佐渡なんとか完走記

 

 

今回の佐渡の楽しみは、「浦島」の若女将と遠藤さんの若奥さんに会えることでした。浦島の若女将は相変わらず「明眸皓歯」、笑顔が爽やかでした。遠藤夫人は、多摩川で自転車の鍵を無くして困っているところを、遠藤さんが鍵を壊してあげたことが縁で恋が芽生えたとか、なかなか、すてきな奥さんです。奥さんは、遠藤さんに優しく、遠藤さんは奥さんにもっと優しくしていました。

金曜日の昼過ぎに「浦島」に入り、会場で受付、それからは、普通のひとはすでにビールを大分飲んでいるので昼寝、普通ではない人たちは走ったりしていました。本吉さんと川島さんも着きました。川島さんは練習不足を理由にBタイプとのこと。「浦島」の食事にはいつもながら感激させられるのですが、昔のような豪快さがなくなってきています。また、また、ビールをたくさん飲んで、だれかさんの豪快ないびきに悩まされながらも、幸せな一日が終わりました。

明けて土曜日は、レース日程に合わせて6時半頃から「浦島」の前の海でスイム、心配していた台風の影響はなく、まったくの「べた凪」です。くらげは、すこしばかり刺されたひともいますが、いつもの年より少ないほうでしょう。いつものとおり、仰向けに海に浮かんで空を見て、佐渡に来られた喜びをかみしめました。

昼食は、美味しいからと寿司やに連れていかれたのですが、トライアスリートもたくさん来ている有名店でした。ここはおすすめです。900円の並寿司の美味しいこと、いかが絶品、特上2600円には、あわび、おおとろ、うになどが入っているだけです。もっとも、この寿司やには、普通の食堂メニューもあって、一緒に行ったひとりは、カツ丼とラーメンを食べていました。2時からは、佐渡の伝統芸能「能」が演じられ、説明会が行われました。カーボパーティはなし。エキスポでは、バイクグローブとアイアンマンマーク付きランパンとアミノバイタルを買いました。もっと欲しいものがあったのですが、佐渡の頃ってどういうわけかお金がありません。

レース前夜ですが、さしたる緊張感もありません。今回のツアーは、鉄人からは遠藤夫妻、本吉さん、川島さんと私、私の地元のチームVO2maxから上小牧先生ほか5名の選手と応援の女性が1名、総計12名でした。いつもの通りと言えばいいのか、バイクに補給食を乗せたり、ゼッケンベルトにレースナンバーをつけたりで過ごしています。前夜には普通は禁酒なのですが、今回は、多少はということでビールを飲みながらの作業です。

さて、レース当日です。朝3時半起床。あとはスイムチェックまで、いつもの手順通りです。今年のスイムは約700名の一斉スタートです。スタート後、歩きながら前が空くのを待って泳ぎはじめる。バトルに巻き込まれることもなくスムースに泳いでいると、後半になり、一斉スタートだったためか、私でさえ追い抜ける選手が出てきました。記録は、1時間25分28秒、予定は1時間30分でしたから、上出来。

バイクは、JAPANのための練習もあって、例年より練習量が多く、少しは速く走れるだろうと、平均時速25Kmを目標にしました。二つ亀のジグザグの坂をのぼり、大野亀の坂をのぼれば、あとは、DHポジションで両津の先までとばすだけです。坂のあたりでは25Kmを切っていたアベも両津に着く頃には25Kmに復活していました。途中、トップチューブに貼り付けておいたパワーバーが段差を越えるショックでとんでしまいショック。ボトルにはパワージェル8本と水のカクテルを入れていったのですが、パワージェルをそのまま飲む(食べる?)より遙かに飲みやすくなります。これは、おすすめです。他には、かりかり梅4ヶ、味がしつこくないゼリー状の???などを「べんとうばこ」に入れていました。

両津からは小さなアップダウンを繰り返しながら赤泊を越え、恐怖の小木の坂に向かいます。いつもであれば、100kmを越えたあたりから、バイクの乗っているのに疲れ果て、腰と尻が痛くなってくるのですが、さほどつらくないのは、練習量のせいなのか、向かい風がほとんどなかったせいか分かりません。しかし、暑い。エイドでくれる氷入りのボトルが待ち遠しくて、受け取ると一気飲み。

いきなり、10%くらいの坂が1kmほど続く小木ですが、実は、登り切ったと思うと、次から次へと坂が出てくるのでつらいのです。38x26の軽いギヤを使っているのですが、回転が50rpm以下になってしまいます。次のバイクは、フロントを3枚にするか、2枚のままで48−34にしようと思います。クランクも165mmにしてみたいし、新しいバイクが欲しーい。

小木からの豪快なくだり、そして、峠への余計なのぼりがあって、あとは街まで一気のとばすことになるのですが、もう、脚が残っていません。ゴールの3.5km手前になると、道の片側をAタイプのランに出発したばかりの選手、別の側をBタイプの選手がゴールを目指して走っています。みんなに、「遅いバイクだなー」と見られているような気がします。ゴールしてみれば、記録はサイコンでは7時間27分、アベ24.8km。まあ、目標達成。公式記録では7時間38分25秒、2回のトランジションタイムが含まれています。ただし、180.2kmと公表されている距離ですが、それぞれのサイコンでは183〜186kmにばらついていますが、長かったのは確実です。

ランだって、今年は少しはましな走りができるはずと密かに思っていたのですが、この暑さでは、とても無理と最初から諦めの境地です。チェジュの炎天下のランを思い出します。ウェストバックにカーボショッツ8本、カレー味のパーフェクトバー1本(カロリーメイトの中にカレーが入っているようなもの、口直しにどうぞ!)、バンテリンを入れています。快調とはいえないものの走れます。2kmあたりで私設の水ステーション(ゴムホースとバケツ)があったので頭から水をかぶる。うっかりして、靴と靴下を濡らしてしまった。ここから、ゴールまで水をかぶったのは数知れず、靴と靴下が乾くことはありませんでした。エイドでは、氷の入った水で冷たくしたスポンジで頭と首筋を冷やし、氷を帽子の中に入れて走ります。ようやく、頭の芯から痛みがひいていきます。10kmを過ぎたあたりから、歩こう歩こうと身体が命じます。本吉さんとすれ違ったのはこのあたり。azの「海兵隊」鈴木さんとは大分前にすれ違っているから、本吉さんが挽回する余地はなさそう。ついに、12,3km地点で歩き始めると、新穂のT字路では、昔なじみの「かなちゃん」が「お父さん、頑張れ」と言いながら、私の様子を見て、「こりゃ駄目だ」との応援(?)を受ける。

いつか復活することを信じて歩く。エイド毎に大量の水、アクエリアス、コーラを消費しながら歩く。ランスタート時点では、制限時間まで6時間ありました。17.7km地点の第1折り返しでは、制限時間まで4時間になっていました。ここからは、ない知恵をしぼって、キロ何分で歩き、走れば、制限時間の21時までにゴールできるかを計算しながらのランになりました。また、新穂のT字路に着くと、さっきの「かなちゃん」が、「すごーい、すごーい」と誉めてくれました。しばらく前から、気をとりなおして走りはじめていたのです。

歩きが入るものの、一応は走っていたのですが、25.5kmの第2折り返し点までは遠かった。歩いていては、制限内にゴール出来なくなっていました。頭のなかは、「ここで完走できなかったら、JAPANと2度続けて完走できないことになり、これで、私のロングのトライアスロン人生が終わりになってしまう」との思いでいっぱいでした。来年はBタイプかと思うと、うれしいような、さびしいような心境になりました。

2年前に社員から顧問になり、この9月末で顧問契約も終わることになるので、いよいよひとり立ちしなければなりません。シンガポールの商社の東京駐在員としての仕事は続くので、自宅をSOHOとして働くことになります。自由な時間は増える分収入がへることになります。生活パターンを変える必要もあるでしょう。練習をどのようにするかも考えなくてはなりません。仕事は続けていれば、なにかあるだろう、なんとかなるだろう、なんて考えながら走っています。

さて、さて、制限時間と戦いながら走り続けました。ゆっくりでも走り続ければゴールできるくらいの余裕ができてきました。あと、10km、あと、5kmと走ります。どういうわけか、今回の佐渡は距離表示がないのですが、だいたいは分かっています。もう、真っ暗だし、気温も下がってきたのですが、相変わらず、エイドではスポンジで頭を冷やして走ります。今年の新コースは、ゴール手前1kmくらいから佐和田の商店街のなかを走ります。入り口では、マイクで選手紹介をしてくれ、観客がおおきな拍手で迎えてくれます。おばあちゃんが、「よく、がんばったねぇ」としみじみ言ってくれました。

ゴール、ゴール、ゴール。14時間47分06秒。総合451位/506人(完走)、年代別6位。60歳以上の参加者18人で完走は6名だけでした。すなわち、年代別びりです。700名近くが出場し、リタイヤ、タイムオーバーが180名余いう厳しいレースでした。暑さの影響がおおきかったのでしょうが、距離が多少短くなったとはいっても、制限時間が15時間30分から15時間に短縮された影響もあったと思います。

まずは、よかった、よかった。来年も佐渡Aタイプに出られる!!!