース展開並びに観光旅行記は近日刊行予定・・・・・・です。


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