1月から8月まで積算して概算で

スイムが70キロ月平均8キロ、週平均2キロ

バイクが3300キロ月平均413キロ 週平均100キロ

ランが550キロ月平均68キロ 週平均17キロ

という練習量で記録としては

388位   14時間:08分:18秒 
スイム 1:23:32   243位
バイク  6:50:29   282位  8:14:01 275 
ラン  5:54:17   471位

という事ですから。。やっぱりランは練習量だなぁ。。毎年ランが課題といっていながら進歩してないのはやはり単に走るのが嫌いなのかな。

と分析して真面目な完走記というより完走できなかった感想記を結びます。

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レース翌日の朝は皆揃ってたらふく食べました。
アイアンマンにはアイアンマンの魅力がある事は去年のコリア大会で十分わかりました。
佐渡には佐渡のいろんな楽しみ方があります。苦しいコースや、沿道の応援。あるいは旅館の女将さんの笑顔など。

来年もやっぱり佐渡かな。コリアより1時間わるく14時間以上もかかったゴールを再度13時間台にもどす宿題をもって来年に臨みたいです。
バイクも無事ゴールこれで、あとはRUNのみこの時点でおそらくバイクまで完了して約8時間でしたので残りの走りは、歩いたとしても。。ゴールは確保。なんてことは全く考えてもみなかったのですが。トランジットしてラン用のハーフパンツに着替えて、帽子もかぶって。5本指ソックスに足の指の間にはワセリン塗って豆防止です。

トラジションエリアを抜けてすぐにある給水で水分いれてさぁ 行くぞと走り出したら。
「xxxさぁ〜ん」と私の名前を呼びます。えっ?でも今回は応援の人は居ないはず。

 振り返ってみたらなんと社長&妻さんのコンビの奥様です。えぇ??なんでこんなところに?確か社長さんは、レース不参加のはず。。
 「佐渡きたらトライアスロンやってましたぁ。。」と奥様。いやはやなんとも。。
ともあれ、チームの応援は嬉しいものです。こりゃまた完走しないと!と気合を入れて
また走り出した次第です。

 さて、手元の時計でキロ7分で行ければOKとたかをくくって走り出したのですが、
最初の10Kmは良かった。日差しは十分夏の日差し。えぇっと2時過ぎだったですかねぇ。
35分とか40分で5キロ過ぎて、、10キロすぎて。

 今年のコースは、新しい道路が出来て今までのセメント工場前の集落の中を通らずに
大通りからいきなりセメント工場脇へ通じるコースが序盤。そのまま新穂村へ向かい左折して25キロ地点となります。
 この左折してから約10キロはあったでしょうか。この道のりが長く一番
苦しいロードとなりました。
 いけどもいけどもエイドはないし。一体この先はどこが折り返し?
つまり上の@の17キロ地点までの長いこと。。
やっと折り返して20キロを過ぎたあたりでしょうか。
 なんか体がフワフワ。要するにふらふらめまいがし始めたのです。

おいおい。。。自分の中でそんな馬鹿な。。

でもどうも気合と体がミスマッチしてるのがわかりました。
目がグルグルというのも言いすぎですし。
ともあれ、仕方ありません。。立ち止まって、足伸ばしたり。。
でもどうにも走るつもりになれなかったです。
 時間はたっぷりあるのだからとにかくゴールを目指さなければ。

としばし歩く決心。(意外と凹んだりしたのですが。。)リタイヤよりもましです。 
 まてよ。。塩分か??
今回は補給食に梅干そのものは、用意せず。梅干で練った飴を用意していてバイク中も舐めていたのので良かったはずなのですが。。(過信か。。)

 ランシャツにまだその飴があったのでとにかく舐めてみよう。

気持の問題か、次のエイドがやっと見えてそこで再度 塩を頂きました。日差しも夕方の日差しになり。暑さも峠を越えたのでしょう。

なんか走れそうな気持になって走行開始しました。歩いた距離はほんの500mも無いくらいでしょうか。出来そうだ。いやこれなら走れる。
自己暗示だか、ほんとうに塩分の影響なのか。わかりませんが。
とにかく走り出したのです。やがて25キロ地点の折り返しも無事過ぎて帰路となったのです。
 光る腕輪や、反射するタスキをつけて、夜モードに突入して
黙々と走り続けました。
 沿道には、懐中電灯と大会参加者の名前のはいったチラシを片手に一生懸命選手の名前をさがしては。。
 「xxxさんがんばって」の声。その度に手をあげて合図。。

やっと37キロ地点の金丸エイドに到着。ゴールまであと5キロとなりました。
 いつもこのエイドでは、ここに戻って来る選手(順位としては当然後半の部類)たちは、口々に。。ここを最後にゴールに向かうときに
「来年もよろしく。」とか「ありがとうございました。」とか丁寧に
挨拶していきます。その度におばさん?おねえさん?ボランティアの方が愛想よく。。
「おかえりなさい」とか「来年もね!」とか。
 今更ながら、普通のマラソンとは違う瞬間を感じるヒトトキがあります。きっとあのボランティアさん達は、いつも金丸エイドでボランティアすることを楽しみに一年を過ごしているのでしょうか。などなど考えながら最後の5キロを目指しました。

セメント工場を抜け最後に商店街となり。商店街の中でアナウンスされてトラジションのあった場所の脇のゴールロードへたどり着いたのです。

赤いじゅうたんをすぎ、周りの知らない人たちへハイタッチして。
ゴールテープ。。私の今年のレースは無事完走。。じゃないうぅ。ゴールだな。
固執せずにこんな練習量でもちゃんとゴールできたあるいはこの佐渡の地に来れたことだけでも感謝しないとと思いました。

 なぜか外国人の方がマイクもってゴールインタビューをしていて。
「いかがでしたか?」などなど。。佐渡TVに映ったのかな。
 対して何も応えられない中。。お立ち台を過ぎてみたら
Mr.ビーン氏が何時の間にか先にゴールでした。

私の直後にK先生。。
などなど。意外と近いところにメンバーが居て、
バイクを片付けていたら。63才。。還暦さんのゴールでした。

バイクパートは、これまた2年前は190Kだったのが180kになっていてちょっと嬉しい感覚でじっくりとスタートしました。心の中では平均は、やっぱ27から29K/Hまで出せれば満足満足と言い聞かせつつ相川の最初の坂を上がりだしました。

 坂を下り始めてギアを重いほうにセット!

ところがここでウェットに続く第2のアクシデント
どうも一番したのギアが空回りしている。。そんなばかな。
いくら踏んでもカラカラ音がして、チェーンは動くのですが、進みません。
おいおい。。昨日はOKだったんだよ。ふぅ。
結局、どうみても一番外のギアは、カラマワリです。あきらめよ。。別にスピード出すわけじゃなし。と自分に言い聞かせてレース集中です。

大佐渡(北側)では、とにかく体力温存、二つ亀のZ字の坂も口笛吹きながら。(ほんとか。笑)
ダンシングなんてもってのほか。とにかく体力温存。僕としては小木の坂とその先のダラダラした坂でばてない事が最優先事項なのです。
 今年は、西湖合宿もいけなかったし、長距離の実績は霞ヶ浦にて90Kmが最高。これで180Kを持つか。。不安ばかり。とにかく半分100Km過ぎるまでは無茶は禁物。そう言い聞かせて
後から後から抜かれていく自分より大きい数字のゼッケン番号にもめげずに。。
ひたすらマイペースでした。

 口笛といえば、誰でもかどうか。。レース中にタイミングとったり、集中したり、リラックスするのに頭の中で音楽がグルグルすることありません?僕は、ずっと前にナイキの古いCMで流れていたモンティパイソンというイギリス?のコメディTVで使われていたテーマ曲「bright-side-of-life.」が頭に浮びます。野茂がニコニコしながら口笛吹いていたシーンや、バイクシーンなどなど。
 口笛吹きながら暗いところは避けて明るい道を気楽に口笛吹きながら歩いていく人生??とでも訳す歌なのでしょうか。
 レースからそれてしまいましたが、気分がすごく楽に楽しくレースが出来ます。

とまぁ、両津を抜けて小佐渡へいよいよ入って後半もイーブンペース。スピードも30Km/Hも時々出ながらもほぼ周りの一群も同じバイク、同じバイクジャージの方を見ながら走りました。

 小木の坂直前のエイドで恒例にしているトイレタイムを入れていざ、小木の坂上がりへ突入しました。意外と足も持って、そのまま一気に上りきり、いよいよ真野を抜けてバイクゴールへと
進みました。 



宿同室のVo2maxのOさん(後日談)が実はこの小木の後のダラダラ坂で
トラフィックアクシデント。本人はかすり傷と打撲だったのですが。。
 Aのバイクを抜こうとBのOさんが順調に抜きつつあったそうです。
ところが@に歩行者が横切りかかったらしくて。Aが膨らんでさらに
抜きかかったOさんのBのバイクが膨らんだところに対向から車。。
正面衝突というのは免れて後輪がドリフトして横向きに当たったらしい(口頭で
聞いた想像の絵が上)のです。バイクは損傷なく本人もかすり傷。

もっとも事故ですのでここでリタイヤ。。山ちゃんと並んで早かったらしいので残念です。

さて、心配していた100kmを超えて膝やら痛みが走るだろうという不安もなく。
バイクにはりつけたサロメチールも効いたのか最後のエイドでは、沿道の方に手をふる余裕。笑 
スイムのコースは2年前、あるいは去年とも違っていたらしいのですが、1.5K沖に向かって泳いで2.3K海岸線に沿って泳いで最後1.3Kmを浜に向かう逆三角形の形のコース。

 合図とともにバトルしていたのですが、今年は、見える範囲がやや大きめになっている新ゴーグルと今まで曇止めをしたことは無かったのですが内側に曇止めを塗ってみたら。これがなかなかよく見えます。もちろん水はそんなきれいじゃないのですがそれでも周りを泳ぐスーツの群れやら平泳ぎの足などなど。。見ては、自分の位置、ペースどりしつつ、腕時計で泳いでいる時間をチェック。

 約50分くらいたったところで、自分の予想では、おそらくあと30分だなぁ。と安心した記憶があります。クラゲに当たった記憶もなく、いい海でした。
 スイム練習は、今年は一度に2000以上はほとんど泳いでなかったので無理することなく
息があがらないように慎重でしたが、浜に上がって時計をみたら1時間23分。ほほ。これって
前夜に皆で想定した自己申告タイムとピッタシ。。こりゃ縁起がいいや。

バイクラックで準備してたら山ちゃんが上がってくるのが見えて。おっ。意外と自分もやるじゃん。なんて自己満足。もっとも山ちゃんはイヤミ君がほぼ同じ時刻で上がっていたことにショックだったらしいです。(後日談)

 トラジションで、忘れ物しないようにひとつひとつチェックしてヘルメット、手袋、サングラス、ゼッケンなどなど準備してゆっくりとバイクのスタートしました。
群馬県からきた自衛隊の音楽隊のファンファーレを合図に開会が宣言されていよいよ
長い佐渡の一日がスタートしました。
ところが、練習不足からお腹出ているのが
おそらく原因でしょう。自分なりにはバイクパンツを
下にはいたせいにしたかったんですけど。。。。

ピリピリと20cmくらい張り合わせている部分に
亀裂が。。

あわてて、大会本部へ行ってガムテープをGET。
もっとも海に入った途端に透明なガムテープだったせいかあまり効果なく、あえなくはずれて水が浸入してしまいました。
 
前日の荒れた海と打って変わって午前4時の佐和田海岸はほぼ凪状態。
いよいよトラジションエリアのプラスチックのみかん箱へ一式を入れ、さらに
バイクをセットし、試合開始を待ちました。今年は、ICチップを内臓したウェットスーツ生地のアンクルバンドをはめるだけの受付作業が終わり、ナンバリングを両腕にしてウェットを着ました。
さて浦島の女将さんは健在、大会会場で還暦さんと某高校数学教師のK先生とその所属するトライアスロンチームのVo2MaxのOさん、Uさんと挨拶して7名の同宿者が
勢ぞろいしました。その日の夕食は、もちろん 「柿の地ビール」で乾杯し、これでもかこれでもかという料理攻勢に腹一杯の面々でした。
受付のいつもの光景と獅子舞
佐渡へ上陸し、受付のアミューズメント佐渡へ2年ぶりにつきました。2001年の
時と規模は小さくなって、カーボパーティも無いとの事でしたが、佐渡の鬼太鼓でしょうか、獅子舞などの踊りを見ることが出来ました。普段は、コース上の太鼓しか記憶がないのですが中々、大会スタッフも良い事してるなぁっとしばし感心したヒトトキでした。
フェリーでは、睡眠時間確保でバクスイ。

気がついたら佐渡の島が目の前に見えました。
レース前日の木曜日は、とにかく早く帰宅しなくてはという思いをよそに仕事が淡々と
増えていく様相で結局、会社を出たのが午後9時半をまわった頃。
 帰宅してから前週末に用意していたバック一式を確認、バイクの積み込み、ガソリンの
補充、などして就寝は午前0時を回りました。翌起床は午前4時半予定。起きられるか不安
でしたが、午前3時過ぎに一度目が覚めてうとうとしていたら4時をまわってさぁ、同行のJR,山ちゃんを迎えに出発。いよいよ佐渡大会めざして出発しました。
佐渡前月の8月は、夏休みもあったのですが、そう簡単に練習没頭できなかったし、(言い訳)
結局、スイムの週末練習となんとか100キロを走った満足だけでいよいよ今回の佐渡へと
向かうことになってしまいました。
とにかく5月なんて悲惨でした。GWもほとんどなしで通勤バイクの実績ばかり伸びていて
スイムもランもほとんどできません。
泳いだ 自転車乗った 走った
5月の実績
年間計
29750m
月間計
1000m

年間計
1949.6Km
月間計
614Km

年間計 286Km
月間計 0Km
泳いだ 自転車乗った 走った
8月31日 時点
佐渡まであと6日
本日まで年間計
68850m
月間計
15800m

年間計
3311.6Km
月間計
430km

年間計 547Km
月間計 111Km
毎度毎度の事ながら練習不足は否めないこの一年でした。
今年、最初で最後のレース参戦結果を書いてみましょう。

昨年の夏のコリア参戦(13時間9分だったか)以来、練習記録を時々
つけていたのですが、今年の実績は以下のように。。
2003年佐渡国際トライアスロン 感想記(完走とは思えない。。)
                           ぱなそにっく記