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えー、うそぉ!?「ゴールまであと2キロ」の表示を見つけたのは、40キロ表示から嫌になるくらい走ったあとだった。ここに至って、30キロ過ぎから勝手に膨らんでいった甘い期待はもろくも消え去ってしまった。しかたない、もう時計は見ない、ゴールまで精いっぱい走るだけだ。フルマラソンの最後の2キロはそれでなくても長いのに、どうやら40キロの表示がずい分手前にあったということなのだろうか。
12月11日早朝。たいていのマラソン大会は朝一番のスカ線で出かけることになる。したがって、JRの駅まで40分の道のりを歩く。東京駅から6:12のやまびこ201に乗り、小山で下車、さらに両毛線に乗り換えて佐野の駅に着いたのが7:50頃であった。
送迎バスでようやくたどり着いた陸上競技場には何やら運動会を思わせるような音楽が響き渡っている。とにかく寒い。小さなトレーニングジムで着替えてストレッチをしていると、グラウンドではセレモニーが始まった。ゲストの松野明美も挨拶しているが、寒い屋外に出るのがいやで、トラックの見える廊下で待機。やがて10キロのスタート。フルと逆では? これは多分、なるべく大勢の人がいる間に10キロのトップランナーをゴールさせようという大会側のはからいだろう。
9時30分、グラウンドの外周でウオーミングアップ。荷物を預け、なおも屋内で待機する。10時10分前、10キロの選手がゴールしてくる。いくらなんでも、もうそろそろと思い、グラウンドに出る。スタートラインから5mほどに並ぶ。ほとんどの選手は長いタイツに長袖というスタイル。自分は短いスパッツ、上は長袖の上にランシャツを重ねている。
10:00、スタート。トラックを半周して競技場を出る。集団のペースは速いが大田原ほどではない。十分にストレッチしたつもりなのだが、足がスムーズに動かない。1週間前に月例マラソンで10キロを走ったときのイメージはけっこう良かったのだが。先週から仕事が少し忙しくなり、名古屋に日帰りで2回も出かけたりしたので、火曜日から一回も走っていない。間5日間の完全休養は最近ではまずありえない。走り方を忘れてしまったか?
一生懸命走っているのにスピードが出ない。着地もばたばたした感じで足の動きがたどたどしい?これが精一杯。これでどこまで行けるのか?
コースはいったん競技場から南へ下り、さらに佐野市の北部を大きく一周する。けっこう曲折のあるコースで、前半はほぼ上りで23キロ付近に丘陵のピークがあり、スタートとの標高差は100mくらいある。
集団の流れに合わせてこの辺はまだフラットな市街地を行く。このペースならそろそろ5キロか。おかしい、距離表示はまだない。給水もない。市街地と思ったのはほんのわずかの間で、すぐに郊外へ出る。これは10キロごとの表示しかないのか。
沿道の応援もまばらで、民家や工場があるところだけである。すぐ前を走る女子選手にコース脇から「女性4位」と声がかかる。このころには選手はばらけてほとんど縦一線となり、ところどころに3−4人程度の集団があるという感じ。そろそろ10キロか?
身体は少し温まってきたが汗をかくほどではなく、空はうす曇で青空も見えるのだが、ちょうど太陽の方角だけ厚い雲があり、日差しはほとんどない。
スタート前にもうひと口水を飲んでおくんだった。かなりのどの渇きを覚え始めたころ、ようやく最初の給水。スポンサーのアミノバリューと水を少し飲みすぎるくらい補給。おかしい、この給水が10キロポイントか?
まもなく葛生、小学校だかで習った葛生原人の地元だ。距離表示はまだない。
コースはさらに北へ向かい、ほとんど目には分からないが徐々に上り坂にかかっているはず。風はつねに向かい風が吹いており、なるべく前のランナーについて走る。周囲にはほぼ同じ顔ぶれの選手がほぼ同じペースで前後している。やがて後方から10人ほどの集団が追いついてきた。しばらく自分が先頭を走るが1キロほどで吸収され、やがて集団は前方へ追い抜いていく。15キロも表示がないままに過ぎ、やがてコースの最北端で折り返すように南へ向かう。しばらく南へ下ったところでようやく20キロの表示があった。
20キロのタイムは1:30:01である。酸素のゆきわたらない脳細胞でようやく計算すると、5キロラップは22:30である。これはいったいどう判断すべきだろう?いいペースなのか、苦しんで走っている割りに速くないのか?だんだん落ちているのか、速くなっているのか?
そんなことを考えているうちにコースはまた右折して上り坂にかかる。フルマラソンにしては結構きつい坂が1キロ以上続き、やがて最高点に達し、下りにかかる。
下り坂も結構な勾配があり、決して楽ではない。スピードもブレーキがかかって、後ろからどんどん追い抜かれる。これまで周囲で見かけなかったランナーも抜いていく。これは相当ペースが落ちているはず。
コースは急な下りから平坦な下りになる。だいぶ前から気になっていた小用を思い出し、農家の空き地で1分間のストップ。補給もしなければと、キャップの中に入れてあるカーボショッツを1つ摂取。意外にライム味が美味しく感じられる。佐野市役所の手前で25キロの表示。
25キロ、1:53:58
5キロラップは23:57。ストップした割りに1分30秒のロスで済んだ。しかしいっこうに走りは楽にならず、マラソンでは走ったことのない下り坂のあと、腰にもダメージ感がある。
30キロ、2:19:44
5キロラップは25:46。ほぼ平坦で走りやすい区間だが、タイムはいっきょに落ちてしまった。残り12キロだから、キロ5分で行けば3:20を切れる?かどうか、平常時でも苦手な計算を繰り返すが良く分からない。しかしカーボショッツの効果か、少し元気が出てきた感じである。次の5キロのために2つ目のカーボショッツを補給。
35キロ、2:44:57
5キロラップは25:13。まてよ、これは意外に速いんではないか?この5キロはほぼ5分ペースで走れているから、残り7キロを同じペースで行けばいいのか? 脚には相当ダメージが来ているのだが、目の前にニンジンをぶら下げられると、いじましい性格がむくむくと頭をもたげ始める。よーし、帰りのビールが美味く飲めるかどうか、いけるところまで走ってやろう。最後のカーボショッツを補給。いつもは嫌らしく感じられる甘さが妙に抵抗なく飲める。
40キロ、3:09:21
5キロラップは24:24。おー、これはもう楽勝ではないか。これはどう考えたって20分は切れる。いつもの癖で、残りの195メートルに1分かかるところまで計算していないのだが、たいてい最後はロングスパートできるはずだから、そんなことは気にしていない。やったね。
あれは確か99年の埼玉マラソンか?瀬川さんが3:19だったので、自分は30分だからもう少し頑張ればよかった、などとノー天気に考えたことを思い出す。あれから苦節6年、これを快挙と呼ばずして何であろう。
おかしい、5キロ手前から表示されていた残り距離のあと2キロが見つからない。もうずいぶん走ったはずだが、これはもう表示がないんだろうと思い始めた頃、「あと2キロ」、そんなはずはないでしょう!いやこの表示がおかしいんだ、すぐ残り1キロがあるに違いない、と淡い期待を抱いて走り続けるが、見渡す限り広々とした田舎の道の行くてには競技場の影も見えない。
残り1キロ、ここまで頑張ったんだから、まあいいか。気合を入れ直して、ゴールまで走ろう。たいていのマラソンは最後は大勢の応援があるものだが、ここは田舎の競技場だから、スタッフとレースを終えた選手と、その家族くらいしかいない。もう脚は限界で、ロングスパートなどできうる状態ではない。何人かスパートしていく選手に追い抜かれていく。ものすごく長い最後の1キロを走り競技場へ。多分、この大会で一番お金がかかっていると思われるバルーンのアーチをくぐってトラックへ。トラックを半周もさせられることなく、そのままゴールインできるのは素晴らしい。ゲストの松野明美とともにこの大会の白眉といっていい。
ゴールイン。いきなり止まったらふくらはぎがケイレン寸前。椅子が空いていたのでひざに手を当てて慎重に座る。チップを取り外そうとかがみ込むとなぜか思わず涙が出そうになる。隣の選手に話しかけるでもなく、「いやー、次はサブスリーだな。あと22分かー」などと、バカおやじ丸出しである。隣の奴もあきれて返事もしない。
いつもは無愛想な親父だと思われるらしくて、他人から話しかけられることなどないのだが、帰りのバスでも、両毛線でも隣に座った選手から話しかけられ、延々と話をすることになった。どうやら白く燃え尽きた顔でもしていたんだろうか。
ま、燃え尽きてもいられないので、次はサブ3:20を狙うしかないだろう。楽しみはそうそう終わらないということか。
lap time 5km 0:22:30 0:22:30 10km 0:22:30 0:45:00 15km 0:22:30 1:07:30 20km 0:22:31 1:30:01 25km 0:23:57 1:53:58 30km 0:25:46 2:19:44 35km 0:25:13 2:44:57 40km 0:24:24 3:09:21 finish 0:13:16 3:22:37タイム(グロス) 03:22:37