2004宮古島完走記 kanreki

まえがき
今日は金曜日、レースが終わってから5日が過ぎました。午後になって床屋に行きました。床屋といってもQBハウスですから1000円床屋なのですが、そこで、「お客さんはつむじ曲がりだから短くすると髪の毛が立つ・・・」と言われました。ちょっと待ってよ、血液型はAだし、決してつむじ曲がりではありませんと言いたかったのですが、思い当たるところがないわけではないので黙っていました。

夕方になって、ジムに行ってリハビリのスイム、エアロバイクとストレッチ、それから加賀屋に行きました。加賀屋というのは、普通の居酒屋ですが4,5名が座れるカウンターがあって、ひとりで飲まなくてはならない男たちの吹き溜まりになっています。店長は飯島健二郎の大学の同級生で、「チーム加賀屋」で武蔵野市水泳大会に出ています。ひとりで飲んでいるのはさびしいので、隣のひとと話すこともあります。今日は、隣のふたりが銃についての薀蓄を傾けているところでした。詳細にわたる話をしていたのですが、日本では撃つことは出来ないし、銃についての知識がなんの役に立つのでしょう。しかし、役に立つ、立たないということで物事を判断するのは誤りなのです。単純に、好奇心をもって、それを満たすようにすることが一番大事なことなのです。

反省?
いつものことながら、レースが終わった夜は短いのです。翌朝5時には起きてしまいホテルの自販機で缶ビールを買ってきて、ちりちりと酔いがまわってくるのを感じながら反省が始まります。

5年前に出場しただけの大会です。その時の記録と比較して、どのような結果がでるかがこれからの生き方に影響を与えるくらい重要なことだったのです。

  1999年 2004年
記録 順位 記録 順位
スイム 1:02:02 842 1:04:57 989
バイク 5:42:45 913 6:12:12 875
ラン 5:36:11 1037 5:35:34 1047
総合 12:20:58 996 12:52:43 967

総合タイムでは32分遅くなっています。その原因のほとんどはバイクのタイム差ですが、総合順位を見れば多少は良くなっています。スイムとランのタイムは、ほんのちょっとした違いで誤差範囲です。バイクが遅かったのはなぜでしょう?

自分としては、この5年間で衰えたつもりはありません。しかし、客観的に考えれば衰えていて当然なのです。この5年間も練習を続けてきました。もし、練習の甲斐もなく大幅に遅くなるようなら、練習量を落として別なことに時間を使ったほうがいいのかもしれません。「老いに抵抗するな」という考え方があります。無理して、トライアスロンを続けることもありません。それに反して、いつまでも挑戦しようという考え方はあります。遅くなっても、挑戦を続けるほうがいいのかもしれません。自分が年老いたと思ったときが年寄りの始まりといいます。もちろん、いくら抵抗しても年をとって衰えます。しかし、どのように年をとっていくかは自分が決めることです。

バイクの遅れが風のためであって、年によるものではないと判断できれば、今までどおり続けていく意味があります。すなわち、年に負けていないことになります。無駄な抵抗なのかも知れません。

私にとっての宮古島
宮古の大会は、いまのところ、私にとっては二義的なものです。佐渡、あるいはアイアンマンジャパンのほうが大事な大会です。数年もすれば、佐渡もアイアンマンも時間内に完走できなくなります。そうなった時には、宮古だけが唯一参加できるロングの大会になります。その時のためにとっておく大事な大会ではあります。

宮古島は、今回も行ってみて本当にいいところだと思いました。なによりも、接するひとたちみんなが暖かく思えました。大会の雰囲気もいいのです。ただ、開催時期が早すぎることと、参加するためにかかる費用が高いのが難点です。

私の住んでいるところのトライアスロンクラブ「VO2max」は宮古、沖縄フリークの集まりです。おかげで、沖縄料理を食べるようになったし、泡盛にも親しむようになりました。宮古島に行けば、迎えてくれるひとたちが待っていてくれます。ゴールには、特大クーラーボックスにビール、から揚げ、焼きそばなどをもって迎えてくれました。このような人間関係は佐渡にも、福江島にもありません。このことだけでも、宮古は魅力的です。

宮古島へ
金曜日の朝、4時起きで羽田へ、横浜鉄人クラブの面々と久しぶりに顔をあわせて飛行機へ。さすがに機内では飲まなかったけれど、どうも、空港に着く前に飲んでいたようで酒臭い。宮古空港に着いてみれば、南国の土砂降りの雨でした。雨に濡れながら、受付をすませてホテルへ。昼食は東急リゾートで、私はタコライス、他のひとはソーキソバでした。普通であれば、それからバイクを組むのですが、雨とあっては、それは無理なこと、横浜鉄人クラブで「ばしり」にされている若手、といっても37歳の元ラガーマン、が近所のコンビニにタクシーで買い物に行かされ、今日とレース後の2日分として大量のアルコール飲料とつまみを購入してきました。昼間からはじめる宴会に幸せを感じるのは私だけではないと思います。結局は、2日分のアルコールをすべて一日で消費してしまったのは言うまでもありません。

夕方になって、説明会、開会式のパーティと続くのですが、開会式は遠慮して平良市の「おふくろ亭」で沖縄料理の3000円メニューと泡盛で盛り上がりました。

そして、結果として、二日酔いで土曜日一日飯をほとんど食べられなかったものひとり、当日の夜、素っ裸で酔いつぶれて寝ていたものひとり、などでした。私ですか、もともと酒にはあまり強くないので、吐くことのないように量を押さえて飲んでいたのですが、こんな酔いが続くなら、吐いたほうが楽だと思ったのは事実です。

土曜日の行動
午前中はバイクを組みました。普通ならTシャツが汗びっしょりとなるのですが、それほどのこともない気温でした。バイクをケースに雑に放り込んでくるので、ツアーのたびに新しい傷がついてしまいます。傷は勲章とあきらめることにしましょう。メカ部分に不都合がおきなかったのはラッキーでした。オミノさんのテントでメインテナンスをしてもらったのですが、費用1000円というのは新しいことでしたが、いいことだと思います。

バイクで平良市へ行って、お土産にいろいろなものを買い集めて、昼食は、なんとマックで食べることになりました。これの最大原因は二日酔いの某氏が軽いものしか食べられなかったためです。

さすがに土曜の夕食は、生ビール一杯だけでした。もちろん、飲まないひとのほうが多かったですが、座った席が悪かったので喜んで飲む破目になりました。

いつものことですが、手馴れたレース準備を始めました。結構、複雑な作業がたくさんあります。このあたりでベテランと初心者の手際が変わります。

寝ようと思って外を見ると激しい雨が降っているではありませんか。バイクのオイルが流れてしまうとトラバックにチェーンオイルを追加しました。9時頃には就寝、しかし、寝付けないのはいつものこと、眠れなくても横になっているだけで身体が休まるそうなので、気にしないでレースのシミュレーションをやります。着替えの手順などを考えます。

レース当日
朝4時起床。興奮することもなく、朝食、準備して受付へ。幸いにして、雨はやんでいました。バイクに飲み物と食べ物をセッティングしました。ボトルにCCD、トップチューブにパワーバー、ダウンチューブにはひとつひとつラップに包んだ梅干を5ヶビニールテープで貼り付け、弁当箱にはういろうを切ったものを6ヶ、これが今日一日の食料です。いつも思うのですが、サプリに使う費用は一日の食費としては高すぎますね。

スタート前のアップで海に入ると意外に水が冷たい。とにかく、アップでいちど息をあげておかないとスタート直後にひどい目にあうことは経験済みです。

スイム
基本的には、コースロープが見えるところを泳ぐようにしています。時には、ロープの内側に入ることもあります。沖のさんご礁で小さな青い魚が泳いでいたのが印象的だったのですが、それより、私の目の前を右往左往する選手たち、コースロープを見て泳げよと叫びたくなります。タイメックスのバンドのはじが、なんと説明したらいいのでしょうか、その中を通すところから外れてゆらゆらゆれて、抵抗になって仕方ありません。立ち泳ぎして直すほどのこともないと、泳ぎながら直そうとするのですがなかなかうまくいきません。これが、スイムの遅れの原因ではないのですけど、5年前と比較して約2分遅れで浜へ。

バイク
宮古のコースは、1年前につくった27インチのバイクと坂に極端に弱い私に向いていると信じていました。結果から見ると、27インチのバイクは、常識に反して、坂の多いジャパンや佐渡に向いていて、比較的フラットな宮古には向いていない、特に、風が強かった今年は26インチのほうがよかったのかもしれません。

50キロ地点あたりで追いつきしばらくは抜きつ抜かれつしていたVO2maxのOさんも先に行ってしまいました。スイムが極端に遅いVO2maxの別のOさんには立ちしょんしている間に抜かれたようです。それより大分前ですが、横浜鉄人クラブの会長が追い抜いていきました。私よりスイムが遅いひとが会長だなんてうれしい限りです。VO2maxのマドンナランナーSさんに追いつけると思っていたのですが、影も形も見えません。結果的にはマドンナSおばさんとのタイム差は秒単位でした。

ラン
なぜランで歩くのでしょうか。「精神力が足りないから」という説がありますが、私はそれをとりません。同じキロ6分で走っていても、速い人にとっては楽なスピードです。しかし、私のように遅ければ、精神力をおおいに発揮しても維持できるスピードではありません。まず、走るスピードと精神力の相関関係はありません。精神力があるとかないとかで自分をいじめるのはやめにしましょう。歩いたほうが速いことだってあるのですから。

スイムやバイクと違ってランでは一緒に走っている選手、エイドステーションで世話をしてくれるひと達、そして応援してくれるひと達とのコミュニケーションがあります。トップクラスの選手たちが戻ってきます。同じチームの選手たちともすれ違います。偶然ですが、VO2maxのエースSさんと横浜鉄人クラブのエース(?)Tさんが同じところを走っていて、Tさんが私の名前を呼んでくれ、Sさんは歩きながら親指を上向きにして応援してくれました。こちらは、まだ何十キロも走らなくてはならない頃でした。

いまとなってはどのくらい歩いたかを思い出せないのですが、かなり歩いたと思います。ゴール1km手前の坂道が始まるところで、VO2maxのM嬢が出迎えてくれました。そして、伴走してくれたのです。最後の1kmの上りだけは気持ちよく走れました。

ゴール
そして、ゴールです。こんなに遅いひとのことを待ってくれたひとたちがいます。これだけで涙が出てしまいます。このように人生が凝縮されることはありません。


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