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妻は、目標をクリアできただろうか。また、もうゴールしているであろう皆の姿を思い浮かべ、この後の餃子の味は苦いのだろうか?と考えながらバスを待つのは、心身ともに寒かった。そして、収容バスに乗った後、ゴール地点までが長く感じられ、揺られながら、なぜ、人生初の収容バスに乗る羽目になってしまったのかを考えておりました。
5キロ 23分32秒。スタート直後から先行していた妻に追いつく。
10キロ 46分34秒、走りながら、今の自分にはオーバーペースだとわかっていましたが(キロ5分の予定でいました)、体調も良く、妻と並走していた(妻の調子は悪そうだったので引っ張るつもりで=このあたりの状況は、音もなく後ろを走っていた安川さんに夫婦の会話を聞かれてしまった)ので、30キロ過ぎの恐怖を思い浮かべながらも、とにかく行ってみようと思っていました。
15キロも1時間10分14秒(5キロのラップは23分40秒)。ところがこのあたりから足が重くなり始め先行きが思いやられるようになりました。5キロラップ25分で30キロまで維持して最後12キロは何とか持ちこたえようと考えてはおりました。ところが、案の定、20キロまでの5キロが25分36秒に落ち、しかも記録以上に体調は悪くなり始めました。ハーフ地点で佐藤さんから「対馬さんが3分前にいる」と教えていただきましたが、この時は追いかけるという元気はまったく起きず、どこまで行けるのか、ということしか考えられませんでした。
23キロあたりで(10キロ地点でトイレに入って遅れた)妻に逆転されましたが、まだこの時、完走はあきらめていませんでした。しかし、25キロまでのラップは28分12秒まで落ち、28キロ過ぎ、ついに歩いていたら松野さん、川島さんに追い越され、30キロまでのラップは48分28秒(通過時間2時間52分31秒)。この時点で、目標は妻が走っているであろう3時間30分の間は棄権しない、35キロの関門までは行く、ということのみでした(ただこの時、私はスタート後4時間を過ぎれば全てが打ち切られると思っており、35.5キロの関門さえ過ぎればいいのだと知りませんでした)。
30キロを過ぎると、100メートルごとにぽつんぽつんと歩いている参加者の横を規制解除になった車が走り抜けていくという光景が延々と続くなか、35キロまで47分25秒歩き、そこから500メートル行った所で「競技打切」の旗を振られました。
やっとの思いでバスから降りて、ゴール地点へ急ぐと、私のゴールを待ちわびる、ランニング姿の妻の背中は、やはり大きく見えました。なかなか超えられないなあー!!