22 横浜マラソン大会

20021110日 日曜日

天候:晴れ

種目:ハーフマラソン 21.1Km

記録:1°21′13″ 103位/2536人

 朝起きると寒い。ここのところ冷え込んでいるが天気は良い。この時期、日が出てくると暖かいので心配は要らない。朝の寒さをしのぐ格好でいつもの通り7時頃出かける。本郷台を7時半頃の電車に乗る。すでに大船から何人かのランナーが乗ってきていた。関内で降りるはずだったが、寝過ごしてしまった。桜木町で気付きまた戻る。

 いつもの場所に荷物を置く。毎年決まったメンバーが決まった場所にやってくる。懐かしい顔も見かける。とりあえず受付を済ませて戻ってくる。公園の中もきれいになり少々様子が変わってしまった。レース準備の状況も変わりそうなので、トイレなどには気を付ける。ウォーミングアップがてら軽くゴール付近まで出かけてみる。この辺りは変わりない。最後のコーナーを曲がってからが長く、いちばん辛いところだ。いつものようにレース前の準備を済ませて、早めにレースの支度を進めた。案の定、公園内のトイレは長い行列だった。産業貿易センターのトイレを借りに行った。こちらは思ったよりも空いていた。

 30分ほど待つ覚悟で上にTシャツを着てスタート付近で待つ。人が集まり始めたところで私も列に入る。しばらくスタート前のセレモニーがあって、10時20分、予定通りに20キロはスタートした。例年だと私のスタートはあまり速くない。10月の走り込みの疲れが残っていて思うように足が動いてくれない。しかし今年は、走り込みの後なるべく疲れを取るように努めたので、疲れは感じなかった。走り出しもスムーズに足が動いた。気持ちよくスタートが切れる。アップの時に下見に行っていた1キロ地点は3′44″、近頃まれに見るスピードである。少々息はつらいが、足は動いてくれている。顔見知りのランナーも周りに何人か居る。ペースを合わせて走る。2キロもペースは落ちず3′44″、速い。橋を渡ったところに有った給水所は、少し先に移動していた。行きはまだ準備中、帰りにお世話になる。角を曲がって3キロ地点、ここも3′46″、スプリットは11′14″、快調そのもの。この辺りまでは、無理すれば何とかなるもの、ここからが本当のレースの様なものである。

 月例の常連ランナーが周りにいる。それに合わせて走る。とりあえずは彼らに着いていけばいいペースが作れる。5キロ地点まで来て18′59″、少々スピードは落ちたものの、まずまずのペースと言って良い。ここまでは距離表示もまとものようだが、この先、シンボルタワーをまわったあたりからおかしくなってくる。6キロポイントは見逃し、7キロで8′40″位を示している。毎年同じところで距離がおかしい。これが修正されないのは気に入らない。しばらく前方にいた平塚のランナーにやっと追いつく。彼とは、今は横浜と大山くらいしか顔を合わすことが無くなってしまった。彼には昔は追いつかなかったが、最近は両方ともなんとか勝てている。横浜はマラソンのレースとしては参加者も多く、年に一度この時しか合わない人も多い。

 埠頭から産業道路へ出てかもめ町方面へ向かう。9キロを過ぎ、少々中だるみ。後ろから何人かに抜かれていく。森林公園のランナーもいた。勢いが良かったのでかなり先に行ってしまったと思ったが、しばらくしたらすぐ先にいた。前方にいた月例のランナー、鈴木選手もペースが落ち、声を掛けて抜き去る。後ろで息の荒いランナーがずっと付いて来ていたので、顔を見るとこれも月例の川俣選手。彼は私には負けたくないような素振りが見える。が、残念だがいつも勝たせて貰っている。これはこれで愉快だ。ひととおり抜き去り、前の目標が居なくなってしまった。気持ちを入れ替えてレースに集中する。

 かもめ町をぐるりとまわって11キロ地点がある。いつもはつらくなってペースが落ちるところだが、今回は調子がよい。しっかりと前を追って走る。見通しが良くなったところへ出ると先導車が見えて来た。まさかと思ったがトップだった。実業団の日清食品のユニフォームに見えた。その時は、実井選手かとも思ったが、そんな一流はさすがに来ていなかった。しかし、後続を引き離しダントツだった。既に14キロを過ぎ、私とは3キロ以上離れていた。

 陸橋を上ってから本牧公園の前へと下る。後続の集団が何人か走り去って行った。普通はこの辺りでトップ集団とすれ違う。引き続きパラパラと数人ずつのグループとすれ違う。今年は岡村選手の所属するハートブレイクの参加者がやけに多かった。岡村選手は5位入賞とのことだったが、この時には気が付かなかった。既に先に行ってしまっていたか。

 折り返しは12.5キロあたり、残りは8キロほど、まだまだ行けそうな調子。今年はここまでハイペースで来ているので、いつものようにペースを上げていく様なことは考えない。このままを維持して行くつもりでいた。ここから次の陸橋までに、すれ違うランナーが沢山いる。しかし残念ながら今年は鉄人のメンバーはほとんど判らなかった。14キロ手前で陸橋を下った後もいいペースで走れている。最後まで行けそうな感じだった。今年は参加者が多いのか、かもめ町あたりでもまだまだランナーがやって来る。かなりの数である。15キロはかもめ町の真ん中辺り、58′22″、いい調子。その先に往路の10.2キロ地点、関門がある。遅れたランナーがみんなバスに収容されていく。そこを過ぎてもまだまだ後ろからやって来ていた。猿田さんは通過できたか心配だった。しかし、彼女にはそんな心配は無用だった。余裕をもって通過していた。15.9キロの関門を過ぎ、16キロは1°02′16″、残りは5キロ。まだまだ余裕はあった。いつもはこの辺りからはトップスピードに上げていくのだが、今年は前半が速かったので、いつもよりタイムは良い。特にペースを上げることなくこのままのペースを維持することにした。ペースの落ちたランナーもいて何人かを抜いていく。そして産業道路まで出ると、残りは3キロ。ハイスピードで来たわけでもないので、まだまだ余裕はあった。このままのスピードで行ければ十分だった。ラスト2キロ、1キロと最後のラップを刻み、一番辛いところとなってきた。陸橋を越えて、残りは400mほどか。いつも一番嫌なところ、月例の知り合いが応援してくれていた。今年は必死でなかったからか、初めて21キロの表示に気が付いた。こんな所に有ったのかという所に表示があった。ゴール前、時計は20分から21分に変わっていた。しかし、タイムとしては十分満足のいく結果だった。

 最後に無理をしなかったからか、ゴールした後も体は軽く、まだ余裕がある位だった。軽くジョグをしながら帰ってくる。まだまだ走れそうな気がした。次の大田原が楽しみになってきた。