アイアンマンジャパン2004完走記
(と、その他の余計なことなど)
Mr.ビーン


5月21日(金)カーボローディングにならないカーボパーティ

機体のトラブルとかで羽田の出発が30分も遅れたので、福岡で乗り継ぎ待ちの間に昼食をと考えていたのだが、すでにそんな時間はない。福江便の出る第二ターミナルに急ぐとボディチェックのゲートで守田さん夫婦とばったり。守田さんは野良仕事で腰を痛めて不調とのこと。「ノラとトラの両方だから忙しい」と奥様の弁。たしか本業は先生のはずだが、、、。ロビーで巻き寿司とビールを買って急いで食べ終え、飛行機に乗り込む。狭い機内はトライアスリートで満杯だ。

福江空港からタクシーで中央公民館へ。選手登録を済ませ、ぎりぎりで4時からの選手説明会に間に合った。もっとも出席のチェックもなく、多少遅れても問題ないようではあるが、、、。基本的にコースは前年通りである。ドラフティングの禁止とボトルなどの投棄についての注意が強調される。

過去3回の習慣で、公民館を出ると足は自然に右にカンパーナホテルの方向へと向きそうになるが、今回の宿は逆である。お堀を左にみて最初の角を左へ、さらにお堀沿いに200mほど歩くと「キャッスルイン福江」がある。商店街には若干遠いが、ゴールからは一番近い。チェックインしてバイクを確認。とりあえずケースごと部屋へ持ち込み、ホイールとハンドル、ペダルの取り付けを完了。ひとまずカーボパーティへと向かう。

丘の上の中央公園に着いたのは6時ちょうど。早くも延々と長蛇の列である。しかも途中でばったりと進行が止まってしまった。どうやら食べ物がなくなってしまったらしい。40分もかかってテントにたどり着いたが何もない。ときどき補充される皿うどんもあっという間になくなり、残りをかき集め、くずみたいなのを皿に盛って席に着く。第1回、第2回のときは料理は豊富にあった。昨年はSARSでパーティは中止だったが、たぶん今年は業者をよほど値切ったに違いない。

ウイットの司会でパーティはいつものように進行。ウイットは「あなたの町の郵便局」がスポンサーからはずれたのをしきりに残念がっているが、あれだけ何回も連呼すればタダで宣伝しているようなものだ。プロアスリートの紹介があり、ボランティアの紹介がある。ジャパンの出場回数を1回から4回まで順に起立を求められる。4回出場の選手はざっと見渡したところでは自分を含めて30?40人ほどか。ビールもなく大して盛り上がりもせずパーティは終了。

ホテルに戻り、トランジッションバッグの支度をする。今日、説明会に出席できたので明日のスケジュールは楽である。明日は例年のように富江までバイクで移動する予定である。早寝をしようと思っていたが、あれやこれや準備していたら12時ちかくなってしまった。


5月22日(土) いつも通りバイクの預託、いつも通りのビール

今回トライオールスリーのツアーは朝食だけついている。2階の食堂で和定食を食べていると、外人選手が一人でやって来た。一流選手はカンパーナホテルだろうから、たいした選手じゃなかろう(と、その時は思っていた。昨晩のパーティではステージに上がっていたはずなのだが、、、、)。朝食後、アイアンマンエキスポに行き、カッパのブレーカーと短パンを購入。まだ時間があるのでバイクの試走をかねて市内見物。武家屋敷など回る。

昼食は例によって港へ。うま亭は相変わらず混んでいるので、ならびの福富食堂へ入ると、ここは相変わらずすいている(一人も客がいない)。無愛想なおやじが奥からちらりと顔をこちらに向ける。まだしも愛想のいいおかみさんにチャンポンを注文。あとから入ってきたオヤジの客と明日のレースの話題。毎年スイムの監視のボランティアをやっているそうだ。店の前に立てかけてあるコルナゴを見て、この店でもいいかと数名の選手が入ってきた。チャンポンを食い、それじゃ明日はよろしくお願いします(別におぼれたとき助けてもらおう、というわけではない)、とオヤジに挨拶してスイム会場の富江へ向かう。

富江キャンプ場に着いたのは受付開始のだいぶ前だったが、DHバーの調節などしていたら、あっという間に行列ができてしまった。ヘルメットのチェックが例年より厳しい。バイクは問題なく車検終了。

バイクを預けて浜へ出ると、何人かの選手が泳いでおり、自分も着替えて水に入る。直前まで心配していた台風も去り、波はなく、水も冷たくはなく、天気もよく、気分良く泳げる。こんなにリラックスして泳げるのは大会前日ならではだ。

帰りは富江の町まで歩いてバスの待合所でビールを飲む。酒屋の親父にも、これまた例年のようにゼッケンを聞かれる。何から何まで例年と同じ。ただ鉄人の仲間がいない。これだけが大いに違う。

福江市内に戻り、ビールのつまみなど買い物。早めに腹ごしらえでもしようかと、トライオールスリーの出店の並びの食堂に入ったら、ほとんど居酒屋風だったのでビールを注文。そうだキビナゴも食べておこうと、これも注文。この店でも話題は明日のレースのこと。弁当を何個まとめて買っていく、などと相談している。ボランティアは手弁当なのだそうで、まことに感謝の至りであるが「いやー島民はみんな楽しんでるんですよ」と客。ホテルに帰ったが、どうも腹が物足りないので、近くのそば屋に出かける。飲んでばかりで食べるのを忘れていたのだった。


5月23日(日) いよいよレース当日、長ーい一日

昨晩は9時前に眠れたのだが、シングルルームなので寝過ごすのが心配で1時頃から何回も目が覚めてしまった。3時に朝食。魚と付け合わせが変わるだけで、ほとんど同じメニュー。例の外人選手も一人寂しそうにカウンターで洋定食を食っている。

4時半、プレスイムのバッグと空気入れを持ち、数名の選手にまざってバスの出る石田城公園へ。バイクパンツだけなのでちょっと寒いが、戻るのも面倒なのでそのままバスに乗り込む。回りは若い選手ばかり。みんな速そうだな。話しかける気にもなれず、黙々とまだ暗い窓の外を眺める。

5時、スイム会場に到着。腕と脚にナンバーを書いてもらい、バイクの準備。スペアタイヤ2本とボンベ、工具と大荷物なのでうまく取り付けられない。ボトルの1本を犠牲にしてタイヤを入れたら、うまい具合に取り付けられた。ボトルは1本しか使えないが、エイドはたくさんあるので大丈夫だろう。そうこうしているうちに朝日が昇ってきた。若干風があるが、波はそれほどでもないようだ。トイレにはすでに行列ができているが仕方なく並ぶ。

ウエットスーツを着て入水チェック、浜はすでに選手でいっぱいだ。アップのため海に入る。まったく冷たさは感じられず、いつもより少し念入りに泳いでまた浜に上がる。説明会では危険なので防波堤に上がらないようにと注意があったので、選手はほとんど浜で待機。皆なかなか海に入らない。スタートの5分ほど前になってようやく選手たちが水に入り始めた。なるべくコースの左側を泳ぐつもりで、集団の後方で待つ。やがてヘリコプターの旋回する音が大きくなり、選手たちは何度もときの声を上げる。7時、いよいよスタート。自分にとって4回目のジャパン。ロングでは10レース目の始まりだ。

とにかく息を上げないようにゆっくりと泳いでいく。最初のコーナーまではとにかくほかの選手をよけながらいくので必然的にコースはジグザグに曲がる。

コースの中程まで沖へでると相当うねりがある。波頭が立つほどではないが、結構大きく上下に揺られる。やがて監視船のディーゼルエンジンのにおいが立ちこめてきて、最初のコーナーを右にターン。ほぼ中間点と思われるあたりで時計を見ると23分ほど。以前より集団の中にいるのが長くなったな、少しは速くなったのか。とも思うが、たいした進歩があるわけではない。

一周目を終えて再び沖へ向かう。めっきりと人数が減り、自分がいかに後方にいるかが実感できる。それでもコースロープに沿って泳げるので一周回目よりはロスが少ないはずである。

ようやくスイムフィニッシュ。浜に上がったところで時計を見ると1:41くらい。期待していたよりちょっと遅い。1周目の終わりに水の中で用を足したのだが、ここでもトイレに入りタイムロス。テントに入り立ったまま着替えようとするのだが、バイクジャージがなかなか着られない。背のポケットにカーボショッツやらなにやら入れておいたのが捲れてしまってうまく着られないのだ。しかたなくいったん脱いでポケットの中身を出し、再び着る。それやこれやで手間取り、トランジッションに10分近くもかかってしまった。バイクスタートして時計を見ると1時間51分になっている。

いつものことであるがスイムフィニッシュではほとんど最後尾にいるという気持ちがあるので、バイクの前半はつい無理をしがちになる。最初の20キロほどはほとんどフラットだから、コルナゴのペダルを踏み込むとすぐに前の選手に追いついてしまう。仕方なく抜いてしまう。すると、すぐにその前の選手に追いついてしまうというパターンで、前の選手と間隔を置いて一定のペースを保つということができない。しかもトップ選手が通過してから1時間くらいしか(?)たっていないから応援も盛んである。こんなに飛ばしているとツブれるぞ、と思いつつ、あせる気持ちのままに地蔵トンネル、大浜を通過、左折して中央公園の折返しへ。さらに鬼岳を周回して福江市内へ、ここで45キロ。例年のように盛んな応援の中、徐々にコースは登りへ向かっていく。

最初の坂(らしい坂)を越え、いったん下ると二本楠の交差点。ここで60キロ。左折したとたんに左後方からツシマサン!と声。守田さんの奥さんだ。すると守田さんはまだ通過していない?(そんなわけはなかった)。

ここから数キロでコースの最高点である幾久山まで上る。頂上では婆さんばかりの応援団がナベを叩いてがんばっている。ここから一気に180メートルの標高差を下って玉之浦へ、さらに折返しの大宝へと南下する。折返したとたん北からの向かい風となる。80キロ、荒川でスペシャルバッグを受け取る。ここまで、ほとんどバナナと“ういろう”だけ。なぜかカーボショッツを食べる気になれず、パワーバーも一本の半分を食べただけで背中のポケットに押し込んである。昨年の佐渡ではエイドのおにぎりを食べて調子がよかったので、今回スペシャルには海苔巻きとおにぎりを入れてある。とりあえず海苔巻きをほおばって、坂に向かう。

荒川からの上り坂は2キロで120メートル上る。ここからが1周38キロの周回部分に入り、この坂の部分だけ3回通過しなければならない。7分目ほど上ったところでいったん緩やかになり、さらに峠まで登る。峠の手前に例年のように大うちわの一隊がおり、うちわであおいで応援してくれる。ちゃんと背中に風が当たると、一瞬ペダリングが楽になるくらいの勢いがある。

そして、どうやらこの坂の途中でバイクトップのオグデンに抜かれたらしい(テレビには下を向いて坂をこいでいる自分が映っていた)。それにしてもこの坂のあたりで2周回、ほぼ80キロ近い差である。

二本楠交差点を左折。ここから先は多少のアップダウンで岐宿まで10キロほど下っていくはずなのだが、大抵は北から向かい風が吹いており、バイクは思うように走ってくれない。いつもなら鉄人のトップ選手に抜かれるのもこのあたりだ。周回チェックの輪ゴムをはめた選手に次々と抜かれながら、どうも集中がとぎれ始めてしまった。最初の飛ばしすぎが脚にきてしまったのだ。これはいかん、と思うが気合いが入らない。ポケットにおにぎりがあるのを思い出し、これを食べようと公園にバイクを止めた。すると「あー自転車はこっちに」と指図する人がいる。ここはエイドではないがトイレがあるので他に選手も2人ほどいる。仕方なく指示に従い、おにぎりを取り出して食べていると、この人が話しかけてくるのだ。自分は自衛隊に勤務していたのだが、福江島に戻り、この公園の管理を任されている。この間は石原大臣が高浜に来るはずだったのだが、雨で中止になってしまった。アイアンマンはたいしたもんだ、など。付き合ってもいられず、早々に退散。やがて日本一きれいな海水浴場、という高浜を過ぎたところで、周回チェック。まだ1周目だというのに、2周目のようにつらい。2周目の選手にどんどん抜かれていく。ようやく荒川、ここで120キロ。気を取り直して2周目の坂を上る。

2周目、すでに2周回終えた選手は二本楠を直進してゆき、コース上にはめっきりとバイクの数が減ってしまう。しかし1周目よりもよほど冷静さを取り戻し、たんたんと残りの距離をツブしていく。高浜でもトイレで一度休憩。

疲れたときは他の選手に話しかけると気分転換になってよい。女の子の選手を追い抜きながら「どこまで行っても坂ばかりだねー」などと話しかける。「ほんとですよねー」などと調子を合わせてくれる。ヘンなオヤジ、とか思っているであろうが。

3度目の坂を越えると、ようやく二本楠の交差点を直進できる。嬉しい。残りは10キロほど。それでも坂は最後まである。ランコースを横切ると、トランジッションへ向かう最後の上りが1キロほどあって、これが結構きつい。向こうから続々とランの選手が坂を下ってくる。ゴールラインを越えてバイクを降り、ようやく腰の痛みからも解放。もっともこれから先は別の苦しみが待っている。バイクのタイムは7:51。これまでのロングでも多分ワーストの記録である。

テントで着替える。ランシャツに着替えるだけでバイクパンツはそのまま。時計はすでに4時30分をまわっている。今回は、あわよくば昨年のタイム13:55を更新したいと思っていたのだが、ランのフィニッシュの通過タイムで去年より40分も遅い。これでは自己ベストの更新どころか完走ぎりぎりという危うさである。何とかランで少しでもタイムの短縮をはかりたい。

ランコースも昨年と同じ。まず中央公園の外周をほぼ1周、折返してランスタート付近までで3キロ、さらに空港に向かい、フェンスに沿って2回目の折返しを回り、県道に出ると約8キロ。そこから鬼岳のある半島を2周する。とにかくあとがないので、エイドでは極力休まないようにしながら、少しずつ順位を上げていくしかない。

空港の誘導灯を越え、だらだらとした上りが3キロほど続き、そこから福江市内まで結構アップダウンが続く。ランも坂が多いのである。1周目を終えると22キロ。武家屋敷の手前でゴール方向と周回方向にコースが分かれる。意外に周回する選手が多いのでひと安心、周回チェックの輪ゴムをもらい、武家屋敷を通り抜け、左折すると2周目へ。

福江の市街を抜けた地点にスペシャルのエイドがある。ここでもバイク同様、巻き寿司とおにぎりを預けてある。巻き寿司を半分くらい食べ、あとは捨てる。ここから市街をはずれ、応援もめっきりいなくなる。コースにはすでに発電機の照明がともっているが、太陽が沈んでも7時半ころまで明るい。エイドにはあまり食べられるものもなく、水とクッキー(正体はビスケットである)を少しずつ口に入れながら、キロ7分ペースで走る。エイド以外にはほとんど応援もいなくなった。先頭の選手が通過してからおそらく5時間はたっているだろう。2周目、28キロ地点の野々切の交差点を通過した頃は、すでに日が暮れて真っ暗。それでも家の前で応援を続けている人もときおりいる。ランナーは100メートルに2?3人が走っているくらい。こんな時間になっても、ときおり白バイがコースの監視にやってくる。

崎山の集落を過ぎ、いくつかのアップダウンを越えると、次第に福江の町が近づいてくる。町の明かりが見え始め、少しずつ応援の人も増えてくる。最後の坂を下ると、いよいよ町へと入る。武家屋敷の手前を右折して福江城のお堀沿いに左折すると、名物のアイアンマンのネオンサインが見えてくる。

せめて14:30を切れないかと、2キロ手前からロングスパートをかけ、10人ほどを抜いたのだが、どうやら難しそうである。お堀の橋を渡り、門をくぐってお城の中へ。ウイットのアナウンスが響き渡り、明るい照明の中を、スタンドで選手を迎えてくれる人々とハイタッチしながらゴールへ。

これまでのアイアンマンでは、コンディションの違いはあるにしても、少しずつではあるがタイムを更新することができたのだが、4回目にしてワースト記録である。おじさんのボランティアにメダルとタオルをかけてもらい、うどんを食べ、Tシャツをもらう。ゴールの感動も今ひとつ、点滴もどうやら必要ないようで、ゴール後の余韻に浸る気分にもなれず、グラウンドをあとにする。福江高校の通用門から外に出ると、なんと目の前にキャッスルイン福江があった。ゴールに一番近いホテル、といううたい文句通りだ。

部屋に戻り、窓をあけると、ウイットのアナウンスと応援の歓声が響いてくる。缶ビールを飲み、ベッドに横になる。疲労のせいで寝苦しく、しばらく輾転反側、それ以上ビールも飲みたくない。


5月24日(月) 情けない成績とクロプコのサイン

7時、朝食へ。いつものように、和定食の魚の干物をつついていると、寂しげなアンソニー・パーキンスのような表情で、例のガイジン選手もやってきて、また例のごとく目玉焼きがメインの洋定食を食っている。

さて、バイクを取りに行かねばならない。フロントのおやじと昨日はどうでしたみたいな話を、二言三言。例のガイジン選手に話が及び、「2位に入ったらしいですね」とオヤジ。えっ、そうなの…。

疲れの残る脚をだましながら、坂を上って中央公園へ。レースの写真は袋に入っているのしかなく、選択の余地なくすべて購入。バイクを受け取ってホテルへ戻り、ケースに押し込める。うまく入りきらず残った荷物のなんと多いことか。これを担いで帰らなければならない。発送の荷札を書いてバイクケースをフロントに預け、公民館へリザルトをもらいにゆく。すでにスロットの発表もロールダウンも終わっている。1位はピータークロプコ、たしか99年の宮古島で優勝した奴だ。2位はコートニーオグデン、これが同宿の外人選手であった。田村は昨年の雪辱ならず6位である。

アワードパーティまではすることもないので、ぶらぶら町を歩く。各ショップを冷やかし、商店街を抜けるとかろうじて史跡らしい六角の井戸というのがある。また明人の廟というのがあり、これらを見物しつつ、川沿いに港へ。港の先端にある昔の灯台を見物。同様に暇そうなトライアスリートがちらほら。

そろそろ時刻もよいかと福富食堂へ。皿うどんとビールを頼み、勝手にケースから魚をとりだして食べていると、完成した皿うどんを運びつつオヤジが珍しく客席に出てきて話しかけてきた。自転車は60キロくらい出るというのは本当か、などなど。4年めにしてこのオヤジと話すのは初めてだ。無愛想なのではなくシャイなのであった。

まだまだ時間があるので、お城の中の歴史資料館へ。キリシタン迫害の歴史やら、クジラ漁の船の模型などをひと通りながめても1時間くらい。実は去年も来ているから、目新しくもないのである。資料館を出て、次は石田城へ。

このお城は日本で唯一、個人がオーナーのお城なのだ。先代の五島の殿様は琉球王朝の三女だかというお姫様をお嫁さんにもらったのだが、結婚してわずか数年で長崎の原爆で亡くなったのだそうだ。そのお嫁さんというのが今は90何歳かでこの地にご存命なのだが、現在の五島家の当主は養子で、東京で会社勤めをしているとのことだ。

受付のお婆さんがこういう説明をしてくれるのだが、どうやらこの人も沖縄人のような風貌だ。たぶんお姫様についてきた腰元か何かであろう。と、どうでもよいことを考えつつ、その昔、お殿様が船を浮かべて遊んだという大きな池の周りを歩く。さて再び坂を登って中央公園へ。

カーボパーティの反省からかアワードパーティでは食料はたくさんある。職人が握る寿司まである。一通り皿に盛り、ビールを買って席を探す。一人だからどこでも良さそうなものだが、あまり混んでいるのはいやなので、後ろの方にたくさん席の空いているところに座る。左手の方に少し離れて2人ほど外人選手がいたのだが、気にせずビールを飲む。しばらくすると一人また一人と外人選手が集まってきた。そして自分の左前に座った選手を見ると、これはさすがに自分にも分かる、ピータークロプコではないか。すると、ここにいるのはみんなトップアスリートではないか。次々とステージに呼び出されていく名前とリザルトを見比べつつ、名前をチェックする。オグデンも、女子2位のマリッサもいる。

女子優勝の堀陽子がスピーチ。これまでアイアンマンで上位に入ったことがなかったので、今回は上位に入れればいいと思っていたのだが、ニュージーランドからの飛行機の中で、どうしても優勝したいという思いが強くなった、ということだった。クロプコもいいスピーチをしていたが、内容は忘れた。

ピータークロプコにウインドブレーカにサインをしてもらい、さらにビールを飲む。まあ今回は仕方ないか。来年また福江でアイアンマンがあるかどうか、もしあるのならまた来ることになるのかな。福富食堂のオヤジにも、また来年、アイアンマンが開かれれば必ず来ますよと言ったのだが。しかし、この店の並びにはもう少しやる気のある「うま亭」のほかにも新しい店構えの食堂もできている。レース前日に入ったそば屋だって、小ぎれいな店構えで、たしか昨年はなかったはずだ。この島にも着実に時代の変化は現れている。昼どきに港の労働者が何人か来るだけの店が、果たして来年もあるのだろうか。などと、これまた余計な老婆心ではあった。

IRONMAN JAPAN GOTO NAGASAKI 2004
No.141  対馬 達也   51  M 
総合14:30:42(565位)
Swim          Bike           Bike Split     Run
1:43:30(694)  7:51:22  (649)  9:34:52 (662)  4:55:50  (439)  Gカテゴリー24位 
(完走656名)

ところで、タイムも最悪ではあるが、それ以外にも昨年までと違うデータがあった。バイクとランでの追い抜き数の比較である。各パートの通過順位は次の通り。カッコ内は追い抜き数。

    Swim  Bike Split  Finish
2001  595  534(61)  516(18)
2002  700  620(80)  555(65)
2003  775  696(79)  655(41)
2004  694  662(32)  565(97)

スイムフィニッシュではいつもほとんど最後尾にいるわけだから、とにかく順位を上げていくしかない。今回はバイクの前半で追い抜いた分を後半どんどん抜かれ、バイクで順位を上げることができなかった。そのぶんランで帳尻を合わせてはいるのだが…。


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