アイアンマン・コリア・ソクチョ・カンゴン・なんちゃって・ツアー

 8月22日(木)

 9時55分日本エアシステム・ソウル・インチョン行きの飛行機に乗る。いきなり30分も出発が遅れる。遅れてきたトライアスリートが原因らしい。斜め横のおっさんトライアスリートが,ここぞとばかりにただ酒をがぶがぶ飲んでいる。約2時間後ソウル到着,雨だ。ここからソクチョまで長いバスの旅の始まりだ。このバスには現地の韓国人女性添乗員が乗る。とてもノリノリの韓国女性だ。雰囲気はオーヤン・フィフィって感じかな?経費削減のため一般路を行く。途中のひなびたドライブインで初めての韓国料理を食す。ビビンパ6000ウォン(日本円600円)。水が栓の開いたミネラルウォーターのペットボトルで出てきた。多分中身は水道水だろう,韓国の食堂は基本的に何処へ行ってもこのスタイルだった。約6時間のバス旅行の果てに要約ソクチョに着く。ソクチョの街に至る最後の道程は箱根大観山より凄い山道で到着は夜だった。宿はとてつも無く大きいハナ・コンド,ロビーに入ると変な臭いが鼻に付く。ニンニクかキムチの臭いだろう。部屋に入るとオンドルだった,チェジュのコンドと同じ内容だ。コンドのスーパーに買い出しに出掛け,一日目の宴会へ突入。疲れ果て床に着くも床に薄っぺらな布団のために背中が痛い。

 8月23日(金)

 今日は選手登録の日。会場はコンドから5キロ程先のエキスポ会場。我々は早くに行ったのでスムースに済んだが,受付が一人一人にしか対応しておらず,自分達が終えて部屋を出た頃には長蛇の列だった。コンドに帰ってから焼き肉を食べに行く。ハングルは全く読めないので店に行っても何屋だかさっぱり解らない。

添乗員さんに聞いてみたら,紙にハングルで「カルビ」と「プルコギ」と書いてくれ,これをその辺の韓国人に見せて聞けと言うことだ。やっと辿り着いた店に入って紙を見せるとカルビは無いと言う,テーブルのロースター前で肉を焼く風に見せるも無いと言う。仕方なくプルコギ(すき焼き風)を注文し食す。しかし後から来店した韓国人が我々の希望した焼き肉を食っている。全くどうなっているんどろう?夜はカーボパーティーが有りました。運良く雨は降っていないが,ここのところ韓国は雨が多いと聞いていている,何故露天でやるのか不思議だ。

まあ,大きい会場が無いのかもしれないが。

 8月24日(土)

 バイクの車検とトラバック預託の日。自転車に乗ってエキスポ会場へ早めに行く。最初に日本人用の競技説明会が有ったがコースがパンフレットと違い,ウィット・レイモンドの拙い日本語のため上手く選手にコース説明が伝わらず,選手は不安いっぱいになっていた。まあ,何とかなるだろうと諦めました。まだ小1時間早いも車検をやる雰囲気は何処にも無い。トラバック預託のテントに運良く少々日本語が出来る韓国青年がいた。彼の言うには少々遅れるが時間通りに始まりますとのこと。予定の12時少し前にボランティアのおばさんが集まり始めたが,テントに着くなり食事を始めるではないですか。本当に12時に始まるのかな?時間になったらその青年が「バック受付ます」と言って何の手続きも確認も無く,バックを受け取り終了。その横でバイクの車検と預託が有るのらしいが始まる雰囲気は無い。仕方なく先頭に並んでおく。しばらくすると係員が来て車検が始まる。一番で車検を終え,自分でバイクラックまで運ぶ。車検をする係員は一人しかおらず,これもあっと言う間に長蛇の列になってしまう。

 昨日松岡さんから聞いてあった焼き肉屋に念願の焼き肉を食べに行く。お店のお姉さんが最初から最後まで肉を焼いてくれた。コンドの帰りに銭湯に行く。市バスで行ったのだが,トライスリートは期間中バスは無料なのだ。今日は早めに床に着く。

 8月25日(日)

 3時30分起床。それぞれ朝食を済ませ,補給食の準備をする。5時20分コンドをバスで出発し会場へ。スタート準備を済ませた頃に小雨が落ちて来た。ウエットを着て10分前に水に入る,水は余り綺麗では無い。三角形を2周回のコースだが陸に上がる事はない。7時丁度にスタートする。ヘッドアップで方向確認すると腰に痛みが走る。1周目はまあまあだったが2周目は何故か蛇行を繰り返す。1時間11分でスイムフィニッシュ,上陸用のスロープに立った時腰が痛くて普通の姿勢にならず移行がなかなか出来なかった。タイムはがっかりだ。テントに入って着替えていると目が回ってしまいフラフラする,何時も以上に何故かフラフラする。バイクに入ってエキスポ会場を行ったり来たりで迂回させられ,街の中へ。ソクチョの街はそこそこ大きい街なのだがここをバイク最優先で交通規制をしている。警察と軍隊で完全交通規制をしている。日曜日のレースの日なのだが交通量は減っておらず,街の中は大混雑で大渋滞で大混乱の様相を呈している。韓国って徹底しているなあと関心する。多分一般市民は不満なのだろうが力でねじ伏せているって感じです。街を過ぎると北朝鮮に向かう高速道路の様な一本道の周回道路に入る。ここは1往復50キロを3周回する。往きは追い風,

復路は当然向かい風。大きな起伏を繰り返す。選手のバイクは中央分離帯の追い越し車線を走る。一般車は残りの走行車線を走る。ここでも警察と軍隊ががっちりと規制をしている。道は走り易かったがハードコースの部類に入るだろう。エイドステーションはバイクボトルは無く,ペットボトルだった。中には缶の飲料も有り,ボトルを廃棄する場所も決まっていないので,そこいら中に散らかっており,バイクの走行路にも飛んで来て危険であった。

 いつもは50キロ位は順調だが今回はその50キロも行かない内に腰が悲鳴を上げ,DHポジションがとれなくなってしまう。何も無い殺風景な道を我慢の3周回を終えて,街に戻る。相変わらず大混乱のソクチョであった。バイクフィニッシュしてバイクから降りたら,長く前傾姿勢をしていたので,またまた歩行姿勢に難儀する。テントではボランティアが献身的に手伝ってくれた。ランに入りまあまあの調子だったのは最初の5キロくらいまでだった。腰をかばっていた関係か?足にきてしまっている。上り数キロと下りを繰り返す1周回約9キロの4周回のランコース。チェジュと雰囲気は違うものの同じハードランコースだ。走れたのは2周回だけ3周目に入ると歩きが多くなってきた。3周目の終わりころに安川さんに抜かれる。凄い勢いだった,本当に凄い勢いで抜かれた。全く付いて行くなんてできなかった。一気に諦めムードに突入。4周目はほとんど歩き。ここでついに松本さんにも佐藤さんにも抜かれる。一緒に来た人で松岡さんは確認できなかったが,杉浦さん以外全員に抜かれた。こうも抜かれると気持ちが良いものであっさりと歩ける。気分は良いのだが気持ちはは悪く何時吐いてやろうか考えながら歩く。4周回を終え,エキスポ会場内を迂回させられ,ゴールに向かって最後の力投で走っていると周回を終え迂回路に入って来た松岡さんとすれ違う。「あれ?松岡さんには抜かれていないのか?」今度は直ぐに安川さんと出会う。あれ?抜かれたと思っていた人達は周回遅れだったのか。なんだ誰にも抜かれていなかったんだ。12時間ジャストでゴール。フィニッシュすると直ぐにベンチに座らせられ,飲み物をくれる。他の選手は元気な韓国おばさんに肩や足を揉んでもらっている。「いいなあ,自分もしてほしいなあ」と思い,グロッキー状態の雰囲気を出す。隣の白人女性がゲーゲーと吐いている。そうこうしていると一人の韓国おばさんボランティアが自分の腕をガっと掴み,「マッサージ,マッサージ」といってマッサージテントへ自分を連行していく。本当に連行するって言葉がぴったりで,歩くのも難儀な自分を腕を引っ張って早足で連れていかれた。目を閉じマッサージを享受していると隣で聞いた声。横では安川さんがマッサージをしている。その後ろでは松岡さんが待っている。先にマッサージを終え

バイクとトラバックを受け取りに行く。軍人らしき人が担当で,時間がかかろうが一人一人しか受け付けず,ここでも韓国スタイルは貫かれていた。バイクを押してメインの通りに出てタクシーでコンドに帰る。シャワーを浴び,気持ち悪い体だが空きっ腹に遅い夕食を詰め込む。それぞれ順々に帰って来たが杉浦さんだけがどうなったか解らない。バイクの周回路でもランでも自分は一度も見なかったし他のメンバーも見なかったと言っている,心配だ。しかし心配は不要だった。

しばらくして元気な声で「アイアンマンになったよー」と部屋に入って来た。良かった。

 8月26日(月)

 皆はバイクを取りに街へ,自分はバイクパッキング。杉浦さんは朝早くに北緯38度線の統一展望台へ行くと言って出掛けていった。凄いバイタリティーだ。

荷物の整理とバイクパックを終えてその日は夕方までゴロゴロ。アワードパーティーの予定時間より早めにコンドを出て,街を散策する。Dマートと言う日本でも聞いたことがあるオープンしたてのスーパーへ入るが建物が所々完成しておらず鉄骨など剥き出しのままオープンである。街のパンやさんで買い物,可愛い店員さんが自分を見て不思議そうな顔,「イルポン(日本人)」と言うと,笑顔で

「ウエルカム・トゥ・コリア」って言ってくれた。「カムサハムニダ」と微笑み返し。

普通の洋風パンだったが美味しくなかったです。カーボパーティーの食べ物は良い方だと思います。パーティーもそこそこに最後の宴をコンドで挙げる。

 8月27日(火)

 帰国の日。来るときと同じ道を帰る。総じて言える事だが韓国の車は凄い飛ばすんです。我々は一番後ろに座っていたが,何度となく席から腰がジャンプしました。市バスだって走行車線からガンガン追い抜きを心見るのです。急ブレーキは当たり前。ソウルインチョン空港では最後の韓国料理にお別れの意味を込めて

ビビンパとキムチを食べました。

色々有りましたが,今にして思えば楽しかったアイアンマンツァーだったように思います。腰の状態が万全では無く,一時は歩行も困難な程でしたが何とか出場し完走しただけでも良かったのかなと考えるようにしています。これで松本さんも佐藤さんも杉浦さんも正式なアイアンマン。アイアンマンディスタンスを走っただけではアイアンマンでは有りません。ワールド・トライアスロン・コーポレーションのレースに出ないとアイアンマンと名乗れ無いのです。初アイアンマンの人は「なんちゃってアイアンマン」返上ですね!

 追伸,コンドのスーパーのレジのお姉さんの一人で優しい韓国語を話す綺麗な女性がいて,言葉使いは日本語に例えると,京都弁の様な話し方でとても印象に残った人がいます。「こんにちは」とか「ありがとう」とか何にでも,「アンニョハセヨー」を多用し,その間に「んだ,んだ」を言うのです。「アンニョ・ハセヨー,アンニョ・ハセヨー,ンダ,ンダ」て聞こえるのでおかしくっておかしくって,今でも考えると想い出し笑いをしてしまいます。皆は「ンダ,ンダ」って言って無いと言いますが,自分にはそう聞こえるのです。

「アンニョ・ハセヨー,アンニョ・ハセヨー,ンダ,ンダ」(クスクス・笑)