西湖バイアスロン 1990年4月30日
kanreki

 4月29日、季節はずれのひょうがやみ陽がさしてきた西湖湖畔を隣に娘を乗せて自動車を走らせていると、バイクやランを練習している人達にすれちがい、久し振りの西湖バイアスロンに胸をときめかせるのでした。宿に荷物を置いて自動車で西湖を1周することにしたのですが、さほど走らないうちに倉田夫人のよろよろしているバイクに追いつき、熱烈な挨拶。倉田旦那は、夫人にもうここから引き返して、明日はボランティアに回つたらなどと憎まれ口をたたいているところでした。佐藤、堀両ランナーにも追いつき、ご挨拶。松野、奈良島両選手のバイクに追いつけないまま、娘と初めて西湖バイアスロンに参加したときのこと、最後の20KMのランに娘が自転車で伴走して「ファイト、ファイト」と言っているところに、カメラを持って逆走してきた故細野さんとの出会いを思い出していました。娘にとっては、髭のおじさんなのでした。

宿にもどれば、古沢夫人と2歳になるアキちゃんがいました。このアキちゃんが、3年前の河口湖マラソンで一緒になったとき、お母さんのおなかの中にいた子だとは想像もしなかった出会いなので驚きました。機嫌のよい、のびのびした子です。夜は、ビールとウィスキーと腹一杯になったと言いながら黙々と食べ続けている男達の世界でした。それから、皆さんにお教えしておきますが、JR横浜駅できれいな女の子の後ろについて電車に乗ろうとするときは、JR横浜駅勤務佐藤さんの目の届かないところでやらないことには、突き飛ばされたりするので気をつけてください。

夜明けて、レース/練習会当日になりました。出走は、3KMラン−100KMバイク−10KMランには、倉田旦那本命、ランがもっと長ければと不満の松野、最も油ののった80KG奈良島、生還が危ぶまれている倉田夫人、当日3時起きして参加の松村、それに、ロングライド1年振りの私、佐藤選手はサロマ湖目指しての50KMランに挑戦、ボランティアには、サロマ湖卒業のボランティアプロの堀さん、きれいな空気でアキちゃんを遊ばせながらの古沢夫人、それに、他人が走っているのを見ているだけでも痩せるのではと勘違いしているうちの娘です。

いくら人数が少なくても、きちんとした佐藤会長の開会の挨拶に身を引き締め、これまでの西湖バイアスロンでは遅刻したり、途中でバイクを漬しての棄権とまともに完走していないのは、結局は実力不足でしかないことを思い、3KMのランのスタート。本命倉田旦那は飛び出し、勿論、折り返し地点を通り過ぎてあわてて折り返してきてみんなを喜ばせてくれたし、松野選手と倉田夫人は、私のゆっくりペースにあわせてくれてのラン、奈良島、松村両選手はガンバッテのラン。ここまでは、誰がどこにいるのか分かっていたのですが、これからは孤独な戦い。

今日、とぃっても、この文を書いている5月5日のことですが、雨が降ってテニスが出来ないもので、武蔵野市営プールで泳いでいると、小豆島トライアスロンのスイムキャップをかぶっているのを見たトライアスリート体形の男の人に声をかけられ、雑談しているなかで「どこかのクラブに入っているのですか」と聞くと、「トライアスロンは、ひとりでやるものですわ」と言われてしまいました。確かに、トライアスロンは孤独な戦い、孤独な練習、トライアスロン仲間でなければ通用しない生活パターン。ひとりで練習しているうちに、こんな生活を続けている自分がおかしいのではないかと思い始めることになり、この憂鬱な気持ちを解消出来るのは同じ馬鹿げた生活を送っている仲間と話す時だけということで、トライアスロンはひとりでやるものではないのです。

バイクで10KM、20KMと走りながら、第1の目標、40KMを平均時速30KMで駆け抜けることをイメージトーニングしていたのですが、少しオーバーしてしまつたようで、がっかり。次の目標のトップに1周抜かれないことを思いながらひたすら走り続けていると、こんなつらい思いをしている人間は他にはいないだろうと思ったり、マラソンもトライアスロンも空しく思えてきたりしても、最近つけたDHバーアタッチメントにひじを乗せてDHポジションになれば、ただひたすら脚を回転させるだけ。

はっと、前を見ると、道路に倒れている倉田夫人がいるではありませんか。気を失って落車したのか、落車して気を失ったか当人が分かっていないのですから、他人が分かるわけはありません。助け起こしながら、「大丈夫か」と聞けば「だいじょうぶ」と返事がかえってきたものの、同時に、「関谷さんとぶつかってころんだのかしら」と言っていたのですから大丈夫ではありません。この事件が起きたのは76KM地点ですが、この頃になればランを続けている佐藤さんがうらやましくて、すぐにでもバイクからランに移りたいという「隣の芝は緑で、隣の奥さんは美人」の心境になってくるのです。

実を言いまして、この文を書き始めた昨日は、CDプレーヤーとなにか聴くものをと買ったばかりのモダンジャズ全集20枚組みのCDとウィスキー、そして、このワープロで孤独にキイをたたいていたのですが、この生活は暗すぎると反省して、ボランティアの代償として娘に約束していたインド料理店に連れて行くことにして、この作文を中断。そして、今日はテニスクラブのダブルストーナメントで、そのインド料理が胃につかえていて調子は良くなく、1回戦で敗退いつもテニスをしながら、「この時間をトライアスロンの練習にあてたら」と考え、トライアスロンの練習をしながら「この時間に、テニスの練習をしたら」と考える私ですから、テニスもトライアスロンもやめて隣の美人の奥さんとデートするのが、精神衛生には最も良いことなのでしょう。

そうなのです。80、90KMになってくれば、どうでも良いことを、さもなければ、止めたい、止めたいと考えているだけの私になってしまうのです。しかし、ここで止めないのはなぜなのでしょうか。自分でやろうと決めたことを途中で止めてはいけないと考えている部分と、ここで止めてしまえば、自分の生活で唯一の前向きの部分が無くなってしまうことへの恐怖感なのかも知れません。

こんなどうでも良いことは、ともかくとして、100KMバイクは完了して10KMランの開始です。バイクの後のランはいつものとおりでして、2、3KMは完走出来そうもなく感じながら、いつかは楽になるはずと信じて走るだけです。ランがスイムやバイクより優れている点がひとつだけあります。分かって貰えるか不安なのですが、ランの間は自分の意識を自由に飛ばせることなのです。厭な仕事のことを考えても良いし、すてきな女の子とのデートのことを考えても良いし、次の会報にどのような出だしで書こうかと考えたりと自由なのです。スイムでは溺れるのが怖いし、バイクでは落車が怖くて自由ではいられないのです。

なにはともあれ、ゴールです。目標の5時間を切ることは出来ました。バイクの平均時速は27KM程度でした。次回には、3OKM/時になれるはず、なれるように練習するはず、なのでした。ラン10KMは60分と何秒かで、予想より2、3分遅れですが、ただ流れにまかせて走っただけですからしかたのないところでしよう。佐渡トラァスロンBにエントリーがきまりました.2.5/109/25KMという距離を完走する自信はありません。残された3ケ月程度でなんとかなるでしようか。まさしく孤独な挑戦になります。

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