佐渡完走記 2003年9月7日
kanreki

この完走記をどのように書くか迷っています。読むほうはもちろんでしょうが、書くほうもあきてしまっています。同じようなパターンばかりと思いながらも、いつものようにビールのシーンから始めましょう。

レースの翌朝は、疲れのためか早起きになります。5時半頃に起きて「浦島」のぬるめの湯につかり、筋肉痛を忘れ、思い出しそうになる仕事のことを無理やり押さえ込み、もちろん、練習のことなど考えたくもないと手足を思い切り伸ばします。そして、風呂あがりにはビールです。ゆったりとソファにすわり、ひとりゆっくりと発泡酒を飲んでいます。シーズンが終わったと喜びがこみあげてきます。

朝食後、東京に向かって出発。フェリーではビールと居眠り、夕方の4時半頃には自宅に着いていました。ビールを飲みながらバイクの整備、洗濯物を出したりしてから、娘と吉祥寺に出てシンハビールとタイ料理の夕食、そして、コルシカ島出身の「イ・ムブリーニ」というフォークグループのドキュメンタリー映画を見ました。それから、知り合いばかりが集まる居酒屋に行って、数日後の吉祥寺御輿の話をし、また、「茄子、アンダルシアの夏」の高坂監督が主催する「ツール・ド・信州」(吉祥寺から八ヶ岳の別荘までのロングライド)に参加するとインターマックスを買った店のおやじと話したりしているうちに夜もふけてしまいました。

さて、レースのほうですが、昨年時間切れで完走できなかったアイアンマンジャパンを今年は14時間9分で完走しているので気を良くしていました。佐渡では、もしかすると14時間を切れるかもしれないと淡い期待をいだいていました。しかし、世の中はそんなに甘くありませんでした。

金曜日に佐渡入りして、受け付け、説明会、エキスポでの買い物、それから、オミノさんのテントでギアの調整をしてもらいました。48/34 × 12−27というキャパ一杯のレシオを使っているものですから自分では恐くていじれません。金曜の夜から雨と風、土曜の朝起きてみると海には白波が立ち、立っていられないほどの風です。 釣り舟を出している「浦島」の女将さんに大会本部から「この風はいつ頃おさまるのでしょうか」と問合わせがあったくらいです。スイムがなくなるかもしれないと思ったひとは少なくなかったと思います。

レース当日は3時起床、朝食にご飯を2杯、いつものようにトイレは失敗。会場に行きバイクラックのところでセッティング、体育館でのマーキングを終わってから、「浦島」にアップとトイレのために刺激をあたえようと走ってもどりました。レースのたびにトイレでは苦労します。会場にもどり、ディクトン(ワセリン代わりの優れものですが、ウエットスーツによる首のすり傷は防げません)と日焼け止めを塗り、ウエットスーツを着て、入水チェック、スイムアップと流れ作業のように進んでいきます。水はさほど冷たくないし、波もほとんどありません。

スイムコースは、逆さになった台形を1周です。いつもの作戦どおりコースロープの近くに寄って泳ごうと思うのですがなかなか思うようにいきません。ときどきくらげの破片でちくちくします。いつもは抜かれるばかりのスイムですが、多少は抜くことのできたので記録はよいはずと時計を見てがっかり、1時間35分もかかっていました。昨年は1時間25分ちょっとでした。逆潮のところがあったことにしておきます。昨年に比べればスイムの練習量は多かったのですが、スイムも追いこまない練習では速くならないのでしょうか。

バイクは、今年の目玉種目です。理由は簡単明瞭、新しいバイクだからです。前のバイクからの変更点は、26インチから27インチへ、チューブラーからクリンチャーへ、ギアは極端に低いレシオへ、クランク長は170から165mmへとなっています。昔、27インチから26インチにした時は、極端に遅いのぼりを少しでも速くしたいと思ったからですが、結果的には遅いままでした。今回、27インチにもどしたことによって、坂ばかりのアイアンマンジャパンの記録ですら大幅によくなりました。短所をカバーする26インチより、長所を生かす27インチ、すなわち、くだりとフラットを速く走れる27インチが正解だったようです。それに普段はほとんど使わないダンシングですが、格段にやりやすくなりました。フラットなところをDHポジションで走っているとタイヤのかすかな音だけが聞こえます。

40kmくらいのところで横浜鉄人クラブのSさんを抜くことができました。大野亀ののぼりでは、約束のようにVO2maxのOさんに抜かれました。他の同宿の選手たちとの位置関係は分らないのですが、とにかく、びりではなくなったので単純に喜んでいます。今回のレースにはマーシャルがいないのでドラフティングチェックはないのですが、180kmのような長丁場ではドラフティングを続けることは無理ですから問題はないと思うのですがどうでしょう。いずれにしても、遅いとドラフティングをする相手がいません。平均時速25kmを目標にしていました。40km地点くらいまでは25kmをゆうゆう越えていたのですが、大野亀の坂を越えたあたりでは25km以下になり、両津までのフラット区間をDHポジションで26km近くまで回復、それからは嫌なアップダウンを繰り返しながら小木の急坂に向かいます。赤泊のエイドのおにぎりは有名だったのですが、今回は他のエイドにもおにぎりがあって感激、それにくわえて氷のはいった水やコーラのボトルにも感激。

ところどころの向かい風、ういろうとパワーバーとうめぼしを交互に食べながら、のぼりで抜かれ、くだりと平地で追いつくパターンを繰り返しながら走りつづけます。小木の坂は、筋トレの成果でしょう多少は楽にのぼれたですが、時速6〜7kmという現実に変りはありません。小木の先に続くつらい一連の坂をようやく終わって海岸線まで豪快なくだりが続きます。このくだりでVO2maxのOさんが自動車と接触事故を起こしてリタイヤになっていたとは気がつきませんでした。ようやく海岸線におりたと安心してはいけません。峠をもうひとつ越さなければなりません。さて、これでバイクゴールまでフラットと喜んだのですがとんでもございません。強い向かい風が吹いていました。ゴールの予定時間がどんどん遅くなっていくのであせりました。 記録はサイコンでは7時間5分、時速25.6km、正式計時はトランジションタイムも加わって7時間11分、昨年より30分以上速く、今年のジャパンより9分速いという上出来な結果でした。

ランに走り出したものの、身体が重い。ジャパンでは初めの10kmをキロ6分半くらいで走れたのですが、とても無理な感じ。しかし、誰かが書いていたのですが、「最初の10kmを走れれば、あとはなんとかなる」という言葉を信じて走りました。1時間7分でした。このペースで走れたのはここまでで、あとは5kmを45分で走った区間があったりで、ひどいものでした。しかし、歩きませんでした。コース上では知り合いの選手とすれ違います。追い越せそうな知り合いはいなくても、追い越されそうな選手はいます。まず、ランの20km地点あたりで横浜鉄人クラブの宿敵Tさんがにこにこと追い越していきました。しかし、30kmを越えたあたりでは「おれっ、だめっす」と言う横浜鉄人クラブ若手のホープ(?)Iさんを抜いて幸せになりました。途中すれ違った時は30分くらい後ろを走っていたVO2maxのO嬢が気になります。なにしろ、皆生ではランを4時間半くらいで走っているので、こんな走りでは追いつかれそうです。昨年前日の酒の飲みすぎ(?)でリタイヤしたVO2maxのK先生はかなり前を走っているのですが、足取りは重く、今年は前日酒を飲まなかったのでリタイヤになるかも、などと無責任なことを考えながら走っていました(今年は完走しました)。歩こうという誘惑に負けず、しかし、歩いていると同じようなスピードで走り、ようやく佐和田の町にもどれました。

ゴール前では、前後に他の選手がいないことを確かめてから観客のひとたちとハイタッチをしながらゴールに向かいます。

記録は、14:20:10 (1:35:34 / 7:11:42 / 5:32:54) 総合順位409位/完走510名、年代別(60〜64歳)4位でした。さびしいことですが、年代別1位の選手から2時間35分、3位の選手からでも1時間30分も遅いのです。こんなに離れていると戦う気も起きません。仕方ないので、マイペースで自己新記録を狙いましょう。もちろん、自己新といっても昔の記録との比較はしませんけど(?)


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