IRONMAN JAPAN完走記 kanreki

年代別(60‐64歳)8位でした。この年代のハワイのスロットは2名だったのですが、ハワイに登録したのは1名のみで、残った1名の枠は他の年代に回されたそうです。すなわち、私がロールダウンの会場にいればハワイに行けました。口惜しいけど、これが人生とあきらめましょう。実力でハワイのスロットが取れるはずもなく、当然、エントリーフィーも写真も準備してなかったのですから、でも、

くやしーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!

この完走記を書くために1年間練習をしてきました。昨年はランの途中で制限時間内にゴールできないことが分ったところで収容車に乗りました。ゴール会場から逃げるようにホテルにもどりビールを飲んだことを思い出します。口惜しまぎれに「完走していないとビールが美味い」と言いながら。

不純なゴール(?)
ゴールの600M手前に「Ironman Japan」のネオンサインが赤く青くちかちかと光っています。これを見ながら、どのようにゴールテープを切ろうかと考えていました。帽子をぬいで、ランニングシャツとレースナンバーのしわをのばし、そして、前後の選手との間隔を調整しはじめました。適当な間隔がないと、ひとりのゴール写真にならないし、ゴールアナウンスも混乱してしまいます。しかし、照明で明るく輝いているゴール会場に入ると、前の選手が奥さんと子供と同伴ゴールしようと手間取っています。スピードを落とそうとすると、後ろからは若い選手が勢いよく走ってきました。これですべてが水の泡に終わりました。これが人生。お陰様でゴールの写真はありません。数々のレースのなかでも涙を流してもいいと思っていたゴールですから写真は欲しかった。振り返ってみれば、こんなことを考えながらゴールするのは不純なのです。ゴールしてばったりと倒れなければいけません。

レースは九百数十人が出場し、百人ほどがDNF(Don’t Finish)で完走者は823人でした。私の記録は、14:09:30(Swim 1:32:13 / Bike 7:28:37 / Run 5:08:40) 総合順位695/823位(年代別8位)。私の年代60‐64歳の出場者は21人、完走12人でした。

冷たくて嫌なスイム!
白波がたっていた昨年とは違って普通の海でした。水温は19℃くらい。フルスーツを買えずにロングジョンのままでいることが不安で、対策としてウエットスーツの下に息子から借りたサーファーの防寒Tシャツを着ました。ウォームアップのため海に入るのですが、息が上がってしまって少ししか泳げません。浜にあがって落ち着いてから、また、海に入ります。3度目くらいになると慣れてきます。そして、スタートです。松岡修造がスターターです。フローティングスタートですから立ち泳ぎをしながら、初ロングの不安そうな様子の金澤選手とおしゃべりしているうちに、号砲一発。実力相応に後ろからゆっくりとスタートです。これから1時間半も泳ぐのかと思うと気が滅入ります。右側と左側の選手が目の前で近寄ってきて泳ぐコースが消されてしまったり、蹴飛ばされてゴーグルがはずれそうになったり、時には、目の前を横切ろうとする選手を押しのけたりしながら1周、浜に上がってタイムを見れば42分。去年より3分速い。気をよくして2周目へ。しかし、これからが長いのです。雑念にとらわれていると気はまぎれるのですが、スピードは落ちます。終わってみれば1時間32分。波が小さく透明度が高かったのですが、さすがに宮古島のように泳いでいる魚が見えるようなことはありません。

坂ばかりでもないバイク!
長い長いバイクへの旅立ちです。これから8時間もバイクに乗らなくてはならないのです。JAPANを完走しようと無理して買ったニューバイクの初レースです。昨年までのバイクから見れば革命的なバイクになっています。

    フレーム:26インチから27インチのちょっとだけのスローピングへ、
         材質は、アルミからフロントフォークと後ろ4本がカーボンへ。
    ホイール:チューブラーからキシリウムSLのクリンチャーへ。
    タイヤ:ミシュランプロレース23C。
    ギア:フロントが48/34、リアが12/27と老人向けモードに
       (34x27をレース中に使ったのはもちろんです。登りには弱いのですから仕方ありません。)
    クランク:170mmから165mmと短く。
    ハンドル:400mmから日東のSTI420mmと幅広く、また、握りやすく、取り付けはアヘッド
         (バイクケースに入れる時にハンドルを簡単にはずせます。)
納車されてから千数百キロは乗っているので、なんとか乗りこなせるようにはなっていますが、一度にここまで変えてしまうと、どこがよくなったか分らない始末です。いろいろインプレッションはあるのですが別の機会に書きましょう。

昨年の記憶では、とにかく坂しかなかったのですが、今年の印象は、DHポジションで走れる区間がたくさんあることでした。登りが遅いことを挽回するためにはくだりとフラットをとばすしかありません。しかし、くだりは休息時間でもあり、こぎつづけることもできません。目標は平均時速25kmでした。60kmくらいまでは比較的登りの少ない区間ですから平均でも25kmを越えていましたが、山岳ステージに入ればじりじりと平均時速が落ちてきます。海岸線を走るところもあるのですが、宮古島や佐渡ヶ島ほど風光明媚とはいえません。100kmを越えれば嫌気がさしてきます。3km続く坂を3回も登るのですが、一番つらいところでは、毎年大きなうちわ持った応援団が大声ではげましてくれます。走る食料庫と化したバイクには、ボトルにパワージェル8本と水のカクテル、ベントウバコには、ういろう4ヶ、梅干5ヶ、トップチューブに4等分したパワーバー2本を貼り付け、ジェットストリームにエネルゲン。でも、3回登りの坂の手前でもらった小さなおにぎりが一番おいしかった。おにぎりをくれたあの女のひとは誰だったのでしょう。2周目には、おにぎりがなくなったようでクッキーをくれました。坂の途中ではキャファの辻本さんが応援していたので、キャファ通信にアイアンマンとJTUのことで投稿した因縁で自己紹介、坂のうえではオミノさんが応援しているのでニューバイクへのお礼をふくめて「ありがとー」と叫びます。

バイクを終わってみれば、去年より47分も速い記録でした。原因は、ニューバイク、練習量と質、あるいは、減量の成果、恐らく、去年の調子が悪すぎたのでしょう。

坂がこんなにおおいとは!
ランはひそかに好記録を狙っていました。練習内容を変更したからです。スピード練習を組み込んだのです。最も速くてもキロ5分で2、3km走るだけですから、たいしたことはありませんが、私にとっては10年ぶりのスピード練習でした。ランスタート後、10kmくらいまではキロ6分ちょっとで走れました。誰か有名選手の言葉「ランは10kmまで走れれば、あとは何とかなる」という言葉を信じて走ったのです。しかし、このコースにこんなにアップダウンがあるとは記憶していませんでした。ランスタート後、ちいさな折り返しがいくつかあるのですが、ここで先行する対馬、森田選手に会い、スイムを一緒にスタートした金澤選手ともすれ違いました、ということは、あまり離されていないということです。しかし、対馬選手は長距離ランに強いので追いつける可能性はありません。コースは2周回なのですが、1周目で2周目の選手にどんどん抜かれます。この前の奥多摩ハイキングで出会った選手が「頑張ってください」と言いながら追い抜いていきました。世の中は狭いものです。登りでは歩きがはいったりしましたが、2周目になる22km地点で2時間半程度でした。そこで、心機一転頑張ろうと座ってバンテリンを脚に塗りました。森田選手の奥さんが応援してくれます。そろそろ暗くなってきます。暗いと坂が気にならなくなります。坂の長さが見えないからでしょう。1周目で歩いた長い峠への登りもほとんど歩かずに登りました。ランはカーボショッツを持って走りました。エイドステーションではカーボショッツを口にして水で流し込みます。コーラを飲み、オレンジ、クッキー、うめぼしを食べたりしながら走り続けます。悲願というほどではないのですが、偶然にでも達成できたらいいと思っていたラン5時間が切れそうでした。もちろん、これは夢に終わったのですが、結果は、5時間8分40秒でした。これは、ロングにおけるランの自己新記録です。5時間半前後が標準タイムですから、20分くらい縮めたことになります。なんて素敵なスポーツなのでしょう、63歳になっても自己新が出せるなんて。

美味しいビールと次の目標!
ゴールしてから対馬選手とホテルに戻れば、他の選手は部屋でひっくり返っています。大きな幕の内弁当を食べ始めて気がついたのですが、先にゴールしたひとたちは、弁当のなかみをほとんどが残しています。私たちふたりは、ぱくぱくとみんな食べてしまいました。「追い込まないでレースをすれば食べられる」と悪口を言われながら、美味しいビールも飲みました。もちろん、ゴール後に食欲がなくなり、ビールがまずくなることが正しいトライアスリートなのです。

これで人生の目標のひとつを達成しました。さて、次は、なにを目標にしましょうか。

*****


home back