IRONMAN JAPAN完走記 モト

2003 アイアンマン・ジャパン in GOTO Nagasaki
2003年5月18日 日曜日
天候:晴れ
種目:Swim 3.8Km、Bike 180.2Km、Run 42.2Km

記録	トータル		11°36′37″	216位 エイジ24位
	 スイム		 1°14′35″	381位
	 バイク		 6°26′46″	300位
	 ラン		 3°55′16″	201位

今年はやや費用がかかるが道中楽になるように福江まで飛行機で行くことにした。福岡〜福江は一般のツアー、羽田〜福岡は別途手配してもらった。

5月16日(金)
・受付
 横浜に10時半頃着くように家を出る。朝からのんびりとできた。YCATで横浜からのメンバーと合流、塚越さんも見送りに来てくれていた。一緒に行きたい様だった。
 11時のバスに乗り羽田へ向かう。予定通りに到着。羽田で関谷さんと合流、関谷さんはJAL、私たちはANAで福岡に向かう。羽田でいちど別れて再び福岡で合流する。私たちの乗ったANAは乗客のトラブルがあり、30分ほど出発が遅れ、関谷さんをだいぶ待たせてしまった。福岡からは同一行動、共に福江へ向かう。こちらは順調、問題はなかった。上空から見ると、海上は風が強そうで、昨年の強風を思い出してしまった。
 新型肺炎のあおりをくって、今年はレース前後の公式行事は無くなり、今日は受付をするだけとなった。受付のあとは、市内のすし屋へと繰り出す。若干名が飲み過ぎたようだった。本日の行事はこれで終了。

5月17日(土)
・バイク預託、トランジッションバッグ預託
 私は早くから起きて朝食前にバイクを組み立てる。今日することは、バイクで富江のスイム会場まで行ってバイクを預けること、バイクギア、ランギアを預けること。そして最後に試泳をすること位だった。泳いだのは、私と数本、対馬だけ。水深が浅かったからか、水は温かかった。明日のスイムも特に問題は無さそうだった。
 帰りは会場そばからバスで帰ってきた。ちなみに、選手はバス代は無料。今日は皆さすがにおとなしく、夕食を食べて早々と床につく。起床は3時の予定。

5月18日(日)
・大会当日

 朝方の雨の予報も良い方に外れ、雨の気配はない。3年目という事もあり、特に慌ただしさもなく、ゆっくりと準備を進める。3回目ともなると、段取りがよい。
 朝食はおべんとう、やや少ない気もしたが、あまり食べ過ぎても良くないので、控えめにする。少しずつ準備を進め、4時半に宿の近くのバス乗り場へと向かう。今年はなぜか、人がたくさん居た。少々待たされ、バスに乗る。スイム会場へは30分もかからず、5時頃に到着。こちらも準備をすることは余り無く、すぐに終わる。あとはスイム会場に入るだけだった。
 ウェットを着込み、6時半にスイムエリアに入る。軽くウォームアップをして待機、スタート10分前にスタート位置に向かって再び泳ぎだした。私の選んだスタート位置はいちばん前のブイから数メートル後ろ、そのまん中あたりに位置を取った。前の速い連中が行ったあと、間が空き、泳ぎやすいだろうと思った。

 予定通り7時にスタート。晴れ間も見え、波もほとんど無い状態で、コンディションは悪くなかった。一斉にスタートする。ひどいバトルもなく、順調にスタートが切れた。
 第1コーナーまではおよそ750m、10分と少しで行ってしまうだろうと思った。それほど長くはないので、安心感もある。いつものように左へずれて行く癖があるので、それに気を付ける。なるべく人の後ろについて、流れに乗り、コースもずれないように気を付けた。第1コーナーまではあっという間に来てしまった気がした。やや混雑しながら第1ブイを回る。第1ブイから第2ブイまで円を描いているのでコーナーも泳ぎやすい。いつの間にかスタート地点へ向かう直線に出ている。岸に向かう方が泳ぎやすい気がする。なるべくコースから外れないようにと気を付けながら泳いでいた。
 1周目、岸に上がって時計を見ると34分台、まずまず、予定通りだった。折り返し点を回って、これから海に入ろうとするところで後ろから声を掛けられた。山口だった。昨年同様、今年も一緒だったようだ。スイムだけは負けるわけにはいかないと思い、山口には勝つつもりで頑張った。2周目は必死に泳ぐ。

 今年の海のコンディションは昨年から比べれば最高だった。波はなく水温も高かった。2周目も最後まで泳ぎ切り岸に上がって時計を見ると、1°14′、まずまずだった。そのまま着替えに進む。テントの中ではあとから山口が来ないかと冷や冷やものだった。
 たぶん勝っているだろうと思っていた。バイクウェアを着込み、バイクの元へ走る。カーボショッツを1つ食べてスタートする。気温はそれほど高くない。アームウォーマーを付けて走ることにした。他のコンディションは問題なかった。

 レース前には、先のことは考えずに、ガンガン行くつもりでいた。今年はシーズン前に、クランクを短くし、またホイールもキシリウムに変えた。しかし、スタートしたらそんな事は忘れてしまっていた。最後までしっかりと走るつもりになっていた。

 初めのうちのコースは殆ど平ら。ただカーブが多く、走り易いとは言えない。それなりに前をとらえながら走る。今日の状態は自分では悪くないと思っていた。暑くもなく、風もなく走り易かった。おまけに昨年のコースと殆ど変わりない。思い切り行くしかなかった。しかし行けなかった。
 第1の折り返しは30キロ地点、バイクゴールともなる中央公園である。ここで数キロのすれ違いがある。スイムの順位が判っていないので前後に誰がいるか判らない。折り返しに向かうところで数本が勢い良く坂を下ってきた。まだまだ、まばらなところでとても速く感じた。その後は誰もいない。結局この時点で、数本に次いで2位だった。折り返してから安川の姿が見えた。山口もすぐにすれ違う。あせりはしたが、追いつかれる事はないだろうと安心していた。昨年と大して変わらない状況だった。その後に松岡ともすれ違う。他にはいなかった。
 ランコースともなっている鬼岳の周りを回って市内へ出る。市内を抜けると50キロあたり。ここから二本楠までが最初の山道で、バイクコースの最高地点を通過する。この手前で山口が追いついて来た。とても元気そうに見えた。こんなに早く追いつかれるとは思ってもいなかった。離されてはまずいので、しっかりと付いていく。安川の位置を聞くと、やはりすぐ後ろとの事。上り坂のカーブで後方を見ると、それらしき姿が確認できた。そのうちに追いついて来るだろうと思った。しかし、ここでもそれほど焦りはしなかった。

 山口はとても速い。最も急な坂道もすいすい上り、苦手と思っていた下りもどんどん行っていた。なかなか追いつかなかった。二本楠交差点まで来て左折し、第2折り返し方面へ向かう。この先で遂に安川が追いついて来た。こちらも走りが軽快だった。安川にも置いて行かれるのはまずいので、こちらにはしっかりと付いた。しばらくは3人がすぐ近くにかたまっていた。第2折り返しでも数本とすれ違う。まだまだ調子は良さそう、追いつきそうに無かった。折り返しでは山口、安川、本吉と続いた。ここは追い風、スピードも速い。それを利用して、山口に追いつく。しばらくは3人のパックができ上がった。この先3キロのヒルクライムまで小刻みなアップダウンが続く。安川がややリードしながらも3人で先頭交代を繰り返しながら走り抜けた。

 85キロ地点あたりで坂の下に辿り着く。3人一緒。ここで2周目に入ったトップがやってきた。私がスタートしたとき16キロ地点を走っていたトップが、もう40キロ近くの差に変わっていた。ロタ・レダーだった。坂を登っている3人の横をあっという間に通り過ぎて行った。3人のパックは安川がリード、それを山口が追い、私はそれを後ろから見ていた。それほどきつくはないだろうと思っていたのだが、やはり、3キロという距離が効いてくるのか、ボディーブローのように体力を奪っていった。ヒルクライムを終えて坂を下ると、二本楠交差点に戻ってくる。ここを左折し北へ向かう。ここから海岸へ出るまでのコースもアップダウンが続く。ヒルクライムのダメージがあり、ペースが上がらない。じっと我慢しながら、坂を登る。ここで少しずつ山口との差が開いた。安川は上りで頑張りすぎたのか、視界から消えた。このままいなくなるかと思ったが、さすがに地力があり、しばらくしたらそのうちにまた追いついてきた。

 島の西側は道路も良く走りやすい。トンネルも新しくできていたのか、せまい山道のようなところはなくなっていた。しかし、眼下に高浜を見る上り坂の写真の撮影ポイントは変わっていなかった。今回はフリーのギアに一枚大きいのを付けたので楽に登って行けた。長い上り坂を2つ、小刻みなアップダウンを繰り返して、再びヒルクライムの下まで戻ってくる。やっと一周終わり、120キロ地点。もう1周、坂はまだ2回残っている。だんだん辛くなってきた。安川もいつの間にか直ぐ後ろに来ていた。ヒルクライムになると、また勢い良く登って行った。とても元気だった。離されないようにと、しっかり目でとらえていた。坂の途中、毎年の恒例の赤いうちわでの応援は今年もあった。今年は人数が増えていたような気がした。いつも勇気が出てくる。山口は既に全く見えなくなっていた。最近の練習会のとおりの勢いだった。

 2回目のヒルクライムも終わって、坂を下るとあと50キロほど。だいぶお腹も空いてきている。食べられる時に固形物を食べる様に努力した。今年はういろうを全部食べきった。今までの経験から、3キロのヒルクライムは、体にかなりのダメージを与えているのが判った。そのため、下ってから海岸に出るまでは、無理をしないで回復を待った。

 2周目も半ばあたりまで来て、周回チェックのための輪ゴムをもらう。これがあれば、ヒルクライムが終わるとゴールへ向かうことができる。今年は無理をしなかったからか、
―――本当は無理をして走るつもりでいたが、いつの間にか忘れてしまっていた―――
 そして、バイクギアが良くなったからか、それほど辛い部分は無かった。3回目のヒルクライムも、それまでと変わらない位に登っているつもりだった。

 3回目のヒルクライムが終わり、二本楠交差点を直進、このあと、もうひとつ大きな坂が待っている。この坂も体にこたえる坂である。更にもうひとつ、トンネルの手前にも待ち受けている。これを上ってトンネルをくぐると、やっと福江市へ向かって走ることができる。残りも5キロくらいしか無い。残り10キロの表示の時、私のメーターは175キロ位を指していた。ゴールは185キロ位かと思っていたら、いつの間にかゴール近くの風景に変わってきた。1周目のランナーとすれ違い始めたら、もうバイクゴールの中央公園に向かっていた。残り10キロ地点からゴールまではあっという間だった。前を行く数本、山口との差は判らなかった。とりあえず鉄人3位でゴール。ヒルクライムまで一緒にいた安川がどれ位で来ているのか、全く判らなかった。すぐ後ろにいるだろうと思っていた。『ゾンビ安川』の存在が一番怖かった。

 バイクゴールし、トランジッションバッグをもらい、テントの中で着替える。結局、バイクの最中、トイレにいっている間は無かった。またランへ出ていく時も前を追い、後ろからも来ているので、そんな時間は無かった。テントから出てランスタートへ向かうエイドで水を貰う。すると、隣にコーラも用意されていた。助かったと思った。これで最後まで走り切ることができる。

 ランの最初は公園内の1.5キロを往復、ここで前のランナーとの差が確認できる。数本とはすれ違わなかった。山口とは折り返しまで500mくらいのところ、およそ1キロの差となる。これならなんとか行けそうだと目論む。あとは知ったランナーはいなかった。後ろから安川がどれくらいの差でやって来るかも心配だった。しかし、なかなか姿が見えない。結局、私が3キロ近く走ってから、安川の姿を見た。疲れきった走り方だった。やはりバイクで頑張り過ぎたようだった。もう後ろは心配する必要は無かった。道路に出てからはバイクとすれ違う。次は松岡のはず。しかし、姿は見えなかった。

 交差点を過ぎて、一度滑走路へ向かう。2001年、第1回目の時に、散々走らされた所だった。今回は走り易かった。滑走路出口の所で、やっと数本とすれ違う。およそ3キロの差だった。数本と一緒のレースは2000年のチェジュ、あの時の様子ならば、追いつけると踏んだ。頑張り次第では、鉄人トップだった。そのあと折り返してきた山口とすれ違う。山口との差は殆ど変わっていない。5キロ走って差は変わらず、山口も走れていた。私も悪くはなかった。このまま行ければ良かった。コースも判っているし、1周目は特に不安は無かった。キロ5分から5分半位で走っていた。5キロ毎にカーボショッツも摂り、20キロはほぼ1°45′位で走り切れた。アップダウンの繰り返しもなんとかこなしていた。

 市街地に入り、2周目へと向かう。分岐は22キロあたり、武家屋敷の通りへ入り、周回の輪ゴムをもらう。昨年は市街を抜け、富江方面へ向かう辺りから調子が崩れていった。しかし今年は昨年の様な暑さは無かった。大分脚にはダメージが来はじめていたが、なんとか走れていた。ペースは6分程度に落ちていた。もう5キロ毎に取っていたラップも取るのを止めた。あとは気持ちで走るだけだった。坂を上りきり、2回目の周回部分まで来ると、27キロあたり、残りは15キロ程。ひと安心し、だいぶ調子も戻ってきた。東京よりかなり西に位置するので、まだまだ明るい。元気も出てきた。昨年と比べるとかなり走り易い。暑さによるダメージが全く無い。この調子で行くしかなかった。このまま最後まで行くつもりだった。涼しいのでエイドにも止まる必要が無い。空腹感を感じたらカーボショッツに水、あるいはコーラとオレンジ。カーボショッツも食べ続けて飽きてきた。コーラの方が良かった。そのままいい調子を保って37キロあたりの最高地点までたどり着いた。アップダウンもあったので、勢いはだいぶ落ちてしまった。このエイドで、たまらず一息入れる。あとは下りだけ。残りも5キロ程、再び勢いがついて来る。ずっとこれ位のペースで走りたかった。坂の上からは、遠くゴールの灯りが見えている。早くたどり着きたい気持ちだった。先も見え、周りのランナーとも競い合いになる。やっとここへ来て力を余すことなく発揮して、走ることができた。少々遅すぎた様だった。街に近づくにつれ応援も増え、走り甲斐がある。私の近くを走る女性にはかなりの声援が掛けられていた。負けたくはなかった。エイドには寄る必要もなく、ただゴールを目指して走るだけだった。

 やっとあのネオンが見える。宿泊先のホテルの横を通り過ぎ、ネオンサインの角を曲がる。残りは600m。あとは街中を抜け、お城の門をくぐるだけ。ランが辛かったが、なんとか思い通りにフィニッシュを迎えられた。ゴールの五島高校のグランドへ向かって走りきった。気持ちよいフィニッシュを迎えることができた。

一週間前の土曜日に、宅急便待ちで昼寝をしていたところ、喉が痛くなってしまった。レース前で緊張していたせいか、なんとか持ちこたえる事ができたが、やはりレースは体に応えたのか、ゴール後休んでいる時に咳が止まらなくなってしまい、とても辛かった。しかし、良いレースができたと感じていた。だが、結果だけを見ると、数本に負け、山口にバイクでかわされ、ランで差を付けられた。記録は昨年より6分ほど悪かった。気持ち良いレースができたのはそのためか。11時間半は切りたいと思っていたのだが。

5月19日(月)
・バイク引き取り

 今日は早く起きる必要もなし、ゆっくりと寝ている。しかし、体が疲れているからか、目は覚めてしまう。宿のまわりを散歩に出かける。近くの港に行くと漁から帰ってきた漁船がたくさんいた。水揚げはほとんどが「きびなご」だった。今夜はこれがたらふく食べられる。今から楽しみ。そのあとは、宿の前の朝市を覗く。天然わかめと青のりを買ってきた。

 朝食後にバイクを引き取りに出かける。雨に降られることもなく天気には助けられた。やはり天気がいいと気も晴々とする。バイク引き取り会場へと出かけて、引き取りがてら昨日の写真を買う。少々高いが仕方がない。記念の一つくらいはと思って買い求める。宿に帰ってからはバイクを分解しパッキング、託送の依頼を済ませる。これでしなければならないことは全て終わった。昼食はビールといつものチャンポン、そして鬼岳温泉につかって、夜はお楽しみのきびなごが待っていた。食べるものは美味しいものばかり。体重もかなりオーバーしていた。たくさん飲んでたくさん食べて、今日はこれで打ち止め。ひとり4,000円、安すぎると思った。大いに飲んだ一日だった。

5月20日(火)
・帰宅

 今日は横浜へ帰る日。朝から慌ただしい。朝食を食べてさっさと帰りの準備をする。福江発は9:00、トライアスリートがいっぺんに集まったため、空港の能力をはるかにオーバー。出発数分前にやっと機内に乗り込んだ。福岡ではお土産を買って、いちおう九州ラーメンを食べて羽田へ向かう飛行機に乗った。羽田には予定通り到着。スムーズに乗り継ぎも進み、2時過ぎには家に着いていた。
今年のアイアンマン・ジャパンも終了した。

今回、レース前の予想では、エイジで20番前後だろうと思っていた。昨年の結果と今年の出場者を見比べ、更に新しくエイジに加わった人を考えると、それ位が妥当だろうと思えた。カテゴリーFのハワイ・スロットは5人、余程の事が無い限り、ハワイ行きは難しかった。そこでレース前には初めからとばしていって、全力を尽くすつもりでいた。しかし、レースが始まってしまうと、無難に最後までというようなレース展開だった。ハワイへ行くのは相当無理があるということが頭の片隅にあったからか、頑張っても無駄というような感じのレースになってしまった。唯一大きな反省点だった。

	ツアー:	130,000円
	参加費:	 38,000円
	小遣い他:	 40,000円
	その他: 	 10,000円
	合計 :	218,000円

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